私はカリム先輩が苦手だ。
明るくて、優しくて、まるで太陽のような人。
スカラビア寮の生徒と仲良くなるとカリム先輩の話をよく聞くようになった。
「寮長はすっげーいい人なんだよ。俺の悩みも真剣に聞いてくれてさ。誰にだってそうなんだ」
同じクラスの彼はウィンターホリデーの時とは真反対の、尊敬と親愛がいっぱい詰まった顔で語る。
「たまに無茶苦茶だけど、寮長が言うならいいって思える。なんて言うのかな、あの人に言われたら何でもできる気がするんだよ」
信頼を飛び越えた何かがある。そんなふうに言っていた。
まだちゃんと知り合ってそんなに時間は経っていないが、あの人が本当にいい人なのだろうというのはよく分かる。
だけど、そんなところが私とは相容れないなと思ってしまう。
***
「おーい!監督生ー!」
遠くから、私を呼ぶ声が聞こえる。
すぐに姿が見当たらずきょろきょろと周りを見ると、中庭を挟んだ向こう側の廊下に大きく手を振るカリム先輩が見えた。小さく手を振り返すと嬉しそうに笑う。
「またな!」
特に用事があったわけではないようで、それだけで廊下の先へと消えていってしまった。
それを見ていたエースが怪訝そうな顔を私に向ける。
「カリム先輩と話したこともほとんどなかったじゃん。俺らがいない間に何があったわけ?」
「特に何もなかった、と思うんだけど…」
答えながら首をひねる。実際、カリム先輩と特別仲良くなるような出来事はなかったのだからそう答えるしかなかった。
「そういう人なんじゃない?ウィンターホリデーの間ちょっとお世話になったし、一緒にゲームとかしたし、身内判定されたんだと思う」
きっと距離感が近い人なんだよ、と付け加えてもエースはやはり納得していなさそうな目で私を見ている。
そんな私達のやり取りにデュースとグリムも加わる。
「嫌なら言えばやめてもらえるんじゃないか?」
「オレ様が言ってきてやるんだゾ」
「いや、別に嫌とは思わないんだけど」
「そうなのか?困ってるような顔をしてたから、てっきり嫌なのかと…」
デュースの言葉に驚いてエースの方を見ると、エースも「そんな顔してた」と言って頷く。顔には出さないようにしていたつもりだったが、皆がそう言うならその通りなのだろうとため息をつく。
「嫌とまでは本当に思ってないんだけど、私とカリム先輩って相性が悪いっていうか…その、話しにくい」
私の言葉にグリムとデュースは首を傾げるが、エースはピンと来たようだ。
「そっか、お前根暗だもんな」
「うるさいな」
ストレートに私が思ってることを言い当てたエースを肘で小突く。事実だけど、自分で思うのと他人に言われるのは全然違う。
カリム先輩は、まさしく太陽だ。けれどその光と熱は強すぎて、私みたいな日陰を好む人間には毒になりうる。アズール先輩の「チクチクと嫌味を言われている気分になる」という言葉は本当に的を射ていると思う。
だって私は絶対にああはなれない。騙されて、貶められて、傷つけられて、それでも尚ジャミル先輩と友達になりたいだなんて。きっと人を恨んだことなんてないのだろう。
先輩を見ていると自分のことが嫌になる。お前がダメなのだと、突きつけられているような気分になる。先輩にそんなつもりはないのだろうけれど。
そう言えば、とエースが言う。
「今日って2年生と合同授業あったよな。A組とだっけ?」
「あ…カリム先輩A組だ」
私の返事にエースもデュースも「あ」と声を出した。今日の合同授業の相手は2年A組。しかも、1年と2年でペアを組んでの実習だとクルーウェル先生は言っていた。
「知らない人と組むよりはまだいいって思うことにする…」
「えっと…どんまい?」
教室に向かう道中、がっくりと肩を落としてしまった私をエースもデュースも慰め続けてくれた。
***
「今日の実験は伝えておいた通り、1年生と2年生でペアを組んで行う。協調性を養うのも授業の一環だ、くれぐれも揉め事を起こさないように」
クルーウェル先生の話が一旦終わると、教室の中がざわざわとした人の声で溢れかえる。ペアを組む相手を探してクラスメイト達が歩き回る中、真っ直ぐ私に向かって歩いてくる先輩がひとり。
「監督生、グリム、俺とペア組もうぜ!」
カリム先輩はそう言うと、私の手をとってにかっと笑った。
「よ、よろしくお願いします」
「失敗したら許さねえんだゾ」
「こらグリム…」
カリム先輩に失礼なことを言うグリムを窘める。けれどフンと顔を逸らしてしまって、カリム先輩とペアになることを不服に思っているようだった。
「すみません、感じ悪くて」
「俺も急に声かけちまったし、気にするなって!」
グリムの態度を謝るも、先輩は言葉通り気にしていない様子でよろしくな!と言ってくれる。
