北風は似た者同士十月
「悪ふざけ」
「ふぁ、おはよ一彩」
「おはよう、兄さん」
ツアーから帰宅した燐音の休息日。一彩はそれにあわせて休みを取った。自室からだらしない恰好ででてきた燐音の足元には、とらきちが同じようにあくびをしている。
「二人で寝たのかい」
「ン? なんだやきもちかよ可愛いな」
「まだ何も言ってないよ」
一彩はキッチンでコーヒーを入れながら、ぼふんとソファに倒れこむ兄のためにマグカップをもう一つとりだした。兄の帰宅に合わせて買ったコーヒーは泡を立ててよい香りをたてる。ひとつには牛乳と砂糖を入れて、一彩は並んで隣に座った。燐音がはあと息を吐く。
「やっとツアーも終盤だぜ」
「長いようで、短かったね」
「あぁ。急に企画が舞い込んだときはどうなることかと思ったが、まぁやっちまえばなるもんだよな」
「ウム。評判はよく聞こえているよ」
「また来てくれるんだろ」
「千秋楽は必ず。四人で行く予定だよ」
「たのしみにしてる」
にこりと笑った燐音の膝にちょんと乗ったとらきちがテーブルに顔をのばした。自分のものが何もないのを見てか、にゃあと鳴く。
「お前のご飯もすぐに用意するよ」
「おら、おとなしく特等席にすわっとけ」
燐音は顔を伸ばしたとらきちを膝に乗せなおして、カップに手を伸ばした。一彩が代わりにとってわたす。コーヒーを口につけて、ほっと息を吐いた。
「いいな」
「兄さんの好みかな」
「これすき。どこで買った?」
「商店街の…」
兄弟の会話はのんびりとすすむ。とらきちはしばらくの間、おとなしく会話に耳を澄ませていたが、弾む会話に「にゃあ」と割り込んだ。
「はいはい、朝ごはんな」
「僕らも食べよう」
「おう」
二人が立ち上がる。とらきちもそれに続いてキッチンへとむかった。一彩がキャットフードの用意をして、とらきちの器に盛る。うれしそうに食べ始めた飼い猫の隣で、二人も席に着く。
「いただきます」
「いただきます」
一彩が用意していた朝食を食べる。トーストに目玉焼き、レタスとトマト。シンプルなラインナップをぺろりと食べ終えて、片付けしながらコーヒーの話の続きをしていると、またとらきちが鳴いた。今度はなんだと下をみれば、おもちゃがぽんと置かれている。
「飯食ったから運動ってか」
「遊ぼう、とらきち。貸してくれるかな」
一彩がステッキ状のおもちゃを持つと、すかさずとらきちは低く構えた。一彩はリビングの方へ誘導しながら、とらきちへおもちゃを動かして見せる。燐音はしばらく皿を片付けながら様子を見ていたが、思い立ってスマートフォンを構えた。とらきちが飛んだタイミングを見計らってシャッターを切る。うまく撮れた写真を、少し加工してからSNSにアップした。
『この運動神経は弟似だな☆』
ぴこんぴこんとなる通知。燐音はスマートフォンを置いて一彩のもとに向かった。
「写真はうまく撮れた?」
「ばっちり」
「後で見せてよ」
「今見てもいいぜ。SNSにアップしたから」
「そういうのは許可を取るものだよ」
そう言いながら、一彩はおもちゃを燐音に渡した。自分のスマートフォンで燐音の投稿を見ると、カメラを立ちあげた。
「とらきち、うまく撮ってもらえよ?」
「兄さんも一緒に、だよ。ほら近寄って」
「あんまり近寄ったら引っ掛かれんだろ」
燐音はちょいちょいとおもちゃを揺らしてとらきちを誘う。じりじりと狙うとらきちと燐音の姿を一彩はパシャリと一枚撮った。そのまま操作して同じようにSNSにアップすると、すぐに反応がきた。平日とはいえ、誰かしらは見ているんだなぁ、と一彩はファンの生活を想像しながら、そういえばと話を変えた。
「この間の話なんだけれど」
「なんだ?」
とびかかってきたとらきちを見事に捕まえた燐音が、顔をぐりぐりと猫の腹におしつけながら続きを促した。
「ライブの。僕がプレゼントしたピアスとヘアバンドとコメント。あれから事務所のみんなにからかわれるんだ」
