最高のバレンタイン 恋人がいると公言していようが、流川のバレンタインは盛況だった。本人はむっつりと面白くなさを前面に出して靴箱に入れられているチョコレートをスポーツバッグに詰めている。朝練を終え、いつもなら教室に上がる時には素通りする玄関で、中に入れられたプレゼントのせいで閉まらないロッカーから中身が落ちてくる前に片づけを始める流川を待つために、桜木も玄関に立っていた。色も形も様々なチョコレートの箱を、流川は、もう何度もこういうことをしてきたと分かる手つきでバッグへ放り込む。去年の秋の終わりからつき合い始めた男の横顔を桜木は見やった。桜木から告白してつき合うようになって、いいけど、と交際を了承したものの、果たしてこいつはバスケ以外の交流はできるのかと危ぶんだ桜木の予想に反して、一緒に登下校したいと言ってみれば頷いてくれたり、帰り道でまだ別れたくねーと呟かれたり、バスケ同様、流川は恋人としても、最高で、流川と恋人になってからというもの、桜木の心はぎゅんぎゅんと甘く満たされている。廊下の奥や背後の階段の上から、朝練の最中にチョコレートを入れたのだろう生徒たちの忍び笑いや囁き声が聞こえてきて、ぐるりと首を捻って視線を巡らせる桜木の足元で、流川がため息をつきながら、スポーツバッグから紙袋を取り出した。最初からバッグじゃなくてそっちに入れりゃよかったんじゃねぇの。流川の杜撰さやものぐさに対して呆れたが、口には出さなかった。
「…てめーはねーのか」
バッグと紙袋にチョコレートを入れ終えた流川が立ち上がりながら話しかけてくる。
「あ?」
「あるなら出せ、どあほう」
あるなら、と言いつつ、あると疑っていない態度で差し出された手のひらにまじまじと視線を注いだ。手の向こうには、チョコレートでいっぱいになっているバッグと紙袋が見える。同じ中学だった奴から聞いたんだけど、すごかったらしいぜ、他校からもやって来て、校門にチョコを渡すための列ができたとかできないとか…と先週教えてくれたのは水戸だ。だから?だから…ってなぁ、まあ、お節介なんだけど、当日いきなり遭遇するより心構えしといた方がいいんじゃねぇのって。ふん、俺様だってそれぐらい貰わぁ、何せ天才バスケットマン、山王戦で勝利のシュートを決めた男だからな、はっはっはっ…と高らかに笑ってみせた桜木がさっき確認した自身のロッカーには何も入っていなかった。多くの人に好かれていることへの羨ましさや、俺の恋人なのに好き好き言いやがってとむくれたい気持ちが、ないと言えば嘘になる。桜木は視線を上げた。片づけをしていた時より、まなざしや頬に生気や感情がある気がするのは、玄関の天井の照明のせいだけではないだろう。桜木は背中に回していたスポーツバッグを引っぱって腹の前まで持ってくると、中を漁った。
「ほらよ」
「出し惜しみしやがって」
「してねぇ、おめぇが忙しそうだから待ってやったっつーのに」
「…俺もある」
桜木から受け取ったチョコレートを目を輝かせて眺めてから、流川からも渡される。
「おー、サンキュ…初めてもらった」
「俺も初めて」
「何がだよ」
そんだけ貰っといて?と桜木はちらっと流川宛のチョコレートを一瞥した。
「チョコレート欲しいって思ったの、てめーが初めて」
「うう…」
「あげたんもてめーだけ」
「それは…ますます嬉しいぜ」
流川の正直な言葉に、じーんと涙が滲む。水戸の心配は気づかいはもっともで、もしかしたら嫉妬や羨望で、流川とめちゃくちゃな喧嘩をしたり、家に帰って一人で泣いたりしてしまうかもしれないと、桜木自身も思っていた。実際、心の端がちりちりと焦げついている。だが、流川は本当に、恋人としても、冴えたプレイヤーなのだった。意識してか、しないでか、お前が特別で、好きなんだと、こうして伝えてくれるから、桜木は激情に呑まれて、暴れないで済んでいる。
「ありがとな」
そう言ってから、ロッカーの影で、流川を抱き締めた。ぎゅう、と抱き返してくる直前、流川がからだのこわばりを解く。唯我独尊天上天下を体現したような男が、何かに緊張していたようだ。
「…そんなに貰ってんなら俺のはいらねーだろって拗ねるかと思った」
「なっはっはっ、俺様の器はでけぇからな、安心したまえ、キツネくん」
「多分、教室にはもっとある」
「ぐ…」
「器のでけーとこ、見せてくれんだろ、どあほう」
「任せろい」
ふっと耳元で流川が笑う。チョコレートでチャックが閉まらないスポーツバッグを肩にかけるのを見て、桜木はぱんぱんに膨らんだ紙袋を持ってやった。持ち上げれば重みに気圧される。キツネは俺様のもんなんだぞ、と喚きたくなる喉を唾を飲んで抑えた。去年、湘北に入学した頃、屋上で喧嘩をして頭から血を流している流川を心配してハンカチを差し出した赤木晴子につれなくした姿を見て容赦なく頭突きをした時のような、燃えるような腹立たしさが臓腑に蘇る。
「まあ、殴りたきゃ殴れば」
「誰をだ?てめーを?んなことするかよ、俺はバスケットマン桜木だ」
「殴りたそうな顔してる」
「だからしねぇって、俺は、俺様は、おめぇの恋人だぞ」
「やり返すから平気」
「聞けよ」
「てめーがもらいやがったらぶっころす」
「横暴だろ!」
教室に向かって階段をのしのし上がりながら言い合った。うまく笑えそうになくて、怒った顔を作り続ける。先に到着するのは流川のクラスだ。人がまばらな教室の窓際の一番後ろの席の机には、流川が言ったように、チョコレートが積まれて山となっている。窓から全部捨ててやりたくなった。はーっと大きなため息をついて流川より先に教室に入る。肺を空っぽにする感覚で焼きもちも羨ましさもむかつきも暴力性も全部捨てて、流川のスポーツバッグから新しい紙袋を出させ、二人でがさがさとチョコレートを入れつつ、自分たちだけの会話に浸った。
「これ、袋じゃ足んねぇな」
「ダン箱は持ってくんのめんどくせー」
「学校のどっかにあんだろ」
「片づけ終わったらどあほうのチョコ食う」
「味わって食えよ」
「腹、減ってるから一瞬」
「ジョウチョって知ってるかね、キツネ君」
「知らねー」
「お、俺はゆっくり食うからな」
「俺のチョコを腐らせやがってもぶっころ…」
「そこまでゆっくりじゃねぇっ」