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    ワンドロ「嗅覚」。
    毎度の大遅刻なんとかしたい…。ごめんなさい。こじつけは歴史ものの醍醐味(だいぶ無理やりしすぎたのは自覚ある)。

    あと説明の入れ忘れ…。というか入れ所みつけられず…。
    新野先生たちは留さんたちが山に入るのを待ってから、村に入ったわけではありません。人集めて準備してたら留さんたちより後になっただけ。💦

    #もんけま
    #文食満
    manjoman

    嗅覚「どうか、どうかお願ぇしますだ。村の仇を討ってくだせぇっ!」
     ――それは、血反吐を吐くような懇願と慟哭だった。




     鬱蒼とした森に覆われた山中。草木に覆われ殆ど周りと判別のつかぬ獣道。進むのは十も半ばの少年二人組。忍術学園六年生、い組の潮江文次郎とは組の食満留三郎だった。

    「相変わらず、厄介事を引き受けるやつだな、お前は」
    「別に、お前は先に帰っていてもいいんだぞ。文次郎」
    「あのな留三郎。お前だけ行かせても、馬鹿をやる未来しか見えんだろうが」
    「……喧嘩なら買うぞ」

     周りから犬猿と評される彼らは、どこにいても口論が絶えない。とはいえ今回彼らの不機嫌は、彼ら自身に起因するものばかりではなかった。

     ――この森は、空気が重い。
     頭上は幾重にも重なり合った梢や木の葉で覆われて、日の光は殆ど差し込まず昼間でも薄暗かった。
     日当たりが悪いせいか、雨が降ったのは数日前になるというのに、地面が湿って腐った落ち葉もろともに、ぐにぐにした感触を綿足袋ごしに伝えてくるのが気持ち悪い。また全身に伸しかかるような湿気は、この森に居るだけで陰鬱な気分にさせた。
     彼らが進む獣道も、かろうじて獣の足跡を追えるのみ。時折落ち葉や野草をかき分ける必要があって、進むだけでも手間がかった。

     先を歩くのは留三郎。後ろに続くのは文次郎。海育ちの文次郎より、山育ちの留三郎の方がこの道は適材だ。
     そろそろ山に入って半刻(1時間)程になろうというのに、留三郎の背中に疲れは見えず、歩みに一切の迷いも惑いも見えない。彼の後ろに続きながら、文次郎は悟られない程度に嘆息した。

    (……らしくねぇ)

     二人がこんな山中を進んでいる理由はもちろん、忍務である。だがそれは学園長より直々に、「断っても良い」と前置きされたものでもあった。
     二人が来た道を逆方向に一里ほど戻れば、そこにはひとつの村がある。山中とは思えぬほどの規模を抱えたその村は、見渡す限りの田畑、点在する家々は立派、村道は効率を重視して整然とし、村造りの高度な知識と技術を想像するに難くなかった。

     栄えている。――栄えていた。
     道行く人の姿はない。村に入った瞬間に鼻につく死臭、野ざらしの死体までも。田畑には雑草が目立ち始め、家々は出入り口に莚を重く下ろして、その中に人は居るのか、居ないのか。

     留三郎と文次郎、自他共に認める犬猿の仲。そんな二人が合わせて与えられる忍務は荒事が多い。互いに性質の違う戦闘型。普段よく打ち合っているせいか、いざというときの連携は息が合うのだ。ゆえに今回もそれなりに覚悟はしていたのだが……。
     村の有様は異様である。まるで、村全体が死に絶えているかのように。よくある落ち武者や夜盗による襲撃ではなく、戦に巻き込まれた様子でもなかった。

     そんな二人を最奥の屋敷で出迎えたのは、やせこけた二十半ばほどの男。この規模の村を治めるにはあまりに若い。曰く、先代村長である彼の父親が亡くなり、他にやれる者も残っていないため彼が後を引き継いだのだと。挨拶もそこそこに文次郎たちを居間に通すと、男は溢れるように言葉を紡ぎ出した。

    「最初は、疫病だと思ったんでさ」

     乾いた唇から零れる乾いた声は、今日(こんにち)までの男の苦労と悲壮を思わせた。

    「年寄り、若者、子供、男、女、見境なく。体が震えて、吐いて、熱が出て、立ってもいられなくなって。ものが喉を通らねぇのに、水のたまった腹ばかりがでっぷり膨れちまう」

