現代陰陽師パロ⑤5.判明
戻ってきた。けれど、それだけでは駄目だった。
「……たはは、参ったな」
自分の体が、光を帯びている。
烈しさはない。寿命を燃やす螢のように、頼りない光だ。
急がねばならなかった。さもなくば、存在の維持が危うい。
ふいに、大きな影が視界に被さる。
「キミ、どうしたの」
見上げると、赤髪の男が立っていた。
空色の瞳と、確かに目が合う。なぜ、オレが見えるのか──聞くまでもなく納得した。
「ああ……式神か」
仲間だと、一瞬思った。けれど今の状態では、そう名乗る資格があるのか疑わしくて、思わず乾いた笑みが漏れる。
赤髪の男は、整った眉根をぐっと寄せた。
「……現し世との縁が途切れかけてる。キミの術者は?」
「さぁ、ここにいるはずなんだけどね。ご覧の通り、顕現もろくにできない有様で」
「名前を教えて。ボクが連れて行くよ」
「名前……名前ね……なんだっけなぁ……」
息をするたび、視界がぼやけていく。肉体の限界が近いのだ。重いまぶたを閉じると、闇の中にぼんやりと『誰か』が見える。
オレは、誰を待っているんだ。
誰のもとへ戻りたくて、ここにいるのか。
「……それこそ、光って待てばいいって……言われたはずなんだけどなぁ……」
意識が途絶えた。
◇
藍色の光が空間をやわらかく満たしている。
その中心で、大きな天球儀が、軋みもなくゆっくりと回っていた。
ドーム状の天井には、本物と見紛う星々の光が散りばめられている。
まるで、幻想の夜に迷い込んだかのようだった。
ここは、天文部門の棟である。
──螢惑星を見つけた女の子に会ってみよう。
そう言い出した信房について来たはいいものの、天文棟の四方から向けられる視線には、どこかざらついたものがあった。
胸の奥が、じわりと騒ぐ。嫌な予感がする。
「ああ。彼女なら今はいませんよ。異動になりましたから」
案の定、とでも言うべきか。
見習いの所在を尋ねた信房に、受付の女性は、眼鏡をくいと持ち上げながら、淡々とそう答えた。
「異動?」
思わず聞き返すと、女性の隣にいた少年が苦笑した。堀川派の式神の装束を纏っている。背格好からして、堀川国広だろうか。
「主さん、それ、言っちゃダメなんじゃなかったっけ」
「あ、そうだっけ?」
「もう。──すみません、信房さん。折角来ていただいたのに申し訳ないんですけど、螢惑星を見つけた術者は、もうここにはいないんです」
「いないって言われてもなぁ〜」
信房が、頬をぽりぽり掻いた。
「異動って、どこに行ったの?」
女性は、先程軽やかに叱られたばかりともあって、返答に窮したらしい。助けを求めるように隣を見て、「ほりかわくん」と呟いた。
「さぁ。僕たちの口からは何とも」
一方の式神は、にこやかな笑みを崩さない。穏やかで、礼儀正しく、実に厄介な対応だった。
信房が言う。
「さっき漏剋に行ってきたけど、そういう話は聞かなかったな」
「そうですか? まあ人事の話なんて、他部門にはいちいち伝えないかもしれませんね」
「うーん、だけど、暦にもそんな話はないし。ということは、行き着く先は一つだね」
信房は、納得したようにぽんと拳で手のひらを叩いた。
私は、先程訪れた陰陽棟の様子を思い出し、こくんと息を呑む。
陰陽部門が何を隠していたのか。その答えが、ついに明らかになった瞬間だった。
だが、バレたところで特に動じる様子もなく、堀川国広は肩を竦めただけだった。
信房はそのまま、もう一つ問いを投げかける。
「どうして異動になったの?」
「うーん、どうしてでしょうね。それこそ、上の判断ですから」
そのとき、カツンとヒールの音が床に響いた。
「すいちゃん、堀川くん。どうかした?」
「あ。先輩」
一同の視線が向く中、一人の女性が微笑みと共に現れた。そのすぐ背後には、褐色の肌をした男が無言で控えている。
この二人は、何度か顔を見たことがある。椿と、大倶利伽羅。確か、天文部門でも上位に名を連ねる陰陽師たちだ。
「これは暦の古備前信房様。なにか御用でしょうか」
小首を傾げる椿の後ろで、大倶利伽羅が静かにこちらの出方を伺っている。
「珍しいね、天文部門から陰陽部門に異動だなんて。しかも内密に」
質問に答えず、信房は気楽な口調でそう言った。椿は笑みを深めるだけで、何も返さない。
「犬猿の仲で有名な二部門が結束するなんて嬉しいな。そこに俺たち暦も入れてくれたら、もっと嬉しいんだけど」
「仰りたい意味が分かりませんが」
「言葉の通りだよ。俺たちも混ぜてよ、きみたちの企みに」
信房の声には、柔らかな重みがあった。
「……椿」
「大丈夫」
大倶利伽羅に応じる彼女の視線は柔和で、しかし、私達から決して逸れない。
「企み? なんのことですか」
いつのまにか、周囲はしんと静まり返っていた。
数多の視線がこちらに突き刺さってきて、背中にじわりと冷や汗が浮かぶ。それでも、信房に臆する様子はなかった。
「陰陽棟には、たくさんの護符が貼ってあるよね。さっき行った仮棟にも、本棟と同じようにびっしり札が貼ってあった」
確かに、あの仮棟は急ごしらえにしては妙に重々しい雰囲気を漂わせていた。いくら陰陽棟といえど、あれだけの護符を短期間で用意するのは容易ではないはずだ。
だが、もしも――あらかじめ準備されていたとしたら?
