現代陰陽師パロ②2.式神の男
陰陽寮の四部門には、それぞれ最高責任者として『博士』の位が置かれている。
例えば、私が所属する暦部門の博士は大包平様だ。暦は古来より古備前派の陰陽師が統率してきた部門であり、その博士の任もまた、代々当主が受け継いでいる。
陰陽師にとって、血脈は避けようのない宿命である。
ゆえに暦ばかりでなく、漏剋には粟田口派、天文には青江派、そして陰陽には三池派と、それぞれに由緒ある名家が博士の位を継いできた。
私は、前を歩く信房の背を、そっと見つめた。
墨を流したような深い黒の狩衣は、古備前の血を継ぐ者にのみ許された衣装だ。
その肩にかかる重責は、私のようなしがない術者の想像をはるかに超えている。
私と信房が仲を公にできない理由もまた、ここにあった。
木の葉の擦れる音と、鳥の音が遠くで重なり合う。
「陰陽部門はこっちかな」
「いえ、こちらです。先月からの改修工事が長引いて、普段とは違う棟のはずですから」
「ああ、そっか。助かったよ〜」
はたから見れば、高位の陰陽師と、その後ろに従う一介の部下としか映らないだろう距離を保ちながら、私たちは回廊を歩いていた。
人の気配が薄く、沈香の香りが重く漂っている。
「──おやー? 珍しい。信ボーだ」
ふいに頭上から、愉しげな声が降ってきた。
仰ぎ見た大木の枝に、一人の男が腰掛けている。赤銅色の長い髪をさらりと肩に流し、空色の瞳を細めるその姿に、信房が気さくに手を上げた。
「お〜ごっちん、久しぶり〜」
白い装束を身に纏った男──ごっちん、もとい後家兼光は、信房と私を順に見やり、涼し気な笑みを深める。
この美しい男は人間ではない。
式神である。
霊格の高い陰陽師は、妖や精霊など、人ならざるものを式神として従えることができる。
後家兼光は、古来より人間に力を貸してきた式神の一族、長船派のひとりだった。
「今日はどうしたの。ボクの惚気話でも聞きに来てくれた?」
思わずおお、と漏れそうになった声を、慌てて堪える。
後家が術者の女性に熱を上げていることは、庁内では有名な話だった。
彼と親交のある信房が、いきなりの話題にも慣れた様子で笑っているあたり、どうやら噂は真実らしい。
「ん〜、それもいいけど、聞きたいことがあって」
「螢惑星のことなら、何度聞かれても答えは同じだ。陰陽部門では、まだ何の結論も出てはいない」
ほんの少し、後家の声が冷えた。
威圧ではない。
ただ、これ以上何を言おうと答えは変わらぬ──そう言外に告げるような冷静さがあった。
信房と後家兼光が、微笑を浮かべたまま視線を交わす。
「……何を隠している?」
やがて、信房が静かに問うた。
口元はまだ笑っているが、金春色の目の奥には、鋼のような鋭さがあった。
やはり古備前の男だ。
しかし、
「“御不審の由、尤も余儀なき儀に候“──ってね」
後家はけろりと言ってのけ、軽やかに枝から飛び降りた。
「一言多かったかなぁ。ただ、部内でも意見が割れてるってだけだよ」
肩を竦める後家に、信房の瞳が僅かに緩む。
「今こそ、結束を見せるときなんじゃない?」
「はは、ソレ、おつうが聞いたらうんざりしそう」
そう笑みを零しながら、後家はちらりとこちらを流し見た。
ふうん、と小さく呟いて、意味深に首を傾げている。
その眼差しに押されるように半歩退がると、信房がさりげなく私の前へ出た。
「ま、とりあえず陰陽部門へ行くよ。他部門の様子がどんな感じか、興味もあるしね」
「っふふ。実りがあるといいね、信ボー。それから、キミも」
「……はぁ……」
それじゃ、と片手を振った次の瞬間、後家の姿は煙のように消えた。
残されたのは、梅の花びら一片。
「……私、このひと苦手かも」
「俺は結構波が合うけどなぁ。好きな人がいる男同士」
複雑な色を浮かべる私に、信房がへへっと笑った。