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    yctiy9

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    yctiy9

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    夜明けを飛ぶ(2) かくして、アレクサンダーは自身の身分は隠し、シャテヌドへと降り立った。日々労働に明け暮れ、日銭を稼ぐことで精一杯な住民にとって、それこそ自分たちを奴隷のように扱う上級層の人間など恨めしいに決まっている。正直、刺されることも覚悟した上での視察だ。それでもアレクサンダーは護衛にナブナ一人しか連れてこなかった。彼らに威圧感を与えたくなかったのである。
     宮廷に最も近い上級層の街並みとは違い、家屋は狭い間隔でひしめき合い、言ってしまえばまとまりがなかった。道端にはゴミやガラクタともつかない壺が落ちていたりと、お世辞にも綺麗な街並みとは言えなかった。
     なるべく目立たない格好を選んで来たつもりだったが、ここではそれさえも人目を引くらしく、ジロジロと二人を見る者もいた。昼間はほとんどの住民が働きに出ていることもあって、残った者は老人か子供だった。
     アレクサンダーはその中でもこちらをジッと見つめる老人に声をかけた。
     「こんにちは」
     「…おや、ごきげんよう」
     ゆっくりと立ち上がろうとする老人を手で制し、アレクサンダーはその場に腰を下ろす。それに老人はいたくびっくりしたらしい。「変わったお人だ」とボソボソ呟いていた。
     「この街に久しぶりに人が来たと思ったら、まさか殿下だったとは。中級層の民はおろか、旅人さえここには近寄りません」
     「昔からそうだったんですか」
     「まさか。王が座に就いてしばらくしてからですよ。まあ殿下が生まれる前でしたからね、ご存知ないのも無理はないかと。それまでは層に分かれて暮らすことも無かった…まあ外との戦はあったので、今とどちらが良いかと言うと答えかねますがな」
     「かつての王はどんな人でしたか?」
     「あなたもお人が悪い。どこで誰が耳をそばだてているか分からないんですよ」
     しまった、とアレクサンダーは軽率な質問を恥じた。咄嗟に口を押さえる彼に老人は「今じゃ何を言ったら捕まるかも分からん」と耳打ちした。なぜ老人がわざわざそんなことを言ったのか。彼のせめてもの反抗なのだろうか。そんな老人がかっこよく思えた。
     老人と別れ、しばらく歩いて街を視察した後、街の外れにある木陰で二人は休憩していた。
     「誰もここの実情には目を向けずとも、彼らは生きて…ん?」
     視線を感じたアレクサンダーは、その先を辿る。近くの木の陰から少女が走り去って行く姿が見えた。ナブナに視線で制されたアレクサンダーだったが、そんなことで止められるような彼ではなく、少女の後を追う。行き着いた先は街の中でも特に閑散とした外れの家屋だった。土壁は部分的に崩れていて、大きめの穴に垂れ下がる布切れは頼りなく揺れており、初めそこが入口だとは思わなかった。
     「...。こんにちは」
     返事はない。
     「入るよ」
     やはり返事はない。もしこれが罠ならと過ぎる。これが罠で、入って殺されたとしたら。入口を守る布に手をかける寸前で止まる。自分を殺して彼らになんのメリットがあるだろう。ただの憂さ晴らしならともかく、自分の命は王やその他の王族に対する脅迫には使えない。脅迫が効くほど価値がない。むしろ王族への反逆だとして処刑するための正当な理由にしかならない。
     (つまり、ここで殺されることはない...!)
