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    yctiy9

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    2-2 オケアニスが眠る遺跡は、エーレクトラオス南部の港から半日船に揺られた諸島の一つにあった。小さな無人島に建つ塔の遺跡は、定期的に手入れをされているらしく、数千年前の建造物と言うには少し綺麗すぎる。
     「ここにオケアニスが?」
     「正確にはオーパーツです。まだ誰もオケアニスの姿を見たことがないんですよ」
     第一王子アベラルドは説明しながら先を行く。遺跡の管轄は王家にあるため、彼も同行していた。感謝祭から帰ってきたカオスの想いを聞いた彼は、満足したように頷いていた。そして翌日の早朝、急遽船を出し、そして今に至る。
     海辺に建つせいか、遺跡の内部は湿っぽく、チョロチョロと壁面を水が伝う。壁に刻まれた紋様の上に、カオスが指を走らせると、ザラザラと砂が落ちる。波のような紋様の他に、文字列を象ったようなものもある。カオスが身を潜めた後、精霊の力がどのようにして各地に散らばったのか、かれは知らなかった。その時、人々がどのようにしてオーパーツを作り、どのような思いで遺跡を建て、奉納したのか。この文字を紐解けば分かるのだろうか。だが今はその時ではない。かれはアベラルドの後をヒタヒタと着いていく。
     遺跡の通路を進むと、開けた空間に出る。天井はなく青い空が覗く。夜になれば美しい星が頭上を覆うだろう。部屋の中央の井戸は水で満たされており、覗き込むと僅かに青い光が暗い水底からこちらを呼んでいた。
     「この中に?」
     「はい。えっと…たしか……」
     アベラルドは壁面の石材を触っては押し、それを繰り返して、やがて一つがガコンと押し込まれた。すると井戸の水がゴポゴポと音をたてて排出されていく。遺跡全体を揺らすような振動とともに、井戸の底がせり上がり念願の遺物が長い眠りから目覚めた。「わあ」とファイェン、そしてクイーンでさえも感嘆の声をあげる。
     出てきたのは輝く羅針盤だった。一目見てそれがただの羅針盤でないことを、綺麗なままの見た目が物語っている。羅針盤の中央、本来磁石の針がある代わりに、青く透き通った針形状の石が鎮座している。恐る恐る手に取ると、どういう原理か、どこを向いても針は一定の方向を示してくれる。従来の羅針盤として機能しているらしい。やはり水を司る精霊の権能と言うべきなのか、航海の守護精霊として奉られるだけのことはある。
     カオスはソッと針に触れた。
     「オケアニス。叶うなら、君に会いたい」
     すると途端に針は光を放ち、たちまち空間全体を青く染めた。ブワッと上がる水飛沫とともに、美しい精霊が舞い踊る。波打つエメラルドグリーンの御髪は、日を受けて煌めく大海のごとく、輝く肌は熱い砂浜を彷彿とさせる。精霊独特の色彩を有する瞳がカオスをとらえると、パッと表情が華やいだ。
     『…カオス?カオスだわ!本当に?』
     オケアニスはベタベタと容赦なく、カオスの形を確かめるために全身を撫でまわす。満足したかと思えば、彼女はふわりと宙を舞うと四肢をめいっぱい伸ばして、勢い良く抱きついた。
     『ほんとうにカオスだ!!…うれしいなあ』
     「私も会えて嬉しい」
     『良かった!よかったー!このまま抱きしめてたい』
     その様子をポカンと見ていたファイェンたちが、古の精霊(の威厳)が想像と違っていたことに驚愕していることを知るのはかなり先の話である。そんな気持ちは露知らず、彼女はファイェンたちに向けて挨拶する。カオスよりはだいぶ友好的らしい。
     『初めまして。私はオケアニス。これでも一応、すべての個体の中で最も古い精霊よ』
     「意外と元気だな」
     『だって今日は感謝祭だもの。同胞の喜びは私の喜びよ。…あ、もしかしてまた人間アレルギー発症してる?』
     「…」
     黙りこくり、目線を逸らすカオスの様子にオケアニスは腰に手を当てて『まったく』と唸る。
     『また難しく考えちゃって。楽しかったでしょ?感謝祭』
     顔を上げると彼女は明るく笑った。弾ける笑顔は日射しを受けて輝く水飛沫のよう。
     『少なくともこの国の人たちは私を愛してくれてる。時には水に対する恐怖を抱かれることもあるけど、それも受け止めた上で私は彼らの気持ちを包み込む』
     「それが君の想いか」
     彼女はふわりと微笑んだ。ただ嬉しいだけの笑みではなく、これまで感じた負の感情も受け入れて前に進む、そんな背中を押されるような。カオスの拳にもグッと力が篭る。
     「シンフォドリアが助けを求めている。今度は大陸全体が危ないんだ。それに、ファイェンの親も殺された」
     凛とした眼差しは目の前の精霊を見つめる。
     「オケアニス。再び私の隣に立って欲しい」
     その言葉に彼女はゆっくりと瞼を閉じ、そして再度カオスを見つめる。
     『あなたにお願いされちゃ断れないよね』
     翠緑の瞳が僅かに揺れたが、それはすぐに静まった。彼女は手を差し出す。
     『さあ、私を想って。そして受け入れて』
     その言葉に、力強く手を握り返す。それは点と点を繋ぐ合図。波のさざめき、海中の鼓動、深海の静けさ。それらが一気に全身に流れ込む。普通の人であれば立っているのもやっとな、自然の圧倒力。だがカオスは顔色一つ変えず、握る手に力を籠める。もう二度と離すまいと言わんばかりに。
     「シンフォドリアが主 求める名はオケアニス 応えよ 脈打つ大地の鼓動 天海の響動 その全てをお前に捧げる!」
     『応えましょう』
     
