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    白枝すみこ

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    白枝すみこ

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    昔書いた飛虎聞「神界のとある夏の日」を改稿・改題。

    #飛虎聞
    flyingTiger

    神界夏天 朗々とした声は暑気を払わんかのようだ。大小も形もさまざまに、忙しく動きまわる存在たちのなかに探し人を見つけ、黄飛虎は足を止めた。神のとりでの建設予定地で、その探し人は仙人たちの先陣を切るように、水のように風のように働いている。引きも切らぬ指示が小気味よくあたりに響く。
     ひときわ陽ざしが強くなる。あちい、と黄飛虎は呟いた。頭上より日射がふりそそぐ。偉丈夫の頭の黄金色も焼きつけられ、じわりと湧きだす汗がこめかみを伝う。立っているだけで、目も、頭もくらみそうなひなかだ。
     硬質な印象のまなこがふりむいた。──聞仲だ。黄飛虎の視界に青いさざ波が揺れる。きらきらと輝くそのまなざしは、ごぽごぽと彼をどこまでも深く、湖底までも溺れさせる。
    「……ここの夏も、殷と変わらねえんだな、暑ぃ」
     不意を衝かれて上昇したおのれの熱に、黄飛虎は眩む。
    「そのようだな」
     ぴんと、静かに張ったそのまなざしの、水面の奥のほうには、たっぷりと清水を湛えているような豊かさと透明さがあり、黄飛虎を包んだ。彼を溺れさせ、呼吸を奪う。
     ざあっと風が立った。水色と藍色の目がじっと絡んだ。風は、波のように黄飛虎を打った。かつて、これまでもいくどとなく感じてきた、背筋をふるわせる刺激が黄飛虎をおそう。その水に溺れながら、畏怖のような、感動のような、泣きたくなるような、なにかを黄飛虎は感じる。聞仲に、黄飛虎の心は寄せられる。それは最初から寄せてばかりだ。彼はその、なにかを掴みたい。それはその水のなかの泡だろうか。だが、聞仲は寄せては返す。だから黄飛虎はつねに手を伸ばし、確かめずにはいられない。彼はやはり寄せてばかりだ。だが聞仲も返しては寄す。そうして波がひとつになったときに、黄飛虎はいつも彼を包んでしまうことを思う。柔らかな、温かな、熱く愛しいなにかが、そこにあるのだ。ここは、と黄飛虎は思う。ここは聞仲への波打ち際だと。
     せつな、黄飛虎は聞仲と見つめあっている。


     女媧が滅びた宇宙。神界の夏。その始動に向けた蓬莱島からの発令により、黄飛虎と聞仲はそれぞれに仕事を抱えていた。社殿作りもそのひとつだ。──どうしても作る必要はありません。ですが顕現のための象徴を持たないと、突発事例が生じたとき、プライベート空間がそのまま地球に丸見えになるかもしれませんね。僕はいっこう構いませんが。──それが嫌であれば、人間界に見せるイメージを用意して下さい。そう言われれば、着工せざるを得なかった。
     同時に、その新しい仙人界という大事業であり大人事が本格的に動き出すのは次の春だと告げられた。納期の厳守と納期までのスピードが必要な仕事に、人手不足のための特例であると、黄飛虎や聞仲のように一度死んだもののみならず、いまだ生きる仙道も混じり働いている神界の現場だ。


