「はい、どうぞ」
　両手を広げた状態のHiMERUにそう言われてしまい、燐音はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。ふざけてこのまま飛び込むべきなのか、それとも何か適当にはぐらかしてこの行動を止めさせるべきなのか結論が出ない。途端にフリーズしたように動かなくなった燐音を見てHiMERUがわざとらしく不思議そうな表情を浮かべて口を開く。
「どうしたのですか？　天城が言ったことでしょう。『二人が来るまで暇だから構ってほしい』なんて」
「確かに言ったけどさァ……」
　言った。言ったけれど、その結果が手を広げて待たれるとは思いもしないだろう。そもそも軽い気持ちで言っただけで、精々がこはくとニキがやって来るまで話に付き合ってくれればラッキーくらいのつもりだったのだ。
　視界の端でちらりと時間を確認するが二人が来るまでにはまだ時間がありそうなことに頭を抱えたくなった。前の仕事が早めに終わったからといってレッスンルームに直行するんじゃなかったと燐音は少しばかり後悔していた。レッスンルームに入ったらHiMERUが一人でいて、全員集まるまで暇だから構ってほしいと言っただけなのに。適当にあしらわれて終わるだろうと踏んでいたら、こんな方向に予想が外れるなんて思いもしなかった。
　よし、適当にはぐらかそう。燐音がそう決めるよりもHiMERUが次の発言を口にする方が速かった。
「ああ、もしかして普段こちらが何かを言う前に近付いてくる天城みたいにHiMERUの方から触れてほしいということですか？　すみません。中々気付けなくて」
　まるで悪いと思っていない口調で謝ると腕が燐音へと向かって伸びてくる。
「いや、おい、メルメル！？」
　一瞬だけ反射で腕を払おうとして、その後すぐに目の前にいるのがHiMERUであることを理解すると動きを止めてしまった。その間に正面からふわりと抱き締められ、燐音は自分の背中で腕が回されたのを感じていた。HiMERUは燐音の肩に顎を乗せて抱き締めているためお互いの顔を見ることができない。触れ合ってる部分からHiMERUの体温が伝わってくる。
　……これは、ちょっとダメな気がする。普段燐音の方から距離を詰めるときは好きに距離感を選ぶことができたが、今はそれが出来ない。というか正面から抱きしめるなんてしたことはなかった。肩に腕を回すとか、楽屋でわざと距離を詰めて座るとかそれぐらいである。
　HiMERUが最初に両手を広げていたときは燐音も半分くらいはふざけて飛び込んでやろうかと思っていたのに。これだけで自分の体温が上がっているのを感じている身としてはその選択をしなかったことは正解だったと思う。結果としては変わらなかったかもしれないけれど。
「ふふっ」
「……ンだよ」
　耳元でHiMERUの笑い声が聞こえてくすぐったい。でも多分それはHiMERUも同じだろうとグッと我慢することにした。
「いえ、あんなに自分から触れてくるあなたがこれで固まっているのが面白くて」
「はァ！？　燐音くんはこの程度で緊張なんてしませんけどォ！」
　つい言い返してしまったが、どう言い繕ったところで体温が上昇して体も固まっている今の状況では嘘にしか聞こえないことは燐音にも分かっている。体が固まっていることに気付いたのはHiMERUの指摘があったからだが。
　しかし、笑われたままでは終われないのも事実だ。燐音は自らの手を握って開いてきちんと動くことを確認すると、意を決してHiMERUの背中へと腕を回した。ここでどうにかして引き剥がそうものなら緊張していると言ってしまうことと同義だと思ったからである。だから腕を回したのだ。……それ以外に理由はない。
　腕を回すと同時に再び耳元でHiMERUの笑い声が聞こえた気がした。