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    horizon1222

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    horizon1222

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    やっと続きできた~
    ウェブオンリーで途中まで読んでいただいた方はありがとうございました
    (ウェブオンリー無配以降の話が読みたい方は■■■以降から読むと便利です)

    (その1)https://poipiku.com/1141651/5710189.html

    アカデミー時代のディノがキースを金で買う話【2】 朝がきた。キースは珍しく、アラームに起こされる事なく自然と目を覚ました。起き出すにはまぁまぁ早い時間だったが、スッキリと目が覚めたこともあり、何となくそのまま起きる気になった。
     制服に着替えて、デイパックの中身を適当に確認する。何となく寝癖がついているような髪の毛を適当に撫でつけてると、机の上に置いたままになっていた封筒が目に入った。
     昨日ディノから渡されたそれは、キースに知っている銀行の封筒だった。未だに信じられない思いで中身を確認すれば、アカデミーで確認した通りの金額が変わらず収まっていて、なんとも言えない気分になる。しばらく封筒を手でいじってぼんやりしていたが、登校時間が近づき、鍵のかかる引き出しにしまい、部屋を出る。
     昨日のディノとのやりとりは、都合のいい白昼夢なのではないか……一晩経ってアカデミーへの道のりをノロノロと歩いているとそんな風に思えてくる。そうすると、いきなりあんな大金がキースの手元に転がり込んできた辻褄が合わなくなってくるのだが、あまりに突拍子もないディノとの契約が現実感を希薄にさせていた。
    「キース! おはよう!」
     明るい声と共に、キースの肩がポンと叩かれる。いつもの能天気な笑顔のディノが脳裏に浮かぶ。振り返るまでもない。までもないが、しかし、ディノが昨日までとは打って変わって邪悪な笑顔を浮かべていたらどうしようか。そんな馬鹿馬鹿しい不安が一瞬頭をよぎって、キースはぎこちない動きでそちらを見た。
    「今日はちゃんと時間に間に合うように起きたんだな、 感心感心」
     にっこりと、爽やかな笑顔でキースに笑いかけるディノが立っていた。何も変わらない、これまでの日常そのものだ。やはり、昨日のアレは幻か何かだったのか? 釈然としないままキースが固まっていると、ディノは口をへの字に曲げて抗議してきた。
    「こらキース。友だちが挨拶してるんだぞ。返事は?」
    「……はよっす」
    「ん、よろしい」
     なぜだか誇らしげな表情を浮かべるディノに、キースは昨日の約束が夢でない事を実感し、そして思った以上に面倒くさい事になるのでは、という予感がしていた。



     しかし予想を裏切るかのように、ディノの出した条件はキースにとってオイシイものだった。
    「それで? オレはお前の友だちになって何すりゃいいわけ」
     教室で席に着き、当たり前のように隣に陣取るディノに問い掛ければ、ディノはキョトンとした顔をした。
    「友だちは友だちだろ。一緒にランチしたり、課題をやったり、暇つぶしに遊んだりとかしてくれればいいよ」
    「いや、そんなフワッとした感覚で話されても困るんだけど」
     自慢じゃないが、こちとら一般的な友だち関係なんぞ築いてきてはいないのだ。
    「そんなにガチガチに決める必要ある?」
    「貰うもん貰ってんだから、しっかり決めとかないと逆にフェアじゃねえだろ。オレら、」
     普通の友だちじゃねえんだから、という言葉をその時思わず飲み込んでしまったのは、何故だろうか。「普通」を知らないキースが言える言葉ではないと感じたこと、なんとなく、ディノはそれを聞いていい顔をしないのではないかという想像がついたからだった。
    「……オレら、まだそんな付き合い長くもねえし」
     キースの言葉に考え込むような表情をしていたディノは、しばらくして提案してきた。
    「じゃあ、週単位のサブスク契約ってことにしようよ。それならキースにも負担にならないだろ」
    「サブスク?」
    「俺は毎週初めに定額を払うから、キースはその週の自由時間は俺の友だちでいるってこと」
    「いやサブスクの意味は知ってっけど……」
     そもそもが人間関係を金で買うという発想そのものがぶっ飛んでいるのだが、サブスクとは驚いた。けれども、それを了承したキースにあれこれいう資格はない。
    「とりあえず、続きはランチの時に話そうか」
     結局、その日は一緒に昼食を摂り、休み時間の合間に駄弁り、並んで下校し、終わった。バイトがあるからと途中下車するキースを笑顔で見送るディノに、あっけなさを覚えたくらいだ。
    「バイト入れてる日って、いつなんだ?」
    「月火、金曜と、あと土日入る事もあるな。あと、それ以外で臨時のバイトやってることもある、今はねぇけど」
     キースの言葉を繰り返しながら、ディノはピザを頬張り、もう片方の手の指を折って、声を上げた。
    「うわぁ、ほぼ一日置きみたいなもんじゃないか……キース、よく体持つな」
    「うっせ、別に好きで働いてるわけじゃねーよ」
    「うんうん、そうだよな。じゃあ、バイトのある日の放課後は俺との契約のことは考えなくていいよ」
    「へーへー……えっ」
    「他にも、用事がある日は言ってくれればいいから」
     あ、でも時間があるからって前言ってたような危ない仕事はするなよ!と言われて、キースは開いた口が塞がらなかった。
     原則自由時間は友だちとして過ごすものと決めたわりに、束縛するつもりはないというのがディノの言い分だった。てっきりおはようからおやすみまで付き合わされるとばかり思っていたキースは拍子抜けした。どこの世界にこんなゆるゆるあまあまな仕事があるというのか。
     他にも、ディノは常識外れな契約を持ちかけてきた割には常識的だった。
    「あ、俺の分も買ってきてくれたのか? いくらだった?」