     死ぬまでだいたい一週間ほど。突然猛威を振るった病はあっという間に村を蹂躙し、看病する者も、看取る者も、葬儀を行う者すらいなくなった。

    「アンタらのことは、なにあかったら頼れと親父から言い遺された。親父が死んだ頃には、まだ状況のマズさもわかっていなかったから、まだ余裕があったから。
     けんど“なにかあったら”は、もう始まってたんでさ」

     だから、忍務の依頼がいまごろになった。
     けれども、先代村長が亡くなった時点ですでに手遅れであったのだ。それほど村の状況は劇的に悪化した。外から来た文次郎たちからしても、この村に先が無いのは火を見るより明らかだ。

    「水だぁっ!」

     かふっ、と腹の中の空気丸ごと吐き出すように男は叫んだ。

    「毒だぁっっ‼」

     曰く、この村のさらに上にもう一つ、人の住む集落があるらしい。直接交流したことはない。ただ何代も前の村長のころから、川の上流から茶碗やら櫛やら、こんな山奥ではとんとお目にかからないような上等な品々が流れて来ていたのだと。

    「あれも、そうだぁ」

     男が指し示したのは、居間の壁に飾られた旗。染め抜かれた家紋は揚羽蝶。

    「昔っから、言われてた。この上には、平家の落人村があるんだって……」

     男はさめざめと泣いていた。揚羽蝶。――それは、平家の家紋である。
     彼は村長の息子として、跡を託されたものとして、ずっと病の根源を探っていたという。
     そうして村の中心を流れる、生活用水の役割を持つ川が元凶だと気付いたのだ。最初に罹患したのは、家事を預かる女たち。次いで川遊び好きな子供たち。
     井戸など他の水源をもつ家は、発症が遅かった。罹患した者と接触しただけの者はその場では発症した様子がなかった
     女たちは川で洗濯や皿を洗う。子供たちは川遊びついでに魚釣りが仕事でもある。
     また村最大の生活用水である川の水は、飲み水しかり、どのようなカタチであれ村の生活と密接につながっていた。

    「おらの家は裏手に井戸があるけんど、うちの親父は釣り好きだし。嫁御は洗濯には水量足りんって川さ行くし。子は甘ったれで母ちゃんについていくし。
     おら一人、取り残されただ」

     彼は最後の決め手に、己で川の水を飲んだのだという。結果は劇的に、男の体を蝕んだ。まだ腹の水は溜まっていないらしく、着物の上からその様子はわかりにくいが、顔色を見るにその命も長くはないだろう。

     ――執念である。
     結果がわかったあとならあっさり説明して終い。しかし病の元凶を辿る行為は、考察、聞き取り、実証、…しらみつぶしの連続だ。

    「麓に親戚が居て、まだ発症していない家は逃がしただよ。あとはもう、潰えるだけ」

     あの川は、ずっと穏やかに村の生活を守ってくれていた。だが、突然に猛威を振るったのだ。ならば川に何かが流し込まれたと思うのは当然だし、以前より上流から珍しかな物が流されてきたというのなら、その上流を疑うのも無理からぬことだろう。
     人を劇的に病ませる、なにか。それこそ、毒に類するなにかを。

     もう、村は駄目だろう。今、村に残された者たちにもその覚悟はできている。だからせめて、最期の願いとして仇討ちを依頼したのだ。
     そして文次郎が考える暇も与えず、留三郎が男の依頼を引き受けたのである。



     ――らしくない。
     思考を現在に戻して文次郎は改めて断じる。留三郎は確かに戦好きだが、人を害することに進んで賛同するような男ではない。そもそも一方の言い分だけ聞いて、もう一方を最初から悪と断じるのは具骨頂だ。
     少なくとも文次郎の知る留三郎という男は、情にあつくとも情に流される男ではないし、やや短気のクチだが浅慮でもない。

     もっというなら、本当にあの男が言うような『仇』の存在があるかも文次郎は懐疑的であった。

    「おい留三郎。お前、あの村人の言葉を信じているのか」
    「なにが? どれが?」

     そういう言葉が出るのなら、ある程度疑う余地があることは理解しているのだろう。

    「なにもかもだ」
    「……」

     すんっと、留三郎は鼻だけ慣らしてなにも返事がない。
     文次郎は敢えて聞こえるように舌を打った。留三郎は、いったいなにを考えているというのか。留三郎が答えない以上、文次郎は己で考えるほかない。――揚羽蝶の旗、平家の落人村、学園長の言葉、村の現状、川の水、毒と病。
     
