たいへんだ~(2)♢蘭の場合
クイーンの家を訪れた蘭は、彼女に事の顛末を話した。元がスレンダーなせいで、この筋肉質な美丈夫が蘭であると認識されるまでに時間がかかったが、二人の思い出を事細かに語る様子を見て本人だと分かってくれたようである。
「なるほど......」
「あれ?意外と受け入れた?」
いくら不老不死の魔女とはいえ、さすがに理解出来ない事象だろうと思っていたが、クイーンは眉を顰めはしたものの受け入れたのであった。
「実は昔、私もとある人を女体化させちゃって...」
「そんなことできんの?」
「それが出来ちゃうんだよねー...びっくりだよ。被害者はハオランって人なんだけど」
へー、と言う蘭は、まさかその人が祖先の一人であると知る由もなかった…。
彼女が言うには、失敗した魔法薬をぶちまけた時に事件は起きたそうで、あながち白の予想はあっていたのかもしれない。その時はすぐに薬を作って対処したとの事だ。
「もしかするとその時のレシピが残ってるかも」
そう言って彼女は本棚や机を漁り始めた。話によればハオランという人物は百年以上も前の人。そんな昔の記録を簡単に見つけられるとも思えないが...。
「あった!材料は......かろうじてありそう」
クイーンは早速、薬を作り始めた。だが結論から言うとその薬は効かなかった。
ということで進展なしである。
♢蓮と白の場合
「にいさ……姉さん、本当にこの姿で街に行くの?」
「それしかないだろう」
「うう……何もありませんように…てか、なんでそんなに着こなしてるのさ」
無事を心の底から祈る白とは対称に、元凶でもある蓮は現状を楽しんでいるのか、普段着を今の体型に合わせてバランスよく着こなしている。
「これはルカにコーディネートしてもらった。こんな機会、楽しまなきゃ損だと思って」
「その前向きさが恨めしい…」
こうして、街に出た二人はまず図書館へと向かったが、手がかりになるような文献はなく、収穫はゼロ。白は肩を落として図書館を後にする。
道中、すれ違う人全てが二人の美貌に振り向く。だがそれに気づいたのは白だけで、しかも彼、もとい彼女は自分たちが怪しまれているのではないかと勘違いしているのであった。そして挙動不審じゃないかと怯えれば怯えるほど怪しい人になっていくことに、彼女は気づかない。
「どぁっ!!」
キョロキョロしていると、突如立ち止まった蓮の背中に追突する。ふと蓮が足を止めたかと思うと、彼女はショーウィンドウを指して白に言った。
「ここで買い物していこう」
「何……いらないよ!!」
だがそんな言葉も聞かず意気揚々と店に入っていく彼女の後を、白は仕方なく追いかけるのであった。
♢その頃のルカと瞬……
二人は台所で苦戦していた。瓶の蓋が開かないのだ。
「むっ…ぐぬ。誰ですか、最後に閉めたのは……って私か」
いつも何の気なしに閉めていた調味料の蓋は、女性の腕力で開けるには固すぎたようだ。普段から女性なら家にいるが、如何せんあの蘭だ。平均的な腕力として考えるには些か、いや、かなり平均値を外れている。彼女に開けられない蓋はないだろう。
「……今日は全部、塩コショウで味付けです。素材の味を楽しむことにしましょう!」
「何も出来なくてごめん…」
「いえ、お嬢様が気に病むことではありません。全ては性癖大公開した蓮お嬢様と、創作意欲に溢れるアルセイデス先生のせいなのです」
そう言いながら野菜を切るルカの目は死んでいた。だがそこで彼女は「あ」と包丁を動かす手を止める。
「そういえばドタバタしていて、今日の郵便物を確認していませんでした…瞬お嬢様、見てきていただけますか?」
「うん」と笑顔で頷きつつも、蓮や瞬のことを『お嬢様』と呼ぶあたり、ルカもノリノリなのではないかと思うが、それを口に出す勇気が瞬にはなかった。