     昼時、キースが差し出したミネラルウォーターを受け取って財布を取り出し代金を差し出そうとするディノをキースが不思議な目で見つめていると、ようやく何かに気づいたようだった。
    「キース、友だち同士が一方的に奢ったりするのは変だろ。ラブアンドピースじゃないよ」
     ディノはキースから一方的に貢がれるのをよしとしなかった。食事をしても、何かを購入するにしても、自分の分はきちんと自分で払ったし、その代わりキースの分を払うこともしなかった。
     キースと接する時に人目を憚ることもしなかったが、反対に居丈高に見せつけて笠に着るようなこともしなかった。金銭のやりとりこそ周りに隠してはいたが、ごく普通の、どこにでもいる友だち同士のように振る舞った。
     キースとしては違和感しかなかった。
     これまでキースを選んで手元に置いた人間は、皆顎でいいように使うか、都合よく利用するか、その腕っぷしを見込んで自分の力を誇示するアクセサリーとして扱うかのいずれかだった。そのどれにもディノの態度は当てはまらず、キースはひたすら戸惑った。
    「なぁ、そのラブアンドなんとかって何なの」
    「ラブアンドピース。愛と平和ってことだよ」
    「んなことわかってんだよ。そのラブアンドピースな友だちって何だよ」
     最初はディノの機嫌を損なうことを恐れて大人しく従順な態度をとっていたが、とっくにやめた。並んで昼食をとりながら尋ねれば、ディノは大きな目を更に見開いた。
    「? ラブアンドピースはラブアンドピースだろ。仲のいい友だちってのは、ラブアンドピースに溢れてるものだよ」
     金で友情を買うのは反ラブアンドピースではないのか、と言いたくなったが、キースは考えるのをやめた。薄々わかってはいたが、このディノ・アルバーニという少年は、話せば話す程到底キースの理解の及ばない範疇の存在だということをつくづく痛感させられるのだ。
     どこにでもあるその辺の中流家庭の出だと思っていたから、ポンとあんな大金を払うのにも驚いた。しかもそれで懐が痛むそぶりも見せない。実家は田舎だと聞いているが、実はそれなりの資産家の息子なのだろうか。それならば、この世間知らずにも少しは納得がいこうというものだ。
    「キャッチボール、やってみたかったんだよな〜」
    「いやなんでグラブはあってボールは持ってきてねぇんだよ」
     ごめんごめん、という全くすまなさそうという素振りの感じられない声に、お前ガキの頃は友だちと何やって遊んでたんだよ、という問いかけを投げ返せば、俺同年代の友だちと遊ぶことってあんまりなかったんだよね、という声と共に再び松ぼっくりが飛んできた。
    「前も話したけど、俺の家すごい田舎っていうか、山奥でさ。兄弟もいないし、隣の家も数キロ先離れてるとかで、学校に通うようになるまで周りに同い年の子があんまりいなかったんだよな」
     寮に帰るまでの道すがら、くだらないことをしゃべりながらブラブラと歩く。適当に目についた店に入り、予定も決めずに気まぐれに過ごし、日が暮れて腹が減ったら寮へ戻る。あくせく時間に追われることもなくのんびりと過ごす放課後は、なるほどこれが青春か、とキースにしみじみとさせた。
     他にも、意外にもディノは寮のキースの部屋に立ち入ってくることはなかった。部屋から出て来れば朝の挨拶をして一緒に登校するし、寮の共有スペースで一緒に過ごしていても、キースが部屋に戻るといえば無理に引き止められることはなかった。
    「キースにもプライバシーってものが必要だろ」
    「ここに来るのに問答無用で引っ張ってきたやつが何言ってんだ」
     不満げなキースの返事に、だってキースが全然課題やってないって言うから! と、ディノは器用に小さな声でけらけらと笑った。図書館の静かで少し薄暗い空気は、キースにとっては慣れないものであったが、存外居心地がよかった。今度眠くなった時は来よう、とサボり場リストにこっそり加えていると、上の空なことを見透かされてキース、手が止まってるぞとまた声がかかる。
     この賑やかな、悪く言えば騒々しい印象の同級生は無遠慮で無配慮かと思いきや、人並みかそれ以上に場の空気を読み、また他人をよく見ている。しかしキースが驚かされたのは、ディノは相手が煙たがるであろうことを察した上で、それでも尚必要だと思えば行動に移し、もしくは言葉にして相手に伝えることだった。組織の中で、人の顔色を伺いその場の空気に合わせて上手いこと身を処する輩には何度か遭遇してきたし、キースもそうやってやり過ごしてきたことはあったが、空気を読んだ上で自分の意見を曲げない奴は初めてだった。それでいて、強固に自分の意見を押し付けるというわけでもなく、けれども変に飾らずまっすぐに伝えてくるので嫌みがなかった。
     いつしか、キースはディノと過ごすことを自然と選ぶようになってきていた。

     ディノから三回目の友だち料を受け取った週の、だいぶ涼しくなってきた日の昼前のことだった。水曜日のキースは、午前中はディノと別行動で午後から授業がかぶっている。昼前最後の授業が終わったら合流して、ランチを一緒にとって同じ教室へ向かうというのがお決まりの流れだった。
     たまたま。本当にたまたま、キースの方はほんの少し早く授業が終わった。いつもはなんとなく中庭の前の廊下で待ち合わせていたのだが、自然とキースの足はディノがいる教室へ向かった。人がごった返す場所で落ち合うのは効率が悪いとか、時間つぶしだとか、色々理由はあったが、本当に何か意識していたわけではなかった。
     大教室の前のベンチに腰かけて授業が終わるのを待っていると、しばらくしてドアが開いた。生徒たちが、せき止められていた水が流れ出すように勢いよく狭い入り口から出てくる。やがてその中にすっかり見慣れたピンクの頭を見つけて、キースは腰を上げた。声をかけようとして、ディノが並んで出てきた誰かとしゃべっているのに気づく。喧騒に紛れて、あはは、と軽快な笑い声が聞こえてきた。
    「いいなぁ、あのレジェンドのサインボール持ってるの? すごいじゃないか」
    「俺もまさか当たるとは思ってなくてさ、そうそう、偶然なんだけど……」
     距離があるとはいえ正面にいるキースに気づかない程会話が弾んでいるようだった。身振り手振りも交え話している様子からは、和やかな雰囲気が伝わってくる。
    「あの試合と言えばさ、知ってた? 実は……」