    「違和感の情報が多すぎて、逆に整理がつかんというやつだな…、これは」

     文次郎は首を振った。
     そもそも上流の集落とやらまで、どれほど距離があるのだろうか。川沿いに山を登ってきたはずだが、その川はいつの間にか見失ってしまっている。
     川幅はすぐに狭くなり、岩間の合間に隠れて見づらくなり、あげく土の中にもぐったり出てきたり。終いには糸のような細い滝に繋がって、この柔い地盤では苦無を使って上ることもかなわない。回り道したあげくが、現状である。
     なんとか水の臭いをたどろうにも、山全体に湿気が充満して水臭い。そこに古い土や枯れ葉の腐った臭いも混ざって、すっかり鼻がマヒしてしまった。
     すんっと文次郎も鼻を鳴らす。肺を埋め尽くす重苦しい空気に吐きそうになった。

    「なあ文次郎。実際に平家の落人村ってのは、あると思うか?」

     ようやく、留三郎から言葉が返った。

    「壇ノ浦の戦いが、寿永四年(1185年)か。そこから逃げるなら、九州。せいぜい四国だろう。しかも四百年近く前の話だ。この辺りは京からも近い。……どうなんだろうな」

     どう答えてやろうか迷ってから、文次郎はまず優等生の答えを口にする。

    「別にすべての平氏が壇ノ浦まで逃げ伸びたわけじゃないだろう。途中で脱落した者もいる。平家の落人村の話は未だ全国に残るという」
    「へえ」
    「京に近い、というのなら。播磨国の阿加保(兵庫県赤穂群)というところにも、その伝説があるという話だ」

     播磨国なら、京から徒歩で二日もあれば辿り着く。

    「そもそも別に、平氏は滅亡したわけではないぞ。大名の中には、平氏の末裔を名乗る者も多い。先日から桶狭間であの今川義元とガン突き合わせている、織田信長なんかは自称平家の筋だ」
    「おもしろいな。今川義元は源流が源氏じゃなかったか?」
    「それで源平合戦とか言い出したら学者連中から馬鹿にされるからな、お前。そこらへん面倒だから説明を打ち切るが…。
     流石に今川氏は置いておくにしても、…系譜の辿れぬ者が源平の子孫を名乗ることは、ままある。それこそ、田舎の御長老ですらだ。だからしかとした家系図が無い限り、この手のことは話半分で聞くのが妥当だぞ」

     夢がねえな。と留三郎はまたすんっと鼻を鳴らした。
     
    「それで。本当に平家の落人村があった場合、お前は嬉々として戦うのか?」

     確かに、戦う相手としては十分だろう。まあ、四百年その腕が鈍っていなければ、だが。とりあえず浪漫はある。
     想像に反して、留三郎は煮え切らない。頭上をあおいで、すん、すん。そうして頭をかきむしる。

    「留三郎、お前大丈夫か?」

     さすがにちょっと心配になって、文次郎は留三郎に向けて距離を縮めた。手が彼の肩に触れる寸前、足がずるぅっと濡れた土に取られる。

    「……」
    「気をつけろ、その辺、地滑りのあとがある」

     忍びにあるまじき失態に、文次郎は顔を反らせる。一方の留三郎はとくに文次郎をからかう様子もなく、淡々と説明した。

    「落ち葉に隠れているが、あちこちにあった。川の流れを見失ったのも…、これ多分、流れそのものが変わっているんだと思う。
     依頼者の話を信じるなら、上流からいろんなものが流れてきたんだろう?
     あんな細い水の流れや、岩間、地面の中まで通られたんじゃ、普通途中で引っかかる。実際、道々に品物が引っかかっている場所は無かった」

     なんだそれは。文次郎は周りを見回す。海の民にとって、地形の変動はそれほど身近じゃない。――いや。

    「……地震?」
    「やっぱそっちでも影響でるのか」
    「昔、浜の形が変わったと聞いた」
    「地割れのあともあった、上るたびに増えている。――間違いないだろ。ただでさえこの山は、地盤が緩い」

     今より近しいのは、永正七年(1510年)の永正地震になるだろうか。文次郎も留三郎も生まれる前の話である。そのため、当時の状況は郷の古老たちに聞くより他ない。そして古老たちは、昔のことをよく覚えているものだ。
     被害でいえばもっと前の明応地震のほうが甚大だが、あちらは震源地が畿内から外れるので割愛する。
     この国は地震大国だ。年間千から二千回、年によっては一万回を超える地震が発生している。それは、人の身で感じられるものから明確に被害がでるものまで様々だ。

