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    kiri_nori

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    kiri_nori

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    メル燐。ドラマでキスシーン(そう見える角度で映しただけで実際にはやってない)を演じているひめるを見てしまった話。

    ##メル燐

    「…………は」
     燐音のその声は意図して発したものではなく、気が付いたときには口からこぼれ落ちたものであった。隣に座っていたニキもこはくも、その声が発せられる前にテレビから目を離して燐音の方を見ていた。ニキに至っては珍しく自分が作った料理を食べる手が止まっている。
     三人が見ているテレビの中ではHiMERUがヒロインの腕を引っ張り唇を奪う一瞬というドラマのワンシーンが放送されていた。燐音からすればやけに長く感じたその一瞬はヒロインがHiMERUの腕を振り払い逃げていく場面からの予告が流れてCMに変わったことと、両隣からの視線を感じてどうにか正気に戻ることができた。
    「……あ、あ~! メルメルったらキスシーンが流れることを言わねェなんてあいつもさすがに照れてたってことかねェ!」
    「ドラマの放送が始まる前に燐音はんがネタバレは禁止とか言ってたせいやろ」
    「それに燐音くんと違ってHiMERUくんはキスでは照れないんじゃないっすかね~」
    「誰と違ってだ、ニキこの野郎」
    「うわっ、ちょっ! こはくちゃん助けて!」
     燐音の腕によってニキがしめられる。……今のは口を滑らせたニキはんにも多少の責任はあるやろ。こはくはそう思いながらも、このままでは二人がドタバタしている間にお開きの時間になってしまいそうだ。それにここは共有ルームなのだから騒ぎすぎるのはいただけない。小さくため息を吐くと、こはくは燐音を引き剥がしにかかった。




     数ヶ月前、HiMERUに連続ドラマの出演が決まった。主人公であるヒロインが二人の男の間で揺れ動く恋愛が主軸の物語で、HiMERUの役はその二人の男の片方である。
     仕事が決まったときは燐音主催で激励会が開かれ、ギャンブルで大勝ちした燐音が色々と食材を買ってきて全部ニキに丸投げしたこともそれら全てが美味しく調理されたこともCrazy:Bの全員が覚えている。その場でドラマの放送が始まったら鑑賞会をしようという約束もしたのだから。
     リアルタイムで鑑賞会をするため集まるのはドラマの放送時間にオフのメンバーに限られていた。それでも基本的にほぼ全員が時間に都合をつけて集合しており、ニキが参加する日は作ったニキ本人曰く軽めの料理も持ち込まれるのでこれも楽しみの一つになっていただろう。
     ドラマの内容は、ある程度恋愛物のジャンルに触れていれば経験則からHiMERUが演じている役は最終的に振られるポジションだということは予想できるものになっている。しかしヒロインの揺れ動く心情が丁寧に描かれており、回を重ねるごとにどちらの男を応援するか視聴者の間では綺麗に二分されていた。
     HiMERUが鑑賞会に参加するときはほとんど黙っている。けれど、他の三人はHiMERUが演じている役を最初から贔屓して応援を続けていた。ヒロインの心がHiMERUの役になびいているときは「いけ!!!」と本当に恋愛ドラマを見ているのかという勢いで応援をして、相手の男になびいているときはハラハラしながら動向を見ているのである。

     そして今日の鑑賞会にHiMERUがいないのは、明日の朝早くからドラマの撮影があるためロケ地に前入りをしているためだった。キスシーンが放送される今日にHiMERUがいないのは幸なのか不幸なのかニキにもこはくにも分からなかった。
     こはくが燐音の首根っこを掴んでニキから引き剥がすと場が沈黙に包まれてしまった。先程はどうにか普段のノリで誤魔化そうとしていた燐音もこの後何を言えばいいのか分からなくなっているのかもしれない。いつもならば燐音が「感想タイムっしょ!」などと言いながら感想とHiMERUへの指摘の時間に変わる。HiMERUが参加しているときに口を開くのはもっぱらこのときだ。感想はともかく指摘までするのは主に燐音で、HiMERUはそれへの反論と指摘を受け入れるために口を開いている。あまり言うと先の展開が察せられてしまうためそこも気にしているのだろう。