     もし殺されたならあの世からナブナに謝ろう。そう思い、一思いに踏み入れる。
     彼の決意とは裏腹に、待っていたのは先程の少女だけだった。彼女は座り込んだまま、焦げ茶の瞳でジッとアレクサンダーを見つめる。澄ました態度とは反対に、瞳の奥には緊張の色が伺えた。
     「はじめまして」
     なるべく威圧感を与えないように、彼はしゃがみこんで目線を合わせる。少女はぺこりとたどたどしく頭を下げた。しばしの沈黙に、少女が自ら口を開くことはないと察し、彼女が先程こちらを見ていた理由を聞こうと試みた。
     「私の名はアレクサンダー。君は?」
     「......アマーナ」
     「よろしく、アマーナ」
     アマーナは差し出した手を恐る恐る握り返した。細い指は、アレクサンダーよりも若いにも関わらず荒れていた。
     「君は普段なにしてるの?」
     「木の...実をひろってる。それからごはん作ってる。あとふくをあらうの」
     「偉いね」
     「おとうさんとおかあさんは外でしごとしてるから」
     「そっか...」
     穏やかな声色の裏で彼は自身の不甲斐なさを感じていた。自分よりも小さな子供が家族のため、日々働いている。遊びたい盛りだとしてもそれが許される状況でないのは、元を辿れば全ては現状を良しとしているこの国にある。誰も声を上げない、声を上げられないなんて。
     「おうじさま」
     「ん?」
     「これ、よめる?」
     そう言ってアマーナが棚の奥から引っ張り出したのは、数枚の板だった。手のひらサイズで、鈍色の歪な楕円形状の板には文字が掘られているが、長年の埃で内容は分からない。触った感じ重くはないが、しっかりとした素材で出来ている。古今東西の物品が運ばれる宮廷でも見たことがなかった。こんな素材があれば、こぞって武具にしたがるはずだ。この丈夫さから竜の鱗とも考えられるが、彼らは気性が荒い。歴戦の兵士でさえ、手に入れるのは一苦労である。そんなものを一介の民が持っているとも考えにくい。
     とにかく板に被った埃を払うと、表面に文字と絵が浮かぶ。
     「これは...古代文字」
     「そうなの?文字がよめないからだれも中身が分からないの」
     下級層の人々は識字率が低い。サン・シドメヌゥが、彼らが学ぶことを禁じたためだ。ほとんどの人が文字の読み書きが出来ないと言っていい。ましてや古代文字なんてもってのほかである。読める人といえば老人か余程の変わり者で、教育環境が整っている王族でさえ読める者はいない。アレクサンダーは幼い頃、母サラハに教わっていたおかげで辛うじて読める程度だった。
     「少しは分かるよ。『森の民は竜を......竜には嘘を...いけない.........走るな』」
     かつて母から教わった古代語を板の内容に照らし合わせる。だがそれでも全てを理解することは難しかった。
     「ふーん、竜のことについて書いてあるのね。竜といえば後はね、おばあちゃんが昔、うたをおしえてくれたんだ。森に入るときにひつようだから、覚えておかなきゃいけないの」
     そう笑って彼女は歌い始めた。古代語の歌は今では誰にも理解されることのない歌。だがアマーナという一人の少女により、その歌は細々とだが確かに受け継がれていた。
     ※
     モヴィ ホァンナヴェ
     ユィイオ トゥニェ ユィムトゥム
     ニオーヨ ヴィッヘ 二へ
     ユィインナヴィンナ・ナ マイトゥミ ヴェ
     マム マイトゥ ンニーナトゥ
     ニチュム ヴェ ヌンナ
     ニミィトゥニ
     ニオへ トォモデンナシホォイ
     
     「意味は、竜にうそをついてはいけない。目を見てあいさつをする。それから、走ってにげちゃいけない」
     「でもどの言葉がどの意味をさしてるかは分からないの」と言うので、アレクサンダーは分かる部分だけ教えてやると彼女は目を輝かせた。長年の靄が晴れたのである。
     「どうして会ったばかりの私に教えてくれたの?」
     「おうじさまは、かがやいてたから、きっと悪い人じゃないって思ったの。しりたかった、この板の文字を。中身はうたと同じだったみたいだけど、しれてよかった。...あとね、それ」
     アマーナは今まさにアレクサンダーの手にある板を指さす。