     すん、すん、すん。
     留三郎はずっと鼻を鳴らしている。

    「この山は、水気が濃い」
    「ああ。お前の鼻はまだ生きているのか?」
    「ずっと、臭いが充満していて鼻がつまりそうだが」
    「頼むぞ。こうなってはその鼻ばかりが川の水を辿れるんだからな」

     水の臭いが辿れなければ、上流の集落とやらにも辿り着けない。留三郎がその臭いを辿れていると言うのなら、それに頼るしかない。
     こんな鬱蒼とした森で迷子になっては、目もあてられなかった。
     珍しく素直に頼る言葉を口にすれば、しかし留三郎は足を止めて、こてっと首を傾げた。

    「……おい」
    「水を、辿る?」
    「おいっ‼」

     湿気のせいでなく、文次郎の背中にぶわっと汗が湿る。まてまてまて。ならばなぜ、留三郎はずっと迷いなく進んでいたというのだ。いったいどこへ向かって、なにを頼りに。
     らしくない、らしくないと思ってはいたが、ここにきて(――大丈夫か?)と、(――ふざけるなよ)という思いが追加された。

    「こんな水気ばかり重苦しい場所で、水の臭いなんか辿れるわけないだろ」

     一切悪気なく、留三郎は言い放つ。

    「じゃあお前はなにを辿ってここまで登って来たと言う気だっ‼」
    「……むしろ、お前が気づかない方が意外だが。そんなに鼻が麻痺したか?」

     文次郎は押し黙った。嗅覚が働かぬなど、やはり場所を選ばずそれは忍びとしてあるまじきことであったか。そう思うと、好敵手を目の前に恥ずかしくもなってくる。

    「機嫌を損ねるな、悪かった。きっと、山と海でこの臭いは違うんだな」
    「……留三郎?」

     すん、すん、すん。
     留三郎の鼻が蠢いて、そうして歩みを再開する。文次郎もそれに続いた。『この臭い』。文次郎にはずっと、水と木々の腐った臭いしか感じなかった。今は何も嗅ぎ分けられない。
     もう幾度目か、文次郎は留三郎の背中を見つめて(――らしくねえ)と心の中で呟く。この違和感はなんだろう。ずっと、あの村を訪れてから違和感はあった。
     それは、この忍務の内容に対する疑問から、留三郎の有り様にまで。なにからなにまで、全部。文次郎に違和感しかもたらさない。
     すん。
     文次郎は、改めて空気の臭いをかいでみた。
     麻痺した鼻でも、重い水気を含んだ胸が悪くなる空気はわかる。もう一度――すんっ。

    「―――っっ」
    「近いぞ、文次郎」

     強い、刺激臭がした。久々に明確に嗅ぎ分けられる強烈な臭い。目の前で留三郎が口布を当て、さらに文次郎にも着けるよう指示を出してくる。ここまで近づけば、わかる。これは――。

    「俺は、故郷の近くでこれと似たような状況を見たことがある。濃い水の臭いと混ざる、この臭いを嗅いだことがあった。
     ずっと、下の村からこの臭いはしていた。山に入ればさらに強烈になった。俺がずっと追ってきたのは、この臭いだ」

     ――死臭。
     森を抜けた先で、集落がひとつ死んでいた。


     
     山途中にある、切り立った崖のうえ。見晴らしの良いその場所からは、眼下に村が見える。依頼者の村だ。
     新野先生率いる救護班が村中を駆け回り、救助作業を行っている。鳥を使った手紙は確かに送ったが、ずいぶんと早いことだ。己らが山に入った直後には、もう来ていたのではなかろうか。
     運び出される人の姿を見るに、わずかでも生存者はいたのだろう。ここから、幾人助かるだろうか。結果がどうあれ、生活用水を汚染された村では維持するのはもう不可能だ。

     ――地震があった。そういうことだろうと留三郎は言う。
     その規模がいかほどのものであれ、歴史に名を残すような大きなものではない。話題になるものですらない、傍目には被害のない地震。
     一地方の、小規模な地震がひとつ。あるいは複数だったのかもしれない。見えない被害は、山の中で起きた。
     その地震は山を揺らし、地盤を裂いた。土は滑り落ち、攪拌され、地形をわずかに変える。それまで表に出ていなかった土が表に出て、川の流れもまた変わる。
     土の中には、様々な悪いものがいる。それは、時に、唐突に人に猛威を振るうものあるという。