     そんなHiMERUは今日いない。朝早いという話からもう眠っている可能性も高かった。つまり電話なりをして話を聞くことは不可能だ。
     ………………気まずい。
     燐音の心境は分からないが、こはくとニキの考えはおそらく一つになっていた。燐音の肩越しに見えるニキの表情が「こはくちゃん、これどうしよう」と語りかけてきていたからである。
     燐音がHiMERUと交際を始めていることは二人とも知っている。何なら片思いをしている頃から気付いていた。けれど片思いをしていた当時は何故か燐音は自分の感情がニキにはバレていないと思っていたし、HiMERUの方は自分の感情がこはくにはバレていないと思っていた。こっちにバレないよう気を遣うくらいなら早く付き合ってくれたらいいのに、と二人はよく話していた。
     そして現在は二人が交際をしていることはユニット内で公然の事実となっている。だからこそ沈黙に包まれている現在の状況でこはくとニキは何を言うべきか考えていた。撮影スケジュールを恨んでも仕方がないが、この場にHiMERUがいればどういう方向にしろ話が進むのにとも。
    「……あ~、燐音くん」
    「ンだよ」
     おずおずと言ったようにニキが口を開く。燐音の表情はこはくの側からは伺い知ることはできなかった。
    「分かってると思うっすけど、HiMERUくんのあれは演技であって仕事っすからね」
    「分かってンよ」
     二人の会話を聞きながらこはくはドラマのキスシーンを思い出していた。正直に言うとその場面の衝撃と燐音の状況が気になりすぎてキスシーンより前の場面の記憶がほとんどなかった。後でHiMERUに話を教えてもらうか藍良に頼んで見せてもらった方が良いかもしれない。……今考えるべきはそこではないと小さく頭を振る。
     確かに放送されたのは間違いなくキスシーンだろう。でも、HiMERUがヒロインの腕を引っ張ったことで映像として映っていたのはHiMERUの後頭部が主であったように思う。それもほんの一瞬のこと。腕を振り払ったヒロインが顔を真っ赤にして口を押さえていたことから物語としてキスをされたことは明白。でも実際には?
     そこまで考えてこはくの脳裏には過去に藍良から聞いた話が頭をよぎっていた。事務所や本人の意向によってキスなどの場面をやった風に見せかけることもあるらしい。HiMERU本人に訊かないと本当のことは分からないけれど、今回はその可能性もあるのではないだろうか。
     引き剥がすときに掴んでいた燐音の服から手を離すとこはくは自身のスマホを取り出していた。SNSに投稿されているドラマの感想にさっと目を通す。
    『あれって本当にキスしたのかな?』『あの勢いはさすがにキスしてるでしょ』『でも映ってないじゃん』
     ドラマ本編の感想は今だけは置いておいて、最後のキスシーンに対する感想だけ拾って確認していく。どうやら視聴者の間でも意見が分かれているらしい。今でこそアイドルをやっているが、こはくより沢山のドラマを見てきているであろう視聴者でもはっきりとした答えは出ないのだ。
     こはくは燐音の肩を掴んで無理矢理自分の方に顔を向けさせる。
    「こはくちゃ……」
     名前を呼ばれ終わる前に燐音にスマホの画面を見せつける。近すぎて見えなかったのだろう。燐音はこはくの腕を掴むと少しばかり遠ざけた。
     何の画面か説明はしていないことを思い出したが、燐音は何も言わずに視線が上から下へと動いていく。ドラマ名のハッシュタグで調べたのだから燐音は言われなくとも気付いたのだが、こはくがそのことに思い当たったのは感想を読み終わった燐音の視線が自分に向けられた瞬間だった。
     スマホから視線を外した燐音は片手をこはくの頭の上に置いたかと思うと、そのまま遠慮なく撫で始めた。突然のことにこはくの視界が自分の髪で遮られてしまう。
    「こはくちゃんってば俺っちが落ち込んだと思って慰めてくれたんだろォ? いや~いい子に育ってくれて燐音くん嬉しい」
    「誰がいい子やボケ。燐音はんに育てられた覚えなんてないわ」
     燐音の手を払いのけると奥でニキが起き上がるのが見えた。