     こたえましょう
     
     初めて会ったその子は、憎しみと怒り、そして悲しみに満ちていた。大海の慈愛をもってしてでも包みこむことのできない傷。戦いでしか埋めることのできない心の穴。それが源たるシンフォドリアの意向なのだと分かっていても、誰かが傷つく度にこれが正しいことなのか自分に問う。だから、あの巫女が現れた時、わたしの感情は凪いだ。
     これで終われるんだ。
     そう思ったのに、シンフォドリアの意思が不滅である以上、あの子は何度でも生まれる。長い隠居生活の中で久しぶりに声を聞いたと思えば、それは助けを求める声で、再び凄惨な日々が始まるのかと、心を深く暗い汚濁に沈めた。
     でも再会したのは全くの別個体。ファイェンという少女の親が殺された。かつて数多の人間を屠ってきたカオスが、たった一人の人間が殺されたことに腹を立てるだなんて…!あのカオスが人間を気遣ったなんて!
     まだ氷塊のように固い心だけど、奥に灯るのは光。暗闇の中、道を記すための篝火のような、けれど信頼するには少し頼りないもの。私の力でその光を絶やさずにいられるなら、私は手を貸したい。
     だから私はその手を取るの。
     
     『孤高の兵器が望む限り』
     

     船は再び海路を行く。追い風に吹かれながら、カオスは手を開いては閉じを繰り返す。ようやく一人目の力が戻った。まだ先は長いが、進展はあったと言っていい。だが問題はこれからだ。精霊の中には人間に良い印象を抱いていないものもいる。彼女たちにどう向き合っていくか。カオスでさえ、まだ完全に人間を信じきったわけではない。たまたまオケアニスが寛容な精霊だっただけで、火の精霊ヘリアデスや、森の精霊アルセイデスに会うまでには自身の気持ちにケリをつける必要がある。
     ちょいちょいと控え目に肩を叩かれ振り返ると、クイーンが呼んでいた。
     「あなたにも立ち会って欲しいんだって」
     そう言われて彼女の奥を見れば、ファイェンが複雑な面持ちでこちらを見上げていた。彼女の小さな手に握られた小瓶には遺灰が入っている。船の揺れに合わせて、僅かにだがサラサラとそれも動く。そういえば彼女には彼女の使命があったと思い出す。
     三人は甲板に上り、去り行く海原を眺める。先ほどまでいた島は、ゆっくりと小さくなっていく。ファイェンが伸ばした小さな手から溢れた灰は、風に乗ってハラハラと消え、風と共に旅をし、やがて海の腕に抱かれるのだ。彼女はやがてゆっくり手を引くと、くるりと振り返った。
     「次はどこに行くの?」
     波の照り返しを逆光に、彼女は言う。あまりにもあっけらかんと。
     カオスは海の遠く先、今はまだ見えぬ連峰を見つめる。二人も視線の先を追うように、顔をあげる。
     「行こう。オレイアデスのもとへ」
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