    「えっ、それマジ?」
     自分でない誰かと話すディノを客観的に見て、ふとキースは、自分といる時のディノはあんな風に屈託なく笑っているだろうか、と思った。いつ見てもヘラヘラ笑顔でいる奴、という認識だったが、あんなに楽しそうにしていることがあっただろうか。
     キースは面白い話ができるわけでもないし、共通の趣味や関心事があるわけでもない。返事は四割が生返事 だし、一緒にいれば何かが得になるわけでもない。
     ディノは、なぜ自分と友だちになりたかったのだろう。金まで使って。
     変人の考えがわかるはずもない、とキースはディノの思考について考えることを放棄していたが、この時初めてディノのことを知りたい、という欲求が沸いた。何を考えて何を思っているのか。なぜ、そう思ったのか。できるならのぞいてみたい。ごく自然に、そう思った。
    「なぁ、この後時間ある? せっかくだから、昼一緒食わない?」
     その時、ディノの話相手がふった提案に思わずキースは身構えた。ディノはなんと答えるだろう? ずいぶん盛り上がっていたようだし、あっちをとるだろうか。相手の申し出を快諾し、その後キースの姿を目にとめて「あれ、キースいたのか? 今日はパス!」とあっさりと告げて、楽しそうに相手と会話しながら連れ立って行くディノの後ろ姿がありありと脳裏に浮かぶ。同時に、キースの心臓はぎゅっとつねられたように疼いた。
     しかし、現実は予想をあっさりと裏切った。
    「ごめん、今日は友だちと約束してるから。またな!」
     高らかに相手に告げて、軽く手を挙げて離れる。少し速足で、ずんずんと進み――そして、ディノは人ごみの中のキースを見つけた。
    「キース!」
     駆け寄ってきたディノの、その時の顔を表現する言葉をキースは持たなかった。ただ、その顔を見た時、ぱっと陽が差し込んだような、さわやかな風が吹いたような、そんな心地よさを感じた。
    「どうしたんだ? もしかして、迎えに来てくれたのか?」
     首を傾げてこちらの顔を覗き込むように見てくる仕草は、ほんの少し前なら鬱陶しいと感じていたものに違いなかった。けれども今は、少なくとも不快な気分にはならない。
     自身の心境の変化に、自分の事ながらキースは動揺したが、それをおくびにも出さず、のんびりと返事をした。
    「……別に。たまたまこっちの方通りかかったからここで時間潰してただけ」
    「えっ、そうなのか?」
     下手くそな言い訳に気づいているのかいないのか、ディノは不思議そうな顔をしていたが、やがてにひ、と歯を見せて笑った。じゃあ、早くピザ食べに行こう!と先を歩き、せっついてくるディノを追いかける。ふと、お前なんでそんないつもピザばっか食ってんの? と聞いてみれば、ピザは世界一ラブアンドピースなメニューだろ? という言葉が返ってきて、キースは頭を抱えた。


    ■■■


     キースのバイト先は、イエローウエストの大通りを一本裏道に入ったところにある小さなダイナーだ。狭い階段を降りた先の店内はさほど大きくなく、無口で昔気質な初老の店主と、その姪だかいとこの娘だかの親族の中年の女性の二人で切り盛りしている、安価でそこそこの食事と酒が楽しめる店だった。キースがそこを選んだ理由としては、時給が悪くなかった事と、寮からの交通の便が良い事、そして賄い料理が提供されることだった。
     店主らは当初、ホールスタッフをやってくれる女性を希望していたようだが、あまり治安のよろしくない立地のせいかなかなか見つからず、若い男手ならそれなりに使い道があるだろうとキースは採用された。しかし、接客無向けの愛想の良さを望むべくもなく、今は厨房の補助と接客を半々でやっている。店員の女性の方は、年齢の割にヒョロヒョロと背ばかり高く妙に達観したような態度のキースを最初は訝しんでいたようだが、決して仕事ぶりは真面目ではないが欠かさず出勤している様子から色々と察しているらしく、なんだかんだで目を配ってくれている。無口な店主は仕事さえすればこちらの事情を特に詮索するつもりもないようなのも好都合で、今のところはキースはこのバイト先を離れるつもりはない。
     そうして今、バックヤードで仕事を始めようという段になり、キースは困っている。
    「キース? もう来てたんならそろそろ出てもらっていいかい? 今日はお客さんも多いようだから」
    「あ、ああ……」
     ない。確かに朝、寮を出る時には持っていたはずの仕事着を入れた袋がない。今日は授業が詰まっていたから、寮に戻らずアカデミーからそのまま来るつもりで、たしかに朝洗濯済みのもの持って部屋を出たはずだ。
     小さな個人店だから、大手のチェーン店の制服のような決まった服装規定があるわけではない。適当なシャツとスラックスにエプロンをするだけで、そのエプロンも店のものを借りている。しかし、いくら自由度が高いと言っても流石に店でアルコールを扱う以上、アカデミーの制服のまま勤務に入るわけにはいかなかった。今から取りに戻る時間は到底ない。非常に手痛い出費だが、どこかその辺りの量販店で大至急適当に上下一揃いを見繕ってくるしかないか、と財布を握りしめたまさにその時、再び表から声がかかり、キースは飛び上がった。
    「キース!」
    「あっ、すんませんすんません今出ます」
    「あんたにお客さんだよ!」
    「え?」
     店の入り口付近で所在なさげに立っていたのはディノだった。促されて表に出てきたキースを見つけると、よかった!と心底ホッとしたような声を上げた。
    「ディノ、お前どうしてここに」
    「これ! キースのじゃないか?」
     ずい、と差し出されたのは、確かにキースの仕事着の入ったトートバッグだった。
    「なんでディノが……」
    「さっき一緒にモノレールに乗ってた時、キースが忘れてったんだよ。寮で渡せばいいかと思ったんだけど、中見たら今日バイトの時に必要になるんじゃないかと思ってさ」
    「マジか……」
     アカデミーからの帰り道、うとうとしていて慌てて降りたから忘れて行ったのだった。ディノには飲食店でバイトしている事と、大体の場所くらいしか話した事がなかったと思うが、どうやって辿り着いたのだろうか。聞きたいことは色々あったが、それどころではなかった。