    「なになに? 燐音くん元気になったんすか?」
    「俺っちは常に元気に決まってるっしょ?」
    「いや、僕が覚えてるだけでもそんなことは…………はい! 燐音くんはいつも元気っす!」
     こはくから離れた燐音の手がニキの頭に伸び始めたタイミングでニキは意見をコロッと変えた。あのまま話していたらどうなるか察することができたからだろう。
    「ニキはん、燐音はんに見せたんはこれや」
     場の空気が普段通りに戻ってきたためか再び料理に手を伸ばそうとしたニキにこはくは自らのスマホを渡した。もちろん画面は先程のままだ。間に座っている燐音はどこか座りが悪そうな顔をしている。
    「え~、こはくちゃんそれニキにも見せんの?」
    「ニキはんだけ仲間外れにするんか」
    「僕は別に気にしないっすけどね~。はい、こはくちゃんありがとう」
     見終わったらしいニキがスマホを返してくる。空いた手はもう完全に料理へと伸びていく。そして空気こそ普段に近しいものになったが、誰もドラマの話をすることはなかった。結局この日は他の仕事やレッスンの予定を確認すると、ニキが皿を空にしたタイミングでお開きとなった。




     HiMERUが不在だった鑑賞会の翌日、燐音の最後の仕事はソロで雑誌の撮影であった。大きなトラブルもなく仕事を終え、パチンコにでも行くかと思いながら現場を出ると少し離れた場所にHiMERUが壁にもたれて立っていた。どうやら手元のスマホを見ていてまだ燐音には気付いていないようだ。
     ……どうすっかなァ。昨日のこともあってまだ一方的に気まずさを残しており、その上まさか今会えるとは思っていなかったので第一声を何にするか悩んでしまう。
     燐音が把握している限りで今日のHiMERUにこの周辺での仕事はない。早朝からのドラマ撮影だけだったはずだ。特に荷物を持っている様子がないことから撮影が終わった後に一度寮に戻って宿泊用の荷物は置いてきたらしい。それからわざわざ燐音が仕事をしていた現場の側で立っている。これで燐音に何の用事もないと捉えるのは無理があるだろう。
     パチンコに向かうのを諦めて気合いを入れるように小さく息を吐き出すと、わざと足音を立てながら燐音はHiMERUの方へと歩みを進めた。
    「メルメル~こんなとこで何してンの? もしかして俺っちに会いたくて待ちきれなくなっちゃった?」
     この程度の軽口はただの挨拶にすぎない。HiMERUが否定をするか適当に流してようやく本題に入る前のきっかけの一つだ。HiMERUには「もっと普通に話しかけてください」とよく言われるが、燐音に変える予定はなかった。だから今日だって流されるつもりでいる。
     HiMERUはスマホを仕舞うと静かに顔を上げた。……どこか機嫌がいい? 燐音がそこも問おうと思ったがそれよりも先にHiMERUが口を開く。
    「待ちきれない……というわけではありませんが、天城に会うために来たのは事実なのですよ」
     思わず唖然とした顔を晒しかけた燐音がどうにか口を閉じた。HiMERUは今何を言ったのだろうか。そりゃあ仕事が終わった時間に外にいたのだから会うために来たに嘘はないに違いない。だけど、HiMERUはそんなストレートに言ってくることはなかった。用事があるから仕方なく待っていたとか、そういう言い方をしてきていたはずだったのに。
    「へ、へェ~! 俺っちってばモテモテで困っちまうなァ!」
    「恋人にモテるのならそれは嬉しいことでは?」
    「はァ!?」
     つい声が裏返ってしまった。そして燐音は自らに集まりかけている熱を振り払うように周囲を見渡してしまう。自分達以外に人の気配はなかったが、さっきまでいた撮影現場は遠くなくいつ誰が通ってもおかしくない。いくらここがESビルの中で一般人はいないとしてもだ。
    「そんなに気にしなくても他に人なんていませんよ」
    「……ンなの分からないっしょ」
    「天城が出てきたスタジオならもう次の撮影が始まっています。撮影内容からしてもしばらく人の出入りはないでしょうし、出入りがあればさすがにHiMERUが気付いています」
     そういえば撮影前に今日はスケジュールが詰まっているという話をした記憶が燐音によみがえる。その時は世間話の一つとして捉えていたが、なるほど確かに今まさに中で仕事が行われているという廊下の静けさだ。
