かくしごと・上(微🟥🟩) 壁だの床だの天井だのを震わす駆動音が、少しずつ意識の範疇に忍び入ってくる。これを苦にするものは、少なくともこの艦船の中には存在していないだろう。当直や作戦行動開始時刻の如何によっては不規則となる場合もあるが、大凡規則的に繰り返される勤務形態によって鍛え上げられたいわゆる体内時計や、進路の変化や艦船自体の傾きによって変化する駆動音やその振動を感じ取る五感を駆使した、眠るべき時に眠り起きるべき時に起きる、言わば大胆かつ繊細な睡眠はよく染みつけられた軍人らの仕草のひとつだった。
用心のためとベッドサイドに仕掛けておいたアラームは、あと2分としないうちに鳴るはずだった。シーツをぞろりと引きずりながら手を伸ばし、目視で確認することもなくそれを解除する。
多少の早起きでしかなかったが、艦全体が騒がしくなるまでにはまだ余裕があった。階級にあった部屋を配分されたため、下士官らのように水場や便所を巡って争うようにして身支度を整える必要はなかったが、それに甘えてだらだらと惰眠を貪るのは気が引けた。特に己は、あとからこの艦船に乗り込んできたよそものなのだから。それに、たくわえるようになって暫くとなる口ひげを整える時間もそれなりに必要だった。
シャリア・ブル大尉はその伸ばした手を動かして、シーツの滑らかで冷たい手触りを辿った。ひとたび己の手が通った場所は、もうこの眠気を飛ばすための役には立たなかった。目が覚めてくるのが先だったか、シーツの全てが温まるのが先だったか、それもまだ判断がつかない程度の意識レベルで彼はさっさと起き上がろうとした。が、身体が重たかった。詳しく言えば、腹の辺りが重たかった。何かがその上に載っているかのように。
シャリアは当初、枕が己の腹の上に来ているのだと考えた。決して寝相が良いわけではない。しかしそれにしてはおかしかった。やけに重たいし、だいいち枕は自身の頭の下にあった。シーツの上を彷徨わせていた手で、そこにあるであろう何かに触れる。そして一瞬にして全身が竦んだ。
温度、感触。人間の皮膚とまるきり同じだ。
誰かと同衾したとでもいうのだろうか。そんな記憶はない。記憶がなくなるほど酒を飲んだ覚えもない。しかし、記憶というものはたいていあてにならないということもシャリアは知っていた。故に彼はすぐさま、その目で見た。腹の上にいる誰かを。
「............子ども......?」
寝起きではなから緩んでいた思考は、停止の直前でどうにか持ち堪えた。腹の上でうつ伏せになり、その小さな口を半開きにして寝息を全身で繰り返しているのは、どう見ても子どもとしか言い表しようのない存在だった。
なぜ子どもが? いったいどこから? いつ? どうやって入ってきた?
腹筋を使い、その子どもがずり落ちてしまわない程度に中途半端に起き上がった状態でシャリアは考えを巡らせたが、埒が明かなかった。結局彼は、子どもの生あたたかい裸の肩を掴むと、手加減もわからずに微かに揺さぶった。
「起きて......起きなさい」
「…………んん……」
次第に振り幅を大きくしていくと、呑気に眠っていた子どもがようやく身じろぎをした。手を止めればまた寝入ろうとしたので慌ててまた揺り起こす。寝ぼけているようで半分も露わとなっていないが、それでもその大きさのわかる瞳がシャリアの像を捉えた。
シャリアの予想に反して、子どもは極めて冷静だった。単に寝ぼけているというわけではなく、明確に目の前にいる髭面の大人の男を認識している。夜中になんらかの方法でこの部屋に、そして部屋の主たるシャリアの眠るベッドに気取られることなく忍び込んだというのなら、こうして2人が顔を合わせているという事実に慌てふためいても良いものだ。しかし子どもは、己がここにいるのは当然、シャリアが目の前にいるのも当然といったように呑気にあくびをしている。
「こんなに小さな子どもが、いったいどこから……」
上体を起こし、腹の上に座り込んだ状態の子どもは、シャリアの想像以上に小さな体躯をしていた。そして服を着ていない。
考えられるのは、昨日寄港した補給基地から積み込んだ物資にこの子どもが紛れ込んでいたという可能性だ。しかし、物資の運び入れられた保管庫やら通路で発見されるのならばまだしも、ここは尉官向けの居室である。経路にもよるが幾らかのセキュリティロックを解除して辿り着ける場所だ。そして最低でも、この居室の出入り口のセキュリティロックの解除方法を知っている必要がある。これらの状況をこの幼い子どもが単独で、しかもシャリア自身に悟られることなく切り抜けるなど不可能に等しい。あり得るはずもないが、この子どもが「突如現れた」と表現する方がよっぽど腑に落ちる。
