ステップ・バイ・ステップ・トゥ・ザ・ステージ禽次郎が二人をみつけたのは、蔦の絡まる雑居ビル、その屋上だった。
月光に浮かび上がる青と黄の閃きを、優れた視力が網膜に焼き付ける。
巨神に与えられた力、その象徴たるスーツに身を包んだ二つの影は、間違いなく禽次郎の仲間のものだ。
共に肩を並べて戦うはずの彼らの手には、薄氷色の刃。その切先は、真っ直ぐ互いに向けられていた。
「何をやっとるんだ、あの二人…!?」
獅子と竜の戦いが始まる。直感した禽次郎は血相を変え、闇に浮かぶ廃墟に飛び込んだ。
***
「洗剤がない」
喫茶『テガソードの里』が危機的状況に直面したのは、閉店時間のことだ。教会を模した店内に響く呟きは、まさしく懺悔めいていた。今しがた押されたばかりのスイングドアがぱたぱたと空を切る。本日最後の客を見送っていた店長――竜儀は、禽次郎の言葉にぴたりと動きを止めた。
「業務用を置いていませんでしたか?」
「それはもう使ってしまった…僕が詰め替えたから、間違いない」
禽次郎の返答に、竜儀ははっと口に手を当てた。
「最近、客入りが増えていましたね…禽次郎さんにばかり皿洗いをお任せしていたせいで、間接資材の管理ができていませんでした。申し訳ない」
「謝らないでくれ、竜てゃ。ちゃんと報連相していなかった僕の責任だ」
深々と頭を下げる竜儀に、慌てて首を振る。
自らもスタッフとして店を回す一方、経営や商品開発、果ては配達までを一手に引き受ける敏腕店長を、誰が責められようか。
禽次郎は洗い場から飛び出し、どことなくしょぼくれた細い肩を掴んだ。
「すぐに買ってくるから、竜てゃは閉店準備を進めていてくれ」
お気に入りの割烹着を脱いで畳んでテーブルへ。出口へ向け一歩踏み出した禽次郎の腕を、今度は竜儀がぐっと掴む。
「いけません。私が買ってきます」
「なんでだ。君は締め処理だってせんといかんだろう」
「こんな時間に未成年を出歩かせるわけにはいきません」
未成年。思わぬ言葉に禽次郎はぽかりと口を開けた。87歳じゃなくて17歳。幾度となく繰り返した主張だ。しかしよりによって普段から敬語を崩さず、あだ名で呼ぶことすら拒否する竜儀が、禽次郎を未成年と称する日が来るとは。
「君がそれを言うか…!」
「目上の方を敬うのは当然のことです」
「敬うというのなら外出くらい自由にさせてくれ」
「だーめーでーす。見た目は高校生なんですから、補導されたり妙な輩に絡まれでもしたらどうするんですか」
よく通る声できっぱりと宣言する竜儀。つかつかと出入口に立ち塞がり譲らない彼に向かって、禽次郎はぼそりと呟いた。
「そういうの、“だぶるすたんだーど”って言うんだぞ」
「うっ…」
いつかの放課後、太志と鑑賞したバラエティで知った言葉だ。意外と効果があったのか、竜儀は虚をつかれたように顔を歪めた。しかしそれも一瞬のことだ。すぐに我に返った彼は、垂れた眦を吊り上げ、大きく口を開く。
「…とにかく!買い物は私が行きますから、禽次郎さんは店に居てください!」
店内がびりびり震えるほどの声量だった。人並み程度の聴力しかない禽次郎をも怯ませたその咆哮。陸王が居なくて本当に良かった。耳の良い彼ならひとたまりもなかったろう。
竜儀は有無を言わさぬ勢いで小口現金の財布を引っ掴んだ。そのままスライドドアを押し退けて出ていってしまう。
「…頑固だなぁ」
かつての自分を棚に上げ、独りごちる。残されたのは“未成年”の体ひとつと、昼間の喧騒が嘘のように静まり返った店内だけ。しかし雇い主が不在だからといって、さぼっているわけにはいかない。竜儀が戻るまでに出来ることはしておこうと、禽次郎は掃除用具を手に取った。のだが。
