禁欲修行(仮)「……殿」
夕方のリビング。
食器を洗い終えたウシミツが、神妙な顔でシンヤの前に正座した。
「どうした、また皿でも割ったか?」
「ち、違うでござる!
これは大事な、話でござる…!」
眉をキリッと上げる
「拙者、これより禁欲の修行に入るでござる!!!」
「…………は?」
「拙者、最近……その、ちょっとばかし、殿のことが好きすぎて、ええと……」
語尾がだんだん小さくなり、
耳まで真っ赤になる。
「……欲の制御が、うまく、
できていないでござる……っ」
「あーーーー…、まぁ…そうかもな」
「最近の拙者、殿に甘えすぎ、求めすぎ、四六時中いちゃいちゃしてばかりで……!いくらなんでも、はしたなすぎるでござる…!拙者、これでは殿の忍失格……!!」
「いや別に俺はいいけど」
「ダメでござるッ!!!」
ウシミツはぴしっと正座し、床に手をついて深々と頭を下げた。
「殿! どうか!!今から修行のため部屋に篭るゆえ、3時間は決して覗かないでほしいでござる……!!」
「3時間…!?長っ!」
呆れながらも、真剣な目に押されてシンヤはしぶしぶ頷く。
「はいはい、わかった。頑張れ」
「拙者、絶対にやり遂げてみせるでござる!!」
大げさにうなずいて、
ウシミツは寝室の扉を閉めた。
⸻
ウシミツはひとり、真剣な面持ちでベッドの上に佇んでいた。
「……これで…完璧でござる!!!」
ふぅ、と小さく息を吐きながら、ウシミツは自らの身に施した禁欲封術をもう一度確かめた。
両手首はベッドの柱に銀色の手錠で繋がれ、
足首もまた、ベッドの反対側に拘束され、身動きは完全に封じられている。目にはしっかりと黒いアイマスク。口には猿ぐつわが噛ませてあり、声も漏れぬように。
そして――頭には、
ふさふさとした猫耳のカチューシャ。
(ふふ……殿も流石に可愛い猫耳に性欲など湧かぬはず……可愛いは正義、でござる!……)
そして服装は、エプロン1枚。
彼なりの“性的魅力ゼロ”スタイルであった。
(いつも殿の魅力でついつい欲に溺れてしまう拙者でござるが、このままでは、また夜に殿を困らせてしまうござる……!ならば、殿を遠ざけ己を物理的に封印して耐え忍ぶまで!!!これぞ……忍道……)
誘惑から逃れる術は心得ている、
はず、だった。
ギシギシギシッ
(…あれ?これ、全然、
縄抜けできないでござる………………………)
「モゴ…モゴモゴモ……!(殿ぉ…早く帰ってきて……!)」
⸻
⸻
夜、ウシミツが籠って3時間後。
その頃シンヤは、外出していた。
近くのスーパーまで買い物に出たのだが、帰り道で偶然コヨイとばったり出会った。
シンヤは声をかける
「よう、今帰りか?」
「…珍しいな、この辺りにいるなんて」
「いや、ウシミツが禁欲修行するから
3時間は一人にしてくれって…」
「…えぇ…、何してるんだシンヤ…」
「いや俺は何もしてないからな!?
あいつが勝手に言い出したんだよ!」
スーパーの袋を手に、二人でアパートへ戻る。
シンヤは、お中元で貰った珍しい味噌やるから寄ってけとコヨイを誘った。案の定ほいほいついて来た。
アパートの階段をあがり、部屋に入る。
しかし物音ひとつしない。
「……おーい、ウシミツー!
もう3時間過ぎてるぞー?」
寝室のドアを軽くノックして声をかけるが、
中は妙に静かだった。
「ん?返事ないな」
「寝てるんじゃない?」
仕方なくドアを開ける。
二人で中に足を踏み入れ――
シンヤは固まり、
コヨイは口を開けたままフリーズした。
そこにあったのは、ベッドの柱に両手両足を手錠で繋がれたウシミツ。猫耳カチューシャを頭に、エプロン姿。目隠し、口には猿ぐつわ。
そしてピクリとも動かない姿勢。
完璧なまでの、監禁の絵面。
「…………………………は?」
「………うわ…シンヤお前……」
「待てコヨイ!! 俺は!何もしてない!!!」
二人の声にピクッとウシミツが反応した。
「モゴモゴー!!?モモゴゴ!!モゴモゴモゴモゴンーーー!!!」(その声はコヨイ!??見ないで!!あと殿は何もしてないでござるよーーー!!)