    「キース、いつまでも話し込んでないでさっさと準備しな」
    「あっ、すんません」
    「こら、ちゃんと友だちにお礼は言ったのかい」
     言われて振り返る。ニコニコ顔のディノがキースの言葉を待っていた。
    「……その、助かった。ありがと」
     にひ、と笑ったディノは、どういたしまして!と返した。キースからもらった言葉が嬉しくてたまらないといった風だった。その自分に向けられた笑顔が何だか猛烈に照れ臭くて、キースはそそくさと奥に引っ込んだ。着替えていると、キースの友だちか、夕飯まだならどうだい? 安くしとくよ、という声にはしゃいだディノの返事が店の奥まで届いた。
     カウンターの隅に陣取ったディノは、キョロキョロと物珍しそうに店内を見回していた。あまり治安の良くない場所なので制服でいるのは悪目立ちするだろうと、キースが貸してやったスタジャンを羽織り落ち着かずにいる様子は、まるで新しい飼い主の家に貰われてきた子犬のようだった。野菜の下拵えをしながらその様子を横目で捉えて、キースは奇妙な感覚に陥っていた。
     ついこないだまで、友だちどころかただの顔見知りだったディノが自分の居場所にいる。そしてそれに、さほど拒否感のない自分がいる。
     キースとて、別に子供じみた縄張り意識があるわけではない。ただ、ここで働いていることはアカデミーの同級生や教師はもちろん、知り合いは誰も知らなかった。わざわざ話す相手もいなかったというのが正しいところだが、この店で働いている間は少なくともアカデミーで遠巻きにされる不良のキース・マックスとは違う自分でいられた。それを特に有難がったりしているわけではないが、レッテルを貼られずに済んでいることは、キースが肩から力を抜いて居られることに繋がっていたことは間違いなかった。
     その特別な空間にディノがいる。
     きっと、他のアカデミーの同級生や教師、キースの悪評を知る者が来店していたのだったら、こんな風に平常心ではいられなかっただろう。自分の居場所を侵されたような居心地の悪さを感じていたに違いなかった。
    (何を気にしてんだ、オレは)
     やがて頼んだピラフが届き、ディノは運んできた店員の女性といくつか言葉を交わしていたかと思うと、笑顔で食べ始めた。皿を洗ったキースが顔を上げると、いつの間にか今度はピザを頬張りながら、隣の席に座った初老の男と何やら盛り上がっている。そのうちその男の知り合いと思しき夫婦が来店したかと思うと、全く違和感なくその中に入って会話しているようだった。席に着いた時こそ慣れない様子だったが、短時間でそれを感じさせない程場に溶け込んでいる。
    (なんだろうな、あいつの空気っつーか……)
     ただ口数が多くて賑やか、というだけではないことはキースにもわかった。ディノには周囲の人間が思わず心を許してしまうような不思議な力があるのだ。もちろん、全ての人間に受け入れられるものでもないだろうが、ディノは誰ともしゃべらなくとも、きっとアカデミーにいるキースとは違ってこの場で浮くということはないのだろう、そう思えた。ディノは、ディノのいる場所をそのまま居場所にできる、そう確信させる何かがある。そしてそれは、キースが決して持ち得ないものなのだった。
     客足が落ち着いてきたので、キースはディノの元へ向かった。今日もどこにそんなに入るのかと腹を確かめたくなるくらいの量をぺろりと平げ、満足そうにしているにこにことしている。
    「あ、キース! お疲れ様」
    「お前、ほんとよく食うな……これ」
     カウンターに置いた湯気のたつマグカップの中身を見て、ディノはココアだ! と嬉しそうな声を上げた。
    「オレのおごり。今日はありがとな。わざわざ届けさせて、悪かったな」
    「俺は時間あったから、全然平気。キースの助けになったならよかったよ」
     フゥフゥとマグカップに息を吹きかけて冷ましながら、それにしても、とディノは隣に立つキースを上から下までじっくりと見た。
    「今日のキース、ビシッとしててかっこいいな〜普段も大人っぽいけど、もう立派に働いてるお兄さんみたいだよ」
    「……それ飲んだらそろそろ帰れよ。夜遅いと、あんまガラのよくねぇ奴もウロウロしてっから」
    「え、あ、うん」
     戸惑ったような声でのディノに背を向ける。些かそっけない返事になった自覚はあった。
     ディノに対して、知り合った当初のようにイラついたり鬱陶しいと思うことはほとんどなくなった。それどころか、その内面を知るほど、自分にはない健やかで朗らかな部分に惹かれていることに気づく。
     けれども時々、キースはどうしようもなく暗い気持ちになることがあって、意識してディノと一線を引いてしまうことがあった。それは主に苛立ちのような気もするが、理不尽な怒りのような気もするし、静かな悲しみや虚しさともとれるような気がする。形容し難い自分の感情を扱いかねて、どうしたものかと持て余す瞬間が確かにあった。
     客席から回収した食器類をシンクへ運び、こんな風に自分の中にこびりついたものも簡単に流せたらいいのに、と空想じみたことを考えながらキースは皿を洗った。



    「じゃあ、もうまっすぐ帰れよ」
     店を出て、後ろを見守るように続いて階段を上り、路上に出たところでキースはディノを見送っていた。
    「キースもな! もう遅い時間だし気をつけて」
    「オレはいつももっと遅い時間までいるから慣れっこ」
    「でも、」
    「あ〜いいから、はやく帰れ〜」
     まるで後ろ髪を引かれるようにこちらを何度も振り返り、キースの顔を何度も確認しながらディノは去っていった。やはり駅まで送っていくべきだったかと一瞬思ったが、ピークは過ぎたとはいえこれ以上店を離れるわけにはいかない。
     何だかドッと疲れた気がする。仕事のあがりまであと一時間強、もう一踏ん張り、と路上に出していた店の看板の位置を直し、軽く首を回し、入口の階段を降りようとした。その時だった。
    「席空いてる? 四人なんだけど」
     背後から突然声がかかった。客だ。派手な服装の、若い男の四人組。
    「あ、はい」
     見てきます、と短く返事をし店内に戻ろうとしたキースに、再び背後から呼び止める声がかかった。
    「待て。お前、キースか?」
