定期検診(🚖、🩺)「……今月も問題ないでしゅよ」
もう来なくても良いんじゃないでしゅか?
診察室の椅子に座ったタクシーは、目の前の主治医、Dr.フリッツにそう診断を下される。おおよそ患者に向かって投げ掛ける言葉ではないそれを聞きながら。そうしたいのは山々なんですがねェ…とタクシーはため息をついた。
「グレゴリーサンが、毎月健診結果を報告しろって……煩いんですよ」
結果を持っていっても、絶~対見てないだろうにな……。
診察机で項垂れるタクシーに、邪魔だから早く帰ってくれましぇん? とフリッツは吐き捨てるように言った。タクシーに下敷きにされてしまったカルテを引っ張って取り上げて。ほら、帰った帰った! と、フリッツはカルテでタクシーをペシペシと叩き、出口まで追いやって、パタンッ! と扉を閉めた。
「な~にが忙しいんだ、ヤブ医者の癖に……」
仕方なしに病院を出て。タクシーは病院の門の前に停めた、自身の車の元まで戻ってきた。一服してから仕事に戻ろうと、車を背もたれにタバコに火をつけて。ふと病院を見上げたタクシーは、ハァ…と苦い顔をしながら息を吐いた。
──その昔、タクシーはこの病院の門の前で、フリッツを轢いてしまった事があった。
その時パニックを起こしてしまい──以来、この病院で定期的に診察を受けているのだ。
別にもう、何とも無いんだけどな……。
あの時は自分でも驚く程、動揺してしまって。落ち着くまでの間、タクシーは暫く入院する事となった。数日間は何を見るのも、聞くのも恐ろしく。ベッドでタオルケットにくるまり、戦々恐々と日々を過ごしていた。次第に落ち着きを取り戻し、一週間程でめでたく退院したのだが。入院の間は何処から聞きつけたのか、ミラーやフォンが毎日見舞いに来ていた。野次馬の様に枕元で騒がしくあれど、二人なりに心配をして来てくれていたのだろう……とタクシーは思っている。
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「さて、帰るかァ……あっ」
車に乗り込もうとしたタクシーは、助手席に置かれた、一通の書類を視界に捉えた。それは『フリッツ先生御机下』と書かれた茶封筒だった。タクシーは何時からか、すっかり配達の業務が板についてしまった。本日はグレゴリーから受け取ったこの書類を、診察のついでにフリッツに届けようとしていた。しかしすっかり忘れ置き去りにしてしまったようだ。タクシーは封筒を手に取って、あ~あ…と盛大なタメ息をついた。
「な~にが『御机下』だ……」
違法免許の癖に……。タクシーはそう呆れた様に言って、書類を手に──再び院内へと足を運ぶのだった。
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タクシーが入院していた時。主治医であるフリッツからは、心的外傷……所謂トラウマから来たパニックではないか、と診断された。しかし、タクシー自身にその様な記憶は全く無かった為、全然、納得がいかなかった。
──まぁ、最もらしい事を言って、適当に患者を誤魔化してるんだろうけどな……。
その患者という有象無象の一端にされたかと思うと、タクシーはどうにも、腹立たしい気持ちになるのだった。
「──トラウマねぇ……」
記憶を遡るように、タクシーは目を瞑る。
タクシーには、迷界に来る以前の記憶が無かった。そもそも現世で生まれたのか、迷界に生まれ落ちたのか……それすらも今や曖昧である。気が付いた時にはここ迷界で──タクシー運転手をしていた。
きっとグレゴリー辺りに聞けば、真実はすぐ、手に入るのだろうけれど。
タクシーは自身の過去にあまり興味が無く、ずっとそのままになっている。以前何気なく、自身と魂を分け合っているタイヤに、生前や過去の記憶があるか?と聞いた事もあったが。どうもタイヤ自身にも記憶は無いらしい。お前が知らない事を俺が知ってる訳無いだろ…!と怒られただけであった。
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「ま~だ帰ってなかったんでしゅか?」
「そりゃこっちだって帰りたかったですよ……ハイハイこれ、お届け物です」
「お~!ようやく届いたでしゅか!」
ベリベリと封筒を開けるフリッツをボーッと眺めていたタクシーは、封筒の中から出てきたものに唖然とした。
「エェ……?」
「そんな目で見てもあげないで~しゅ♪」
上機嫌なフリッツの手に握られているのは、ボンサイカブキの舞台チケットだった。見間違いかとタクシーが目を擦っても、目の前の現実は変わらない。
たまには夢でも見ないと、人生はやっていけないのでしゅ♪と息巻くフリッツに、タクシーはほぼ絶句したまま。高尚な趣味ですね……と絞り出した声で言い残し、病院を後にした。
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「やっぱ違法免許じゃダメだな……うん」
フリッツのやたら楽しそうな顔を思い出しながら。タクシーは過去の診察の結果を、無かった事にした。──それは事故を起こした際にほんの一瞬だけ頭を掠めた『何かの記憶』ごと。パニックもあれから起こしてはいないのだ。全てはきっと……時が忘れさせてくれるだろう。タクシーはそう、自身に言い聞かせる。モヤモヤとわだかまる気持ちに蓋を被せ、そのまま記憶の奥底にソッと…しまい込むのだった。
おわり。