     「竜のウロコなんだよ」
     サラッと告げられる真実に、彼は思わず落としそうになった。くすくすと笑い、アマーナは続ける。
     「わたしたちは森の民だったの。ごせんぞさまはミルヴィエに住んでたんだ。だから竜とも仲良しでね、ウロコも落ちたのをよくくれたって言ってたよ」
     森の民とは、ミルヴィエの森近辺に小さな集落を作って住む人々を指していた。かつては穏やかな暮らしを営んでいたが、ナーバストラによって強制的に統一された。それも下級層という扱いで。その上、同じ層内でも彼らの地位は低く、今では先祖が森に住んでいたことを隠して生きる家がほとんどだ。
     「おうじさま」
     少女はアレクサンダーの瞳を見つめる。焦げ茶の瞳が真っ直ぐ彼を射抜く。
     「わたし、文字がよみたい...自分の力で文字がよみたいの」
     純粋なその願いは彼の心を動かすのに十分すぎる言葉だった。
     別れ際、掌を合わせて彼女は言った。
     「トゥンナイキオ ユィンナト ンナヴィム
     太陽のごかごがありますように」
     アマーナと別れの言葉を交わし、ソッと家を後にする。外気は火照った頭を冷やすには少し温かい気もしたが、ないよりマシだ。久しぶりに新しい知識に触れ、心が昂っている。
     などと一人感慨にふけっているのを、木陰から虎視眈々と狙う若き獣がいた。ソレは狙いを定めると、機を逃すまいと暗がりから飛び出した。
     「暴虐の王シドメヌゥの息子よ!我々の恨み、ここで果たさせてもらう!悪く思うな!」
     重く地を駆ける音と共に、銀の軌跡がアレクサンダーの胸目掛けて突き立てられる。だがその刃が届くことは無かった。駆けつけたナブナに弾かれた短剣は虚しい音を立てて地面に打ち付けられる。同時に、勇ましい少年も地面に引きずり倒された。それでも彼は全てを捨てる覚悟で吠え立てる。
     「お前ら王族のせいで姉さんは...!婚約者だっていたのに...それがなんだってあんな男に!」
     「...エルドモンドの誕生祭に連れて行かれた女性のことかい?」
     「ああそうさ」
     「その人たちなら昨日解放したはずだよ」
     「俺たちを騙そうたって!!そうは...」
     無謀に立ち向かっていた言葉は徐々に言葉尻をすぼめ、消えていった。こぼれんばかりに見開かれた茶色の瞳はアマーナの家の後ろ、森の付近を見つめている。昨日、アレクサンダーに声をかけた女性が真っ青な顔でこちらに駆け寄って来ていた。
     「ねえさん」
     「殿下、弟が粗相を…申し訳ございません!」
     「えぇー......えーっと...殿下...」
     「ん?」
     「死んでお詫びしますので、姉にはお情けを」
     「ナブナ」
     短剣で自分の腹を斬ろうとする少年は、再びナブナの関節技で押さえつけられたのであった。少年の名はマルセルと言うらしい。どうやら彼の姉は昨日逃げたあと、追っ手を恐れ森に潜んでいたらしい。森から街の様子を伺っていたところ、弟が物凄い剣幕で王子の後を追っていたため尾行していた。「急いで止めるべきでした」と彼女も詫びていた。今回の件についてはアレクサンダーの命令によって水に流すことになったが、最後までマルセルは泣いて謝っていた。去り際、彼は言う。
     「殿下、お気をつけください。俺以外にも王族を恨む人間はたくさんいます。例えあなたが善人だとしても、王族というだけで狙われます」
     「心に留めておくよ。君の勇気ある行動もね」
     「それは忘れてください」
     笑ってアレクサンダーは街を後にした。
    ♢
     貶められた母を見て、これまで目立たないように生きようと心に決めていた。
     しかし運命とは残酷なもので、少女の透明な願いを聞き、少年の無謀だが勇猛果敢な思いを知り、心の奥底で燻ったままの炎がチカチカと煌めき出す。その輝きがあまりにも眩しくて、真に輝きたいと叫ぶのだ。理性では説明出来ない感情。だがこれだけは理解できる。命拾いをしたのは、この時のためなのだと。母を殺された復讐のためではなく、未来を歩むための...。
     今度こそ彼は立ち上がる。例えどんな結末を迎えようとも、待ち望む人々の願いを実現させるために。
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