     体に力が入る。その声は、たしかに聞き覚えのあるものだった。油の切れた錆びついた機械のように、ぎこちなくキースは振り返った。
    「よう、久しぶりじゃねぇの」
     連れ立った男達の中でも、一際背が高く、体格のいい男は、振り返ったキースを目に留めて口の端をクッと上げた。


     壁に叩きつけられて強かに背を打った時も、とりあえず頭を守れてよかった、と思う程度にはキースは冷静だった。しかし、声を上げる間もなく路地裏に引っ張り込まれて、囲まれて退路を断たれたというこの状況は非常に良くない。
    「まさかこんなとこで素知らぬ顔で働いてるとはなぁ」
    「どうやって堅気のフリしてんだ?」
     キースを取り囲んでいる男達は、つい半年ほど前までキースの仕事仲間だった連中だ。正確には、下っ端も下っ端、ギャングどころかチンピラ崩れもいいところの小悪党だ。
     アカデミーに入学する為の資金をキースがどうやって貯めたのか、という話については、あまり大きな声で話せるものでもない。
     家を不在にするようになってから、殴り殴られの暴力沙汰は日常茶飯事だったし、金を稼ぐ為ならなんでもやった。その生活に危機感を覚え、金を貯めて逃れる為に犯罪組織と繋がって本格的に危ない仕事に手を出すようになったのがいけなかった。裏社会のルールに精通していて腕っぷしも強いキースは重宝され、泥沼から抜け出す為に金を集めていたのに、いつしか足を洗うことの方が困難になってしまっていたのだ。
    「あの時持ち逃げした金、耳を揃えて返してもらわねぇとな?」
    (あれは持ち逃げとは言わねぇだろうがよ……)
     組織を抜けるなら報酬は払わないと理不尽な条件を突きつけられ、仕方なく表面上は従うフリをして、報酬を受け取ると同時にバックレたのだ。キースとてできれば円満に縁を切りたかったが、せっかく合格したアカデミーに入学するチャンスをふいにするわけにはいかなかった。不本意ながら色んなものを置き去りにして逃げ込むように小さな鞄一つで寮へ入ったのだった。
    「おい、何とか言えよ」
    「……いいのか? オレがあんまり店を離れてると店のヤツが探しにくるぜ。そしたら分が悪いのはアンタらの方だろ」
     実態はどうあれ、未成年一人に絡むガラの悪い男達の構図。警察を呼ばれてもおかしくはない。キースに絡んでいるのは明確な目的があるわけではないから、無闇に目立って警察沙汰になるのは避けたいはずだ、と読んでの発言だったが。
     一番近くにいた男が、ハッと吐き捨ててキースの胸ぐらを掴んだ。
    「相変わらず口が達者だなァ? 知ってんだよ。あそこはヨボヨボのジジイとババアの二人しかいねぇだろ。お前一人を探しにくる程手は空いてねぇってな」
     バレている。たまたま運よく今まで遭遇しなかっただけで、何度か店に来ていたのだろうか。
    「そういうところが、お前は小賢しいんだよ!」
     避けたかったが囲まれて胸ぐらを掴まれていてはどうしようもなく、そのまま思い切り殴られ、キースはああ久しぶりだな、と状況に似つかわしくもない感想を抱いてしまった。喧嘩沙汰になったことも久しくなかったので、殴られると当たり前に痛い。そして、この感覚こそがやはり自分の日常なのかとしみじみと思った。戻るべきところに戻ってきたのだろうか。
     そのまま何度か殴られ、フラついたところを地面に叩きつけられる。このまま一方的にやられているのは癪だったが、ここで反撃すればキースもまた加害者になってしまう。ただでさえ問題視されているのに、暴力問題を起こしたとアカデミーに知られでもしたら、ますます居づらくなってしまうと、グッと堪えていた。しかしそれもそろそろ限界だった。横になったまま、グラグラと揺れてままならない思考でなんとか頭を働かせようとして、ふと耳障りな音が届いた。
     雑踏の喧騒に紛れて、微かな地響きが聞こえてくる。それは規則的で、しかも次第に大きくなってきていた。違う、こちらへ近づいてきている。キースがそれに気づいて、意識をそちらへ向けた時だった。
    「どいてくださーい‼︎」
    「な、なんだ⁉︎」
     甲高い声と共に、ものすごい勢いで台車がキース達のいる裏路地へ突入してきた。しかも、荷物が大量にうず高く積まれていて、そのせいで押している人物の姿すら見えない。
     ただでさえ狭い道の、廃材やらなんやらごちゃごちゃと物が多いところにすごい勢いで突っ込んできたそれは、当然のようにキースを囲んでいた男達に激突した。衝撃で積まれていた荷物が盛大に崩れる。積まれていたそれはビール瓶などを納めて運搬などに使うプラケースで、軽い上に中身が入っていなかったから簡単に宙を舞った。台車がぶつかってきて体勢を崩したところに容赦なく降ってきたそれに、男達だけでなく、それを見ていたキースですら呆気にとられた。
    「キース、早く!」
     呆然としているところに、手が伸びてきた。その主を確認する前に手を伸ばせば、キースが手を取る前にしっかりと掴まれた。引っ張り上げられるように起き上がり、その勢いでそのまま倒れた男達から逃げるように路地の奥へと走り出す。キースの貸したスタジャンの裾が風にはためいた。
     「お前、」
     キースの先を行く、夜目にも鮮やかな髪に声をかける。一瞬だけ振り返ったディノは走りながら頷くように頭を上下させた。
    「クソっざけんな! 待てお前ら!」
     してやられた男達の憤慨する声が路地裏に響く。瞬く間に二人は追われる身となった。
     その後はひたすら走った。ディノに手を引かれて、途中からはキースがディノの手を引くような形で、次第にどっちがどっちを引っ張っているのかわからないまま、狭い道を走り抜けた。路地を抜けて小さな店が並ぶ通りをジグザクに縦横無尽に走るキースの足取りに、ディノは遅れをとることなくついてくる。再び狭い路地に逃げ込むも足音はそれなりに長いこと二人を追ってきたが、角を曲がってすぐの大きな看板の影に隠れてやり過ごしたところで、そのまま横を走り抜けていき見失ったようだった。
     しばらく二人を探す声が響いていたが、そのうち遠ざかっていく。たっぷり十分は待っただろうか、ようやく周囲と胸の鼓動が通常の騒がしさを取り戻した頃、二人は地面にヘナヘナと座り込んで深く息を吸った。
    「は、よかった……捕まるかと思った……」
    「ディノ、お前なんで」
