【オムレツライス】 生まれ合わせが悪くて子供の時からいい目を見ずに終わる人も多いのだから、その日に食べるものが無かったという話などは、別に珍しいことではないであろう。東京のような都会に出て来て働かず、ご飯を食べられるのは、大泉家が私と水上を書生として置いてくれているからであり、金持ちの縁者があった友人のおかげに違いない。
しかし「慣れる」というのは恐ろしいもので、数日が十日と経つにつれ有り難みも薄れてしまった。当たり前のように出てくる朝飯を食い、夕飯を食い、偶のおやつまで頂く。昼は奥さんも出かけてしまうので、台所に這入っていっても誰も来ない。そのうち二食では腹をへらすようになった。猫は三日で宿飯の恩を忘れるというから、三日も続いたのなら猫より少しマシであろう。
小石川にある大泉の家を出て、電車線路に沿って歩いていったのは理由があった。市電の一乗車、七銭を吝嗇ったのである。幾ばくかの餞別も粗方、本代などに消えたところで、私は上京してから全く(東京見物)をしていないことに気付いてしまった。
ならば、手持ちの金で浅草の十二階まで行ってみようか。花屋敷のメリーゴーランドとやらにも乗ってみようか。それとも文壇の名士達が舌鼓を打ったという、上野精養軒……と、そこまで贅沢の出来る金額ではない。ドレスコードを気にする位の分別は、私にもあった。
行きがけに「いっしょに出かけないか」と、水上へ声をかけたのだが、あいにく「午後から、奥さんの手伝いがある」と、言われてしまった。女主人の手伝いとは買い物か。失礼ながら大泉の奥さんは、身の丈、五尺はあろうかという大女だ。文弱の男手がいるとは、とうてい思えない。
「どんな用だ?」と、問えば
「さあ、銀座へ行くと言っていたよ」
呑気な声が返ってきた。
「ああ、そうか。今日は……」と続く。
「銀座と言えば、資生堂パーラーもあるな」
おもむろに私は話の向きを変えた。子供ではないのだから、誕生日を祝うなど気を使われては困る。水上は開いていた口を一旦、閉じて「洋食か、玉森は好きそうだな」と笑った。
ドレスコードのない洋食屋でも蕎麦よりは、だんぜん高級である。上野の三橋亭でカレーライスが三十銭、烏森の遊楽亭は八十銭というから、神田の煉瓦亭はいくらするのか。いろいろと考えるうちに腹もへってきた。見慣れた猿楽町の交叉点の近くまで来ると、私の口はすっかり食べたこともないカレーライスの口になっていて、絶対にカレーライスを食わなくては満足できないだろうと、思われるようになってしまった。
浅草へ行くには逆方向だから、出がけに水上と話したのが、切っ掛けだったに違いない。面妖な催眠術にかかる乙女のごとく、私はふらふらと線路の向かいの小道に誘われていた。表の鈴蘭通に入ってしまえば、いつもと同じ日課だが、今日は面白そうな本ではなく、腹と口を満たしてくれる場を探している。
(このまま神田まで歩いてみようか)
橋の近くまで来ているのだから、それほど遠くはないだろう。行き帰りの電車賃は合わせて十四銭、そこへ六銭足したら、ちょうど二十銭になる。この辺りも学生の多い場所だから、安くて美味い洋食屋のひとつくらいありはしないか。探ってみるのも悪くない。
カレーライス、牛のカツレツ、馬鈴薯のコロッケ、ビーフシチュー、ポークソテー、……知っている名の西洋料理を数えるうちに、「オムレツライスあります」という小さな看板が私の目に留まった。
オムレツとはバターで焼いた卵焼きである。立ち止まった先から、溶けるほどに美味そうな良い匂いが、私の鼻先と好奇心をくすぐってくる。ライスとは米の飯である。オムレツライスとは聞いたことのない名前だが、カレーライスの親戚くらいに近しいものに違いない。
色つきの格子窓の先から中を覗いてみたものの、オムレツライスなるものの存在は確認出来なかった。かくなるうえは、思い切って表のドアを開ける他ない。三分ほど開いた戸口から「すみません」と顔を出せば、やや日に焼けた緋色のカーテンと同色のソファが目に入る。テーブル席だけで余計な座敷はない。店の設えは洋食屋そのものであった。奥から漏れてくる音は、未だ珍しい蓄音機から。店の誰かが、ジャズのレコードかけているらしい。
「はぁい、ただいま」
呼びかけに出て来たのは、明るく澄んだ女の声であった。
腹が減っているのと若い女給の存在が、そわそわした気持ちに輪をかける。いきなりメイドのような洋装の女が出て来たら、どうしようかと心配していたが、私を席に案内したのは、地味な紬に白いエプロンを掛けた娘だ。緩く編んだおさげにきびきびした働きぶりは、利発な商家の娘といった風か。
「オムレツライスを、ひとつ」と言うと、彼女は「お飲み物は、評判のカルスピがありますよ?」と、品書きを私の前へ差し出した。少し厚みのある紙に、品書きはメニューと西洋風の横文字に置き換えられている。そこには「オムレツライス、十銭」とあったから十四銭も使わない。が、飲み物は存外に高い。しかしながら、カルスピの四文字にあらがえない誘惑を感じて、私は慌ててメニューから目を逸らした。
「水でいい」
これ以上、話しかけられぬよう、なるべく難しい顔を作ってみる。
「あら、召し上がりませんの?」
彼女は可愛らしく首を傾げた。
二十銭しかないのだとことわる必要もない。市電の駅四つなど田舎の近所であるから、また懐具合の良いときに来ればいい。出来れば、今度は私のカルスピ代も払ってくれる者と一緒に来れば良いのだ。
「さようですか」と、女給は私の顔を一瞥し、また店の奥に入っていった。
そうして出会ったオムレツライスだが、カレーライスとは全く違う料理であった。熱々ふわふわの玉子焼きを巾着ふうにして、トマトの味がついたご飯を包んでいる。カレーライスは大変辛いものだと聞くが、オムレツライスというのは優しく甘い。匙で赤いケチャップといっしょに黄金の玉子を崩せば、湯気からほのかにバターの香りが立ち上ってきた。
米と玉子とケチャップを合わせて口に運んでみると、それぞれの風味が合わさってびっくりするほど美味い。ひと匙ふた匙と食ううちに私の口も腹も、オムレツライスに夢中になった。にゃははと思わず、腹から笑いがこみ上げる。まるで天国の滋味であった。
そんな私の姿を盗み見て女給は笑っていたようだが、ささいな悪意にも気付かぬほど美味いので、誕生日だけでなく、出来れば毎日通いたいと願ったほどである。
店の名はエクレールという。
川瀬に話せば
「やっぱり、玉森くんは食い意地が張っているね」と鼻で笑われ。
水上に話せば
「あの雨の中、春日町から四つも歩いたのか?」と心配された。
雨が降っていたのには気付かなかったという私を苦笑いし、今度、いっしょに銀座へ行かないかと誘われる。もうしばらく梅雨は明けないと私に言う水上の顔は、いつもと同じく優しいけれど、東京の梅雨空のように少し曇って見えたのだ。
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上京したてのおのぼりさん玉森くん。内田百閒のお料理エッセイ「御馳走帖」芥子飯のオマージュです