「…………なぁ、シンヤ」
コヨイが、低い声で呟いた。
「…………お前、
この状態で3時間も放置してたのか?」
「ち、違うんだって!!今帰ってきて知ったんだって!!」
「ふーん…………で、なぜこんな状態の人間がベッドにいて、目隠し・猿ぐつわ・手錠で固定されてるんだ?」
「そ、それは……ウシミツが……
その……修行で…自主的に……?」
「いや無理あるだろ、“修行で猫耳とエプロン姿で拘束”って…シンヤにそんな趣味があったとはね…」
「違う違う!!!俺の趣味じゃないし!!ていうか俺、ほんとに何もしてない!!!」
「モゴモゴ!ンー!!!(そうでござる!!)」
「そもそもさ、俺呼ばれたのってもしかして……これを見せたかったから?」
「は?!!」
「世の中には“羞恥プレイに第三者を巻き込む”変態もいるからな……」
「俺を見ながら言うな!!俺だって今この現場見て困惑しかしてないんだからな!!」
「モゴモゴモゴゴゴンンンー!!!拙者が勝手にやったのでござる!!)
「ほら見てみろよ、この“モゴモゴの訴え”が一番意味深に聞こえるんだよ、“助けてください”にしか聞こえないだろ、これ」
「違うだろ!!“恥ずかしいでござる!”って言ってるんだって!たぶん…!!」
「はぁ、もう責任取れよ」
コヨイがスマホをだす。
「待て待て!!ほんとに警察だけはやめろ!!!マジで捕まる!!!」
「でも、“この状態のウシミツを3時間放置してた”のは事実なんだよね?」
「だから俺は知らなかったんだって!!」
「……ふーん……」
「コヨイ……!頼むから信じてくれ……!!」
「……いや、納得できないね」
「なんでだよ!!!」
ウシミツは騒動の中、身じろぎしながら、どうにか自力で口元の猿ぐつわを外すと、荒く息を吐いた。
「ん、んぐ……っ、ぷはっ!」
そして――
「コヨイ!これは!殿の仕業ではないでござる!!!すべて拙者が勝手に、禁欲修行として、自分の身を縛ったのでござる!!!」
目隠しをされ、四肢を拘束されたエプロン猫耳忍者が、説得力ゼロの状態で全力で叫んだ。
「…………」
コヨイがジト目になり、ひとこと。
「…………それ、シンヤにそう言うように命令されたんじゃないの?」
「え…?」
「だからさ、“俺が来たらこう言っとけ”ってプレイ前に打ち合わせしてたんだろ?シンヤに言われたらウシミツは絶対に従うよね」
「し、してないでござる!!そんな事実は断じて無いでござる!!!もちろん、殿に言われたら従うでござるが…」
「おい!」
「しかし今回は、ほんとに自発的に縛っただけでござる!!!!」
「そもそも自発的に縛るって、なに……?
どんな思考回路?」
「理屈じゃねえんだよ!!この世には思いつきで猫耳エプロンつけて自分で拘束するやつもいるんだよ!!!」
……沈黙。
コヨイはやれやれと首を振り、
持ってたスマホを操作した。
「もういい。証拠だけ撮って帰る。」
「待てコラ!!!!それは本当にやめろ!!!!」
シンヤが本気で焦る
「だって、もう意味がわからないし。この状況が事実か演出か。だったら、いったん撮っといて誰かに見せて判断仰ぐしかないでしょ?」
「いやそれ誰に見せる気だ!?!」
「うっ……ふええぇぇ……」
拘束されたままのウシミツが、
ついに感情のダムを決壊させた。
手足を手錠でベッドに繋がれ、猫耳を揺らしながら涙をぽろぽろこぼし、猿ぐつわを外された口から泣き声を漏らす。
「殿ぉ……っ ごめんなさいでござる……っ!迷惑ばかりかけて……っ!拙者のせいで、殿が……殿がぁああ!!!」
「お、おいウシミツ……!泣くなって……!」
シンヤは困り果てながらも、そっとウシミツの頭を撫でてやった。猫耳の間から柔らかい髪を指先で梳くように。
「よ〜しよし…な?俺は大丈夫だし、怒ってねぇから!お前がちょっと変なのは今に始まったことじゃねぇし」
「うぇ!ええぇぁ……っ……!」
その光景は、言葉だけならとても微笑ましい“慰め”のはずだった。
しかし現実は――
エプロン姿の猫耳青年が、手足をベッドに拘束された状態で涙を流し泣いている。
そしてその頭を、平然と撫でている男。
背景にはベッドのフレーム。
「…………」
無言でその一部始終を見つめていたコヨイが、スマホを構える。
カシャッ
「……あまりにも完璧な一枚が撮れてしまった」
「コヨイ!?これは違うだろ!!!」
「……じゃ、証拠品としてありがたくいただいていくね。二人とも、お幸せに」
「いや待っ…!」
玄関の扉が、静かに閉まる音がした。
室内には、泣きじゃくるウシミツと、全力で頭を抱えるシンヤが残された。