不器用 薬の調合作業が一段落したところで、面影は着物の袖を纏めていた腰紐の結び目に指をかけてするりと解いた。
「ふぅ……」
溜息をひとつ吐き出してから廊下に出て、一階へと続く階段に向かって歩みを進める。
遅めの昼食を摂るために訪れた食堂の扉が開くと同時に視界に飛び込んできたのは、テーブル席に隣り合って座っている澄野と丸子の姿だった。
「そこはこうやって、次に折り目に沿ってこうだ!」
「ええと……、こうか?」
「だから、ちげぇよ!」
丸子の指導を受けながら、手元を動かす澄野の表情は真剣そのものではあるが、なかなかに苦戦を強いられているらしい。
「……悪い丸子! もう一回手本を見せてくれ」
「ったく、もう一回が多過ぎんだよ。澄野、オメーって本当に不器用だよな……」
やれやれといった様子で肩をすくめて見せる丸子の背後に立つと、面影はふたりの間から身を乗り出すようにしてテーブルの上を覗き込んだ。
「うひゃッ……!」
「面影、新しい薬の開発は終わったのか? お疲れ様」
「ありがとう、もうひと踏ん張りといったところかな。明日には良い報告が出来ると思うよ」
「おい、面影テメー! 気配を消して近づいてくんじゃねぇよ……! し、心臓が止まるかと思っただろうが!」
「うふふ……、驚かせてごめんね。何をしているのかなと思って」
「折り紙だよ。昼食のときに丸子がペーパーナプキンで鶴を折ってるのを見て、何だか懐かしくてさ。それで折り方を教わっていたんだ」
「へぇ、そうなんだね」
プレゼントマシーンで作成したのだろうか。テーブルの上には、色とりどりの図柄が華やかな千代紙が広げられている。
「ちょうど良かった……。面影、あとはオメーが教えてやれ。オレは用事を思い出したからもう行くぜ」
「そうか、わかったよ。ありがとうな丸子」
「おう、じゃあな」
ひらりと後ろ手を振りながら遠ざかる背中が、扉の向こうへと消えてゆく様を見届けてから、面影はたった今空になったばかりの澄野の右隣の席へと腰を下ろした。
「お殺、丸子君に見放されてしまったのかな?」
「はは……、結構な時間付き合わせたからな。でも、丸子はなんだかんだ言って面倒見が良いヤツなんだ」
「……、そうみたいだね」
目の前に並んだ三羽の鶴は、丸子が手本用に折ったものなのだろう。
澄野から頼まれれば、文句を言いつつも邪険にはしない。それは丸子楽という人物が本来的に持ち合わせている性質であり、澄野との間に培われた信頼の現れなのかもしれないと、丁寧に仕上げられた折り鶴のくちばしを突きながら思う。
「ところで、面影は鶴の折り方を知ってるか? この先がよく分からなくてさ……」
「私としては、地獄の苦しみを味わえる拷問の仕方や効率の良い体液の採取方法の方が得意分野なんだけど」
「いや、そういう物騒なのはいいよ……」
「ふふ……、遠慮しなくてもいいのに。とりあえず、丸子君が折ったものを少し拝借するよ」
そう告げると、面影は山吹色の麻の葉模様を纏った左端の一羽を手に取り、あっという間に折り目を全て解いてしまう。
「ふぅん……、なるほどね」
ただの正方形に戻った一枚の紙を数秒間じっと見つめた後で、何かを理解したようにぽつりと呟く。次の瞬間には、まるで逆再生を見ているかのような淀みのない手つきで再び鶴の形へと整えられるのを、澄野は瞬きも忘れて見つめていた。
「手順は理解出来たと思うよ。とりあえず、澄野君が出来ているところまで追いつくから少しだけ待っていてほしいな」
面影は新しい千代紙を手に取ると、澄野が丸子から教わっていた手順通りにすいすいと折り込んでゆく。
鋭利に伸ばされた爪が邪魔になりそうなものだが、指の腹を上手く使って端と端とをきっちりと重なり合わせてゆく様を真剣な表情で見守りながら、澄野は感嘆の息を洩らした。
「お前は、何かと器用だよな」
「そうかな? 折り紙は初めてだから、上手く出来ているかは分からないけど……」
「えっ……、やったことないのか?」
澄野の中ではごくありふれた遊びであるし、小学生の頃には学校行事で折った記憶もある。この年になるまで、一度も折り紙というものに触れたことがないというのは俄かには信じ難いが、彼の生い立ちを考えると仕方がないことなのかもしれない。
平凡な一般家庭に生まれた人間の当たり前を押し付けてはいけないと、喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。
「お待たせ、追いついたよ。この先が分からないんだよね?」
「そうなんだよ。イマイチ手本どおりにならなくてさ……」
「ここはね、こうやって紙を持ち上げて角の部分を真ん中の線に合わせて折ってあげれば良いんだよ」
「ええと、こうか?」
「少し手前過ぎるかな……。もっと思い切りいって良いよ」
余計な折り目がついているせいで、惑わされてしまっているのだろう。
自分の手元と面影の手元を交互に見やりながら首を傾げる澄野の手を取って、正しい位置で紙を抑え込む。
「はい、これで大丈夫。反対側も同じように折ってみて」
「……、やっと分かったよ! ありがとう、面影」
少しの間だけ重ね合わせていた手を解くと、澄野は満面の笑みを浮かべて面影に礼を述べた。
「どういたしまして、ここまで出来たらほぼ完成だよ」
何処か擽ったいような心地になりながら、面影は正面へと向き直る。
この状態から数回折り目を足して、最後にくちばしを作ってやれば完成だ。
命のやり取りが続く苛酷な日々の中で偶然にも得られた、穏やかなひとときが終わってしまう名残惜しさに、面影は敢えてゆっくりと続きを折り進めるのだった。
「やっと出来た!」
「おめでとう、澄野君」
ようやく完成した一羽を満足気に掲げて見せる澄野に、面影は心からの拍手を送った。
「本来は、こんなに苦戦するようなことじゃない筈なんだけどな……」
そう言いながら、澄野は先に面影が折り上げていた鶴の隣に薄紅色をした同胞を並べる。
「丸子にもさっき言われたけど、オレって壊滅的に手先が不器用みたいでさ……。折り目がガタガタだろ?」
「ふふ……、それも味なんじゃないかな? キミの一生懸命さが伝わってきてカワイイと思うよ」
「まぁ、そういうことにしておくか。――というか面影、もしかしなくてもお前、昼食がまだなんじゃないか?」
「……そういえば、そうだったね。思いのほか夢中になってしまって、空腹を忘れていたよ」
「悪い! 何か取ってくるから、そのまま座っていてくれ」
大きな音を立てて立ち上がると、澄野は慌てた様子で自動調理マシーンがある方へと向かって駆けて行った。
「別に気にすることはないのに……。でも、せっかくだからお言葉に甘えてしまおうかな」
面影はくすりと笑ってから、再びテーブルの上へと視線を戻す。
ほんの僅かな間だけ触れ合った右手から伝わってきた温もりを思い出すと、冷めた肌がじわりと熱を帯びてゆくのが分かった。
彼はこれからも、不器用で優しい両の手で剣を振るい続けてゆくのだろう。
――澄野君が折った鶴を欲しいと言ったら、怪訝に思われてしまうかな……。
先程から忙しなく胸を叩く鼓動が、煩くて仕方がない。
いつの間に、自分はこんなにも不器用になってしまったのだろうと溜息を吐きながら、面影はそっと頬杖をついた。