♢泉の場合
泉は祖母の家に来ていた。魔法関連の資料なら家や図書館よりもここの方が、特にディープな内容に関しては豊富にあるはずだ。と思って文献を漁り始めて数時間経つが、一向にそれらしい資料は出てこない。アルセイデスの力による幻覚魔法のことばかり。だが今回はそれはないと彼女自身が否定している。
「…そもそもオケアニスとランパーデスも影響受けてるから、魔法路線は消える。となると魔術?そっちは分かんないなー」
『まあオレ?はこのままでも良いけどね』
「珍しく出てくるね」
ニコニコと笑いながらオケアニスは泉の顔を覗き込む。今のオケアニスは、いつもの自由奔放な美女ではなく、うら若き乙女なら誰でも魅了してしまいそうな美青年である。煽るような妖しい笑みは、純粋な少女であれば危うく道を踏み外しかねない。だが泉に効くはずもなく、一瞥して彼女は再び資料を漁り始めた。
『アルセイデスのしたことはともかく、こんなにかわいい泉が見れたんだもん。もっと堪能してたいな』
「バカ言ってないでよ。口動かしてていいから、一緒に解決策探して」
『見た目は変わっても中身は変わらないのもまた沁みる』
満足した表情で消えていくオケアニスに泉はため息が出た。
とまあ、その後も収穫はなく、だが泉の事なのでそこまで気を落とすことなく屋敷に帰るのであった。戻るなり、瞬が駆け寄る。儚い華奢な背格好が愛おしくて、思わず口角が上がってしまう。が、そんなこと日常茶飯事なので瞬もさらっと流して要件を伝えた。
「泉兄、手紙」
瞬に手渡された手紙の宛名を確認すると、それは懐かしい人からだった。名をニュエルクス・エンブレ。彼女は十年来の知り合いで、今でもたまにやり取りはしているが直接会うことはほぼない。殺風景な手紙に似つかわしい、勢いのある字体で綴られた文章はなんとも彼女らしい。早速内容に目を通した。
『久しぶり、ご機嫌いかが?
今回、面白い魔道具を入手してね。紙に書いたことを実現出来る禁断の代物だ。まあそんな感じのヤバいやつだから、星詠の間では満場一致で封印もしくは廃棄の方向で考えている。そこで、廃棄する前に一度見てみないかい?それに君たちに関係しそうなオモシロイものが見つかったから、ぜひぜひ来て欲しい。
日時はレオの月、九日を予定してる。事前に連絡する必要もない。来たければ勝手に来てくれたまえ。
では!』
というわけで、当日。ルカは留守番しておくと言うので、五人でニュエルクスの所へ向かった。
「アッハッハッハッハッ!!!ほんと……いや、面白いというより興味深いね」
五人兄弟を見て初めにニュエルクスから出たのは笑い声だった。彼女には遠慮という概念がないらしい。腹を抱えて笑っている。本人たちもここまで来たら笑うのも無理はないと、怒る者はいなかった。
彼女は五人を自身の研究室に招くと、机の上にあった装置を指さした。
「君たち、タイプライターを知っているかい?」
蘭と蓮以外は、首を横に振る。
「前に貴族の屋敷で見たことがある。文字を打てるんだよね」
「その通り。まさにこれがそうなんだけど…この魔道具は打った文字が現実のものになる。先日からこれを分析にと思って、研究所に置いてたんだけどね…」
言葉を区切って、彼女は数枚の葉っぱを取り出した。成人の顔が隠れる程の大きさだ。そこには絵やら文字やらが書かれている。つぶさに観察するまでもなく、それがアルセイデスが描いたものだと誰もが察した。
「じゃあニュエはこうなってることを見越して手紙を出してくれたの?」
「それもある。単純に泉、君なら魔道具に興味を示すと思ってね。話を戻そう。私は見たんだよ、真犯人を」
衝撃の告白に一同は驚きの声を上げる。その反応に気をよくしたニュエルクスは顎に手を添え、言葉を続ける。