「竜てゃ…さすがに遅くないか…?」
塵ひとつない床。メニューまでぴかぴかに磨きあげたテーブルセット。ついでに祭壇へのはたきがけを終えてもなお、竜儀は戻ってこなかった。
責任感のある彼に限って、仕事を放り出してふらふら道草を食っているとは考え難い。
「なにか事件に巻き込まれてるんじゃ…まさかまた、実家に連れ戻そうとされてたり…」
竜儀の実家、暴神家から遣わされた暴走家政婦・家守召子にまつわる騒動は記憶に新しい。指輪の暴走があったとはいえ、理不尽な理由で“一時停止”され、散々ぱら走らされ、仕舞いには爆発。召子と直接対峙したわけではない禽次郎にとってすら、彼女の存在は軽いトラウマとなっていた。
しかも、暴神家には召子と同等の熱量で竜儀を想う使用人があと99人は居るという。召子がいかな口添えをしようと、竜儀が実家と直接の和解を果たしていない以上、いつまた追っ手がやってくるかは分からない。禽次郎の背を、怖気が這い上がる。
「大丈夫か、竜てゃ…、わぁっ!?」
ぶるり。間の悪いことに、ポケットに入れたままのスマートフォンが震えた。思わず飛び上がり端末を取り出した禽次郎の目に映ったのは、メッセージの通知だった。
『遅くなります。すみまs上がってくだ』
絵文字もスタンプも付いていない無愛想な短文。間違いなく竜儀からのものだ。しかし、意外と機械操作に精通した彼にしては珍しく誤字脱字が多い。それどころか、文末に至っては途切れてしまっている。入力中に不測の事態に直面したかのような文字の羅列だ。例えば、敵の襲撃を受けたとか。
――まさか、本当に。
禽次郎の頬から血の気が引いていく。
「り、竜てゃー!無事でいてくれ〜!」
右手にはたきを持ったまま店を飛び出す。17歳の肉体は驚くほど軽く、疾い。駆け抜けた商店街の直線。川面に映るネオン。目まぐるしく動く景色に、己が飛行能力を有していることすら忘れていた。ただ足が動くまま走って、走って。
水分を多く含んだ春の空気が、肌の上で汗の水滴に変わるころ。禽次郎はとうとう見つけ出した。
朧月を背に立つ竜儀、そして何故か彼と対峙する陸王の姿を。
***
かん。かん。かん。錆び付いたステップをローファーが蹴りつける。少しずつ遠くなる地上。喉に滲む鉄の味。禽次郎は新たな気づきを得た。いくら若かろうが、5階建ての階段を全力疾走するのは無理がある。それでも走らなければならなかった。いずれ戦う相手であっても、今はかけがえない仲間なのだ。この短い夜の間、竜儀と陸王の間になにがあったか知らないが、喧嘩をしているのなら止めなければ。それが最年長――且つ末っ子の務めというものだ。
「はぁ、は…っ、はぁ…!」
息も絶え絶えに、屋上へと続く扉をこじ開ける。
ぶわりと全身を包む生ぬるい風。ぱらりと舞い上がる前髪に、開けた視界。
禽次郎の願い虚しく、二つの刃はすでに交わっていた。
「――やぁッ」
暴竜の仮面、その鼻先を掠める冷たい閃光。振り下ろされた刃を逆手で受け止めた竜儀は、ただ片腕の動きだけで陸王を弾き飛ばした。
押し負けて後退する青い影。獣足を模したブーツがアスファルトを削っていく。
「やはりお前には――重さが足りない!」
一声吼えた竜儀は、間合いを詰めて追撃に入る。
左右の拳から成る連撃、身を翻して掌底。どこで習ったのだろうか、手本のような体術だ。しかしその優雅な動作とは裏腹に、彼の一撃には超怪力を名乗るに相応しい破壊力があることを、禽次郎は知っていた。竜儀の一挙手一投足に合わせてびりびりと揺れる地面が、踏み込みの重さを伝えている。一撃でも喰らえば、骨はおろか臓腑まで粉々にされてしまうだろう。
「っ…!軽やかと言ってほしいなぁ!」