「ふぅん。よかったじゃん」
「コメントは嬉しいんだけど、そういうのは面と向かって言ってほしいよ」
「いいだろォ? そのおかげでお前は事務所で有名になった」
「有名と言っていいのか…。兄さんだっておんなじ状況じゃないのかな」
「んー、事務所最近帰ってねぇからわかんねぇわ」
「仕事先で誰かと話す度、『お兄さんと仲がいいんだね』とかいろいろ言われるんだ。兄さんは僕の前ではどんな人なのかな、って聞かれたり。返事をするのも大変なんだよ」
一彩は燐音から逃げ出したとらきちを抱き上げながら続けた。
「それから、これまでの写真を掘り起こされて兄さんと同じシャツだ、とかなんだとか。上げた当時もファンの間では話に上がっていたようだけれど、まとめ画像とやらまであっぷされているんだからね」
「いいじゃん、兄弟営業」
「確かに表向きは兄弟だし、藍良からも多少はするように言われているけれど。僕は兄さんとの関係を大切にしたいんだ」
「はぁ」
気の抜けた返事をする燐音に、一彩は恋人として主張した。
「だからね。仮付き合いを経て正式に付き合うことになった相手に、『惚れなおした』なんて言われたらどうなるか分かるよね?」
真面目な顔をしている一彩に、とらきちがぺしぺしと前足を当てる。一彩はとらきちを解放すると、兄の方へとにじり寄った。にゃあと鳴く猫を無視して、弧を描く燐音の唇に口づけを落とす。
「朝からえっちだな。しませーん」
燐音が一彩の腕をすり抜けて立ち上がった。「在宅だけど今日もライブの……、?」と言いかけて燐音はスマートフォンを手に首を傾げる。一彩はにっこりと笑って兄の元へ近寄り後ろから抱きしめて、HiMERUからのメッセージに固まっている燐音にSNSの画面を見せてあげた。
『僕らの一人息子は遊び盛りだよ』
「お、お前…! 普段そんなコメント書かねぇくせに!」
「一定数そんなファンがいるって恋愛ゲームの仕事で分かったじゃないか」
「知ってるのと売り出すのは別なんだよ!」
副所長に白い目で見られる! とわめく燐音を抱きしめたまま、一彩はファンの反応をみた。引用コメントでいろいろな言葉が見られたが、そのうちのひとつに目がとまった。
『とらきちくんは燐音くんと一彩くん、どっちになついているんだろう?』
「戦い」
「いーや、お前だろ」
「いや、兄さんだ」
リビングで膝を突き合わせた二人。表情は真剣で、しかしその議題は他人から見ればバカ親そのものだ。
「どう考えてもお前に懐いてる。よく遊んでるし」
「いいや、とらきちはしょっちゅう兄さんと寝ている。安心できる場所が兄さんと言うことだろう」
「それを言うならご飯をねだるのはお前の方が多い」
「それは僕の役割だからで懐いてるからじゃない。それを言うなら、兄さんが食べてるとすぐ寄ってくるじゃないか」
「それを言うなら、お前の方によくおもちゃを持っていくだろ。遊んでほしんだよ」
両者一歩も譲らず。二人の議論は平行線。お互いに猫の一番を譲り合う。はたから見ればなんとも猫バカな光景だが、二人はいたって真剣だ。
兄の強情にぶすりと顔をふくらませた一彩は、スマートフォンのアルバムを開いた。そのうちの一枚を開いて兄に見せる。
「とらきちと兄さん」
「寝顔を撮るたァいい度胸だな」
「こんなに安心してるのは兄さんだからだ」
「そういうなら俺っちもな……、ほら」
「ム、これこそ盗撮じゃないか」
「あぁ? 特に違法性はない写真だろ。とらきちのご飯を床にはいつくばって見てるかわいい弟」
スマートフォンには、台に乗せられたご飯を食べるとらきちと、同じ視線の高さに寝そべってじっと様子を見ている一彩の顔。燐音の指がピッと動く。動画も撮っていたらしい。かりかりと音を立ててキャットフードを食べる猫と、そんな様子を見つめる弟。
「熱く見つめちゃって一彩くんってば熱烈」
「うるさいな。兄さんはASMRって知らないのかい」
「ASMRがなんだよ」
一彩は自身の端末を操作して、とある検索結果を見せた。
