惚れた弱み「田里弥様」
「どうした」
「いいえ、なんでも」
田里弥は名前を呼ばれて振り返る。斜め後ろに立つ男は、爽やかな笑顔を返す。お前が呼んだんだろう?田里弥はその言葉を飲み込み、小さく溜息をこぼして前を向き直る。
「気を抜くなよ」
「勿論。貴方に恥ずかしいところは見せられませんので」
「ぐっ……。お前はまた…」
申赫楽の言葉に、また田里弥は振り返り、言葉が詰まる。申赫楽の瞳が、甘いから。この甘さには、覚えがある。
いつだったか、申赫楽が田里弥にと、果実を持ってきた。野営で、深夜。軍議に疲れた体に、その甘さはよく溶けた。
ふい。と、田里弥は顔をそらす。
「どうかされました?」
「何でもない。その締まりのない顔をどうにかしろよ」
「貴方の前だけですよ」
「だからお前は……」
申赫楽は田里弥の隣に立ち、膝をつく。田里弥が目線を下ろすと、右手を取られ、羽が触れたような温もり。
「……は」
「では、行ってまいります」
突然のそれに、田里弥は呆けるが、立ち上がった目に先程までの甘さはない。戦に立つ、殺し屋の顔。苦みでも、辛さでもない、血の香り。それすらも、甘く感じてしまうのは───。