陸王の方も重々承知しているのか、逃げの姿勢に徹していた。右足は弧を描くように下げ、左足を引き寄せて右ストレートを回避。胴を波のようにしならせてジャブを流す。最後はくるりとターンし、全身でリズムを刻みながら確実に距離を開けていく。
――“踊るよう”ではなく、“踊っている”。
状況も忘れ、禽次郎はぽかんとその動きを見詰めていた。思い出したのは、影山くんが見せてくれたダンスプラクティス動画だ。新進気鋭、人気急上昇中のヒップホップダンサー。己の身一つで曲の世界観を表現する姿に、禽次郎も思わず感心させられたものだ。しかし、陸王の動きはその遥か上を行っていた。指先ひとつまで完璧に制御されたしなやかな動き。戦いの最中にあっても余裕、ひいては色気すら感じさせる体運び。文字通り、格が違うようだ。
超視力は二人の演武をコマ送りのように映し出す。蛍のように近づいては離れる、黄と青の輝き。生まれ持った才覚もあるだろうが、なにより日々の修練が彼らを鍛え上げたのだ。これほどの戦士になるまで、一体どれだけ身を削ったのだろうか。禽次郎は若い二人の人生に思いを馳せ――ぶんぶんと首を振った。違う。見惚れている場合では無い。
「二人とも!やめんかー!!」
大きく踏みだし、腹に力を込める。かつて頑固爺の名を恣にした一喝だ。家族だろうと他人だろうと数多の若者を震え上がらせてきた雷。さすがに動きを止めるだろうと踏んでいたのだが。
「…これは本気を出さないと、負けちゃうかな?」
陸王は禽次郎の方をちらりとも見ぬまま、テガソードに指輪を装着した。スーツの胸元、黒い円から迸った力は収束し、やがて青獅子を象った銃となる。
「ヘーイ!」
躊躇なく引かれる引鉄。押し出された銃弾が黄色い影の足元で跳ねる。飛び退って避けながら、竜儀もまた胸元へと手を伸ばした。
「わかっているなら、始めからそうしろ…!」
押し殺した怒声と共に現れたのは、竜の頭部を模した槌。思い切り振り下ろすと地が罅割れ、土煙が衝撃波の輪郭を浮かび上がらせる。建物を壊すつもりか。禽次郎はぎょっと竜儀を見遣った。陸王がこちらを一瞥すらしないのは、きっと意図的なものだ。だが竜儀は禽次郎の存在にすら気が付いていないようだった。それほどまでに頭に血が上っているのだろうか。
「な、なにをしたんだ、ちゃんりく…!?」
困惑している間にも戦況は目まぐるしく変わっていく。衝撃波を華麗な後方宙返りで躱した陸王は、中空で銃を連射した。正確無比に竜儀を捉えた銃弾が降り注ぐ。
「てい――らぁッ」
アッパースイングで生み出された旋風が、いくつかの銃弾を薙ぎ払った。しかし雨のように降り注ぐ連撃を、ただ一閃で完全に防げるわけもない。取り零した凶弾がスーツを抉り、火花を上げる。
「僕の愛は、そんなそよ風じゃ防げないよ!」
「っくぅ…!」
本人の言の通りだった。動きも言葉も、陸王の放つものはなにもかもが羽のように軽い。
対して竜儀の地を這うような唸り声。全身にダメージを負ってもなお、暴竜の面に隠された目はきっと燃えるような闘志を宿しているはずだ。近接戦では圧倒的優位を取る竜儀だったが、やはり遠距離では分が悪い。地均しによる衝撃波という飛び道具を持ってしても、陸王の繰る銃に対しては圧倒的に射程が足りていなかった。
「そろそろ僕のオトし方、見つけてくれてもいいんじゃない?」
蝶のように音もなく降り立った陸王は、笑いながら言い放った。ふざけた口振りではあるが決して距離を詰めず、銃口は竜儀に向けたまま。陸王の心に一分の油断もないのが、手に取るようにわかる。
「――」
禽次郎は呆然と立ち尽くした。ただの喧嘩でこのような殺気は見せるまい。しかし、なら、なおさら何故?