きっとグリムは私が先輩を苦手だと言っていたことを気にしてくれているのだろう。今日の晩御飯は少し多めによそってあげようと思いながら席についた。
私とカリム先輩が一番乗りで、次々と生徒たちが席についていく。エースはシルバー先輩と、デュースは名前は分からないがハーツラビュルの先輩とペアを組んだようだ。
やがて全員のペアが決まったことを確認すると、クルーウェル先生が黒板の前で指示棒を振った。すると一瞬で黒板に今日の実験の手順が書き出された。
「今から作るのは飲ませた相手の自分への好感を高める魔法薬だ。人の精神に作用する魔法薬は調合の手順を一つでも間違えれば失敗する。手順を頭に叩き込んでから調合するように」
クルーウェル先生の説明を聞きながら、注意点や疑問点をノートに書き込んでいく。グリムは船を漕いでいるし、私は調合そのものは手伝えないし、私が手順を理解しておかないと絶対失敗することになる。
必死に視線を黒板とノートとで行ったり来たりさせていると、横から影がさした。
「綺麗なノートだな」
そう声をかけられたので目線を隣にむけると、驚いてノートをとる手が止まった。少し間を空けて座っていたはずのカリム先輩が私の手元を覗き込むために、肩が引っ付きそうなくらいに近づいていたのだ。
「あの、近くないですか」
「そうか?」
「私には近いです」
「そうかぁ…」
距離が近すぎることを伝えると、カリム先輩はしょんぼりしながらも大人しく身を引いてくれる。
そんなやり取りをしていた間もクルーウェル先生の説明は続いていて、慌ててノートをとる作業に戻る。そんな私に、先輩は距離はそのままで話しかけ続けた。
「監督生は几帳面なんだな」
「そんなことないです」
「俺こんなにたくさんノートとらないぜ」
「私は分からないことだらけですから」
「頑張っててえらいな」
取り留めのない会話がずっと続く。ノートをとっているから素っ気ない返事しかできないというのに、先輩はずっと楽しそうな声のままだ。
子どもの相手をしているようだ、と思う。お母さんに話を聞いて欲しくて、内容なんて何でもいいから話しかける子ども。今の先輩はまるでそれのようだった。
「説明は以上。魔法薬が完成した者から俺のところに持ってくるように」
説明が終わり作業開始の指示が出たことで、生徒がぞろぞろと席をたっていく。
「グリム起きて、植物園に行くよ」
声をかけながらグリムの体を揺するも全く起きる気配がない。すっかり寝こけてしまっているようだ。ちょっと見直したけど、やっぱりグリムはグリムだった。
「仕方ない、抱っこするか…」
ため息をついてグリムを抱き上げようとすると、すっとカリム先輩の手が割り込んできた。
「グリムのこと、俺が抱いててもいいか?」
「え、いいですけど…」
聞いておきながら、カリム先輩は私が答える前にグリムの体を持ち上げていた。
「じゃ、行こうぜ。まずは植物園だったか?」
「はい」
返事をすると、カリム先輩はそのまま植物園に向かって歩き始めた。自分のノートを持って、その後をついていく。
「重くないですか?」
「んー、ちょっと?」
「すみませんほんと…」
「いいっていいって、弟妹たちのこと思い出して楽しいから」
そう言ってカリム先輩はにこにこしながら腕の中のグリムを見ている。嫌な態度をとられたことなんて無かったかのように。もしくは本当にそんなことは忘れてしまっているのかもしれない、なんて思う。
ジャミル先輩とはどうなったのだろうか、そんな疑問がふと浮かぶ。最近のカリム先輩はジャミル先輩といる時よりひとりでいる時の方が多いように思う。今日挨拶された時もそうだった。
カリム先輩はジャミル先輩と友達になりたいだなんて言っていたけれど、やはりそう簡単に元通りとはいかないのだろう。
「ジャミルにもひとりの時間を作ろうと思ってさ、最近はひとりで弁当食べてる」
突然、カリム先輩がそんなことを口にする。タイミングがタイミングで、相槌を打つことすらできなかった。
「俺さ、監督生に感謝してるんだ。きっと言ってもらえなきゃ知らないままだったから」
そう言ってカリム先輩が振り返る。中庭からさす光に照らされる先輩は、目の前にいるのに違う世界にいる人のようだ。
「別に…私が言ってなくてもあの場のだれかが言ってましたよ」
「そうだとしても、ありがとう」
日陰でひねた言葉しか返せない私に、尚も先輩は感謝の言葉を述べる。
やめてほしい。私は思ったことをつい言っただけで、お礼を言われるようなことなんてしていない。
黙り込んでしまった私に、カリム先輩は眉を下げる。
「困らせちゃったのならごめんな。でも、どうしても伝えておきたかったんだ。行こう、監督生」
先輩はそう言って私の手を引く。陰から引っ張り出されて見た光は、やっぱり眩しかった。