     雪崩れた土は地上の川に流れ込み。あるいは攪拌された土が地下水を汚染する。流れの変わった水流が、それまで下流に流すことのなかった悪いものを巻き込む。

    「昔の話だ」

     かつて、食満の郷近くで同じような事件があったと留三郎は言う。
     悪いものを含んだ泥、獣の糞や死骸、それらに汚染された水を飲んだ人々。そうして絶えた村があったそうだ。数日前に土石流を避けられた矢先の不幸だったという。

    「濃い水の臭いに生き物の腐敗臭が混ざるそれは、何年たっても忘れられん」

     今回の場合、水の被害は下流の村だけではなかった。上流の集落も、被害にあっていたのだ。
     応える者のいなくなった集落。崩れかけた建物の中に遺るのは、とうに腐り崩れた死体。性別もわからなくなったそれらは大概が寄り添うように死んでいて、屋内に遺された使い古された生活用品は、慎ましやかな暮らしぶりを思わせた。
     中央の、少しだけ大きく作られて家が代表者のそれだろうか。その屋根には揚羽蝶の旗が掲げられ、村の有様を物悲しく見下ろしていた。

     下流の村とよく似た。しかしそれ以上に被害の進行した有様がそこにあった。

     一度文次郎たちが見失った川の流れは、何食わぬ顔で集落の脇を静かに流れていた。
     おそらく川の汚染源は集落のさらに上流だったのだろう。留三郎も、上に行くほど地割れが増えていると言っていた。
     
     すん。
     文次郎は崖の上から辺りの臭いをかいだ。開けた場所に出たおかげで、麻痺した鼻はだいぶ回復している。それでも未だ、背後の森から濃い水の臭いばかりが嗅覚に届いた。
     死の、臭い。
     それを文次郎もよく知っているはずだった。しかし今、この水の臭いのどこに死臭が混ざっているのかわからない。嗅ぎ分けられない。
     あるいは、この濃い水の臭いそのものこそが――。

    「もし、集落が本当に平家の落人村だとして。四百年間、外界と接触もせず、いつ見つかるかに怯え、隠れ暮らしてきて…。その末がアレなのだとしたら、あまりに悲惨だな」

     歴史書の中の武者はみな、勝者も敗者もそれなりに格好いいけれども。現実はあまりに惨い。留三郎の感傷に、ようやく文次郎は(――らしいな)と感慨を抱けた。ようやく、安堵の息が吐けた。
     結局のところ、留三郎は仇討ちそれそのものを受けたわけではない。村の男の語る集落、その安否を心配したのである。そして結果は、彼の想像通りだったのだろう。

    「留三郎。お前の、慰めになるかはわからんが」
    「?」
    「俺は、本当に四百年間あの村と、上流の集落が没交渉だったとは思わん」
    「??」

     眼下に広がる村の姿。改めてその全貌を眺めて、文次郎は全ての疑問が氷解した気がした。

    「あるいは代々の村長や、長老格の間だけで語り継がれていたのかもしれん。俺たちが会った依頼者は、十分な引継ぎも頼るあてもなかったから、それを知らされていなかったんだろう。
     だが村の様子を見れば、そこに中央の知識がなかったとは思えんぞ?」

     応仁の乱以降、一部の貴族たちは荒れ果てた京を捨て各地へ避難した。その貴族たちを手厚く保護した大名たちは見返りに彼らの持つ高い教養、文化、知識、経済、礼節を学び、国を発展させている。
     それと同じようなことが、この地でもあったのではないか。
     眼下に広がる、山中とは思えぬほど拓かれた田畑。整然とした道は歪ながらも碁盤の目を思わせる。都会近くの村々でもとんと見られぬほど、美しい景色だ。
     応仁の乱より遡って三百年も前に京より逃げて来た平家の末裔が、上流の土地に隠れ潜む見返りに下流の村にその知識を、知恵を、技術を、地域運営を教えていたのではないか。

     無論それは、開けっ広げにできることではない。だから、一部の人間にだけ伝えられていたのではないか。

     そもそも、こんな山奥の村の人間に、平家の家紋がわかるものだろうか。四百年も前の戦の敗北者の名を知っているものだろうか。
     前村長の家に飾られた、揚羽蝶の旗。堂々と飾られたソレは、上流の集落との約束、あるいは契約の証ではなかろうか。