     つまりHiMERUはただ単に仕事終わりを待ち伏せたわけではなく、人がいなくなるタイミングも見ていたことになる。ならば相応の用事があると思うのだが燐音には内容の想像が出来なかった。知らない間に何かあったと考えるにはどこかHiMERUの機嫌が良すぎる。少なくともHiMERUに対してマイナスの用事ではないということだ。
    「とはいえ、さすがにこの場所では天城も話に集中できないでしょう。場所を変えますか」
     ついてこいという風にHiMERUが歩き出す。何となくこのまま付いていっていいのか悩んだが、機嫌がいい理由が気になってしまう。しょうがないと燐音が付いていけば会議室にたどり着いた。
     ……ここを使うということは燐音と会う前から予約を入れていたことになる。どうあがいてもHiMERUに今日話すことを逃すつもりはなかったらしい。座る気にはなれず壁にもたれれば、HiMERUも隣に並んだ。
    「それでェ? メルメルはこんなところまで連れ込んで燐音くんに何の用事なわけ?」
    「今朝起きたら桜河と椎名からメッセージが入っていまして」
    「んん?」
     嫌な予感がする。昨日の今日で二人の名前は嫌な予感しかしない。この予感は当たってしまうんだろうなと思いながらも、燐音は外れることを祈らずにはいられなかった。
    「桜河からはドラマのキスシーンは本当にしたのかという質問で、椎名からはキスシーンを天城は気にしているだろうけど自分からは中々訊けないと思うからHiMERUの方からそれとなく言ってほしいという内容でしたよ」
    「………………」
     燐音の口が何かを言おうとただ開閉だけを繰り返している。
    「桜河は疑問を解決したいという訊き方でしたが、天城のことを気にしているのは明白でした。……椎名はかなりストレートでしたね。ああ、二人ともにちゃんとメッセージは返しているのでそこは安心を」
    「あ、あいつら……」
     ……嫌な予感が、想像以上の鋭さで当たってしまった。燐音は頭を抱えてしゃがみたくなる気持ちを必死に抑え込んだ。
     とりあえずニキは後で絶対にしめる。こはくちゃんほどとは言わなくても、もっと訊き方があっただろう。ただ、ニキの指摘自体はごもっともであった。HiMERUとの出会い頭に「そういえば昨日のドラマって本当にキスしてンの?」と言えなかった時点で燐音から話題に出す可能性は限りなく低くなっていた。例えドラマの次話の鑑賞会の日が訪れようともである。
    「ふふっ、二人がメッセージを送るほど心配するなんて一体天城はどんな反応をしていたのですか。HiMERUも気になってしまうのです」
    「……うっせ」
     HiMERUの方を向いていられなくなってつい逆の方を向いてしまった。そしてどうにもHiMERUの機嫌が良かった理由にも察しがついた。ニキだけでなくこはくにも筒抜けなほど燐音がキスシーンに対して反応したことを知って嬉しかったのだろう。そこそこの付き合いを経て、HiMERUはこういうときに喜んでしまうと燐音は理解していた。理由を訊いたことはない。普段見られない反応を見られることが楽しいのだと燐音は予想している。……HiMERUがいないときに起こったことでも適用されるのは想定外であったが。
    「桜河と椎名にはもう真実を伝えていますが、天城はどちらだと思いますか?」
    「どちらかなんて俺っちには何の話か分からないっしょ」
     ここでとぼけたところでただの悪足掻きにすらならないと分かっている。
    「昨日のキスシーンが本当にやっていたかどうかですよ」
     ほら、HiMERUだってストレートにとぼけられないくらいはっきりと訊いてきた。燐音の脳内に昨日のワンシーンがフラッシュバックする。……正直に言ってしまえば「ほとんど覚えていないから分からない」が答えとなる。
     あのキスシーンに衝撃を受けたのは事実だ。自分とはまだしていないのにという考えも頭をよぎった。ただ、頭がすぐに真っ白になってしまってHiMERUとヒロインがどういう体勢だったかすらもまともに覚えていない。
     別に燐音はHiMERUが本当にキスしていようとそれは仕事なのだから構わないと考えている。気にしないではなく、構わないということだ。出来る限り避けられたらと思っているが、燐音だって仕事とあれば割り切れるようどうにか頑張りたい所存ではある。さすがにそうなるとファーストキスは隣の男としたいと思っているけれど。