「仲良しなんじゃ、なかったのか…?」
聞くところによると、竜儀と陸王は指輪争奪戦が始まって間もない頃から行動を共にしていたらしい。角乃からは痛烈に揶揄されたこの二人の関係を、しかし禽次郎はどこか微笑ましく思っていた。
名家の子息と元スーパーアイドル。テガソードの意思こそ自らの指針であると疑わない竜儀と、自分自身の輝きを強く信じている陸王。出自も信条もまるで違っているからこそ、互いに背中を預け、戦うことが出来る。そう思っていたのに。
「はっ…貴様のような軟派者の口説き方など知らん、が…!」
鮮やかな黄色のスーツには痛ましい焦げ跡がいくつもついていた。肩で息をしながら、立つのもやっとという状態で、それでも竜儀は槌を高く振り上げた。
「弥栄…!」
アスファルトを打つ暴竜のあぎとに、もはや地を割るほどの威力はなかった。打開策と呼ぶには随分と頼りない一撃。力なく放たれた衝撃波は相対する陸王を大きく逸れ、ビルの排気ダクトにぶつかり消えた。闇夜に響くけたたましい金属音。青い戦士はちらりと目線を向けて、そして再び竜儀を見据えた。
「どうしたの?僕以外に声援を向けるなんて、妬けちゃうな」
肩を竦めた陸王。その声には心配すら滲んでいた。勝利を確信した者だけが持ち得る余裕を湛えて、なおも言葉を継ぐ。
「だいたい、苦し紛れの一撃なんて君らしくも…」
その時だった。
物陰から、黒いなにかが飛び出したのは。
「な――!?」
突然の闖入者に、陸王が声を上げる。
「蝙蝠だ!」
禽次郎は思わず叫んでいた。誰よりも早く、その存在を視認したのだ。強く揺られたダクトから現れた数匹の翌種目。大きく羽を広げた彼らはひどく混乱した様子で夜空を彷徨った。ばさばさと空を掻く羽音が、やけに耳につく。
――そうか、音だ。
禽次郎は反射的に青い影を探す。
「ぐっ…ぅ…!」
陸王は銃を取り落とし、頭を抱えて苦悶の声を上げていた。超音波。索敵や狩りのために使うこの音は、刺激された時にも発されると聞いたことがある。人間には聞き取ることの出来ない高周波。禽次郎や竜儀からすれば、ただ耳障りな羽音が聞こえるだけ。しかし、神から授かった超聴力を持つ陸王の鼓膜には、耐え難いほどの騒音が響いているはずだ。
完全なる無防備を晒す陸王。そうして生まれた隙を、竜儀が突かない理由はなかった。
「天罰!!」
矢のように駆け出す黄色い影。よろけた陸王の懐に潜り込み、腹部に一撃。
「ぐぁ…っ!」
木の葉のように宙を舞う痩躯。ごろごろとアスファルトを転がる体はついに、転落防止のフェンスにぶつかり止まった。青いスーツが霞のように消え失せ、目を見張るほどの美貌が露になる。
「猫の駆除なら、多少の覚えがあるものでな」
鉄柵に体を預けた陸王。壊れた人形のように四肢を投げ出し、ぐったりと天を仰ぐ。歩調を緩めずつかつかと歩み寄る竜儀は、意図的に変身を解除した。素面のまま陸王の目前に仁王立ちした彼は、がら空きの喉元にテガソードを突き付ける。
「…僕、猫じゃなくてライオンなんだけどなぁ…」
諦めたようにぼやく陸王。きらりと光る刃と同じ輝きを宿した目で、竜儀は高らかに宣言した。
「私の勝ちだな、百夜」
にやりと口角を上げ、右腕を陸王へ伸ばす竜儀。
――いけない、それだけは。
感情が言葉になるより先に、禽次郎の足は踏み出していた。
「こらあー!!いい加減にせんかあー!!」
「!?」
闇を切り裂く怒声にびくりと身を引き攣らせた竜儀。滑り込むようにその前に立ち塞がった禽次郎は、力の抜けた細腕をぐいと押しのけた。
「禽次郎さ――」
そのままずかずかと長身に歩み寄り、オールバックの乱れた黒髪へ向けて拳を振り下ろす。
「痛っ!?」
衝撃に仰け反った竜儀は足を滑らせ、すとんと尻餅を着いた。禽次郎は勢いのまま振り返り、ふわふわの茶髪にも拳骨を落とす。
「いったぁ――なにをするの!?」
「喧嘩両成敗、当たり前だ!」
普段の余裕などどこへやら、明確な怒気をたたえて不平を訴える陸王。彼と竜儀の顔を交互に見ながら、禽次郎は力の限り吼えた。
「何をしているんだ君たちは!?気に入らないことがあるなら話し合いで解決しなさい!武器まで持ち出して喧嘩なんて…いい大人が恥ずかしくないのか!」
「え――」
顔立ちは全く違うのに、二人の青年はそっくり同じ表情で禽次郎を見詰めていた。目を見開き、口を半開きにして、顎を少しだけ前に出す。ありありと顔に浮かんだその感情。文字にするなら、“何を言ってるんだ”が適当だろうか。先に言葉を取り戻したのは、竜儀だった。