あれこれと考えているうちに、本来の起床時刻から8分程度が経過していた。勤務開始時刻以前にこのイレギュラーな事態を上官に報告するための時間のことを考えれば、手早く身支度を済ませてしまわねばならない。シャリアは上体を完全に起こすと、体勢を崩して後ろに転げてしまいそうになった子どもの両脇に腕を入れて抱き上げる。子どもなんて扱ったことがない。抱え方もこれでいいのかわからない。フニャフニャとしていて、軽くて、やけに温かくて、困ってしまった。暴れもしない子どもをどこに置けばよいのかもわからずにそのまま室内をうろうろとしたが、結局またベッドの上に座らせ、寒々しい全裸姿にシーツを巻きつけてやる。子どもは、ペニスがあるので男だった。やましいことなどひとつもしていないとは言え妙な犯罪者にさせられたような気分にならずに助かったと思ったが、こうも幼ければ性別どうこうでは大して変わらないような気もした。
少し目を離している隙に子どもが何かをしでかさないかと気を揉みながら用を足すと、子どもにもそうさせてやらねばならないことに気がついた。勤務開始時刻が刻一刻と迫るのをひしひしと感じながら、慌ただしく子どもを持ち運ぶ。子どもとは頻繁に用を足したがり、下手をすれば夜尿をするような生き物である。そういった認識があった。便座の上に座らせ、出したいものがあるなら勝手にしろと放置して自身は洗面台で身支度を整える。ほんの少しの早起きであったはずが、こんなことになるとは。
結局、子どもは用を足さずに大人しく便座に座らせられているばかりであった。シャリアは再び重たい鍋を持つ時のように彼を持ち運び、次は椅子の上に立たせた。濡らしたタオルで顔を拭ってやり、白無地の肌着を被せるようにして1枚着せてやる。女性のワンピース姿のようになってしまったが、裸でいさせるわけにもいかなければ、戦争の最前線ともなり得るこの艦内に子どものように小さな体躯の者に合うような服があるはずもない。侵入者に対して、むしろ丁寧すぎるほどの対応だ。
最後にシャリアは、自身の装備品を手早く身につけると、子どもを抱えるというよりは持つように居室をあとにした。
通路を行き、メインブリッジへ向かうのには妙な緊張感を覚えた。できればこの状態で初めて対面するのは、冷静で話の通りやすい人物であって欲しい、などと願う。どこかの居室がスライドする音が響く。そう遠くはないはずだ。そこから出てきた人物にどう説明したものか、と小脇に抱えた子どものつむじを見下ろす。通路上に現れたのは見知った顔で、わずかに安堵した。
「マリガン中尉」
マリガン中尉はキシリア少将の直属となる所属の尉官であり本来その所属の拠点となるのはこのソドンではなかったそうなのだが、伝令で使用した航路の往復の便の都合と計画上の采配がマッチし、ソドンの乗組員として転任したのだという。
マリガンは、先程シャリアが思い浮かべた、この状況における理想的な人物に該当していた。
「......! 大尉、おはようございます」
シャリアが先にかけた声によりこちらの存在に気がつき、振り向いてその姿を認めたマリガンはシャリアの想像通りにその三白眼を軽く見開いた。
「おはようございます、マリガン中尉。……このような子どもが、私の居室に入り込んでいました。恥ずかしながら、目が覚めるまで気がつきもしなかったのですが......」
「……子ども、ですか」
「はい。なんの目的で、どのようにして侵入したのかは不明です」
「…………つかぬことを伺いますが大尉、その子どもに見覚えと言いますか、なんと言いましょうか、その……心当たり、のようなものは……?」
想定外にもマリガンの困惑した表情は尾を引いた。彼らしくなく歯切れの悪い物言いを疑問に思いながらも、シャリアは考えうる侵入経路を説いていく。
「艦が民間人を保護収容しているという話も聞いていませんから、やはり経路としては昨日の補給物資搬入の場面かと。子どもひとりで乗り込んでくるとは考え難い。改めて保管庫内のコンテナを全て確認する必要がーー」
その時、複数の足音が再び通路に響いた。振り向くと、その持ち主は微小重力下の振舞いでぐんとこちらに迫ってきており、ぶつかりそうになる手前で、止まった。赤い。