     だから、ここでの答えは正直に言うのではなく賭けに出るべきだ。どちらだったら嬉しいかを言葉に乗せるだけでいい。
    「……メルメルはしてねェっしょ」
     沈黙が流れる。外れたのか、答えを焦らしているだけなのかHiMERUの方を向いていない燐音には何も読み取ることはできない。ここで催促をすることも何だか憚られた。だけれど、燐音にこの沈黙は耐えられなかった。とっとと答えを教えてほしい。
    「天城」
    「……なに」
    「こちらに向いてくれたら教えてあげます」
     ……あ、こいつ、今どんな顔しているのか見たいんだな。
     それに気付いたところで燐音に首を動かさないという選択肢はなかった。だって燐音はキスシーンの真意がどちらなのか知りたくてしょうがない。先程の短い沈黙だけで見事に焦らされているのだ。今正解を知っておかないと今後二度と答えを知れる機会は訪れないだろう。
     出来る限りポーカーフェイスでいようとしながら、燐音はゆっくりと首を動かしてHiMERUの方を向いた。
    「HiMERUは実際にキスなんてしていません」
     そう答えたHiMERUは少しだけ口角を上げて目を細めながら燐音を見ていた。この表情を燐音は知っている。好きなものを、見るときの顔だ。見事に一瞬ドキリとしてしまった自分を誤魔化すように燐音は心の中だけで悔しがった。
    「ほら! やっぱり俺っちの勘はよく当たるっしょ!」
    「おや、勘だったのですね。てっきり本当に見抜いていたのかと」
     心臓がうるさく音を立てているせいだろうか。わざとでも何でもなく、口を滑らせてしまった。
    「突然見せられて見抜けるほど俺っちに余裕はありませーん」
     ふざけたトーンで言ったが嘘偽りない本音である。ここまできたら今後のためにも全部ぶっちゃけた方が早いと燐音は幾分かヤケにもなっていた。HiMERUは驚いたのか少しだけ目を丸くしている。
    「それは……黙っていてすみませんとHiMERUは謝った方がいいですか?」
    「べっつにィ。放送前の内容を無許可で個人的にしゃべるのはマズいっしょ」
    「ええ、そうですね。でも天城が謝れと言うのなら口先だけで謝るつもりでしたよ」
    「口先だけ?」
    「逆の立場なら天城もそうするでしょう?」
    「きゃはは! 違いねェや」
     笑ったことでHiMERUと会ったときからどこか崩れていた燐音のペースが戻ってきたように感じる。ヤケになった効果もあったのかもしれない。本当に、HiMERUを責める気も謝ってほしい気も全くないのだ。ただひたすらに驚いて、上手く記憶に残ってすらいないあの光景を引きずってしまっていただけで。
     ……ヤケついでに滑らせてしまっていた口をもう少し滑らせてもいいだろうか。
    「メルメルに対して仕事をきっちりこなしたんだから何かを言うつもりはこれっぽっちもねェ。……でも」
     言葉を区切って唾を飲み込む。アルコールも入ってない状態で意図的に口を滑らせるのはやっぱりいくらか勇気がいる。この話が終わったら速攻でHiMERUから逃げて酒を飲もう。ひっそりと決意することで燐音は続きを滑らせるべく口を開いた。
    「本当にキスしてたら顔には出さねェけど、多分それなりに引きずってた。だから、今の俺は安心してる」
    「……天城」
    「あ、あ~! この話はもう終わり! じゃあ俺っちはちょっと出かけてくるから!」
     部屋を出るために駆け出そうとした燐音の腕をHiMERUがほぼ反射的に掴んだ。今逃がせば逃げ続けられると察しての行動だろう。
     そして羞恥に襲われている燐音はさっさと逃げ出したかったが、HiMERUの手がそうさせてくれない。軽く振り払ったところで離してくれるような強さではなかった。燐音ならこれを本気で振り払うことは可能であるけれど、HiMERUに怪我をさせるおそれがあった。結局、逃亡に失敗した時点で燐音に話を終わらせることは不可能だったである。
    「天城、恥ずかしくなったからといって逃げようとするのは悪い癖なのです」
    「それを指摘することによって俺っちの羞恥を煽るのはメルメルの悪い癖だぜ?」
    「照れながら言われても痛くも痒くもありません。それに例え悪癖だろうと天城以外にやることはないのでご安心を」
