声 鈴音
優しく呼び止めるこの声は、麻鉱様。
鈴音
低く咎めるような、でも呼び戻してくれる声は、亜光様。
鈴音
勢いがあって、怒ってるみたいだけど、本当は怒ってない声は、田里弥様。
鈴音─ 鈴音─ 鈴音─ 鈴音─
その声も、あの声も、どの声も。全部全部憶えている。申赫楽様、蛇輪公様、虞寧様、もう傍にはいない、大切な人達。全部全部憶えている。顔もちゃんと、手の大きさも、背の高さも、見上げた時の首の痛みも、私はちゃんとちゃんと、全部憶えています。
だから、お願いだから、私のことを忘れないでください。お願いですから、私を連れて行って……。
一人は嫌なの。一人は怖い。独りは寂しい。独りはもう嫌なんです。
だからお願い。置いていかないでください。また私を呼んで、褒めて、頭を撫でて、笑いかけて。大好きなあなた達。
鈴音
その声に意識が浮上して、鈴音は重い瞼を開く。焦点を合わせるようにぱちぱちとまばたきをして、きょろりと辺りを見渡す。
「起きたか鈴音」
「おはよう鈴音」
その声に、完全に覚醒したようにがばりと体を起こす。
勢いよく起き上がった鈴音に、そばにいた倉央と糸凌は驚いて二人顔を見合わせたが、すぐに鈴音に視線を戻して笑う。
「倉央様…、糸凌様……?なぜ、ここに」
「お前が外回りから戻ったらすぐ部屋に閉じこもったって聞いたから、少し気になってな」
「……ちょっと、疲れちゃって」
「根を詰めすぎてない?」
「大丈夫ですよ!私が今頑張らないといけませんし」
上から暫くおとなしくしていろと命じられていた王翦軍。それでも城の周りの警備も練兵も欠かさない。鈴音は単独で動くため、練兵には参加せず、警備班に入っていた。
今日も周囲の城々を巡りながら、平和な民の姿を見た。日が暮れる前には戻り、自らまとめられた報告書を伝令に預けて、鈴音はふらりと宛てがわれた部屋へと戻る。寝台にぼすっと倒れ込み、甲冑もそのまま眠りについてしまった。
「鈴音、よく眠れたの?」
「はい。寝れましたよ。ぐっすりです」
「そんな酷い顔で何を言ってるんだか」
糸凌の指が鈴音の目の下を撫でる。薄くくまが現れ、瞼も半分閉じている。顔色も土気色とまで言わないが、色白な肌はくすんでいる。
鈴音は笑う。本当に眠れているから。倉央の言葉にも不思議そうに首を傾げている。ちゃんと、瞼を閉じて、意識を失っている。夢も見ている。幸せな夢を。
「私は、大丈夫ですよ」
「殿にも会っていないのにか」
「…………王翦様はお忙しいから」
「最後に会ったのはいつ?」
言われて思い出す。何日王翦と顔を合わせていないのか。思い出せないくらいに、会っていない。少し前の自分だったら考えられないと、内心でほんの少し驚いて、面白くて、だいぶ傷ついた。
「…………泣いちゃいそうなんです」
「泣いては駄目なの?」
「だって、みんなを思い出すから……」
「思い出すのは悪いこと?」
「…………よわく、なるから。王翦様の、重荷にはなりたくない」
言葉に出せば、唇が震えてくる。目尻が熱くなってくる。
糸凌の手が伸びて、鈴音を引き寄せ胸に抱く。片腕なのに、なんて大きな温かさのだろうかと、鈴音は糸凌の胸に額を押し付ける。
小さなこの体で、本当は弱くて、独りを怖がる、どこにでもいる女の子だったのに。強くならざるを得なかった女。
また随分と伸びた鈴音の髪を、糸凌はただ撫でてやる。
「疲れているんでしょう。私達はここにいるから」
「……いなくなりませんか」
「いなくなるわけがないだろう」
うとうとと、瞼が落ちてくる。眠りたくないと抵抗をしているようだから、倉央も鈴音の頭にぽんと手を置く。安心したように、鈴音は口元を緩ませて瞼を落とす。
多分。この先ずっと、夢をみるなら全部、泣きたくなる夢。でも、多分今みる夢は、やさしい夢。ありえないとわかっているから、俯瞰してみれる。
起きたら、王翦様に会いたいな。
私を繋ぎ止める声は、現実にしかないから。だから、起きたら一番に私を呼んでください、糸凌様、倉央様。
王翦様。鈴音を呼んでください。