いつわりのなか「よーし、来たなお前ら、そこに座れ」
いつもなら居残りをしている時間に、桜木は流川とともに宮城に呼び出されて部室の入り口に立っていた。ドアを開ければ険しい顔をした宮城と三井がいて、二人に向かい合う形で置かれた椅子を顎で指される。並んで腰かけた。
「呼ばれた理由は分かってるよな」
「リョーちん、すまん、もう二度と喧嘩はしねぇからっ」
「しねーっす」
「だから部活と試合に出さねぇってのは勘弁してくれ!」
「頼んます」
桜木が必死に言い募っても宮城の表情は硬い。
「お前らの謝罪は聞き飽きた。こっちが怒っても誉めてもいくら言っても喧嘩をやめないのはお前らだ。部活の邪魔になってる。冬の大会が近いっつーのに、お前らの喧嘩を止めてる暇はねぇ。これも言い飽きたな。だからさっき花道が言ったようにお前ら二人、明日から部活に来なくていいし、試合もなしだ」
宮城に淡々と宣言されて、今日も部活の最中、流川と殴り合いの喧嘩をしてしまった桜木はびくっとからだをこわばらせた。隣の流川も、膝の上でぐっと手を握り込んでいる。次の瞬間には立ち上がって、そりゃねぇよリョーちん、これからはこのキツネ野郎といくらでも仲よくすっから、と大声で桜木が訴える前に、宮城が続けた。
「と言いたいところだが!ダンナと木暮さんが引退した今、お前らがいねぇのは正直きつい!だから最後のチャンスを与えることにした!」
「おっ、おお、さっすが、リョーちん、この天才に次ぐ天才キャプテン!」
「尊敬してるス」
「だがだからと言って喧嘩ばっかしてやがるお前らが仲よくできるなんてこれっぽっちも思ってねぇ、というわけでお前たちにかけさせてもらう…催眠術をな!」
「これでお前らは仲よくなる、仲よくなる、むちゃくちゃ仲よくなる、もう喧嘩しねぇぐらい仲よくなる…」
「なあ、宮城よぉ、やっぱこれはどうかと思うぜ」
「はー?三井サンだってさっきはノリノリでいいんじゃねぇのって言ってたじゃん!もういいから黙っててくださいよ、五円玉揺らしながら十回言わないといけないのに、何回目か分かんなくなったじゃないすか」
自分たちの目の前で、ぎゃあぎゃあ騒ぎつつ、でも真剣な表情で、紐で釣った五円玉をぶらぶらぶらと揺らしている宮城と、横からそんな宮城に話しかけている三井という先輩たちの姿に、桜木はここまでリョーちんとミッチーを追いつめていたとは…と何とも言えない気持ちに陥っている。正直なところ、かかるわけねぇとはっきり口にしてやりたいところなのだが、そうすると宮城の機嫌を損ねて、万が一、本当に部活に出禁なんてことになったら困るので、おとなしく黙っていた。ちらっと横を伺えば、流川は瞼を重そうにしていて、こんな場面で寝るな馬鹿、と喉元まで出かけた罵声を慌てて呑み込む。
「もう部活の最中に殴り合いの喧嘩をしねぇぐらい仲よくなる、仲よくなって俺を怒らせるな、お前らを止めるのは大変なんだからいい加減仲よくやりやがれ、仲よくなる仲よくならねぇなら俺がぶっ飛ばす、せめて冬の大会までお前らは仲よくなる」
ぶらぶらと揺れていた五円玉を宮城が手の中に収めた。
「よし、どうだ、かかったか?仲よくやれそうか?」
宮城に向かって頷きながら、隣の流川を肘鉄で起こす。完全に目を閉じていた流川がはっと瞼を開けて、ぶんぶんと頷いた。こちらをじっと見定めるような視線を送った後で、宮城から言われる。
「仲よくなったっつーなら、ここでもう喧嘩はしませんの握手をしてみろ」
「えっ!」
「できるよなぁ、それぐらい、だってお前ら、仲いいはずだもんな」
ちら…っと互いに目線を交わして、桜木は流川と握手してみせた。
「おおー、やるじゃねぇか宮城」
三井が感心したような声を上げる。
「まあキャプテンだし、これぐらいできて当然でしょ」
「よっ宮城キャプテン!」
「どーも…さて、今日も居残りすんのか?」
「おっ、おお、当然だ!この天才桜木、背中の怪我から華麗に復活して、目指すは全国制覇!練習あるのみ!」
「するっす」
「俺と三井サンは練習メニューのことでちょっとあっから、掃除と鍵締め、頼むぞ」
「任しとけ!」
「ウス」
そう言って部室を出れば、ドア越しに二人のやり取りが聞こえた。
『いやー昨日のテレビでちょっと見ただけの催眠術ができるとか、俺、そういう方面に才能あったりして』
『やってる最中、正直なところ、こいつ何やってんだって思ってたけど、俺はやれるって信じてたぜ、宮城』
