良い夢を熱い熱い熱い。
身体中の血液が沸騰しているのではないかと、大袈裟に思うほどに身体は熱に侵されていた。
熱のせいで頭はずきずき、喉は傷んで上手に話せない。
診断は流行り風邪。
リネが連れてきたお医者さん曰く、2~3日もすれば良くなる、大丈夫とのことらしいけど、私にとってはちっとも大丈夫じゃなかった。
だって、今日の任務は休めない、休みたくなかった。
ベッドから何とか抜け出そうとしたけど、家族みんなに止められてしまい今日は一日ベッドの住人となってしまった。
「......」
皆が寝静まったころ、回復しきっていない身体を引きずって部屋から出る。
シンと静まり返った無駄に長くて広い廊下。
窓越しに夜空を見上げれば、綺麗な星空とキラキラ輝く月。
廊下の腰窓へ近づき、まだ熱を持つ身体で登って座り込む。
風邪なんだから本当はベッドで温かい布団で寝なくちゃいけないのにどうしてもそれができなかった。
だって、またみんなに迷惑をかけてしまったから。ドジで、リネやリネットみたいにうまく任務もこなせない私。
そんな私がようやくうまくやれそうなお仕事を任されたのに。今日がその成果が実る日だったのに、どうして風邪なんか......。
任務成功に浮足立ってしまったせいだ。三角座りで膝を抱えてぎゅうっと縮こまる。
裸足で廊下を出たせいか足先も指先も冷たいけど、いいんだ。お前なんかもっと風邪を悪化させてしまえばいいんだ。
何もできない私はこの家に不要な人物。
そうして、あの人にも呆れられて......捨てられてしまえば......。
「ー......」
冷たい風が吹く廊下の空気が変わる。今、一番顔をあわせたくない人が私しかいない世界に現れる。
伏せていた顔を上げて私の名を呼ぶ声のする方へ目線を向けると、そこには暗闇から鮮紅が私を見下ろしていた。
おかしいな、お父様は数週間は家を空けると仰っていたはずなのにどうして?
「お......とう......さま......どうし......」
風邪で傷ついた喉のせいかうまく声が出せない。
「想定していた日数よりも早く事が片付いてね」
するりとお父様の手が伸び私の頬に触れる。
外の空気と混じりあったお父様の香水がふわりと香った。
お父様に顎下を撫でられる。
黒くて冷たいお父様の指先は、熱を帯びた身体のおかげなのか不思議と心地が良くてもっと撫でて欲しくて無意識のうちに、お父様の手にすり寄った。
「リネから話を聞いていたが、体調を崩したようだね。私は普段から好きにするといいとは言っているが、これはあまり感心しないな」
私の方へしゃがみ込んで体を近づけるお父様。叱られると思った私は怖くて咄嗟に目をつぶった。
けど、恐怖は訪れることはなく、ふわりと自身の体が宙に浮く感触に驚く。
だってお父様が私を抱き上げていたから。
突然の出来事に脳が追い付かずパニックになるが、お父様の「部屋まで送ろう」の一言にハッと意識を取り戻した。
「そんっ...な、もうしっ......おとうさっ」
あぁ、喉が腫れているせいでうまく声が出なくてもどかしくて腹立たしい。
けど、痛みを無視して、お父様の腕から降ろしてもらえるように少しだけ身じろいだ。
「私のエスコートではご不満かな?」
しかし、私とお父様の力の差なんて歴然。ちょっと身じろいだところでお父様の腕から降りることもできない。
腕から逃れようとする私にお父様が、ずるくて私が断れないような質問を投げかけてきた。
顔を左右に振って否定すると、ふふっとお父様の笑った声が聞こえてきた。
恥ずかしさと嬉しさが混ざり合ってどうしたらいいか分からずにぎゅうとお父様にしがみつく。
お父様の香りが鼻腔をくすぐって、より一層体が熱くなって頭がくらくらした。
あんなにも抜け出した時は長くて広い廊下と感じたのに、帰りは短く感じられた。
自分の鼓動の音があまりにもうるさくて、どうにかして鎮めようとしているうちにあっさりと自室へ到着。
抜け出したベッドの上にお父様は私を下ろした。
「......」
「......」
お父様と私、どちらも何も話さない。
静かな自室の空気が気まずくて、対して何も面白みもない部屋をキョロキョロと目を動かしていたら、
「っ!......う......あ」
「しー......静かに」
お父様の手が私の目を覆い暗闇へと案内される。
さっきはあんなにもひんやりとしていたお父様の手が今はほんのりと温かかった。
耳元で内緒話をするように囁かれる声を聞き逃したくなくて、静かに耳に全神経を寄せた。
「任務のことだが、キミのおかげでうまく運べそうだ。今まで何人も同じ任務に着いてもらってはいたのだけれど、どれも失敗に終わっていてね」
「けど......わたしっ......も」
「静かに......と、私は言ったのだが?」
でも、私も結局最後の最後は自分で任務を遂行できませんでした。
お父様に褒めてもらう資格なんてなくて、喉の痛みでうまく話せなくても否定の言葉を発しようとした時に、ひどく冷たいお父様の命令にずくりと恐怖さえ感じてしまって口を噤んだ。
「キミが道を開いてくれた......。これを忘れないことだ」
私がなぜ無理に任務に向かおうとしたのかも、私がなぜ冷たい廊下でしゃがみ込んでいたのかもお父様には気づかれている。
「いいかい?」と私に確認するお父様の声に、ゆっくりと小さく頷くと冷たい声は聞こえず柔らかな笑い声が聞こえてきた。
「いい子だ。ゆっくり眠るといい」
そっとお父様の手が離れていく、お父様のその言葉はまるで催眠術のようで、とぷんと私の意識は夢の中へ落ちて溶けていった。
あぁ......瞼を閉じる前に映った景色。
私を見つめるお父様はどんな表情だったのかは私だけの永遠の秘密だ。