「大尉、後ろ頭の寝癖が取れていないようだ」
その声に、隣のマリガンが明らかに安堵したのを感じ取る。やってきたのは上官のシャア大佐と、それから遅れてやってきたのがドレン大尉だ。シャリアにとって頻繁に会話をする面々がここに集まった。最も理想的な状況であると言えた。
「大佐、おはようございます」
「おはよう。……うん? なんだその子どもは」
マスクの奥のその瞳が、子どもの姿を認めた途端にその子どもはシャリアの腕の中でもがくように暴れる。これまで大人しかったがために対応が遅れてしまったシャリアの元から子どもが離れていき、彼はそのままシャアの足元に懐いた。
「あっ、こら」
「……いったい何が?」
シャアのブーツに取りついて離れる気配のない子どもを引き剥がすべく、彼を揺すり起こした時のように恐る恐るシャリアはその二の腕を掴み揺さぶる。けれど一向に子どものしがみつく力は緩まない。
「はあ。シャリア・ブル大尉が目覚めると、その子どもが居室内にいたとのことで」
「補給物資に紛れ込んで艦内に侵入した可能性があります。それに、他の侵入者が艦内に潜んでいる可能性も……。速報するべきでした。私の手違いです」
この混迷した状況を解決したいのはマリガンも同じなのか、進んでシャリアの状況を説明してくれる。それに対してシャアは、子どもがまとわりついたままの足を軽く振って面白そうにしている。
「侵入者侵入者と言うが、大尉……この子どもは、きみとそっくりの顔をしているじゃないか」
息を呑む。大きな冷たいあぶくが胸に詰まる。子どもの腕を引く。強く引く。肩なんて壊れてしまっていてもおかしくないくらいに、強く、酷く。
「大尉、」
乱暴な仕草を窘めるようにマリガンが声を漏らしたが、しかしその行動を取り繕うことができるような余裕は、シャリアには残っていなかった。
目と目が合う。子どもの、澄んだ瞳。鈍く、そして淡い色をしていた。見慣れた、けれどこんなふうに直接眺めることなど決してできないはずの、己の目。
息が止まる。一瞬の間に、シャリアは悟っていた。この子どもの正体。どうしてここにいるのか。あの子どもにまつわるあらゆることを、正しく認識した。
「もしやシャリア・ブル大尉の隠し子では、なんてね、わはは」
シャリアの行動によって唐突に張り詰めてしまった雰囲気を和らげるように、ドレンの笑い声がする。けれど結局シャリアは、子どもの鏡のような目から目を逸らすことができなかった。
「…………ええ、これは私の大切な隠し事です」
応えた言葉が震えた。
これは、己自身だ。それでいて人間ではない。存在するはずのないもの、存在していいはずがないもの。ずっとずっと秘めてきた隠し事。誰にも知られたくないこと。
軋む音がするくらいに、子どもの細い腕を握っていた。目を離せないまま握っていた。まるで区別がないかのように、ふたつが地続きであるかのように、そうであるのがごく自然なことであるかのように、そうしていた。
シャア、ドレン、マリガンの3人はその様子を黙って見つめ、それから誰からともなく顔を見合わせた。
「……やはり、様子がいつもと違うな。子どものこともある、大尉は彼と自室に戻り、彼の隔離と監視も兼ねて待機しろ。人員の調整は私がする。艦内の確認もさせておこう」
「はい。……申し訳ありません」
「用件終了後、様子を見に行く。それまでに引き出せる情報があれば、それを記録しておくように」
みるみるうちに血色の悪くなっていくシャリアを見兼ねてか、あるいはただならぬなにかを感じ取ってか、シャアが手早く今後の方針を取り決め指示する。本来ならば今日はシュミレーション訓練が実施される予定だったが、それもなしとなってしまうだろう。それを拒否したり、取り繕ってみたりしたところで状況は回復することはない。そうとわかっていても居た堪れなさは消えることがなく、シャリアは視線を落として子どもを再び抱え上げ、その場をあとにした。
数分ぶりの居室は、当然ながら静まり返っていた。子どもを押し込み、閉じ始めたスライドのドアの隙間をすり抜けるようにしてシャリア自身も入り込む。2人はそうして立ち尽くし、同じ色と作りの目で互いを眺めている。
「どうして、」
どうして、今、ここにお前が現れたのか。
本当は全部知っている。全部知っているからこそ、尚更問わなければならなかった。そうでなければ己で己を納得させられなかった。ほとんどそれは怒りと悲しみによって構成された感情だった。
