「ドライブ?」
今日の仕事も終え、あとは電気を消して司令室を出るだけというところだった。
「ああ。片づけたい仕事も終わったし、明日はオフだ。気分転換にこれから一人で走ろうかと思っていたんだが、司令もどうだろうか。以前、そういう話をしていただろう」
急だから、難しければまた次の機会に。そう続けるブラッドに言葉を被せる。
「行こう! すぐに準備する。着替えるから、三十分だけ待ってくれ」
「いや、俺も一度シャワーを浴びたい。一時間後にタワーの裏口に降りてきてくれるか」
それから急いで自室に戻り、シャワーを浴びて着替えが終わる頃には、もう既に待ち合わせの十分前だった。端末にはブラッドからの『なるべく暖かい服装で来てくれ』というメッセージが入っていて、ダウンジャケットにマフラーを巻いた。財布とスマートフォンとカードキー、必要なものだけを持ってエレベーターへ向かう。
裏口には既にブラッドの車が止まっていた。
「ドライブなんて、久しぶりだ」
助手席のドアを開けて乗り込む。フルバケットのシートに身体を預けシートベルトを締めると、道の先を確認してから、ブラッドはゆっくりとアクセルペダルを踏んだ。
「俺も、最近は時間が取れずあまり運転ができていなかった」
クラッチを踏み込み、ギアをチェンジする彼の手を眺める。車は徐々にスピードを上げ、セントラルスクエアのビル街を進む。オフィス街なこともあり、人手はまばらだ。
「休日はドライブをするって、前に言っていたよな。夜にするのが好きなのか?」
服を着込み、眼鏡をかけたブラッドの髪が風で揺れる。少しだけ窓が開いて、冷たい外気が入り込んでいた。
カチ、カチ、とウインカーの音が鳴り、ハンドルを回しながらブラッドは答える。
「いや、早朝に出ることが多いが、明日はアキラのボルダリングに付き合う約束をしていてな。今日は早く仕事を片付けていたし、今から行くのも悪くないと思っただけだ」
「なるほどな」
久しぶりの、それも思いつきのドライブに、一人ではなく自分を誘ってくれたのかと、この一年で彼との距離が縮まっているのを感じ、自然と頬がゆるんだ。
「音楽をかけても?」
「もちろん」
片手でカーオーディオを操作する彼を左に窓の外を見れば、暗闇の中、街灯の白い光が流れていた。どうやら、セントラルスクエアとグリーンイーストヴィレッジを繋ぐ橋へ向かっているらしい。
セントラルスクエアと他のエリアを繋ぐ橋は、海の上を渡る鉄道道路併用橋だ。晴れた日中には、車もリニアもきらきらと輝く海を眺めることができる。
流れ出した曲は、聞き覚えのある曲だった。
懐かしい曲に包まれ、エンジンの小さな揺れを感じながら、深いシートにもたれる。
開けた窓から入り込む冷たい風が、頬を、鼻を、髪を冷やすけれど、その前提で着込んできたから、今はその冷たさが心地良い。日々の職務で積み重なった胸のつかえがとれ、気持ちが落ち着いていくのを感じる。なるほど、これがブラッドの休息の取り方か。
左を見れば同じように服を着込み、眼鏡をかけ、どこか楽しげなブラッド。ハンドルを操作する手は穏やかで、指が音楽に合わせて揺れている。
運転は滑らかで、けれど速度はそこそこ出ている。そういえば、去年行ったスキーでも、スピードを楽しんでいた気がする。彼の根っこのやんちゃさは三十を目前にしても変わっていないとわかる瞬間が好きだ。
こんな面があること、司令にならなければきっと気づかなかっただろう。雪山で彼とした会話を思い出す。やっぱり、十三期司令になれてよかった。
曲が変わり、ブラッドの表情が先ほどより微かに、愛おしそうなものに変わる。
「この曲、思い出の曲とか?」
尋ねると、ブラッドは小さく笑い「ああ。入所するとき、フェイスに貰った」と答えた。
「いい曲だ」
「あいつの選ぶ曲はどれもいい」
そう、ほんの少し得意げに続けたブラッドをフェイスがみたら、一体どんな反応をするだろう。そんな想像をしながら、流れる曲に耳を傾ける。
穏やかな時間だ。自然と瞼が重くなる。助手席で寝るわけにはいかないと体を起こし、眉間を揉む。
「眠かったら寝ても構わない。窓をしめるか」
「窓はこのままで構わないよ。風が気持ちいいし」
身体を包み込むシートと、優しい揺れ。ヘッドライトが照らす車線が、少しずつぼやけていく。
「悪い、少しだけ寝る……」
瞼を閉じ、意識を手放す直前に、ブラッドが微かに笑う吐息がきこえた。
「ん……」
ふわりと意識が浮上し、流れるメロディーを小さく口ずさんでいた声が、こちらへ問いかける。
「起きたか」
ぱちぱちと目をしばたく。暖かいと思ったら、窓は結局閉めてくれていたらしい。
「どれくらい寝てた?」
「十分程。司令は俺以上に働いているし、疲れも溜まっているだろう。帰るまで寝ていても」
「いや、少し寝たらだいぶすっきりした」
窓の外では変わらず暗闇の中を街灯の明かりが流れている。音楽は初めて聴くものだったが、とても好ましい。これもフェイスが選んだ曲だろうか。
指を組んで背中を伸ばす。
「ブラッドも、歌っていて構わないよ」
「……聴いていたのか」
「ちょっとだけな」
ばつが悪そうにするブラッドに、くすりと笑みがこぼれる。ほんの少しのドライブで、彼の新しい一面をいくつ知れただろう。
思い返しながら、新しく流れた曲はよく知るヒットナンバーだ。
「じゃあ次は私も一緒に歌おう」
きょとんとしたこのブラッドも、普段はあまりお目にかかれない顔だ。
イントロが終わり、息を吸う。
車内に不格好なふたりの声が響いた。