わっはっはっと笑い合う声を背に、桜木は体育館に向かって、ふらふらと歩き出す。流川は普段と変わらない歩調で足を進めていた。体育館の手前で、桜木は流川に話しかける。
「おい、分かってんだろうな、ルカワ」
「分かってる」
「これ以上、リョーちんを怒らせるのはまずい、だから、だから…ここはしょうがなく、フリだぞ、フリ、催眠術にかかったフリして…」
「もう喧嘩はしねー、部活できなくなったら困る」
さっき部室に入る前に、こうなったら最終手段であいつらに催眠術をかけて喧嘩できねぇようにしてやると宮城が言い放っていたのを、桜木は流川と聞いていたのだ。山王戦で負傷した背中の治療を終えて部活に復帰してから、流川と喧嘩になって、何度宮城に怒られてきたか、数え切れない。桜木はさっき流川と握手した手のひらを見つめた。流川のプレイをよく見るように安西に言われて、何でだよと反発してても、リハビリ中に何度も再生したこれまでの試合の録画や、復帰してからの体育館で、流川のプレイに、気づくと目が奪われてしまう。見れば見るほど、理想的なフォームだった。見惚れて、悔しくて、でも失敗する度にあいつならどうすると頭の中で思い返して、うまくいって、そうしたらまあまあみたいな顔で見てくるから、気分がよくなって、だからか、お前なんて眼中にない、なんて態度で練習されると、どうにも腹が立つ。自分と同じぐらい、目が離せないようになってほしかった。でもできなくて、素直にいいと思っていることを態度に現すのも恥ずかしくて、よくないと分かっていながら、喧嘩をやめられない。だって今さら、どんな顔をして、お前が好きだと、プレイを見ている内に、バスケ以外でもお前を独り占めしたいと、言えばいいのか…だから今日のこれは、渡りに船だった。催眠術にかかったという理由があれば、これまでとは違う接し方を、流川にできる。他の誰かにも、流川にも、そうすることへの言い訳ができた。宮城の言葉を思い返す。そう、例え催眠術の効力が冬の大会までだったとしても、いいのだ。それでじゅうぶん。自分はもう立派なバスケットマンだし、流川はバスケットしか興味がないような男だし、告白なんてしてる暇はねぇしもっての他、偽りの仲だとしても、流川と仲よくしていい…それだけでよかった。
「そういうことだ」
「てめーが突っかかってこなきゃ、喧嘩はしねー」
「んだと?おめぇだって…って違ぇ、今のナシ、お前も黙ってろ」
「フン」
「こいつ…っ」
「で、どーすんだ、仲よくってただ喧嘩しなきゃいーのか」
「そうなんじゃねぇの」
「なら話もしねー方がいいな、てめーとは話してるだけで喧嘩になる」
「ふぬっ」
違うと言い返したかったが今までを振り返れば出来ない。好きな相手に話しているだけで…と言われるのは辛かった。ズッコーン…と落ち込んでしまう。
「でもバスケすんならコミュニケーション取らなきゃなんねー、言葉で」
「ゴリ相手に目パチパチさせてバス送った奴が何言ってんだ?」
「練習すんぞ」
「れんしゅう…?」
「どあほうが俺と話しててもいちいち突っかかってこねーように、練習する」
「どうやってだ」
「取り敢えず、一緒に帰る」
「はあっ?なっ、なっ、なっ、何言ってやがる、そ、そんなの…っ」
そんなの好きな子と登下校したいっつー俺様の夢が叶っちまうじゃねぇか、却下だ却下!と拒否したかった。
「部活出れなくなってもいーなら知らねー」
「話すだけなら今話してもいいじゃねぇかっ」
「バスケの時間はバスケしてー」
「俺じゃ練習相手にならねぇってか!」
怒鳴ってからはっとする。これがだめなのだ。流川に負けたくない気持ちに加えて、好きだからこそ相手にならないという態度がいっそう惨めで恥ずかしく感じられて、他の誰に言われるように練習あるのみと素直にバスケに奮起するのではなく、暴れてしまいたくなる。桜木はぐぐっと歯を噛み締めた。体育館の外で話していようが喧嘩になりそうだが、部活中じゃないなら、宮城に怒られる可能性は低くなるかもしれない。多少流川に対しておかしな態度を取ったところで、大義名分があり、言い訳できるのだ。今なら、今だけでも、いい加減これまでとは違う自分を受け入れるべき。
「…分かった」
桜木の返事に満足したらしい流川が、先に体育館に入って行きボールを手に取った。すぐにドリブルの音が聞こえてくる。流川への好意や、彼に対する執着、コントロールできない感情、逃げ出したくなるような恥ずかしさ…そういったものを抱えてじっとりと汗ばむ手のひらでぐっと拳を作ってから、桜木もまた、ボールとコートを目指した。