「居場所が、できたかもしれない」
そう思った。そして、そうではないはずだと思って。
「会いたい」
そう思った。
「彷徨うからだをつかまえてくれる、錨のようなもの」
「ここに居るとうたえば、それに応えてくれるひと」
「ここに居ていいと、誰かが認めてくれるような力」
そして、そんなものはどこにも存在しないはずだと思った。
「ずっと、出会いたかった」
全ては叶えられないことだと思った。
子どもは、先程までの寡黙さとは打って変わって訥々とその幼い声で言葉を紡ぎ続けた。その度に、吸い込んだ息が詰まる。体側にだらりと垂らした両腕の先から、外側面から次第に冷えていくような錯覚に陥り、やがてそれは微弱で不快な痺れへと変化していく。力が抜け落ちたかのように両膝をつく。
「あいされ、」
水を吸い込んだ布の塊のように重たい右手を持ち上げ、子どもの口を塞ぐ。
「ーーもういい」
だから、もう黙れ。このままこの子どもを縊り殺せたならどれだけよかっただろう。けれど、少なくとも今この時のシャリアは、この居室の中で最も弱った存在だった。この居室の主だのに、子どもに問いかけたのは己だというのに、尋問室に呼び出され問い詰められているかのような、言わば絶望的な気分だった。
手のひらの向こうで、子どもの声は鳴らなかった。小さな唇は動かなかった。ふすふすと、弱い呼吸が手のひらをわずかに湿らせるばかりだ。それでもシャリアは、その手を外すことに躊躇いがあった。胸の奥のあぶくが邪魔だ。息ができない。いくつかの空咳をしてどうにか呼吸の主導権を取り戻す。
「本当に私だと言うのなら、わかるはずだ」
子どもの不器用な言葉で、それでもすぐに全てがわかった。それどころか、きっと言われるまでもなくはじめから知っていた。
これ以上はどうなってしまうのかわからなかった。子どももきっとそれをわかっていた。故に沈黙を続ける。
ふと内線が鳴った。救われたような気分だった。途端に身体の痺れと重さが消え失せ、机上の受話器を取り上げる。
『大尉? シャアだ。間もなくそちらに向かうよ。必要なものがあれば手配するが、どうだ?』
若々しく溌剌とした声が受話器から漏れ出し、それに浄化されたかのように室内の空気が軽くなったのを感じた。
「恐れ入ります。……では、船医の診察の枠が空いているか確認していただけないでしょうか」
『……やはりどこか調子が悪いのか』
「いいえ、私は特に。子どもの方を診てもらおうと思います」
『子どもか。そうだ、物資のコンテナや艦内をくまなく確認させたが、侵入者はいなかった。それどころか、積荷に子どもひとりぶんの綻びもなかったようだ』
「ありがとうございます。そうであれば、尚更子どもを診ていただきたいのです。ーーこの子どもが人間であるかどうか、それさえわかればきっと私は納得ができます」
受話器の向こうで、シャアが押し黙る。突飛な物言いであることは十分に理解していた。それが正しく伝わるかどうかは、ニュータイプ同士であるということを加味しても五分五分であると感じた。
『つまり大尉は、それが人間ではない可能性があると考えているわけだな?』
「はい。……上手く説明ができる気はしません」
『…………かまわない。診察の枠はちょうど30分後が空いているようだ。そこを抑えておこう』
恐れ入ります。改めて礼を言うと、シャアは受話器の向こうで小さく笑ったような音を立てて、それからその内線は切れた。それからしばらくして居室の呼び鈴が鳴り、スライドドアを開ければそこにシャアが立っていた。
勤務終了間際、早朝の子ども騒動を知っている3人とその中心のシャリア、そして例の子どもは医務室に集められていた。「シャリア・ブル大尉と普段からよく関わる面々を呼んでください」と船医に言われた結果である。ドレンなどはすわ余命宣告かとまた本気か冗談かわからないような調子で言ったが、シャリアは熱を測るくらいのことしかしていない。
「検査結果から単刀直入に申し上げますと、大尉の仰るとおりこの子どもは人間ではありません。こうして触れれば体温がありますが、体温計でそれは測れず、血潮も流れていますがそれをとって検査してみても、人間と認められるDNA型は検出されない。それどころかどの動物種の型にも当てはまらなかった。ということで私、頑張って調べてみたのですよ」
