未来の俺 待ち合わせ場所の公園が見えてきた。流川は足を速める。道路の向こうにあるその公園を利用するのは今日が初めてだった。そこに公園があることも、今日、初めて気がつく。狭くて、葉が生い茂った木に囲まれているから中が見えにくいせいか、公園の手前にある桜木のアパートと流川の家との分岐点で、桜木が指し示すまで、流川の目に留まったことがなかった。いつもなら学校帰りには桜木のアパートに行く。今日はその前に一度家に帰って来いと親に言われていたのだ。スーパーに寄ってから帰りたい桜木が、入れ違いになったら困るなと視線を彷徨わせた先で見つけた公園。部活と居残りとラーメン屋での夕飯を済ませた帰り道だった。後でな、とそう言って、分岐点を過ぎてすぐの横断歩道を渡って公園へと向かう桜木の背中をちらっと見送ってから、流川も家へと急ぐ。何なら桜木も一緒に連れて帰りたかった。だが流川の家だと、意に介さない流川と違って、親御さんがいらっしゃるだろ、といちゃつくのに桜木は気をつかう。さっさとどあほうんとこでのびのびとイチャイチャしてーと思いながら、流川は自宅の門扉を開けた。
「これ、桜木くんに持っていって、おすそ分け」
実は初対面の屋上で一目惚れをしていたがマネージャーが好きなんだろと密かに失恋していた流川に、背中の怪我のリハビリ中撮影されたプレイを見る内に好きになったと告白してきた桜木と、つき合うようになったこの一年、バスケと恋人に夢中になっている流川は、手提げ袋に入った野菜を親から受け取る。
「桜木くんは?一緒に来ればよかったのに」
「どんな用事か知らねーつったら邪魔になったら困るって」
「じゃあ、お家?」
「そこの公園で待ってる」
「ああ、あそこ?もうすぐ取り壊されるんだっけ」
「用がこれだけならもう行く」
ドアを開けたままの玄関先で、野菜がつまった袋を揺らして踵を返した。来た道を戻る。公園はすぐ見えてきた。やがて、周囲に生えている木々の隙間から、桜木の後ろ姿が覗く。どうやらベンチか何かに座っているようだ。一人ではない。公園の奥にある街灯に照らされて横顔が浮かび上がる。桜木の隣で、話しかけている。男、桜木よりやや大きな背中、黒髪、黒のハイネック…流川は無意識の内に足を止めていた。見間違いかと思う。何だか、よく知っている顔に似ていた。車が絶え間なく行き来する道路を挟んだこちら側で、流川はその横顔を凝視する。親し気に桜木に話しかけている姿を近くで見たかった。そのためには公園をとおり過ぎ、横断歩道を渡らなければならない。流川は止まっていた足で走り出した。赤信号が長い。信号が変わるのを待つ間、別に走る必要はないのでは、と思った。流川が知らない桜木の友だちか知り合い、あるいはただ公園に居合わせただけの他人…ただの気のせい、勘違い。じりじりと見つめる内に青信号になった。それでもやけに引っかかって、流川はやはり走ってしまう。桜木の元へと、公園に駆け込んだ。
「おー、早かったな」
木製のベンチに座っている桜木がこっちを見る。隣には誰もいなかった。流川は辺りを見回す。公園の出入り口は、ひとつだけだ。とは言え、公園を囲んでいる低い柵を跨ぎ、木々の隙間から出ることは可能だろう。流川がやって来た出入り口とは反対の方向は建ち並ぶ住宅の壁に面しているとは言え、人一人が向こう側へと抜けるぐらいの幅は家と家の間に…あるのだろうか、流川には分からなかった。桜木へと視線を戻す。
「誰と喋ってた?」
流川がそう尋ねれば、桜木は笑みを浮かべたまま、一拍置いた。
「…未来のお前」
「てめぇ」
「嘘じゃねぇ、そう言われたんだよ、おめぇそっくりの顔でな」
「冗談にしてもつまんねー」
ベンチの隣に座って桜木の言い分を否定したものの、もしかして、と思わずにはいられない。
「全然関係ねぇ他人にしてみりゃ、顔は似過ぎてるし、なら親戚か兄弟かって思ったけど、兄弟なんていなかったよな?親戚に、おめぇに十か二十足したぐらいの奴は?」
「どっちもいねー」
「だとしたら、やっぱ、おめぇかもな」
「テレビの見過ぎ」