    「……そこの心配はしてないんだけどォ」
     マジで逃げたい。燐音の気持ちはHiMERUに完全に伝わっているが、涼しい顔をして掴んでいる手を緩めない。力を抜いてちょっと殊勝な表情を浮かべてみてもだ。ここで緩めたら逃げると思っているのだろうか。HiMERUがそう思っているのなら大正解で燐音は今でも逃げる隙を探していた。燐音にとって残念なことに、こういう状況においての思考を見抜かれるほどにHiMERUと同じ時間を過ごしてきて普段は見せない腹の奥を見せてきていた。
    「今回のドラマで実際にキスをしなかったのは相手方の事務所の意向でした」
    「……ヒロインの?」
     燐音ならばここで言葉を挟んでくるだろうというタイミングでHiMERUが言葉を区切る。そのテンポが心地いいと感じているから燐音にはどうしても黙るという選択肢は取れなかった。
    「はい。少なくとも彼女がもう少し年齢を重ねるまではキスはさせないという意向だそうです」
    「まァ、その辺は事務所によるだろ」
    「そしてコズプロはHiMERUに対してキスのNGは出していません。ここは今回のドラマの撮影が始まる前に副所長に確認したので間違いはないのです」
    「用意周到なこって」
     確認こそしていないが、燐音に対してもNGは出していないだろう。キスは結婚してからというアイドル「天城燐音」として似つかわしくない考えを持っているので仕事といえどキスは出来ません。なんて、燐音は茨に伝えてないし伝えるつもりはない。というかわざわざそんな弱みを見せられる相手でもなかった。所属している事務所の副所長だろうとである。いや、だからこそだろうか。
     しかし、HiMERUの話の終着点が見えない。ここで力を緩められても続きが気になって逃げないかもしれない。燐音にこう思わせることがHiMERUの目的なら見事に成功していると言えた。だって、自分のペースじゃないときに逃げるなんてただの敵前逃亡だ。必要とあらばその選択肢を燐音は取ることが出来るが、どうしたって燐音には今必要だとは思えないのだから。
    「今すぐではなくともHiMERUに今後キスをする必要がある仕事がくる可能性は高いと考えています」
    「そうだなァ。それは俺っちでもそう思うぜ。世間がメルメルのラブシーンを放っておくとは思えないっしょ」
    「幸いと言っていいかは分かりませんが、今受けている仕事もオーディションの予定がある仕事もそういった内容ではありません」
    「あれ? 無視?」
    「……天城の考えは理解しているつもりで、実は今回の仕事を受けてから考えてみたのですが」
     燐音の腕を掴んでいたHiMERUの手に込められていた力が強くなる。何かとんでもないことを言われると燐音の勘が告げていたが、自由にできるのが片腕だけでは耳を塞ぐことだって出来ない。
    「実際にキスをする仕事が来た場合、それよりも前に俺は天城とキスしたいと思っている」
    「……はァ!?」
     ほら、やっぱり勘が当たった。こんなに当たるなら今日はHiMERUに気付かなかったことにしてさっさとパチンコに行くべきだったのだ。燐音がそう考えたところでもう遅い。燐音の耳は目の前の男の言葉をはっきりと拾っており、反応した時点で聞こえなかったなんて言い訳はできないからだ。
     掴まれている腕からじわじわと熱が侵食してきている気がする。HiMERUの手が熱を持っているのか、燐音自身の体が熱くなっているのか理解することは出来なかった。
    「……別に無理にしようとは思っていませんが、どうにかして天城を口説き落とす自信くらいはあるのです。これで、HiMERUの話は終わりです」
     今まで力強く握られていたのが嘘のようにパッと手が離される。掴まれていた部分が少し赤くなっているが、この程度ならすぐに分からなくなるだろう。おそるおそるHiMERUを見れば燐音から目を逸らしている。
     逃げることも忘れて燐音はどうしようかと考えてしまう。まさかHiMERUも似たようなことを考えていたなんて思わないだろう。仕事でやることになるのならその前に相手とやりたいだなんて。
     ……今度は自分がHiMERUの顔を見たいなと、燐音の方からHiMERUの腕を引っ張った。
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