疾風をも断ち切る神速の剣さばき。
死屍累々の頂にて前のみを見つめる鬼の瞳はまさに黒曜石の刃の如く、そしてその立ち姿はまるで秋霜三尺。
これまで斬った獲物は数知れず。
戦場に出ればただ本能のままに、斬る。
斬る。
斬る。
そこに迷いはない。
なぜなら斬ることこそが自らの産まれた理由であるから。
ーーーーー
私たち悪魔には必要のない食事をとった後、友人二人と縁側でゆったりとした時間を過ごしていた。茶を飲もうと湯のみに目を落とすと…
「おお、これは」
なんと縁起の良い事か。
「茶柱ですか?」
私の隣で同じく庭を眺めていた座敷わらしの梅が問う。
「ふふ、そうだ。これは良いことが起きるに違いない」
「そういうの、現世ではフラグって言うらしいよー」
そう言って欠伸をするのは猫娘のさくらだ。人の姿のまま梅の膝に頭を乗せて寝転がっている。なぜ猫の姿にならないのかが不思議だ。その方が梅も重くないだろうに。だが、まあさして文句を言わない辺り梅は特に気にしていないのだろう。
「冗談だ。茶柱が立つのは…」
「たのもー!」
平穏な日常をぶち壊す勢いで、玄関の方から声が響く。玄関から縁側まではだいぶ距離があるが、これだけの音量で届くというのは…一体どんな声量をしているのだろう。
「フラグ回収はや」
呟くさくらを他所に、私と梅は顔を見合わせ頷き、足早に玄関へと向かう。
私たち、迷信そのものとも言える存在が迷信など信じるものでは無いのだ。
ガラガラと引き戸を開けると、そこには和の家屋には似つかわしくない……いやそもそもここ魔界には場違いな存在が待ち構えていた。
「オレは三大天使が一人、シェキナー!魔界一の剣豪と聞いて、手合わせ願う!」
そう声高らかに道場破り宣言すると、希臘の彫像さながらの美しい腕を天高く挙げる。
「……一先ず話を聞こうか」
私はそう言ってシェキナーを座敷へ通した。
彼が言うにはこうだ。
天界での稽古は物足りない。そこで自分よりも強い者はいないかと周りに聞いたところ、私に白羽の矢が立ったということだ。
いや、なんて面倒なことをしてくれるんだ天使ども。大体、私たち悪魔と天使はその性質上なるべく近寄らないようにしているというのに…。なぜ誰もこの脳筋を止めなかった…全てが終わったら文句の一つでも言いに行きたいくらいだ。
私は一つため息をつくと、愛刀を携え立ち上がった。
「分かった。近くにちょうどいい場所がある。そこに行こう」
「いいのか!?」
シェキナーは混じり気のない笑顔で喜びの表情を見せる。まるで大型犬のようで、心做しか尻尾が見えてくるような………いやいや絆されるな、私。
廊下を歩く私にさくらと梅がピッタリとくっついてくる。
「お人好しね、意外だった」
そう声を潜めて言うさくらの表情はあからさまに面白がっている。私が本気で相手をすると思っているのだろうか。
「上手く負けてお引き取り願う算段だ。とはいえ、相手は神の守護兵器シェキナー。普通に負けるかもしれないな」
さくらに釣られて私の声も小さくなった。私の言葉に梅が不思議そうな顔をする。
「どうしてわざと負けるのですか?」
「かれは自分よりも強い相手を求めている。下手に勝てば、私を超えるまで挑み続けるだろう。だからここはすんなり負けるのが得策というわけだ」
「……分かりません。嫌なら初めからお断りすれば良いのに…」
納得いかないらしい梅は小さい頬をぷぅと膨らませる。
「あんた、拳で語り合うタイプなのね」
ケタケタとさくらは笑った。それが分かるあたり、さくらも私たちと同類なのではと思ったことは言わなかった。
ーーーーー
近くの稽古場へやってきた私たちは、愛刀を梅に預けて手頃な木刀を手に取ると、早速向かい合った。
「魔力及び浄化の力を使うのは禁止。それ以外は何でもあり。どちらかが降参した時点で終わり。良いか?」
「オッケー」
相手の承諾も得たところで、私はさくらに試合開始の合図をお願いする。
「それでは」
あぁ。木刀が手に馴染む。
スッとさくらの手がゆっくりと上がる。
いや、そう見えているだけだ。
本気を出してはいけない。
理性で抑えなければ。
自分が握っているのは木刀。真剣ではないのだと自らに言い聞かせる。
でなければ、
でなければ…!