「あんだと」
「何か変なことされてねーか」
「んー…ついて来るなら未来の話聞かせてやるって言われた」
「未来?」
「俺とお前の」
「くだらねー」
流川はそう斬り捨てたが、一方で、公園に入る前に見た横顔が頭から離れなかった。朝起きて顔を洗う時に桜木のアパートの洗面所にある鏡で見る顔と、同じ面影。父親の顔つきとも違っていた。
「でも俺とお前しか知らねぇようなこと知ってたぞ」
「例えば?」
「昨日の朝飯に何食ったとか、卒業したらアメリカに行くこととか…スーパーで買うもん考えながら、お前がよく聞いてる英語の歌を歌ってたら話しかけてきたんだよな、未来のお前だけどって、だからふざけてんのかって言ってやったら、その証拠にってそういうことをだな…」
「どあほうの朝飯は大体おんなじ」
「文句あんのか」
「別にねー」
未来の俺だなんて危ないことを言う男が、桜木の朝食のメニューをどこかで耳にすることは不思議ではない。朝食の内容として奇抜なものではないから、あてずっぽうかもしれないのだ。桜木と流川が高校卒業後にバスケのためにアメリカに行こうとしていることだって、秘密にはしていない。知るのは難しくないだろうが…流川は誰かに頭の中を勝手に覗かれたような気持ち悪さを感じた。年の頃で言えば、自分と父親の間に見えた、不躾な男が忌々しくて周囲に目をやるが、やはり姿はない。
「ま、俺たちにはバスケで成功する未来しかねぇよな」
「俺は興味ねーけど、てめぇは聞きたかったんじゃねーの」
「うーん、あのまま聞いてたらヤバかったかもしれん」
「は?」
「未来の話してやるからついて来いって言うのを断ったらよ、ちょっとだけ教えてやるとか言い出して、何か喋り始めたんだけど、興味ねぇって無視してたら、段々言葉がめちゃくちゃになってきて、その内ガーだかピーだかわけわかんねぇ音になっちまった」
「それで?」
「ルカワが来る直前にどっか行った」
「へえ」
「そんなことより、家の用事は何だったんだ?」
聞かれたから、手に持ったままの袋を桜木に差し出した。
「親が、どあほうにって」
「おお…!食いもんがいっぱい!これなら買い物行かなくていいなぁ、後でお礼の電話をせねば…」
「明日でいい」
「何でだよ」
親より俺とイチャイチャしやがれ。
「聞きたくなんねーの?」
「あん?」
「未来」
「バスケしてる以外にあんのか?」
「俺とどあほう」
流川がぽろりと言えば、話している間浮かべられていた桜木の笑みがふっと深まる。
「大丈夫だろ、俺とおめぇは」
「ふーん」
「おめぇがすんごい俺様のこと好き好きってしてくれっから、おりゃあ平気だけどな」
「俺だって」
「じゃあ」
ベンチの上でぎゅっと手を握られた。温かな体温が手のひらから流れ込んでくる。不思議だった。バスケや恋愛で、安定に欠けるところを見せるのは桜木の方だったはずなのに、どうして逆転してやがる。恥ずかしがりやで内向的な性質を持つ桜木を、桜木が言うように、自分がここまで育てた自負があった。優越感と負けん気が流川の中に湧き上がる。アメリカに行っても、例えば行く時期が違っても、バスケをする場所が離れていても、流川だって桜木以上に確固たる気持ちを宿していた、その影が実は揺らいでいた。
「帰るか」
手を繋いだまま、流川から受け取った野菜入りの袋を持った桜木が立ち上がるのに倣う。並んで公園を出た。桜木とスーパーで買う物についてや商品の話をするのも好きなので、行かなくてよくなってしまったのは残念だと思いながら、ちら、と振り返る。入る時には気づかなかった、出入り口に立てられた石柱に彫られた公園の名前を、流川は読んだ。ミ…ラ…イ…公園。公園の中には誰かが出っていた。黒い服を着た逞しい体躯に、風に揺れるぐらい伸ばされた赤い髪をした男が流川に向かって手を振っている。隣に座られたのが桜木ではなく、自分だったなら、未来の桜木の顔をした存在の囁きに抗えただろうか…お前とは一緒に逝ってやれないと、流川は甘い誘惑から目を逸らした。前を見据え、桜木と繋いでいる手に、ぎゅっと力を込める。