不意に目が覚めた。隣のスペースではいつものようにジェイがいつものように鼾をかいていて、うるさい。何故かいやに目が冴えてしまって上体を起こす。スマホで時間を確認すると3:30を表示していた。眩しさに目を細めながら、ベッドから抜け出す。もう一度眠れそうにもない。今日は幸いにもオフだ。一度日課のランニングをしてから、ツーリングに行こうときめた。クローゼットからトレーニング着と適当に服を取り出し着替える。一々戻って来て鼾を聞くのも馬鹿らしい。荷物と服はリビングに置いておけばいいだろう。別に気遣っているわけではないが、物音を立てないように部屋を出た。
ザァと熱めのお湯を浴びながら一息つく。明け方前と言えど、夏場はそれなりに暑い。コンクリートで覆われたニューミリオン、特にセントラルエリアは他のエリアよりも余計に暑く感じる。逆に色合い的に涼しいのはブルーノースで、グリーンイーストは自然が多いせいか涼しく感じる。コックを捻りシャワーを止める。この後、グリーンイーストの海岸線に行こう。そうと決まれば、とタオルを手に取る。洗剤が安物なのが気に食わないが、ロボットの仕事は丁寧らしく、及第点くらいの手触りだった。粗方身体を拭いて、私服を着る。
「ひぅ!?アッ……シュ……?」
「あ?」
バスルームを出るとソファに人影があった。寝巻の野暮ったいスウェットを着たままのグレイだ。手にはスマホが横向きに持たれていて煌々と光っていた。
「こんな時間になにやってんだ」
「あ、ぅ……眠れ、なくて……」
グレイはぎゅうとスマホを胸に抱え込んで上目遣いにアッシュの様子を窺っている。背はアッシュよりも高いくせに、弱弱しく背を丸めているから外でもベットの中でもよくみる表情だった。
ビクビク震えるグレイを放っておいて冷蔵庫に向かう。ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、一口に煽る。ほでった体に冷たい水は心地いい。一息つくと、ホワイトボードが目に入った。
共同生活が始まってしばらくしてから、ジェイかビリーあたりが買ってきたものだ。四人の名前が書いてあって3日ほどの予定が書きこまれている。今日の日付のグレイの名前の欄はオフだった。
「おい、グレイ」
「ヒッ!?な、な、なに……!?」
「今すぐ着替えろ」
なにが起きているのかわからない。ビュンビュンと刺すような風と時折横を通り過ぎるトラックに怯えて、目の前の大きい背中にしがみ付くことくらいしかできない。
グレイは混乱したまま恐ろしい顔をするアッシュに言われるがまま着替えた。最近は早寝するよう心掛けていたが、どちらかと言えば夜型の生活スタイルのグレイは、時折夜中になっても寝付けなかったり睡眠が浅くて何度も起きてしまったりすることがある。今日はそんな日で、浅い眠りと覚醒を繰り返していた。何度も寝返りうってビリーを起こしてしまわないかヒヤヒヤしてしまったし、オフの予定だったので諦めてスマホと本をもってリビングに移動した。バスルームが使われていたのはわかったが、アッシュはもう寝ついていると思っていたからなんの警戒もしてなかった。なのに───
(どうしてアッシュと出かけてるの……?)
アッシュとの関係性に恋人、が加わったのは最近だが、二人で出かけるのはこれが初めてだ。アッシュと二人だと、どうしても地獄のようなアカデミー時代を思い出してしまって萎縮してしまう。ある程度改善されたから恋人という関係に収まっているが、恐怖も不安もぬぐい取られたわけじゃない。
「おい」
「ひゃい!?」
「もっとちゃんとしがみ付け」
落ちんぞ。ぶっきらぼうに言われたもののこれは優しさでいいのだろう。これでもしがみ付いているし、男二人でこの体勢もなかなかキツイ気もする。とはいえ、落ちたくはないのでアッシュの腰に回していた腕に力を籠める。息を詰めたような音がした気がするが、きっと気のせいだろう。
案外と丁寧なブレーキがかけられ、目的地に着いたことに気付いた。
「わぁ……!!」
まだ暗い海が眼前に広がる。腕時計は4:30を指していて、ちょうど夜明けごろだった。バディの散歩で海に来ることは多いが、こんな時間に来たことはない。波は穏やかなのに、真っ暗な海は浜辺を飲み込もうとうねっているように見えて、少し怖い。だがそれ以上に好奇心なのだろうか。言語化できないが、高揚感のようなものが胸を支配する。
ヘルメットを取って、海に近づく。近隣の民家の灯りはなく、夏の星が輝いている。手を伸ばしたら届きそうなほどだ。ぴちゃ、ぴちゃ。足元でなる水音に楽しくなる。バディと散歩するときも一緒に遊んでいる。バタバタと大きい足音がする。そういえば、アッシュはなにを───
「グレイ!!」
背中に衝撃が走り、そのまま転ぶ。バシャンと派手な水音がして口の中が塩辛くなった。
「なに、してやがるッ……!?」
強引にアッシュと正面に向かうようにされ、馬乗りにされた。痛みと混乱で頭の中でハテナが躍る。ただ波と遊びながら星を見ていただけなのに。
呆けた顔を晒すグレイに呆れたのか笑い出した。理不尽だと思う。パシャンと水面を叩きアッシュにかける。もともと多少濡れていたのに、髪から雫が滴るほどだ。
「ふふ……」
「……なに笑ってやがる」
「最初に笑ったの、アッシュでしょう?」
クスクス。笑いが止まらなくなってしまった。水をかけられたときのアッシュの呆けた顔と言ったら。アッシュがどいた。そのまま立たされて、バイクに向かう。せっかく来たのにもう帰るのか、とも思うが海水でベタベタの身体を清めたかった。
「ねぇ……なんでいきなり、あんなことしたの?」
「……知るか」
(海に攫われうかと思ったなんざ死んでも言えるか)