    「──さすがだな、聞仲」
     呑まれていた大波からゆっくりと蘇生する。黄飛虎はぐるりを見まわした。そこかしこに整然と積まれる資材の塁々が、基礎工事の段階はとうに過ぎたと知らせている。
    「もう内装も終わんじゃねぇのか」
    「馬鹿を言うな」
     まだまだだ、と返事がかえる。熱心になると度を越しても動く男は、ここでも仕事熱心であるようだった。だが、黄飛虎にかまわずそのまま働き続けるかに見えた聞仲だったが、
    「……、──おまえのほうは順調なのか」
     白い靴の踵が角度を変えた。
     ああ、──ああ、と惚けて目を奪われ、黄飛虎はまた溺れた。今は体ごと折り目正しく黄飛虎に向く、真っ直ぐに立つ姿に目を細める。中天より変わらずにぎらぎらと注がれつづける陽光に、聞仲の肌もつねより水気を含んでいるように見えた。そのさすがの暑さにか、聞仲も、陽の光に溶ける、芯がある、だが細く柔らかい、輝く絹のような淡い金髪を、獣の尾のように纏めあげている。汗のためだろうか、生えぎわが色濃く、うなじはしっとりと美しい。そうして黄飛虎は嫉妬を知る。本来、黄飛虎の手のなかにあるはずのものが、無意味に日と風に晒されているからだ。
     むき出しの白い腕には逞しい筋肉の隆起がある。よどみなく躊躇なく動く、しなやかで強い双の肩だ。かつて禁鞭を自在にあつかったその腕は、そのとき工人より不意にかかる声にもいとまない反応をかえす。音声のほうを向く瞬間に合わせて捻られる腰は、体にぴたりとした黒衣によって、よりしなやかに、鍛えられた背の筋、ちょうどいい腹の厚み、俊敏な動きもまざまざと黄飛虎に見せる。凛とした声が張られ、真っ直ぐで確かな視線が発言者に与えられる。
     殷の太師としてあった生前より変わらない、それはただ聞仲という男の姿だ。だが目を細めたまま、黄飛虎はわずかに眉をあげた。胸に勃勃とする思いをかみしめている。平然と立ち、黄飛虎はうちからその炎熱に灼きつづけられているのだった。
     そして、それが黄飛虎のその日その場をたずねた理由でもある。太い腕を組み、伝える言葉を、黄飛虎は思案して聞仲を見た。