     帰ったんじゃなかったのか。そう言いたげに見れば、
    「やっぱりキースが心配だから、仕事終わるまで待ってるなって言いに行こうと思って戻ったら、なんかお客さんとただならぬ雰囲気だったからさ。もしかしたら、友達かと思って様子を伺ってたんだけど、殴られてたからこれは助けないと! って思って」
     ちょっとかっこ悪かったけど、と付け加えてふにゃりと笑ったディノに呆れて警察呼べばよかっただろと返すと、でもキースはできれば警察沙汰にはしたくなかっただろ、と言われ、どこまで人の思考を読んでいるのかとキースは内心舌を巻いた。
    「怖くなかったのかよ」
    「怖かったよ。でもキースが困ってたから、何とかしないとって」
    「お前なぁ……」
    「なぁキース。あの人たち、誰? キースの何?」
     突然、それまでヘラヘラと笑っていたディノの顔が真剣なものになった。真っ直ぐにこちらを射抜くような目で見てくるので、途端に居心地が悪くなる。
    「……アカデミーに入る前の知り合いだよ」
    「嘘。それだけじゃないだろ。お金を盗ったとか返してもらうとか、物騒な話してたじゃないか。まさかキース、あの人たちからお金を盗んで」
    「違ぇよ。あいつらは……その、仕事の関係でつるんでただけで」
    「仕事って何? 到底普通の仕事には思えないよ。仕事仲間だったっていうだけで、なんであんな風に殴ったりしてくるんだ?」
    「…………」
    「キース。話してよ」
     何でお前に話さないといけないの? という問いは封殺された。
    「俺たち友だちだろ」
     俺はキースの力になりたいんだ。
     路地裏に差し込んだ夜の店の明かりが、ディノの瞳を照らし出す。春の空のような透んだ明るい色が、苦しい程にまぶしい。
     皮肉なことに、キースを窮地に追い込んだのが金のせいなら、キースを助けたのも金でできた縁だった。ディノとの関係は、純粋なそれとは違うのだ。二人の間の「友だち」は本来の意味ではなく、一方的な強制力を持つ関係の名前なのだから。少なくともキースにとってはそうだ。
    「オレは、どうしても金が必要だった。アカデミーに入る為に、まとまった金を稼がないといけなかった。……けど、オレの歳でまともに稼げる職なんてありゃしねぇ。あいつらは、犯罪紛いのことやって金を稼いでた時の仲間だよ。抜ける時にトラブルになって、金を持ち逃げしたとか何とか因縁つけられて逃げてたんだ。今日は運悪く再会しちまったがな」
     キースの告白にディノの顔がさっと曇り、そんな、と小さく声が漏れた。素行が良くないのは知ってはいたが、組織的な犯罪に手を染めていたとまでは思っていなかったようだった。
    「誰か、助けてくれる人はいなかったのか? 警察とか、学校の先生に相談とか……そうだ、キースのお父さんとお母さんは何も言わなかったのか⁉︎」
     シン、と心が静まり返るのがわかった。ディノの顔を見ていられず、思わず俯く。
     胸に大きな穴が空いて、空虚な何かが満ちていく。氷よりも冷たく、ナイフよりも鋭いもので抉られたような感覚。
     ああそうか。
     キースは唐突に理解した。ディノといると、時々どうしようもない思いで胸がいっぱいになる理由。ディノの無垢で真っ直ぐな部分、年頃の少年らしいあどけなさは、キースが無意識のうちに手放さざるを得なかったものだった。
     向き合うと否が応でも自覚させられる。望んで背伸びして、物分りのいい大人の真似事をしているわけではなかった。キースは生きていく為に必要だったから自分でそうしたはずなのに、それをせずとも周りに許容されて居場所があるディノの在り方が妬ましい。そうしないといけなかったキースの事情なんて想像もつかないであろうディノのこれまでが恨めしい。完全に八つ当たりで、どうしようもないとわかっているからこそ理不尽だとキース自身も感じていて、庇護される立場なんてとっくに捨てたはずの自分の内面にそういう気持ちが燻っていることが虚しくて苦しい。
     ディノと向き合えば向き合うほどそれを突きつけられ、胸の内の虚ろなものに苦々しいものが湧き上がり滲んでいった。いつもは適当に知らんふりしてやり過ごすそれを、正体に気付いてしまったからには、もう無視することができなかった。
    「父さんや母さんなんて、いねぇよ」
    「え」
     やめろ。話してなんになる。頭の冷静な部分が必死に止めるが、もう止まらなかった。
    「親父はどうしようもねぇロクデナシだった。飲んだくれては暴力をふるって……オレがまだちっせぇガキの頃に母さんは早々に家を出てったよ。オレには心配してくれるような親なんていねぇよ」
     堰を切ったように話し出したキースの様子に、話の内容に、ディノが完全に固まっているのがわかった。けれども、開いた口を閉じることがキースはできなかった。
    「毎晩出歩くようになって、ガラの悪い奴らとつるむようになって、そこからはあっという間だった。殴ったり殴られたりはしょっちゅうで、安心できる所なんてなかった。……お前も聞いた事あるだろ。噂の通りだよ。そのうちギャングの下っ端に使われるようになって、殺し以外は金の為なら何でもやった。警察の世話になって、少年院に入ってたことだってある。けどもうそんな生活には飽き飽きだったんだ」
     苦しい。自分の内面を吐き出すのが苦しいのに、止められない。こんなものは、遠回りな自傷だ。そして、キースが生きていく上でそんなものは無意味だ。
    「アカデミーに入ったのは、ここなら出自も問われないし寮に入っちまえばさっきみたいな奴らと手が切れると思ったからだ。運良くヒーローになれれば高給とりだしな。オレは別に、誰かを助けようとか科学の発展とか何かご立派な志があってヒーロー目指してるわけじゃねぇんだよ」
     力が欲しかった。力が無くても、せめて金さえあれば。いや、キースが求めていたのは、理不尽な力で脅かされない自分の居場所だった。
    「わかっただろ。オレは、どうしようもない奴だよ。オレの心配する奴なんていないし、ヒーローになんてふさわしくない」
     冷たい風が路地裏を吹き抜けていった。
