深夜、暗く静まり返った廊下に黒い影が揺れていた。
ゆらりゆらりとふらつきつつ、壁に手をつきながら、影──無名はなんの宛もなく長い真っ黒な廊下を這いずるように歩む。
この時間、無名は本来寝室でゆっくりと睡眠をとっているはずであった。しかし、その眠りは過去の記憶を鮮明に再現した悪夢に妨げられてしまった。
これまでも、悪夢に魘され充分に睡眠を取ることが出来ない夜は幾度もあった。しかし、その悪夢がこんなにも鮮明になったのは、あの日、同郷にしてその生き残りの片割れであるもう一人の『鸞』の言葉によって、失っていた記憶を取り戻したからだろう。
夢の中の『紫鸞』は『彼女』をあと一歩のところで救えなかった。その人は、炎に包まれた村の建物の中、紫鸞の腕の中で今まさに息絶えようとしているのに、「私は平気」と涙に暗れる紫鸞を気遣った。孤児だった紫鸞を拾いあげてくれた里を、一際目をかけ、育てあげてくれた姉のような、母のような存在の彼女を、こんな結末にしてしまったのは紫鸞自身だというのに。
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