参将ドムサブ いつからだろう。僕の中で君がこれほどまでに大きくなったのは。最初はただのターゲットでしかなかった。それだけだったはずなのに────
こちらを見る男性にしては少し大きな琥珀色の瞳。もう見慣れたその綺麗な瞳は黒く縁取られていた。
(これは……今日は一段と濃いな……。)
「参謀、これも頼めるか?……参謀?」
「………あ…すみません、少しぼんやりしてしまいました。」
「むっ、疲れているのなら早めに休んでおいた方が良いな。これは私がやっておこう。」
そう言って引っ込められた手を参謀は慌てて掴む。
「待ってください。早めに休むべきなのは私ではなく貴方です。隈、すごいの自分でもわかってますよね?」
「……やはり、バレていたか…。だが、これはどうしようもないんだ。どうにも、最近布団に入っても寝付けなくてな。寝れもしないのに何もせず布団に入ってるよりかは、仕事をした方が幾分かマシだろう。心配してくれてありがとう、参謀。」
いつものことながら、この人はすぐ自己完結をしてしまう。命を救ってもらっている手前、偉そうなことを言える立場ではないが、この人は参謀の処遇の時も、普段の任務も、いつでも全て自己完結で済ませてしまう。参謀はそんな将校を部下として誇りに思うと同時に、もっと部下達、そして参謀を頼って欲しいとも思っていた。だから今回は食い下がってみよう、そう考えて言葉をかける。
「将校殿、それでは貴方の不眠が一向に解決しないのではないですか?一度、まとまった休みを取って医者に行くべきです。差し出がましいのは承知ですが、そんな状態ではいずれ任務にも支障をきたしてしまうでしょう。」
俯き、なかなか言葉を返さない将校を見て、少々強すぎる物言いだったかもしれない、と心の中で呟く。だけど、この堅物はちょっとの優しい声掛けでは感謝を述べるだけで動かないのだ。だから任務のことを絡めて強めに、説得力があるように言わないといけない。前から思っていたが、任務以外のことに頭が全く回らないのはなかなかこちらも骨が折れるものだ。参謀にとっては恩返しの一つとして捉えているため、弱点の一つや二つあった方がむしろ好都合ではあるのだが。そうこう考えているうちに、考え込んでいた将校も頭の整理がついたようであった。
「……それもいいかもしれないな。今戦争の後片付けもついたことだし…。よし、そうと決まれば帰省するぞ、参謀!!信頼できる医者が私の故郷にいるんだ。来週の月曜日までに荷物を纏めておけ!」
「承知致しました。では来週の月曜日から………え?……ぼ、………私もですか?私は将校殿がお休みになられている間の仕事に務めたいと考えていたのですが……。」
「いいや、それは気にしなくて大丈夫だ!今やっているのは来月の分の仕事だからな。今まで眠れない時間に少しずつやっていたおかげか、だいぶ余裕ができたんだ。それにお前、釈放されてからまだちゃんとお出かけしてなかっただろう?この機会に外の世界を楽しみ、親睦を深めようではないか。」
なんて一方的な計画なのだろう。もう死にたいと思っていたのに無理矢理牢屋から連れ出して、押し付けがましく参謀という役職まで与えて。いつもこの人から与えられるものは一方的であった。しかし、有無を言わせないその頑固な姿勢の中に、いつも将校の不器用な優しさが見えてしまうから。だからいつも参謀は断れないし、結果今の人間らしい生活を送れているのだから感謝でしかないのも事実であった。きっと軍人として育てられたせいで常識が欠如している部分もあるのだろう。ここに長年いる者達は幾重の戦争を潜り抜けて、生き残っていた者たちばかりだ。そんな人達の中で生活していたら感覚の一つや二つおかしくなるというものだ。