船医はなんだか嬉しそうにも見えた。評判通り、患者の顔を見ずにモニターばかりを見て話す男だ。彼に最も近い場所に座っている子どもは、わけもわからないうちに耳たぶを針で穿刺され血を採られたので不信感の籠った眼差しを向けている。
「旧世紀の民間伝承が近頃になって再検証されました。その論文には、シャリア・ブル大尉とよく似た症例が挙げられている」
「民間伝承?」
「重たい隠し事をすると、その隠し事が本人そっくりの化け物として現れて、その隠し事をバラしてしまうぞ、というお話です。御伽噺の域を出なかったはずが、複数例の実患者が現れたことで事態は一変しました」
隠し事、の言葉にドレンとマリガンが顔を見合わせる。今朝方のシャリアの言葉がちょうど引っかかったのだろう。
「正確な症状は、隠したい願望を持った患者と同じ存在がもうひとり現れる、ただしその願望を叶えるに適した姿かたちで、とのことです。例えば性別や年齢が違っていたり、身長が高くなっていたりだとか。そしてそのもうひとりの患者は、五感で直接認識することしかできない。願望が遂げられれば、跡形もなく消滅するーーそう言った、疾病とも超常現象ともつかない事実が、シャリア・ブル大尉の身の上に発生してしまったわけです」
当事者以外の3人は、理解が追いつかないのか黙りこくったまま話を聞いている。そして当のシャリアも、自身の身に一体なにが起きているのかをなんとなくは知覚していたものの、こうして根拠となるものを示しながらつらつらと言葉を並べられると、やはり困惑してしまった。
「この子どもは、大尉の内面から生み出され、そして分離された、言わば腫瘍のようなものです。彼がいなくなることでやっとこの疾病は完治したと言える。……しかし、これからが問題なのです」
そこで漸く、彼はシャリアの顔をチラリと見た。前評判とは異なる行動に、思わず姿勢を正す。
「大尉はこの病を治したいんでしょう」
「ええ、ええ、勿論」
「ならば周囲の方々は、大尉の隠し事について詮索するなど決してしてはなりません。詮索されればされるほど隠したい気持ちが強まり、隠したい気持ちが強まれば強まるほどその願望が叶うのが難しくなり、腫瘍の存在がより強固なものになるのですから。ーー特にシャア大佐」
「うん?」
腕組みをして思案するように黙って話を聞いていたシャアは、唐突に名指しをされ、彼もまたわずかに姿勢を正した。
「大佐は尚更気をつけてください。お二方は、ニュータイプ同士であるというのですから」
「…………確約はできないな。無論、ひとの隠したがっていることを無理に暴くような真似は、しようとは思わない。大尉も安心してほしい」
「存じております」
できるかどうかは別であるとして、そう態度で示してくれるのはありがたかった。シャアだけではなく、ドレンもマリガンも心得たように相槌を打っている。船医が人を集めさせたのは、シャリアの秘匿したがっている意思を尊重したからだったようだ。評判は良くないが、気遣いのある医者である。彼は話が済めば途端に無口になって、次の診察枠があるからと、4人と子どもは診察室から追い出された。
「それにしたって大尉と顔が変わりませんな。髭が生えていないだけではないですか」
「ドレン大尉……それは人によっては嫌がられる物言いなのでは」
「まあ……迫力に欠ける自覚があって髭を伸ばし始めましたから」
類稀なる超常現象を前に気分が舞い上がるのか、一同は、そして当事者であるシャリアですらも口数が多くなっていた。こういった明るい雰囲気により、子どもの根源について探ろうとする機運が遠く遠くへ押しやられていくのが心地よかったのかもしれない。
「大尉も昔はこういった子どもだったのだろうか」
「わかりません。まともに食えない頃もあったのでもっと痩せていたかもしれないですが、写真などもなく」
「ふむ......ならこの子と記念写真でも撮ればいい。なんにせよ不思議な現象だ。ドレン、書き捨ての媒体で、廃棄予定のものがあったよな?」
「ありますが、計器類に認識されないのでは、この子どもは写真にも写らんのでは?」
「それもそうか」
今は、シャリアに抱えられるのではなく、手を引かれて、大人たちの歩みに合わせて慌ただしく足を動かしている子どもの柔らかい頭髪で覆われた頭をシャアはそっと撫でた。
「大尉ときみの願望が叶うところ、この目で見てみたいものだ」
その言葉は、シャリアにも、そしてその子どもにも、優しくて冷たい響きをしていた。