     今、この話を聞きながらディノはどんな顔をしているのだろうか。失望。憐憫。軽蔑。嫌悪。今までキースが他人から向けられてきた様々な負の表情を隣のディノが浮かべているところを想像して、けれども上手く思い浮かべることが出来ずに、ただただ胸には苦いものが広がった。一度だってディノが自分にそんな顔を見せたことはなかったはずなのに、反射的にそれを想像しようとした自分が嫌だった。
     こんな告白になんの意味があるのだろう。ディノはディノなりにキースに手を差し伸べようとしているだけなのに、お前にはわからないだろう、と突き放すことしかできない。そんな風にしかできないのがつらい。でももう、自分の中のドロドロとした物を自覚した今、上辺だけ当たり障りなく振る舞うことができなかった。
     そうして、重苦しい沈黙が横たわる中ようやく口を開いたディノから出てきた言葉は、キースの思いもよらないものだった。
    「キースはすごいよ」
     静かな口調から、それが単なる慰めやごまかしではなく、揶揄するものでもないらしいということはなんとなくキースも察した。けれどもその言葉に含まれた真意までは疲れ切った頭では到底わかりそうになく、キースは早々に推し量るのをやめた。
     そのまま黙りこくっていると、キースはすごいよ、と再び同じ言葉をディノは繰り返した。
    「何がだ? 金の為なら身の程もわきまえずに何でもすることか?」
     俯いたまま自嘲するように返す。隣のディノが微動だにしないことを不審に思いながらも、もう何かを取り繕う気力はなかった。
     そうやって、二人して無言で冷たい地面に座っていると、やがてディノは口を開き、ぽつりぽつりと話し出した。
    「俺、両親がいなくて。顔も知らないんだ。今一緒に暮らしてるおじいちゃんおばあちゃんはとってもよくしてくれるけど、血の繋がりのない人達で」
     思わぬ告白に、キースの片眉が思わずピクンと上がった。普段話している時に祖父母の事がよく話題に上がることは気づいていたが、親がいないとは寝耳に水だった。しかも顔も覚えてないとは、それ程までディノが幼い頃に他界したのだろうか。
     想像もしていなかった切り口から話が始まり、キースが反応できずにいるのをよそに、ディノは話を続けた。
    「それで……その、俺がヒーローに、あ、いや、アカデミーに進学することは、ずっと前から決まってたことなんだけど。それこそ、【HELIOS】がどうとかよくわかってなかった子供の頃からさ」
     いつも快活なディノらしくない、独り言のような、ささやくような話し声だった。
    「おじいちゃんは、嫌なら無理に行かなくてもいいって言ってくれた。やりたいことが他にあるならそっちへ進んでもいいし、ずっとこのまま田舎で一緒に暮らしたっていいって、俺の気持ちを尊重してくれた。でも俺は、なんとなくノーって言えなかった。ヒーローって職業が嫌なわけじゃないし、活躍してる人たちのことはすごいと思うよ。けど、俺も絶対になりたいとか、誰かの役に立ちたいとか、強い気持ちがあったわけじゃないんだ」
     話の真意を飲み込めないまま、不思議な言い回しをするな、とキースはぼんやりと考えた。ディノの口ぶりは、まるでアカデミーに入学すればヒーローになることが確定しているかのようだった。顔も知らない両親とやらの強い意向だったのか、ディノがヒーローになることは、それほどまでに確定的な未来なのか。
    「俺は決められなかったし、想像もできなかった。ヒーローじゃない自分も、それを選んだ結果、俺の周りの人達がどんな顔するかも。……いや、違うな。怖かったんだ。選んで、その結果どうなるかわからないのが怖くて、選ぶことを避けてた。流されたんだよ」
     いつの間にか、キースは顔を上げて、話し続けるディノの横顔をじっと見つめていた。ここ数週間ですっかり見慣れた、人懐っこくお人好しで、能天気なクラスメイトの顔。けれども今のキースは、ディノの中身がそれだけでないことをもう知ってしまった。
    「キースはすごいよ。誰も頼れなくて、今まで大変だったろ? 頑張ったな」
     そう言ってこちらを見たディノの顔は寂しげだった。キースに話しかけているのに、まるで遠くを見ているような目つき。
    「変わりたいって、自分のことを自分で決めてちゃんと行動してる。どうしようもない奴なんかじゃないよ。すごいことだよ。だから、そんな風に自分のこと言わないで」
     ディノは、キースが突き放そうとした手を掴んでくれた。なのにどうして。
    (なんで、そんな顔するんだよ……)
     物心つく前から自分以外の誰かの意思で行き先が決まっている人生とは、どういうものなのだろう。キースには想像もつかなかった。自分で決める前から、考える前から、周囲が自分をこうだと決めつけている。いずれこうなると行く末が決められている。
     そう考えて、似たようなものなのかもしれない、とキースは思った。 後ろ指をさされ、この先も到底ろくな人生を送ることなどできないと、勝手に他者が描いて押しつけたキース・マックスという人間像。周りから期待され、ヒーローとなることを勝手に約束されたディノのそれ。
     けれども、違うのだ。
    「……自分で決めただろ、お前も」
    「え?」
    「オレのこと。言われてんだろ、他のヤツとか教師とかに、あいつとつるむのはやめとけって」
    「え、あ……うん」
     廊下で、教室で、寮で。ディノを探したり待ち合わせする時、最近急にキースと一緒にいる時間が増えたディノの話をたまに耳にする。時には、ディノが直接誰かから忠告されている場面に出くわすこともあった。
     それでもディノは、時に自分が悪評に晒されようともキースと一緒にいるのをやめなかった。
    『俺たち、ほとんどの授業で一緒なんだぞ。そんなのもう友だちになるしかないだろ』
    「お前は自分でオレと友だちになるって決めただろうが」
    『俺はキースの言葉を信じる』
     声をかけられたあの日の眩しい笑顔を思い出す。誰に何を言われようとも、キース自身を見て友だちになりたいと言ったのは紛れもなくディノの意思だったはずで、あの日もさっきも、その手を差し伸べたのは彼の善性によるものなのだから。
     ディノが血の繋がらない祖父母に大事にされてきたであろうことは、真っ直ぐな言動を見ればすぐにわかった。ディノはきっと周りの人間に愛されていたし、大切にされてきた。同じ押し付けられた未来でも、キースのそれとは決定的にそこが違うのだ。