「大先生アルセイデスでもなければ、もちろんここの研究員でもない。ではこんなことをしてしまった愉快犯は一体誰なのか…そう。鍵は、遠いルール西の森から、どうやってこの名作が運ばれたのかだよ」
そこで泉が「あっ」と息を飲み、何かに気がついたようだ。
「アコ、被告人をここへ」
彼女は手を叩いて、部下に命じる。しばらくして廊下からガラガラと音をたてて、大きな檻が運ばれてきた。人一人入る大きさの檻だ。連れてこられるなり、捕えられた犯人が鉄格子をガタガタと揺らした。
『うわあああん!ごめんなさい!!こんなことになるならやんなきゃよかった!』
「ナパイアイ!?」
少女、否、風の精霊ナパイアイは緑の髪を振り乱し、普通であれば美しい歌を紡ぐそよ風の声が、今は暴風雨のように泣きわめく。
「えーっと…つまりアルセイデスが絵を描いた葉っぱを、ナパイアイが風に乗せて運んで…」
「この魔道具に入力したってわけ。そんで、その瞬間を見ていた私が現行犯逮捕」
褒めろ、と言わんばかりに鼻息荒くニュエルクスは胸を張る。中年を目前にしてこうなってしまったのは、彼女の魅力であり欠点でもある。
一番精霊に慣れている泉が、グスグスと鼻をすするナパイアイの前にしゃがむ。彼女はぐずる子供をあやすように言った。
「反省することは大事だけど、そんなに泣かないで。今回は大した被害じゃないから。ね?僕は早く君の歌声が聞きたいな」
『……すき///』
『は?』
即堕ちナパイアイに詰め寄る狂気のオケアニスと天然たらし泉をよそに、まともな蘭がニュエルクスに尋ねる。
「もしかして、その魔道具に本来の私たちの情報をうちこめば元に戻れるの?」
「そうさ。事細かに書かなくても、『全員、元に戻った』と、ただその旨さえ入力すればいい」
ニュエルクスは既に影響のない範囲で使用して、その効果を確認したらしい。それを聞いた蘭が早速タイプライターに手を伸ばす。が、制止の声があがった。
「もう終わっちゃうのか?」
全員が声の主に振り向く。
「蓮?」
僅かに寂しそうな表情をしていた。皆が不思議そうな顔をするものだから、蓮は形のよい赤い唇を開く。
「ん?赤い?」
が、声を発する前にそれは遮られた。蘭は怪訝そうに唇を見つめ、そしてその横に立っていた白に視線をゆっくりと移す。
「あんたたち…化粧してるね」
「…はい」
二人で街に出掛けた時のこと。
「ここで買い物していこう」と、蓮が白と共に入っていったのは高級化粧品や洋服を取り揃えた店だった。蓮はショーウィンドウに飾られていたものと同じ口紅を購入し、その場でそれを身に纏った。
「完璧だ」
あまりの美しさに店員だけでなく、思わず自身の口からも本音が漏れる。それを見ていた白も、少しだけ興味がわいたのか、薄づきの桃色の口紅を買った。なんだかんだ二人とも今の境遇を楽しんでいたのである。
そして時は今に戻る。
「もう戻ってしまうのか?」
「…」
「あー!そんな無言で、しかも高速で打ち込むなんて…!慈悲はないのですか!!」
「元凶であるあんたに拒否権ないでしょーが!!それとも蓮、あんただけそのままにしてやろうか!」
蓮の抵抗虚しく、かくして無事に彼らは元に戻ったのであった。
後日。泉の下に再びニュエルクスから手紙が届く。そこには件の魔道具が滞りなく処分された旨が記されていた。
こうして彼らの奇妙な体験は幕を閉じた。
さて、口紅についてだが、白はもう使わないと言い、けれど捨てるのは勿体ないので蘭にあげたという。一方で蓮の口紅はというと…未だに彼の手元にあるにも関わらず、今でもなぜか少しずつ量が減っているらしい。とても奇妙なことである…。誰も知らぬところでまだまだ奇妙な事は続いているのかもしれない。