永遠と刹那の狭間で:8.東京へ8.東京へ
もう少しで夏休み。
期末テストも終わり、本来なら今日は気楽な週末であった。
しかし、高校三年生である七緒はいよいよ本格的な受験勉強がはじまるということで緊張感が高まっている。
しかし、少しくらいは息抜きをしたい。そこで今日は久しぶりに幸村と会うことにした。
「幸村さん!」
「七緒……」
待ち合わせは近くのショッピングモール。大きくはない街では限られたデートスポットのうちのひとつ。
今日は週末ということもあり、幸村は五月とともに天野家にご飯を食べに来ることになっていた。もちろん泊まっていく予定も込みで。
何気なく建物の中を歩いていると実感する。普通に会えるだけでも楽しいと。少し前の求めてばかりいる関係はなんだったのだろう? まるで何かに取り憑かれていたみたいに。
七緒はふとそんなことを考えてしまう。
テスト期間というのもあったが、最近はほとんど幸村と顔を合わせることがなかった。そして、何かにすがるように求め合うこともない。それは心の中から何かが剥がれ落ちたかのようだった。
「今はどういう生活を送っているのですか?」
「そうですね」
そう、こんな些細な会話すら楽しい。
そして、あっという間に時間は経ち、ふたりは天野家に帰ることにした。
母がご飯を用意している間、七緒は居間で予備校の夏期講座のパンフレットを眺めていた。デートの合間に立ち寄り、もらってきたもの。
「七緒、それは?」
そんな七緒に触れるか触れないかの距離で幸村が近づいてくる。
「予備校、大学に入るための勉強を行うところの予定表ですよ」
「そういえば、五月も同じ冊子を見てため息をついていました。でも、七緒までそのような顔をするとは正直意外ですね」
「まあ、勉強する量も多いし、そこまで努力しても兄さんみたいに受験会場までたどり着けない人もいるしね」
そう言いながら七緒は幸村に前から相談したかったことを持ちかける。
「幸村さん、話があって」
「何でしょう」
「私、大学は東京に行こうと思うの」
異世界に行く前までは何のためらいもなく自宅から通える範囲にある大学に行こうと考えていた。
しかし、異世界に行き、自分の本当の生まれを知ったあとでは、このまま地元にいることに抵抗を感じてしまう。なぜだかわからないが、そうしないといけないような気がするのだ。
ただ、ひとつだけ懸念が。
「そのためには家を出なくてはいけなくて」
目の前にいる男性は自分のために異世界まで来てくれた。
おそらく自分がどこに住むことになろうと、一緒についてきてくれるはず。
そうわかってはいたが、やはり不安がどこかにある。
「幸村さんにも一緒に来ていただけたら……」
最後は声が小さくなる。
しかし、七緒のそんな憂いを吹き飛ばすかのような笑顔を幸村は見せる。
「もちろんです」
その言葉を添えて。
そして、もうひとつの懸念を幸村に話す。彼は知っておくべき事柄だから。
「でも、いいの? 東京は徳川が幕府を置いた街よ」
「そのようですね」
徳川の名前を出したからだろうか。幸村の眉間に皺が寄っている。
盟友である三成と敵対していた相手、徳川家康。
異世界での三成やそして目の前にいる幸村がどのような運命を辿るのかは不明だ。
しかし、七緒たちが異世界にいた時点でも三成と家康の間には不穏な空気が漂っており、龍脈を正したところでどこまで争いを避けられたか不明だ。
「ですが」
そう言って幸村は七緒を見つめてきた。さきほどの瞳とは打って変わり、いつもの穏やかな瞳で。
「手段は違えど、静謐をもたらしたいという気持ちは家康公とて同じだったはず。おそらくこの世界の徳川家康も。そして、そこからつながる世界にあなたや五月が平穏に暮らす日々があるのですから、やはり恨むことはできません」
すると、そのときドアが開く音がした。七緒が振り向くと、そこにはストライプのシャツにジーンズをはいた五月がいた。
「あ、兄さん、お帰りなさい」
「ただいま。ところで幸村と話していたみたいだけど」
「うん、学校のこと」
そこまで話して七緒は思い出す。五月と進路をどうするか話し合ったことがないことに。
