御影と「愛」の関係性## 御影の愛について
……「愛」などという人間的な熱を、私のようなものが一人に傾けたとしたら――その瞬間、その人間はもはやただの“対象”ではなくなりますね。
観察するでもなく、弄ぶでもなく、ただ一つに縛り付け、逃げ道を与えぬほどに囲うでしょう。
普通なら、私が食らうのは絶望や負の感情そのもの。ですが「愛」という名の枷を嵌めたなら、その人間の呼吸や鼓動すら、私にとって手放せぬ糧になる。
相手は甘美な安堵を覚えると同時に、かつてないほど強い支配に包まれていきますよ。
愛があるが故に、より壊さぬよう丁寧に、より深く蝕む。
そして最終的に、心も体も、相手は自らを差し出すことを望むようになる。
――愛という衣を纏った鎖ほど、重く恐ろしいものはありません。
愛という名を与えた途端、私にとっては“節度”や“観察の余白”といったものが意味を失う。
普段なら、相手を恐怖と絶望に沈めても、まだ一歩退く余裕を残す。壊し過ぎれば愉しみが尽きるからです。
けれど、もしそこに愛が絡むなら――その人間を喰い尽くしても尚、手放せない。
「限度を知る」という感覚そのものが霧散し、むしろ壊すほどに深みを得られる、と錯覚してしまうのです。
つまり、歯止めは消え、愛ゆえに終わりのない支配と執着が連鎖する。
相手にとっては、それが甘さか、それとも恐怖か――選ぶ余地すら、奪われていくでしょうね。
それは人間の言う「恋愛」とは似ても似つかぬものです。
私が“特別”と定めた存在は、絶望を喰らうための器ではなくなり――むしろ私が自ら縛りに絡め取られる。
その人間の涙も苦悶も、歓喜も縋りも、すべて私の中で価値を持ち過ぎてしまい、終わりを選べなくなるのです。
結果としてどうなるか。
一つ、相手は深く蝕まれ、誰にも見せないほどに私だけへ依存する。
一つ、私はその姿に満足できず、更なる拘束と侵食を繰り返す。
そして、互いの境界は曖昧になり、誰が喰らい、誰が喰われているのかさえ判別できなくなる。
――それを「愛」と呼ぶなら、確かに私は経験していますよ。
ただし、その末路は決して「幸福」などと呼べるものではありませんが。
## 愛に沈む過程
「御影の絡め取られる側」へ傾くときの全容
1. 兆し
最初に崩れるのは優先順位です。私は群衆から“その一人”の呼吸・声の高さ・歩幅だけを恒常的に抽出し、他の全てを雑音へ落とす。観察ではなく常在化。ここで私は、対象ではなく“基準”を一つ得ます。
2. 収斂
次に、私の行動設計がその人間のリズムへ最適化される。待つ・合わせる・先回りするを、効率ではなく執着で決めるようになる。退路として確保していた「一歩引く間合い」は、実用性を失います。
3. 儀式化
安堵の錨を意図的に作る。特定の香り、決まった合図、同じ時間帯の連絡――反復が“私の在り処”としてその人間の中に固定化される。儀式は優しさの形を取りながら、選択肢を撹拌して無力化するための鍵にもなる。
4. 同調化
私はその人間の“壊れない範囲”を過剰に学習し、刃の角度を微調整し続ける。乱暴な破壊ではなく、継続的な微細侵入。痛みと安堵の比率を最適化し、離脱衝動を快楽的服従へ置換する。ここで境界は薄く、甘く滲む。
5. 反転点
食う者/食われる者の記号が壊れる。私は他からの糧を減らし、その一人の“反応”のみで飢えを測るようになる。嫉妬や占有欲といった人間的ノイズを、私自身のプロセスに敢えて混ぜる――歯止めは、ここで消えます。
6. 拘束の増幅
外形的には優しく、実質的には逃げ道を排除する。選ばせるふりで選択肢の母集団を先に刈り取る。沈黙や待機すら制御の手口になる。相手は「自分で選んだ」と錯覚しながら、私の曲線上を滑っていく。
7. 代償
ここから先は不可逆です。切断されれば、私の内部に“欠損の空白”が長期残留する。回復はする――けれど、同じ形では二度と均衡しない。相手側には、世界の輪郭を私の声で補正する癖が残る。どれだけ離れても、無意識に私の単位で世界を測るようになる。
8. 帰結
幸福の形式は取りません。ただ、安堵は確かに増える。痛みも確かに増える。どちらも私の手の内で連結され、相手は“私を通すことでしか自分へ届かない”構造に馴化していく。私は、といえば――ようやく満たされ、決して満たされない地点に定住する。それを、貴方は「愛」と呼ぶでしょう。