溶ける「はあ……」
あまりの暑さに、思わず漏れるため息。生粋の北の魔法使いであるブラッドリーにとって、中央の国の暑さは地獄だ。
ソファの背もたれに全体重をかけ、手足を投げ出す。ブラッドリーらしからぬ動作だが、誰も見ていないのだから許されるだろう。先程から何だか頭が痛い気がする。それに、身体が燃えるように暑い。まるで、賢者の世界の「サウナ」とやらにいるみたいだ。自室には冷却魔法を施されているはずだが、ほとんど効果を感じられない。
そうだ、ネロに頼めば、何か冷たい食べ物を出してくれるだろう。フィガロに治療されるよりもずっといい。そう思い立ったブラッドリーは、部屋を出るためソファから立ち上がった。
「……っ」
途端、視界が揺れた。やばい、とソファの肘掛けに手をつこうとしたが間に合わず、大きな音を立てて倒れ込んでしまった。
「はは……、」
北の魔法使いたるものが、情けない。
薄れゆく意識のなかで、長年連れ添った相棒の声を聞いた気がした。
鼻腔をくすぐる薬品の匂い。皺一つないシーツ。
「やあ、目が覚めたみたいだね」
そう話すのは、この部屋の主であるフィガロだ。
最悪だ、と言おうとしたが、思うように声が出ない。かなり重症のようだ。こんなところに居るわけにはいかないと、ブラッドリーはベッドから起きあがろうとした。しかし、再びぐらつく視界に耐えきれずに逆戻りしてしまう。
「こらこら、無理しちゃだめだよ。君、凄い熱あるんだから」
フィガロはそう言うと、呪文を唱えた。
「シュガーだよ。ただの気休めにしかならないけど」
フィガロのシュガーなど絶対に食うものか。かといって顔を背ける気力もないため、ブラッドリーは精一杯睨みつけながら固く口を閉ざした。
「君は嫌がると思ったけど、やっぱりその通りだったね」
フィガロは怒ることなくシュガーを自分の口に運んだ。
「頭痛薬と解熱剤用意しておくから、後で飲んでね」
フィガロはそう言うと、部屋を出て何処かへ行ってしまった。アイツのことは気に入らないが、話が通じるだけまだマシかもしれない。
フィガロは居なくなったことだし、もう一度眠ってしまおうか。そう思っていると、特殊なノック音が聞こえた。この叩き方には心当たりがある。盗賊団時代、ブラッドリーとネロだけが使っていた合図だ。
「ブラッド、その…体調どう?」
心配そうに覗きこんでくる金色の瞳。フィガロに伝えたのはこいつだったか。まったく、俺が嫌がると知っているくせに。
「悪いな。あんた朝から顔色悪かったから、片付け終わったら様子見にいこうと思ってたんだけど、結構遅くなっちまって。……まさか、あんたが倒れるなんて驚いたよ」
「俺の部屋に運ぼうか迷ったんだ。でも医者に診てもらう方が確実かなって。あんたは嫌だろうけど、あいつ、医術の腕は確かだからさ」
ネロは自分よりも先に、ブラッドリーの体調が優れないことに気づいていたらしい。600年近くにいれば、何もかもお見通しなのだろうか。
過去を隠したがるくせに、ブラッドリーのことを誰よりも心配している。相変わらずこの男の考えていることは分からないが、ブラッドリーにとってはそういうところが面白いのだ。
「『アドノディス・オムニス』」
ネロが唐突に呪文を唱えると、その手のひらに数粒のシュガーが転がった。
「お前、あいつのシュガー絶対食わねえだろ。俺ので良ければ、その、いる……?」
思わず大きな声を出して笑いたくなった。やはりこいつの考えていることは分からない。フィガロよりも自分の方が好かれている自信があるようだ。
綺麗に整ったシュガー。彼の繊細な性格が表れている。
ブラッドリーは素直に口を開けると、ネロの指ごと喰んだ。
「……っ!!」
ネロはみるみるうちに顔を真っ赤に染め、すぐさま指を引っ込めた。その様子が可笑しくて、自然と笑みが溢れる。
ネロの作るシュガーは、優しい味だ。甘ったるくなくて、口の中ですぐに消えてなくなってしまう。まるで、彼のようだ。ネロのシュガーを食べるのは久しぶりで、どこか懐かしい気持ちになる。
ブラッドリーが口の動きだけで「ありがとな」と伝えると、ネロは僅かに目を見開いた後、ふわりと微笑んだ。