「猫のカリカリ動画は人気があるんだよ」
「おお、いろいろあるな。とらきちも動画サイトデビューすっか?」
「話はそこじゃないよ。つまり僕の行為は普通だってこと。仲良しだとか、懐いているとかは関係ない」
「ただ猫のカリカリ咀嚼音を聞いてたってかァ? じゃあこっちはどうだ」
燐音がまた画面を操作する。映し出されたのは、一彩がテーブルで居眠りをしている横でぴったりとくっついてまるくなるとらきちの姿。
「また盗撮か」
「この後起こしてあげました~。お前がほら、fineのとこになんか言われたって時の」
「あぁ。兄さんが全国ツアーをやっているなら、模擬的に計画を立ててみてはどうかなと言われたんだ。本物の仕事でもないのに、かなり本格的にさせられるから困ってしまったよ。巽先輩たちを巻き込んでなんとか及第点はもらえたけれど」
「フラグなんじゃね?」
「フラグ? それより、 僕もとっておきのカードがあるよ」
一彩が差し出した写真には、庭につながる窓から外を眺めているとらきちと燐音がいた。とらきちがまだ小さいころの、春の写真だ。燐音は当時を思い出して懐かしくなった。
「とらも小さいなァ」
「このころから兄さんの隣にくっついていた。懐いている証拠だろ」
「そういうならな、…ほらあった」
燐音が見せたのは、頬に引っかき傷のある一彩と大きく口を開けたとらきちの写真だ。四月の、燐音がツアーから帰ってきた時のもの。今はとらきちのベッドタオルの一つになっているタオルはこの時に増えたのだ。宝物を奪った一彩への非情なパンチは、一彩の頬にしばらく傷を残した。話を聞いた燐音には笑われ、藍良には傷を作るなと叱られてSNSにまでアップされた。恥ずかしい記憶の一つだ。
「その記憶は忘れたよ。ほら、これなんかどうかな」
「ンだよ、喧嘩するのは仲いい証拠だぜ」
「こちらの写真の方が、皆から仲がいいと言われるんじゃないかな」
「ほー、お前は俺の寝顔ばっかだな。盗撮野郎」
仰向けにライブ資料に囲まれてふて寝を決め込む燐音の、お腹にまるくなった茶虎の猫。燐音は眉をひそめて一彩を非難した。
「この投げ出した資料をとらきちの気分が変わる前に片付けてあげたのは誰かな?」
「おーおー、慈悲深い一彩さまですよっと」
「げ、なんだいその写真」
「お前がとらきちと同じ姿勢でねこけてる写真」
ソファでごろ寝している一彩のお腹の上で同じようにお腹をさらけ出すとらきち。画面外から手が伸びていて、とらきちが気持ちよさそうに目を細めている。
「兄さんの手になついているんじゃないかな」
「俺が撫でる前からこの姿勢でした~」
「これじゃらちがあかないよ」
そう言って一彩はベランダ側を見た。燐音も同じ考えの様で、にたりと笑う。
「本人に聞くのが一番ってことだな」
「ウム。とらきち」
一彩が呼ぶと、寝ころんでいたとらきちの耳がピクリと反応した。ねこじゃらしのようなおもちゃを持った燐音がぴろぴろと猫の前にひっかける。しかし、だるそうに前足を少しだけあげて、ぱたんと床に落ちた。今は遊ぶ気分でもないらしい。
「北風と太陽だ。どっちにとらきちは反応するか」
「受けて立つよ」
一彩は立ち上がって、とらきちのおもちゃ箱からぬいぐるみをひとつ取り出した。四月のお土産のぬいぐるみだ。燐音の隣に座り、寅吉の前に差し出す。
「とらきち、遊ぼう?」
「俺っちと遊ぼうぜ」
おもちゃとぬいぐるみを顔周りでちらちらと動かす。とらきちは最初無反応だったが、やがてめんどくさくなったらしい、するりと起き上がって窓際に置いているキャットたわーの最上部へ上ってしまった。
「やべ、コート着こみやがった」
「ぼくらは二人とも北風らしい」
二人で顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「んじゃ、フラれた北風同士で遊ぶかァ」
「何するんだい」
「何がいい、えっちな恋人クン」