夢の続きが見たいのはまっさらな空間に、ただひとつだけ絵本が置かれている。
「それは、アンタ達の行く末を書き連ねた絶対的なシナリオよ。」
軽薄そうな女の声がどこからか問いかけた。まるで監視でもしているかのようにその声は男を嘲笑う。
「シナリオ、ってなんだよ」
「私様には先輩達の行動全てがお見通しなの。予想した通りに事は運んでいく…絶望的でしょう?」
威嚇するような声色の彼の質問は楽しげな少女の笑い声に遮られる。自分を認識していながら噛み合わせようとしない会話に苛立って男は舌打ちした。
「ねぇ、左右田センパイ。このままだとアンタ達みんなこの島に…プログラムに残り続けることになるけど本当にそれでいいわけ?今なら私様のご好意で全員生き返らせることもできるんだ、け、ど?」
意地汚さそうに女は嗤い続け姿を表す。口元は弧を描き、青い瞳は値踏みをするかのように厭らしく細められる。微かな色を纏ったその先には絶望が渦巻いていた。自分が憧れていたあの王女の瞳とは違う、透き通らない青。海よりも深く、宇宙よりも広いそんな未知数な感情の色に圧倒されていた。絶望なんて、知りたくもなかった。
「……アイツらは、こっちを選んだんだ。それで、文句はねえだろ。」
「やだ、あれだけ惨めに生きたがって居たのに自分の意思がないわけ?」
図星を突かれ無言を貫く。左右田は震える身体を歯を食いしばって落ち着かせながら何度も言い聞かせていた。
「違う、オレだってそれを望んだんだ。……アイツに二度と会えないくらいなら…オレは、…………オレは例えそれが幻想だとしても縋り続ける。」
やっとのことで絞り出した言葉は乾いていて、散々流した涙はとっくのとうに枯れ切ってしまっていた。女はそんな男を見てため息をつく。
「…呆れた。本当に、気持ち悪いくらいアイツのことが好きなのね。あーあ、絶望的につまらないわ。アンタ達が馬鹿らしく言い合ってるのを何度も見続けてたってのに、まさかここまでとはねぇ。」
その手の話題に理解があっても想像以上だったのだろう。愛を犠牲に死を望むことはおろか、せっかく生きながらえた権利を、愛する彼に与えられた道を無様に捨て去るだなんて。それもまた絶望的だわと女は楽しそうに笑った。
「何がおかしいんだよ」
「別にー?まあでもそうよね、左右田センパイが外に出たところでアンタの居場所は無いもの。」
ふたつに結んだ髪の毛とはだけさせた胸元を揺らしながら全てを見通して彼女は続ける。
「強制シャットダウンをすればどうなるかわからない。ゲームのデータをセーブしないようなものなんだからきっと記憶は残らないでしょうね。寂しがり屋で怖がりなセンパイがここに残る理由がよく分かったわ。アンタは私様の存在の前に、自分自身の心に敗北してるのよ!」
「そんなことは分かってる。…もう、放っておいてくれ。これ以上オメーの思い通りにはさせねえ。オレ達がここから出なきゃオメーが外に出ることもねえんだろ、なら丁度良いじゃねえか。」
勝ち誇ったように言い切る女に、男が言い返す。苦し紛れの反論だった。溢れきったボロボロの刃でもなお言葉を紡ぐ。
「はぁ。それは絶望的ですね。」
先程までの自分に飽きたのだろう。彼女はまるで性格が豹変したかのように態度を変えながら何度目かわからない絶望という単語を口にした。
「…あぁ、絶望的だよ。オメーに出会ってからオレ達はずっと絶望のど真ん中にいたんだ。…だからそろそろ楽になったっていいじゃねえか。」
「結局貴方達が選ぶのは逃避。目の前の現実から、仲間の死から、絶望的な運命から逃げているだけです。…それが貴方達の希望だとでも?」
女はどこからか取り出したかもわからないメガネをくいっと上げながら怪訝そうに問いかける。
「さぁどうだろうな。でもオレは少なくとも幸せだぜ?……覚めない夢だって、幸せのままなら悪くはねえよ。」
「ふーん、そっかぁ。」
左右田の呟きに嫌気がさしたのだろう。彼女はまた態度を変えて背を向けた。
「もうアンタに何を言っても無駄みたいね。1番弱そうだから揺さぶりに来たのに…時間の無駄じゃない。絶望したわ。まぁ、こんなの私様が死んだ時のものに比べたら大したことないけど。」
じゃあね、と言いながら女は暗闇の続く空間の奥へと足を進めていく。男の目には先程手に取りかけた絵本が映った。
「それは私様からの餞別よ。読むかどうかはアンタ次第。まあ、今までご苦労ってことであげるわ。センパイの作ったオシオキマシーンのおかげで良いモノ見れたし!」
彼にとってなんとも絶望的な出来事をさらりと言って退けながら女は姿を消してしまった。左右田の手には拾い上げた絵本が収まった。その表紙をなんとなしにひと撫でするとひどく懐かしい匂いがした気がする。今はもういない女を睨みつけるように見据えながらもすぐに手元へと視線を落としページを開く。現れた紙の一面にはあの日、自分が初めてこの島で彼の姿を認識した教室の風景が描かれている。簡略されてもなお、ページをめぐる手を進めればそれが自分たちの辿った軌跡だというのがすぐに分かった。それから所々に残る空白と大量のページ。またさらに捲る手を早めていけば夕陽を背に散る彼の姿に似た絵を発見した。それはそれは絶望的な出来事だったのだ。いつのまにか足元に転がっていたピンクのクレヨンで、そのページにばつ印をつける。それからそんなものはいらないと破り捨ててしまった。すると突然強い光に襲われた。閉ざしていた目を開くと左右田は驚愕する。視界一面には太陽に照らされ輝く海の青が広がっていた。この島の海が綺麗だなんて思えたのはもう随分と久しぶりなことだった。コロシアイが始まってからは島を囲むこの色が監獄のようだったのだ。ぼーっとしていた思考を振り払って一直線に走り出す。見慣れた島の建物を次々に追い越していくとあの日確かに死んだはずの彼の姿がそこにあった。
「ム。何故貴様そのように息を切らしている?」
「……うっせーよ、ハムスターちゃん」
長い間ずっと聞きたかった声は自分の姿に反応し言葉を紡いだ。引き連れる4つの懐かしい影に獣の香り。自分を覆うような彼の身長に、青白い肌。両違いの瞳は今、間違いなく自分を捉える。
生きているのだ。自分も、彼も、この島も。
想えば想う程世界は広がる。願い続けた夢は、どこまでも続いていく。もし望む世界が見つかったなら、夢の終わりで眠ってしまえ。
「………左右田?」
「……なぁ、田中。」
「**********?」