    「すべて、想像に過ぎんがな」
    「……」
    「あるいはあの依頼人の男も、本当のところを全部知っていたのやもしれん」
    「なぜだ?」

     眼下でその依頼人の男が、ちょうど家から担架に乗って運び出されたところだった。距離はあったが、忍びの卵である二人には、その姿がよく見える。周りの忍たまたちから目線を反らすように蹲ったその懐から、布地が覗いていた。

    「時代は下ったが、それでも都落ちした落人をかくまっていたなどと堂々と言えることではないからな。だから仇討ちという建前で、俺たちに行かせた。
     村にとって落人村は、開拓の恩人だ。村に起きた異変で、集落の異変にも気づいたか。あるいは己で見に行ったのかもしれんが。己一人では菩提を弔うこともできない。誰にも看取られず、知られず、朽ち果てるだけ」
    「本気で、必死そうに―――仇討ちを望んでいるように見えたんだがなぁ」
    「外に逃がした村人の今後を思えば、本当のところは絶対に語れん。
     ――重ねて言うが、ただの想像だからな? 想像ついでに、学園長先生はこの辺の事情をご存じだったんじゃないか」

     留三郎は文次郎を見て、さらに眼下の村を見て、なんとも言えぬ顔をした。

    「村からの依頼書に、実際はなにが書かれていたのか解らん。だが生徒に忍務を任せる以上、本来ならある程度教師の前調べが入る。そのうえで、こちらに任された。
     あるいは最初っからこの村と落人村のことを知っていらっしゃった可能性もある。実際、新野先生たちの行動が早すぎると思わんか?」
    「あぁ~~~」

     さすがにそこは思い当っていたのだろう。留三郎が天を仰ぐ。ぴ~ひょろろ。頭上を飛んでいくトンビの呑気な鳴き声がなんともいえなかった。

    「学園長先生は、方々に人脈があり、地方の情勢にもお詳しい。ゆえにこそ、学園を守り続けていられる。
     それに忍術学園は数多の忍びの流派を取り入れておられるが、現在学園が力を入れている火薬の扱いは、伊賀流が有名だ。
     ちなみに伊勢、伊賀方面はかつて伊勢平氏という平氏が治めていたが、かの平清盛はこの系譜だ…と、ここまでくるとこじつけがすぎるか」

     時代も違いすぎれば、流石に伊賀忍びと武家では汲む流れも違う。ただ平清盛が禿と呼ばれる諜報員を抱えていたことは史実だし、その行動は忍びに通じる。
     文次郎は苦笑した。留三郎も同じような表情だ。まあ、やっぱりこじつけである。

    「つまりこれは、生徒の社会科実習の一環だと」
    「俺たちなら、見届け人に相応しいと思ってくださったのやもな」

     一つの時代をつくり、滅んだ一族の、その末の姿を。
     それでも、『断ってもよい』は学園長なりの生徒への心配と憂慮の表れなのだろう。己らをかの集落の見届け人に選んだこと、それにふさわしい人選だと思ったこと。
     山育ちで情に深い留三郎。現実的で造詣の深い文次郎。武を尊び、武に殉じられる己ら。小平太でもよかっただろうが、彼はもう少し政治的様相を持つ忍務が多い。あとアレは、武を尊んでも武には殉じまい。

    「ここまで全部、想像の産物だ。妄想の域を出ん。――ただ、あとはそうだな。
     混迷極まるこの時代、学園長先生ならば。見るべきものを見て、学ぶべきものを学び、己で想像し、考え、自分なりの答えを出す機会を与えてもくださったのだろう」

     極端な話、第三者の特権は真実に対し好き勝手想像し、妄想できることだ。
     それを不謹慎と断じるもよし、抵抗感を覚えるもよし、己なりに納得するのもいいだろう。おもしろおかしく脚色し、世に広めるのは流石に論外だが、それもまた第三者ゆえだ。

     流石に意地が悪いか、と文次郎は己の考えに肩を竦めた。
     何度でも言おう。しょせんは想像の産物でしかない。全部間違っているかもしれないし、正しいかもしれないし、一部だけ当たっている可能性もある。上の集落が滅んでいる以上、もう本当のところなど解らないままだろう。

    「ひとつだけ、はっきりしていることがある」

     留三郎が、文次郎に身を寄せた。そうして――すんっ。

    「ああやっと」
    「?」
    「生きている、匂いだ」

     なるほど、それはわかりやすい。文次郎もそっと留三郎のうなじに顔を寄せ、ようやく陽光の匂いを嗅いだ。
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