(将校殿の故郷か……。どんなところだろうな。)
将校によって一方的に決まった帰省の付き添い。参謀は半ば現実逃避するかのように考えるのだった────。
「──ぃ、……ル…、ルイ!」
「………ん、あれ、しょうこうどの……。申し訳ございません。寝てしまっていました。」
「いや、気にするな。オレの自慢の声でお前をスッキリ起こせられたら良かったのだがな……。まぁ列車の中だから仕方あるまい。それに、今は業務時間外なのだから名前で呼べと言っただろう、ルイ。」
「あ、アハハ……。すみません、善処致しますね。」
何故かほっとしたように笑うルイを横目に、窓から己の故郷を眺める。トントン拍子で決まったが、故郷に来る機会はそれほど多くなく、今回のように一週間も滞在するのは初めてであった。自然に囲まれた、優しい雰囲気の住宅街。懐かしい景色にじんわりと疲れが取れていくような気がした。少しして、車内のアナウンスが到着を知らせる。
「さて、まずは荷物を置きに我が家へ行こうではないか!」
「はい、案内お願いしますね。」
そんな会話をしながら切符を通したところで、少し先に己と同じ黄色にピンクのグラデーションが綺麗な髪の少女が見えた。見間違えるはずがないほど目に焼き付けられた最愛の姿に気分が高揚する。
「サキっ!!」
ガタガタと木製のスーツケースの中身が暴れる音がするのも気にせず全力で駆け出す。その声と音に反応した少女、テンマ・サキは弾けるように振り返って満面の笑みを見せた。
「お兄ちゃんっ!」
周囲の人の目もくれずにお互い熱い抱擁を交わす。常に命の危険があり、また大勢の人の命を握っている状態である軍人にとって家族と会える機会というのはとても貴重なものであった。涙が出そうになるのを堪え、最愛の妹の頭を撫でる。
「えへへ……お兄ちゃん、恥ずかしいよぉ。」
「何を言う!サキ!昔はよくやっていただろう。まさか迎えに来てくれるなんて思わなかったぞ。わざわざありがとう!流石は我が妹だ!」
「も〜、お兄ちゃんってば……。アタシもう二十三歳だよ?それに!お兄ちゃんの部下さんお待たせしちゃってるから!」
その言葉に感極まっていた頭が少しだけ冷静になる。後ろをふり向けばにこやかに二人を眺めている参謀がいた。
「すまない参謀。つい気持ちが昂ってしまって…。まず紹介しよう!この可愛らしい少女が……」
「こんにちは。いつもお兄ちゃんがお世話になってます!妹のテンマ・サキです!」
「これはご丁寧にどうも。ツカサさんの部下のカミシロ・ルイです。」
そう言って二人は握手を交わす。話が遮られたようで納得がいかない。
「お前ら……。仲良くなるのは構わないが、オレを完全に無視していたな……。」
「だって、お兄ちゃん恥ずかしいことばっか言うから〜。」
「フフッ、僕も同意見です。」
少々不満ではあるが、二人が上手く馴染めたようで何よりだった。サキの明るさは誰でも元気にしてくれる力がある。ツカサと言えど上司との遠出なんて軍の中では経験することはないであろうことだからか、朝からルイの肩に力が入っていたようだった。サキがお迎えに来てくれることは想定していなかったが、流石はサキだ。誰にでも分け隔てなく接する優しいところは昔から変わっていなかった。
(あの時も毎日オレのところに来て……。あれ、いや、毎日サキの元へ行ってたのはオレだ。病弱なサキはなかなか外へ出られなかったからな。間違えるなんてことあり得ない……。何故そんな勘違いをしたんだ?)