ふいに、漏剋棟で目にした工事の不自然な記録が、脳裏に鮮やかに蘇った。
もしかするとこの工事は、単なる設備の改修ではなく、仮棟の増設そのものが目的だったのではないか?
本棟と仮棟──護符と呪術で固められた、二つの建物。
それを結んだ方角を思い浮かべて、ハッとした。
鬼門だ。
「鬼門には、すでに結界が張られているはずだよね。それなのに、どうして二重に結界を重ねるような真似をしたんだろう」
「そう言われましても。陰陽棟の事情なんて、私たちには計りかねます」
顔色一つ変えない相手に、とうとう、信房の口元から波が引くように笑みが消えた。
|「……もしも何かが迫っているなら、隠し事をしている暇はないよ。今こそ、俺たちの結束を見せるときだ」
海色の瞳に、揺るぎない光が宿っている。
椿は答えない。
けれど、その表情は、ほんの僅かに変わったように見えた。少し伏せられた睫毛には、信房の言葉の真意を、深く、慎重に見極めようとしている──そんな気配があった。
重い沈黙が落ちる。
椿が薄く口を開きかけた、そのとき。
「探したよ、信ボー」
がちゃり、と扉の開く音がした。隙間から風が流れ込み、それに乗って梅の香りが一筋漂う。
振り向いた先には、ふたつの人影があった。
揃いの髪色をした女と男だ。一人は、後家兼光。もう一人は、十中八九彼の術者だろう。
「依里、急がないと」
「分かってる」
短い会話を交わしながら、依里と呼ばれた陰陽師と後家兼光とが、迷いのない足取りでこちらへ向かってくる。
次の瞬間、堀川と大倶利伽羅が、それぞれの傍らを庇うように素早く前に出た。
「おい。何を連れてきた」
大倶利伽羅が低く唸る。その手はすでに腰の刀にかかっていた。堀川もまた、柄を強く握っている。
──何を、とは一体何のことだろう。大倶利伽羅たちが警戒しているものの正体が分からない。けれどその場の緊張感にのまれて、鼓動が否応なく速まっていく。
問いには答えず、後家と女は、割れていく人々のあいだを、ただまっすぐに進んできた。
そして──私たちの目の前で静かに歩みを止める。
「……ああ。同じ匂いだ」
後家兼光が目を細めた。傍らの術者が浅く頷き、信房へと向き直る。
「古備前信房。説明している時間がない、今すぐ、私達と一緒に来て」
「……俺?」
信房が答えるより先に、後家兼光が彼の左手首を、女が右の手首を掴んだ。
「はい、それじゃいくよ」
「……えっ?」
「えっ?」
そして、ぽかんとする信房を、二人がかりでずるずると引っ張っていく。……引っ張っていく?
「……え? えっ? どうしたのごっちん!?」
「いいから、いいから」
騒がしく引き摺られていく信房を、周囲はただ呆然と見送っている。私もまた、その中の一人だった。
急展開についていけない頭が、とにかく、このままでは信房が連れ去られてしまうということだけを、数拍遅れて理解する。
「ちょ……ちょっとまって! ──信房様!」
すでに扉の向こうへ姿を消しかけている彼らを、私は慌てて追いかけた。
──螢惑星を見つけた術者は、もうここにはいないんです。
先程言われたことが、不穏な残響となって脳内を巡る。
後家兼光は高位の式神だ。
それを従え、あまつさえ惚れ込ませるような彼女は、相当の手練なのだろう。もしも信房と共に雲隠れでもされたら、私はもちろん、大包平様でさえ見つけられないかもしれない。
扉を抜け、転がり出るように外に出ても、辺りに人影はなかった。
「信房っ……」
「おー、こっちこっち」
焦燥に叫んだその時、離れた場所から後家の声が聞こえた。
見ると、回廊の柱の陰に、三人が立っている。信房は、少し困ったような顔でぱくぱくと口を開閉していた。どうやら何かしらの術をかけられ、声が出ないらしい。
傍らの二人組はといえば、微かな笑みを浮かべて、ひらひらと手を振っている。
かっ、と胸の奥から怒りが込み上げた。
「ちょっと──なにを──」
「まあまあ、そんなに怒らないで。ほんとはすぐにでも向かいたいのに、キミを待っててあげたんだから」
走り寄った私に、後家は余裕の笑みを崩さず言った。これが怒らずにいられるか。言い返そうと口を開きかけた瞬間、女の手がすい、と横に動く。
途端に、唇が糊で貼り付けられたように、ぴたりと閉じて動かなくなった。
「あー、ごめんねえ。大声出されると困るからさ」
申し訳なさそうに言いつつも、女は手印を解こうとしない。精いっぱい睨めつけたところで「ごめんね」と柔く繰り返されるだけだ。
「ああ、依里は優しいね」
どこが優しい。ふざけるなよ、この男。
声に出せない抗議の気配を聞きつけたように、甘い視線を彼女へ注いでいた後家が、ふっとこちらを流し見る。
「これは必要措置だよ。キミだって、信ボーと一緒にいられなきゃ困るんでしょ?」
聞き分けのない子どもを諭すような口ぶりで言いながら、彼は僅かに身を屈めた。
形の良い鼻先がすんと鳴り、微かに口角が吊り上がる。
「──やっぱりね。彼と同じ匂いがする」
咄嗟に信房へ視線をやろうとしたその時、後家は、静かにこう言ったのだ。
「キミ、人間じゃないね」