     キースはディノにディノ自身を、ひいてはディノを肯定してきた周りの人間が込めた想いを否定してほしくなかった。暗がりに一人でいるような、そんな目をして欲しくなかった。たとえ成り行きでも、心からヒーローを志していなかったとしても、一日に二回も自分を助けてくれたディノは間違いなくキースにとってはヒーローに違いなかったから。
    「金まで払ってオレの友だちになりたかったんだろ……そんなことするヤツ、いねぇよ」
     こんなことを話して何になる、とディノと話してこれまで何度思ったことだろう。今のそれだってそうだ。けれど、自分のような鼻つまみ者とは違う、強くて健やかで優しい生きものが、傷を負って日の当たらない場所でポツンといるような様子には耐えられそうになく、なんとかしてやりたいと思ったのだ。
     突拍子もないキースの発言に面食らったのか、ディノはしばらくキョトンとした顔をしていた。しかし、みるみるうちにその顔が緩み、やがて声を上げて笑った。
    「何それ、褒めてるの?」
    「うるせぇよ」
    「あはは、おかしな奴だな」
    「お前に言われたかねぇっての」
     しばらくそうして笑っていたかと思うと、ディノははぁ、と頭上を仰いで大きく息を吐く。そこには、もうさっきまでの暗がりに飲み込まれそうな顔のディノはいなかった。俺たち座り込んで二人で何してんだろな、と言ってこちらを向く。
    「ありがとう。……キースは優しいな」
     朝の光が射し込んだようなじんわりと胸に満ちていく笑みだった。こんな風に笑うこともあるんだな、そうぼんやり思うと、くだらない自分の言葉でも価値があるように思えた。



     その後、ディノが拝借した台車を元の場所へ返し、ようやく店に戻ったキースとディノが店主に事情を説明してやっと帰路に着いた頃にはすっかり夜は深まっていた。いつもの帰宅時間より更に遅い夜の街を足早に歩くキースの後ろを、慣れない様子でディノが追いかける。
    「キース、待ってよ~」
    「お前、意外とドンくさいよな」
    「夜の繁華街なんて初めてだもん。こんなに人が多いなんて知らなかったよ」
     しょうがねぇな、と手を差し出せば、ディノは一瞬目を丸くしたかと思うとにひ、と笑ってその手を握り返してきた。
    「やっぱりキースは優しいな」
    「はぐれたりモタついて変なトラブルに巻き込まれたらめんどくさいだけだっての」
    「それでも、優しいよ」
     店の華やかなネオンサインに惹かれてチラチラと目移りしているディノの手を引いて夜の通りを歩く。いつもより遅い時間に、ディノと二人して街を歩いている非日常はまるで一足早いホリデーシーズンの散歩のような気分だ。
    「俺さ、キースみたいなヒーローがいてもいいと思うよ」
    「なんだよ急に」
    「さっき、キースは自分はヒーローにふさわしくないって感じのことを言ってただろ。俺は別に、色んなヒーローがいてもいいと思う」
     言ってからディノは、あ、もちろん、ヒーローって立場を悪用して稼いだりとか、サブスタンスを悪用するような人はダメだぞ、と慌てて付け加えた。
    「でもキースはそうじゃないだろ。ちゃんとヒーローとして戦えるなら俺は元の動機が不純でも別にいいと思う。俺の知らないこともいっぱい知ってるし、キースみたいに裏路地に詳しいヒーローがいたっていいと思うよ」
    「……わかんねぇだろ。いざとなったら、金だけ持って逃げるかもしれねぇぞ、オレは」
     なんのてらいもなく言ってのけるディノの言葉を真正面から受け止めるのは恥ずかしくて、思わず悪ぶってしまう。しかしそれに構わず、ディノはううん、と続けた。
    「キースは素直じゃないけど優しいから、困ってる人がいたら絶対に放っておかないし、きっといいヒーローになる。俺が保証するよ」
     何だそれ、と少し掠れた声の返事は、街の喧騒に消えた。片目だけ開いた視界がぼんやりと滲んで、前がよく見えない。
     今までも、これから先も、これほどまでに根拠が無いのに胸を打つ言葉を他人からかけられることはきっとないだろう。震える肩を誤魔化すように、キースは息を深く吐き出した。
     たとえヒーローになれなくても、アカデミーから去ることになっても、今日この時、ディノから貰ったこの言葉だけは、失われることはない。
     思わずディノの手を強く握れば、応えるように一層強く握り返された。温かい。冷えた空気と、握った手の温度、空に光る星、それに負けないほどキースの胸のうちでまばゆく光る言葉。
     今日のこの夜のことは、きっと一生忘れない。そんな想いが、並んで後ろに続く足音と共に、キースの内に深く刻まれた。
     もうすぐ、十一月も半ばに差しかかる頃のことだった。

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    horizon1222

    DONEモブ女は見た!!新婚さんなあのヒーロー達!!
    という感じの(どんな感じ?)薄~いカプ未満の話です。一応キスディノ
    ディノにお迎えにきてほしくなって書いたよろよろとモノレールに乗り込み、座席に座ったところで私はようやく一息をついた。
    月末。金曜日。トドメに怒涛の繁忙期。しかしなんとか積み上がった仕事にケリをつけられた。明日の休みはもう何がなんでも絶対に昼まで寝るぞ、そんな意識で最後の力を振り絞りなんとか帰路についている。
    (あ~色々溜まってる……)
    スマホのディスプレイに表示されているメッセージアプリの通知を機械的に開いてチェックし、しかし私の指はメッセージの返信ボタンではなくSNSのアイコンをタップしていた。エリオス∞チャンネル、HELIOSに所属のヒーロー達が発信している投稿を追う。
    (しばらく見てなかったうちに、投稿増えてるな~)
    推しという程明確に誰かを応援しているわけでないし、それほど熱心に追っているわけではない。それでも強いて言うなら、ウエストセクター担当の研修チーム箱推し。イエローウエストは学生の頃しょっちゅう遊びに行っていた街だからという、浅い身内贔屓だ。ウエストセクターのメンター二人は私と同い年で、ヒーローとしてデビューした頃から見知っていたからなんとなく親近感があった。
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