全部俺の「おめーがそんなにトマトが好きだとは知らなかったぜ」
朝食の目玉焼きにかける醤油を忘れたと、台所に立った間の出来事だった。戻ってきた桜木の前で、流川は片頬を膨らませている。桜木は呆れながら卓袱台の流川の向かいに腰を下ろした。
「それとも俺には食わせたくねぇってか」
よく家に泊まらせてもらっているからと、流川の母親が持たせてくれた食料品のひとつであるミニトマトは、ヘタを取って洗ってから、それぞれの皿に半分ずつ、桜木が分けて入れたのに、流川が全部、引き取ってしまっている。流川がごくんと口の中のミニトマトを呑み込んだ。残った十九個の、大きくて真っ赤に熟れたミニトマトが、桜木が作ってやった目玉焼きを皿の淵に沿うようにしてぐるりと取り囲んでいる。
「何か俺様に文句でもあんのかよ」
例えば昨日の夜が気に入らなかったとか…口を動かしながら桜木は慌ただしく昨夜のセックスを振り返っていた。特に流川が怒ったり素っ気なかったりした様子はなかったから、やらかしたわけではないはず…今朝起きた時もいつもと同じだったはず…目の前の顔つきからも怒りは感じられない。単なるちょっかいなのか、食い意地なのか、食べさせたくないにしても他の理由があるのか、純粋にトマトが好きなだけなのか、一体何なんだ、と目まぐるしく頭を働かせていたせいで気もそぞろになっていた桜木の手から、流川が醤油を抜き去った。
「あっ」
たらーと目玉焼きに醤油をかける。
「貸してくれの一言ぐらいねぇのかよ」
「のろのろしてんのが悪い」
「つーか、いい加減、どういうことか言いがれっ」
別にいいのだ。取りに戻った醤油を先に使われようが、美味しそうなミニトマトを全部奪われようが、本当のところは別にいい。悔しい気持ちが湧かないわけではないが、好きなようにしろよと言いたくなるぐらいには惚れていた。山王戦で負傷した背中の治療を終えて部活に復帰し、プレイを見ている内に気になって、好きになって、リングしか見ていないような目で自分を見ていてほしくて…気持ちを抑えきれずに告白して、てっきり振られると思っていたが、いいけど、と受け入れられてそろそろ二ヶ月。毎日、どうにでもしてくれ、と思っていた。それぐらい、好きでぐずぐずになっている。だから今の問題は、自分に対して何か含みがあるのでは、ということだった。流川がその唇を開くのをじっと見つめる。
「別に、普通」
「何が」
「トマト、そこまで好きでもねー」
「人の皿から取りたかっただけとか言うんじゃねぇだろうな」
「でも赤いのがてめーに似てるから欲しくなって貰った」
「あ、はーん?」
「俺んとこにどあほうがいっぱい、ハーレム」
そう言って満足そうに細められた目で真っ赤なミニトマトが丸く並んだ皿を見下ろした。杞憂は霧散し、顔がぐんぐんと赤くなっていく。全身が心臓になったかのように、ばくばくと速まる鼓動がうるさかった。好きな男にそんなことを言われて、桜木はどうすればいいのか分からない。ただ岩のごとく赤らんだからだを硬くしているしかなかった。軽く伏せられていた瞼が上がり、切れ長の目がこっちを見る。お前の唇こそ、赤くて艶々でおいしそうだと、今になって気づいた。欲しいものを自分の皿に並べて得意げな表情をするような年相応さとは相容れないようで、びったりと嵌っていて、心臓がキュンと疼く。それはまるで自分がミニトマトになって流川に丸ごと食べられたかのような感覚だった。
「トマトより真っ赤」
「ふぬぬ…誰のせいだと…」
「俺以外のせいだったらぶっころす」
「おめーってめちゃくちゃ俺のこと好きだよな」
「好きじゃなかったら夜も朝もどあほうを食わねー」
「うぐ」
昨夜のセックスと朝食のトマトを並べられ、桜木はますます顔を熱くする。告白した時はそれまで憎たらしい態度を取ったり喧嘩ばかりしたりだったので、こんなにも好いてくれるようになるとは思っていなかった。嬉しくてじわ…と涙が滲む。ぐうう…と腹の虫が鳴った。流川はひとつも残さずトマトを食べている。