    「──飛虎?」
     口を止めた黄飛虎に聞仲もじっと目を向けた。そのひとことで、黄飛虎への優しさを水底に湛える、そのまなざしと声の心地よさを存分に知り、黄飛虎は、なおさらに聞仲への思慕に満ちた。聞仲というその清冽な水面に、おのれという一滴の濃く甘い滴を落とし、幾重にも甘い波紋を広げたいと彼は思う。そして、彼自身もまた聞仲という水流に溺れ、その水を啜り、飲み、せつなの飢えを満たし、すぐに渇き、熱情のまま、力の限りに、泳ぐことに満ち、暴れ、昇りたい。
     黄飛虎は思う。この強い腕は、この逞しく柔らかな腰は、俺のものであるはずだ。
     だが、それにもかかわらず、当然そうであるはずと期待も確信もしているものが、黄飛虎に与えられない日々が続いている。そのことに対し、不満といった感情であるよりも、ただもっと現実的な、実際の喪失と欠乏を黄飛虎は感じている。そして、それはなお、彼が当然の権利を主張も行使もすべきことがらで、ただもっと現実的な、黄飛虎が生来に持つやむをえない本質であり、黄飛虎自身が望んで飛びこむ欲望なのだ。聞仲を心で、体で、彼のすべてでもって、知りたい。
     いや、──と情欲を腹の底に沈め、黄飛虎は話をつづけた。
    「俺もやってるぜ。オメーほど急ピッチじゃねぇがな、冬には目処がつく。春にゃあ間に合う」
     なぜか、青い目がもの言いたげに黄飛虎を見た。
    「──冬、……春か」
     だが、そのわずかさはもちまえの謹厳さにすぐにまぎれる。
    「期限だな」
    「ああ、だがそこまでの段取りはつけてあるぜ」
    「そうか」
     まあ、──ならばいいと聞仲は納得したようすだ。黄飛虎はその顔をじっと見つめる。聞仲も黄飛虎を待つように、じっと彼を見た。黄飛虎は、彼の当然を取り戻すために聞仲を訪ねてきたのだ。
    「聞仲、山に登らねぇか」
    「突然、なんだ」
     ひそめられた眉根とぶっきらぼうな言葉が黄飛虎にかえった。
    「北の山に、氷室に良さそうな洞を見つけたんだよ」
     それは黄飛虎の連日の遠征と踏査の成果だ。
    「──北の連山か、私はまだ実際には入っていないが」
     ふむと関心がそそられたような聞仲の反応に勢いを得て、黄飛虎は重ねる。
    「オメーも興味あるよな。氷室を備えてよ、共用できればいいんじゃねぇか」
    「なるほどな」
     変わらないな。足で稼ぐやつだ。そう言って笑い、得心したといった頷きとともに聞仲が眉をひらいた。
    「池を作って、冬に氷を切り出せれば、役に立つだろ。工事はこっちと同時進行もできる。儀礼や医療には、──ここじゃああまり必要ないかもしれねぇが、だが保存できりゃ夏には涼も取れるぜ」
    「いや、氷はたしかに有用だ。現場にも使える。……悪くないな」
     なにか発想を得たのか、思案のさまを見せる白い首すじを汗が伝った。だが、その元の殷の太師は、まずはおのれの涼を求めることなどは考えていないと、黄飛虎は知っている。
    「だから行こうぜ。インフラ用地の視察だ。昔も二人でよく行ったじゃねぇか」
     藍に青の視線が重なった。脳裏に思い浮かべた景色は、二人でおなじ過去の景色のはずだった。彼らは、ともに作った無二の記憶をたがいに持ちあう同士であり、黄飛虎にとってそんな聞仲は、思いは変わらないままにも、一度は、二度と会えない覚悟もした男だ。だが、聞仲は彼に戻り、黄飛虎は、一度死んだ今もかつて変わらず、聞仲とおなじ今を、聞仲とおなじ場所で生きている。
     一歩。黄飛虎は近づく。聞仲の隣に立った。そこが永久に変わらない黄飛虎の場所だ。黄飛虎は今も生を、聞仲とともに生きているのだ。
    「なあ、──、いいだろ」
     そうしてふたたび向き合う。黄飛虎は、──眩み、彼にあまりにも鮮烈な、聞仲に目を奪われながら、そう言った。聞仲の、冷静な表情のなかにも青い目が輝いている。諾とはまだ言わぬまでも乗り気なのだ。それが、その情熱にも、その興味にも、その感じるなにもかもにも全力で正直で素直な聞仲だ。黄飛虎は、そんな聞仲を好きで、彼の毎秒に、永遠に惹かれる。そして、かつてもそんな聞仲におのれをぶつけ、衝突もし、おまえらしいと口もとを緩めさせ、その頑固とも強固とも全力でつきあった感覚もまた黄飛虎に馴染んだものだ。
    「なら、待て、日程を」
     聞仲が顎に指をあてる。仕事の調整について、すでにその明晰な頭脳を巡らせているのだろう。だが、黄飛虎は聞仲をさえぎる。
    「俺はすぐにも、って言いてぇな」
     青い目が瞠って黄飛虎を見た。その黄飛虎の言い張る強さに、なぜだと、ただ怪訝をもって向けられているのだろう瞳の純粋さが、彼の鼓動をはやくする。体中の血液もふつふつと煮えるようだ。腹が疼く。すこし背をかがむと、鼻腔をくすぐる聞仲の匂いに、黄飛虎は悶える。嗅ぎなれたわずかな薫き物に混ざる、聞仲の肌の匂いだ。本能はいとも容易く、嗅ぎわける。移ろう外気の、森羅万象の、如何ようにもかかわらず、不変に、聞仲は黄飛虎の心と肉体を燃えあがらせるのだ。
     行こうぜ、聞仲。
    「二人きりになりてぇ」
     彼は、聞仲の耳もとに低く静かに燃える熱を囁いた。跳ねて黄飛虎を見あげる、目は目とぶつかり、聞仲の目もとから白い耳朶まで赤く透けた。変わらずうなじは無為に晒されている。その、耳に、首に、彼への答えをふっくらと無垢に含む、唇に黄飛虎は噛みつきたくなる。
     瞬時、俯いた紅潮は、ゆっくりと顔をあげた。
    「──……出立は、週末よりは早くはならん」


     封神され、神界に至り、黄飛虎はふたたび聞仲と通じあい、たがいの同意と喜びをもって、すでに丁寧に体を重ねた。だが、それから二度目の夜を、黄飛虎はまだ聞仲と迎えていない。
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