「…禽次郎さん、我々は喧嘩などしていませんよ」
「え?」
風に揺れる柳のような声。いつもの調子で返された竜儀の答えに、今度は禽次郎が目を見開く番だった。陸王は非難がましく頭を抑えたまま、ただ激しく頷いている。
「でも、戦っていただろう。どう見てもガチのテンションで」
「確かに“ガチ”だったけど…街で偶然会ったから、せっかくだしリハーサルをと思っただけだよ」
「…リハーサル?トレーニングということか?」
「鍛錬というわけでは…。言うなれば、真に戦う時のための予行演習…と言ったところですかね」
服に付いた土埃を払い立ち上がった竜儀は、自然な動作で陸王に手を差し伸べた。陸王の側も、当然と言った様子で手を借り、立ち上がる。
「そうだよ。竜儀とは必ず戦うことになるだろうし、たまにはお互いの実力を確かめておかないとね」
「決闘ではなかったということか?」
「特に何かの決着をつけようとしたわけではありませんね」
「…いずれ戦うつもりなら、それまで手の内は隠しておいた方が良いんじゃないか?」
禽次郎は眉を寄せ、首を傾げた。日々襲い来るノーワンやユニバース戦士を迎え撃つため同盟を組んでいる禽次郎たち。当然ながら互いの戦い方は熟知している。あまり考えたくはない未来だが、同盟内で戦闘になった場合はいかに相手の裏をかくかが勝負の肝になるのではないだろうか。発言から見るに、竜儀と陸王は各々の修練や戦闘経験で得た戦術を定期的に披露しあっているようだ。聡明な二人のとる行動にしては、あまり理にかなっているとは思えない。
困惑する禽次郎。少し高い目線を持つ二人は、やはり同じく不思議そうな顔を浮かべた。
「手の内を隠し、奇策でこいつを討ち取ったとて、なんの意味もないでしょう」
「同感だね。全てをさらけ出し、全力の竜儀に勝って得た指輪にこそ、僕の願いをかける価値がある」
「そうか…そうかな?」
わかるようなわからないような理屈だが、竜儀と陸王の間ではすっかり共通の認識であるようだった。
「じゃ、じゃあ竜てゃ、さっきのダイイングメッセージみたいな通知は…?」
「だ…っ!?…もしかして、誤字が多かったですかね…?百夜、お前が急かすからだぞ」
「だってこんなに月が綺麗なんだから。早く踊りたいと思うのは当然のことだよ」
愛でるように月の輪郭をなぞる陸王と、呆れ顔で腕を組む竜儀。ここに居るのは、あまりにもいつも通りの二人だった。
禽次郎は漸く、彼らの言葉に嘘偽りのないことを悟る。先程の戦いは喧嘩や決闘の類ではなかったということだ。
「なんと人騒がせな…」
肩から力が抜けていく。大きく息を吐いた途端、禽次郎の視界はぐらりと揺れた。
「禽次郎さん!」
「禽次郎くん!?」
綺麗に重なるふたつの声を聞きながら、アスファルトにへたり込む。咄嗟に付いた手に先程までの瑞々しさはなかった。枯れ枝のように骨の浮いた甲。指には年輪めいた皺が幾重にも刻まれている。譲二の姿に戻りかけているのだ。思えば夕食も摂らず、随分と無茶をしてしまった。
「帰りましょう禽次郎さん!賄いにオムライスを作っていますから…百夜!」
ふわりと浮く体。力の抜けた禽次郎を瞬時に担ぎあげた竜儀は、隣に立つ陸王に呼びかけた。
「…食器用洗剤だっけ?いつものメーカーでいいの?」
「ああ、頼む!」
その声がスタートの合図であったかのように、景色は目まぐるしく流れ出した。年齢相応にぼやけ始める視界。禽次郎が最後に捉えたのは、駆け出した竜儀の背に苦笑いを送る色男の姿だった。かたちの良い唇が僅かに開く。陸王はたしかにこう言っていた。
“この僕にお使いさせるなんて、君くらいのものだよ”。
――なんだ、やっぱり。
禽次郎の口から思わず零れた、安堵とも呆れともつかぬ溜息。
『いつか戦う日のために』。今夜に限らず、彼らがしきりに口にする言葉だ。薄情な若者だと、確かに初めはそう思っていた。けれど二人の関係を見ているうちに、その認識は変わっていった。
きっと彼らは、自分に言い聞かせているのだ。いずれ戦うのだから深入りしすぎるな。いずれ戦うのだから、そのための準備をしておけ、と。
予行演習と称された戦いは、禽次郎の知らぬ間に幾度も繰り返されていたものだった。互いを知り尽くした動き。入念なリハーサル。
――いつかその日が来ても、絶対に動じることのないように。
細い背の上、揺られながら空を仰ぐ。あれほど不気味に揺らめいていたあの月が、今ではとろりと柔らかな光を放っている。鷲の目がなくとも焼き付く多面的な煌めき。それはまるで、素直になれない若造ふたりのようだった。