「お兄ちゃん?どうしたの、急にぼーっとして。どこか具合が悪い……?」
サーモン色の大きな瞳が覗き込む。その瞳には心配に加えて、怯えるような色を帯びていた。そこでツカサははっとして慌てて笑顔を作る。せっかくの再会を考え事で無駄にしてしまうようなことにはさせたくなかった。
「すまない、少し考え事をしてしまっていた。気を取り直して、我が家へ行こうではないか!」
「………はーい!」
そうして三人はツカサとサキの実家へと歩き出した。
ツカサの家は、こぢんまりとした一軒家だった。ルイは借りた部屋に自分の荷物を置き、一息つく。ここに着くまで何事もなかった、なんてことはなく道中気になる点がいくつかあった。特に気になったのは人気だった。住宅街の道であるはずなのに人があまりにも少なかった。いや、そんなことよりもだ。人とすれ違ったかと思えば皆揃ってこちらを睨みながら去って行った。まるで何かを危険視するように、はたまたまるで何かに怯えるように去って行くのだ。ルイ以外の二人は何も起きてないかのように歩いていたが、ルイは気が気でなかった。気になってしまえばわかるまで気になってしまうのがルイという人間である。さっそくツカサの元へ向かおうと部屋を出た、その時だった。
「近づくな!!」
切羽詰まったようなツカサの大声が聞こえてきたのだ。
「お兄ちゃん!私だよ!お願い、落ち着いて…!!」
間髪入れずサキの声まで聞こえてきて只事ではないことを察する。バタバタと物が落ちる音が聞こえる。慌ててドアノブを掴み、ドアを開ける。
「大丈夫ですか!?なにか……。」
「ルイさん、今は…」
「……来るな!!…………ひっ………ぃや……はっ、……ひゅ…ご、ごめん……なさぃ……」
何がなんだかわからなかった。部屋の中は物が散乱し、酷い状態であった。部屋の中心には髪を乱したサキと、様子のおかしいツカサがいた。過呼吸気味な息遣いに、見たこともないような顔色で怯えたような目をしていた。そしてルイを認識した途端────服従のポーズである「kneel」をしたのだった。そして突然謝り出し、彼の顔色は余計に悪くなっていった。完全に「Sub drop」と呼ばれる状態であった。
「………な、んで……そんなはずがない……だって、だって彼は…」
彼は明らかにSub dropしていて、Domである自分が応急処置をしなくてはいけなくて。でもツカサはNormalであるはずで。普段天才だと言われる頭脳も、この情報量を処理し切るのは難しかった。
「……ひゅ、……はっ、…ごめんなさい、ごめん、はっ……なさい……。」
「……ツ、ツカサさん……。」
何もできないまま彼を見つめる。身体が動かなかった。まるで自分と世界を切り離されてしまったかのように、目の前の異常な状態の彼を見ること以外ルイにはできなかった。
「お兄ちゃん…ごめんね。」
ルイが突っ立ってる間にサキが何かをしたのだろう、突然彼の身体がぐらりと傾き、すぐ横にいたサキへと凭れかかる。そのまま彼女が近くのソファに運ぼうとしたため、慌てて固まっていた身体を動かす。
「サキさん、僕が運びますよ。先ほどは何もできず申し訳ございませんでした。」
「……ありがとうございます。いえいえ、お兄ちゃん、軍の人たちには性別について話してないって言ってましたし、混乱するのも無理はないですから。今お兄ちゃんは、お医者さんにいただいた鎮静剤を打って寝てもらってます。その間に少しお話しさせてください。」
少し疲れた様子のサキが困ったように笑う。彼女の言い方的に、ツカサがSubであることは確かなのだろう。サキから彼を受け取り、ベッドへと運ぶ。想像以上に軽い身体に、ぞわっと鳥肌が立つ。先ほどの様子から、過去に第二性のことでトラブルがあったことは明白であろう。彼をソファに下ろし、汗で湿った額を撫でる。
(本当に、第二性は厄介だ。いつも、いつもどこかで人が傷つけられている……。)
そういうルイも、第二性についてはあまり良い印象を持っていない。Domが持ってしまう強制的な支配力。それをルイの元上司である大臣に利用されていたことがあったからだ。
「サキさん、お待たせしました。」
「ありがとうございます!……お兄ちゃんのことですので、アタシから全部話せるわけじゃないんですけど、少しだけ説明しますね!」
「よろしくお願いします。」
「はい!まず────」
──────懐かしい夢を見た。病弱だったサキも、今はもう顔を見ることも叶わないオレたちの両親も、幸せそうに笑っていた。そして、オレも………。