「はじめ!」
ーーーーー
初撃はシェキナーから。
迷いのない動き。そして重い一撃。まだ受け止められる。
私は受け止めた剣戟を力を抜いていなし、自らの木刀で相手の木刀を押さえつける。
すぐさまシェキナーは距離を取ると、再度斬りかかってくる。
「うぉらぁっ!!」
威勢の良い掛け声と共に、私の木刀を力で上に弾くと、隙のできた急所目掛けて木刀を突いてくる。
(一撃は重いが、その軌道はあまりにも単純で見易い)
私は突き入れられた一撃を躱して流し、横に避けた。
その後も何度も木刀を叩き込まれるが、その全てがやはり単純で、力では負けていても技術ではこちらが優位な事が目に見えて分かった。
(なるほど。次の一撃で終わらせるか)
シェキナーが叩き込んだ一撃を木刀で受け止め、初めと同じように相手に気づかれない程度にいなすが、今度はかれの木刀が地面を打ち付ける。と、同時に私の木刀も弾きとんだ。
カランカランと乾いた音を立てて、木刀が地面で回転する。シェキナーの木刀はというと…無惨にも折れていた。
束の間の静寂があった。
「勝負あったな、そちらの勝ちだ」
だが私の言葉にシェキナーは納得のいっていない顔をしている。
…さすがに気づいたか。
「一度も攻めてきてないな」
シェキナーが私を睨む。
「やっぱり」と観戦していた梅の声が聞こえる。
「攻撃できるタイミングなんていくらでもあった。パワーでならシェキナー、技術でなら圧倒的に鬼の方が上。だからもし鬼が攻撃に出れば勝ってしまう。そうでしょ?」
正にさくらの言う通りだった。
「それと…オレの木刀が折れているにも関わらず、お前のは折れていない。また受け流したんだろ」
「ふ、ふふ」
気づいていた。
そうか、ならば
「面白い、気が変わった。真正面から相手しないわけにはいかないな」
気を取り直して二試合目。
シェキナーに新しい木刀が渡され、試合が再開される。
今度はこちらから仕掛ける。
「はっ」
先程シェキナーがしたのと同じように私もかれの木刀を上に弾くと、相手は衝撃で片手を木刀から離した。そのまま相手を丸腰にさせるため、木刀を持った方の手に打撃を加える。そして流れるように斬り下ろす。
「すげぇや…」
シェキナーは打った部分を擦りながら感心しているが、まだ戦う意思はあるようで、落とした木刀を拾う。
「さあ、まだやるか?」
「当然!」
一度距離を取ったかれは、勢いをつけこちらに突進しながら木刀を構えた。
次は横から来るか?
「はは」
さっきよりも早い斬撃を避ける。向こうも本調子に乗ってきたのか、それとも先程の僅かな戦いの中でコツを掴んだのか、明らかに動きが変わってきた。さすがは穢れを討ち取るためだけに生まれた存在なだけのことはある。戦いに順応するのが早い。
楽しい。
もう考える余裕もなく体が動く。この感覚が本能に直結する快感なのだと理解する。
もっと戦いたい。
もっと斬り合いたい。
もっと
もっと!