異世界に行く前まではふたりとも自宅から通える範囲でということで岐阜や名古屋の大学を候補にしていた。それは、五月や両親が七緒にはできるだけ家から離れてほしくないという思いがあったからだろう。
金銭的な事情も絡むため両親には既に了解を得ていたが、五月とは会う機会がなかったこともあり、まだ話していなかった。
せっかくの機会なので五月に自分の希望を話しておきたかった。
「七緒はどうするんだい?」
七緒はしっかりと五月の目を見つめながら答える。気持ちは固まっていると暗に伝えるために。
「さっき幸村さんにも話したけど、東京に行こうと思うの」
「随分思いきったことをするね」
言葉ではそう言うものの、五月はどこか納得した様子だった。もしかすると既に両親から聞いていたかもしれないし、そうでないとしても七緒の考えを見据えていたのかもしれない。想定していたほどの反対の色は見られず、却って後ろめたさを感じてしまう。
「うん。でも、単に都会の大学生を満喫したいだけかも」
東京に行きたいというのは単に都会に行きたいという欲望なのかもしれない。
そんなことを考える七緒に対して五月は優しい、でも何か遠くを見るような瞳をして話しかけてくる。
「でも、お前はもともと信長の娘だからね。日本の中心にいたいというのは本能かもしれないね」
そして、七緒も今まで五月に聞くに聞けなかったことを聞く。
「兄さんは大学、どうするの?」
最近は一緒に暮らしていないとはいえ、今まで一緒に過ごしてきた兄。そんな彼が今後の人生をどう考えているか知りたかった。
すると五月は何か吹っ切れたような声を出す。
「そうだな…… 京都にしようかなと思っているよ」
現役のときは名古屋の大学を受けた。そんな彼が進路先を京都に変更した理由を知りたかった。
その考えが伝わったのだろうか。
「そうだね、星の一族の本能かな」
そう答えてくる。かなりあっさりと。
でも、それだけを伝えられても七緒も、そして七緒の隣にいる幸村も深い事情まではわからない。
すると、五月はくすっと笑って説明した。
「こっちの世界に住んでいる星の一族もいるんだよ。人数にするとそれなりの数がいるらしい。日本全国のあちこちに住んでいるとはいえ、やっぱり京都に住んでいる人が多いし、資料も残っているからね。その中には日々研鑽しているものもいれば、既に力を失ったもの、あるいは隔世遺伝で力を発揮するもの、いろいろいるけど、せっかくの機会だから、京都に行って一族の力を研究してみるよ」
そう語る五月の瞳はかつて見せたような自信なさげな様子はなく、何かに吹っ切れたかのようだった。
だからこそこんな言葉が七緒の口から出てくる。
「兄さんの場合、成績が悪くて落ちたのではなくて、運が悪かっただけだもんね」
「それは言わないでほしいな」
瞬時に五月に突っ込まれたとはいえ、もともと五月の学力は高い。模試の志望校の判定も決して悪くなかった。ただ、霊障によって受験会場までたどり着けなかっただけで。そして、その霊障も七緒が異世界に行ったことで解決された。
来年こそ五月は合格の切符を手にできるはず。七緒はそう信じていた。
「そういえば、兄さん、幸村さんと一緒に住むことに反対しないんだね」
先ほどは深く考えなかったが、今までの五月の言動を考えると反対されるかと思っていた。だけど、むしろ好意的な反応だった。
「そりゃ、大切な妹が同棲するわけだから、簡単に『はい、いいですよ』とはいえないよ。でも、幸村と一緒なら安心できる部分もあるし、むしろ幸村がいるからこそ安心できる部分もあるしね。そして、七緒が一緒にいることは幸村にとってもいいことだと思うよ」
最後の一言が引っ掛かる。だけど、聞いても教えてくれるわけがない。長年の経験で七緒はそう悟っていた。
そして翌年春。
「やったー!」
「七緒、おめでとうございます」
「兄さんも合格おめでとう!」
天野家に届いたのは七緒と五月の吉報。
ふたりと、そして幸村の笑顔が満ち溢れる一方、三人とも心の片隅に隙間風が通るのを感じていた。
なぜならそれは七緒が兄と生活拠点を別にすることも意味するから。
嬉しさと寂しさ。そのふたつを抱えながら七緒は幸村とともに東京へ行くことにした。