次の瞬間、木と木が激しくぶつかり合う乾いた甲高い音が鳴り響く。
後で思い返せば、その時の私は我を失っていた。自分が握っているのは真剣だと勘違いしていた。
目の前にある白い首を切り落とそうと、勢いよく振り下ろす。
「!」
が、しかしそれはいとも容易く抑えられた。弾き飛ばしたはずの木刀の代わりに、シェキナーは光輝く槍を携えていたのだ。
「離れて!」
後方から叫ぶ声が聞こえる。それがさくらのものなのか、それとも梅のものなのかは分からない。ただ自分の中の悪魔の魂が震える。
消される
そう悟るのが早いか否か、私は後ろへ下がった。
「あんた本気出したでしょ」
「す、すまない……」
「悪魔の本能に触れて、向こうも天使としての本気を出したのね」
見れば、今まで隠されていたらしい高位の天使特有の三対の翼が大きく広げられている。本気の証だ。私たち悪魔を浄化するつもりだ。そんなことされれば魂諸共消されてしまう。
「梅」
「はい」
梅から愛刀を受け取ると、鞘からその身を引き抜く。陽の光か、それとも眼前の光を受けてか、刃は今か今かと獲物を欲して眩く光り輝く。
「どうするつもり」
さくらはシェキナーから目を離さないまま問う。
「奥義を叩き込む。相手の力を相殺する」
「それでも無事で済むか分からないわよ」
「やらないよりはマシだ」
私は構えると、全身の魔力を刀に集中させる。必殺のこの一撃を外せば終わる。私だけではなくさくらと梅も。
シェキナーの腕が動く。槍はこちらに照準を定めると、その形状を矢へと変える。
『その針は毒となりー』
矢は徐々にその眩さを増していく。
まだだ。
逃さない。
相手の力を相殺できるその一瞬を。
『英雄をも殺す』
だからこそ私の刃は迷うことがない。
『貫くは刹那』
「今!」
駆け出すと、天使目掛けて刀を振り下ろす。
「龍爪じ…ん!?」
「そこまで!」
振り下ろしたはずの奥義は強制的にキャンセルされ、そのまま行き場のない魔力が浄化の力によって中和されていくのが分かる。先程の状態でシェキナーがやったとは思えない。
魔力を使ったため動く力の無くなった私は、その場にへたり込む。
「まったく。何してくれてるんですか、あなた方……」
視線だけ上にずらすと、そこには場違いその二…赤髪の天使が立ちはだかっていた。
「ん」
重い瞼が開く。
あの後、私は気絶したまま眠っていたらしい。目を開ければそこは見慣れた天井。どうやら私の家に帰ってきていたようだ。
「気がつきましたか?」
可愛らしいこの声は、梅か。まだダルい身体を動かす気にはなれず、視線だけを横にずらすと、心配と安堵が入り交じった表情の梅がいた。
「大事にならずに済んで良かった」
落ち着いたこの声はどこかで聞いたような……
「あかがみの…」
「私はソフィアだ。まったく…いや、今回のことについてはこちら側に非がある。誰もシェキナーの暴走を止められなかった。謹んで詫びよう。ほら、シェキナーも」
「すんません…」
二人の天使は綺麗な姿勢で土下座した。
「あなたが悪魔でなければ、私の力で癒せたんですがね…あなたもゆっくり休みたいでしょう。私たちはお暇させていただくよ。あとで好きなものをリクエストして欲しい、改めて今回の詫びをしたくてね」
ありがたい。天使のこういう潔い所は嫌いじゃない。
私は最後にシェキナーに手合わせの礼を言いたくて、視線を送る。向こうからふっかけてきた話とはいえ、乗ってしまったからにはこちらも同罪だ。せめて礼をと思っていると、かれの空色の瞳がこちらを捉えた。もう大きな声も出せないから、指で近づけとサインを出す。
「?」
「よかったよ。のびしろがある」
私が言えたのはそれくらいだった。
疲れた。
寝たい。
そして私は再び意識を手放した。
あの日以来、何故かシェキナーは私に懐くようになった。手合わせするわけでもなく、ただ家に遊びに来る。さくらはそれを見て「おじいちゃんと孫みたい」とからかった。
「あ」
私は湯のみの中を見る。
「ん?」
「見て」
「……?」
「茶柱」
「ちゃばしら?」
「そう、いいことが起きる前兆と言われているが、実際は……」
「へー!すげぇ!いいことあるといいな!」
屈託のない笑顔を拝んでしまえば、茶柱の事などどうでも良くなる。
「ふふ、そうだね」
迷信もたまには信じていいかもしれない。