鎌倉デート「違いますっ! わたしは、仁科さんとっ、デートがしたいんです!」
あー……勢いで言ってしまった。
それも思ったより大きな声が出てしまった気がする。このすぐに突っ走る性格、そろそろ真剣にどうにかしないといけない。
どうしよう、顔が熱い。
元はと言えば、どうやって仁科さんを誘おうかと香坂先輩に相談したのが発端で。教えてもらった雑誌で見つけたお店を調べようと、SNSをチェックして見つけた情報に釘付けになってしまったのがいけなかった。
だって新作とか限定とか言われると弱いんだもん。
行きたい行きたい早く行かないと終わっちゃう、と騒いでいたのを当の仁科さんにも知られてしまった。桐ケ谷さんは後ろ乗せてってやろうかって言ってくれるし、誰かれ構わず声をかけているのだと誤解されてはたまらない。
季節限定メニューを食べたいのはもちろんだけど、仁科さんと一緒に行くのが最大の目的なんだから。
「ふふっ、熱烈なお誘いありがとう。いいよ、ぜひ君をエスコートさせて」
「それはダメです。わたしが誘ったので、今回はわたしが仁科さんをエスコートします!」
「へえ、それは楽しみだなあ。どこに連れてってくれるのか教えてくれる?」
本当なら当日まで秘密にしておくはずの行先は、もうバレてしまったのに。別にサプライズがしたい訳じゃないからそれでもいいんだけど。
でも。
「そうだ、この近くに行ってみたい所あるんだけどさ」
そうやってわたしの気持ちも汲みつつ一緒にデートプラン考えようって言ってくれるんだ。仁科さんが優しすぎてまた甘えてしまう。
ダメだな、わたし。
でもせっかく調べたんだから楽しんでもらいたい。アプリの地図を起動して、ブックマークしておいた鎌倉駅を表示させた。
夏休みに入ってから練習漬けの日々を送って数日、待ちに待った全体練習休みの日。早起きして仁科さんと二人で鎌倉へ出かけた。
いつもみたいに車を出そうかと言っていた仁科さんだったけど、それじゃわたしがエスコートする意味なくなっちゃう。
それに、美味しいものの気配を察知した笹塚さんがついて来ようとするのを阻止するため、当初の予定通り電車で向かうことになった。
電車で徒歩移動だって言ったときの笹塚さんの嫌そうな顔が見られたのはちょっと面白かったな。
鶴岡八幡宮へお参りしたあと境内を散策していると、和装の新郎新婦が写真撮影をしているところに遭遇した。
ブライダルフェアではドレスだったけど、神社で和装っていうのも素敵だなあと見蕩れていたら「和装も気になる?」って見透かされたように聞かれて。思わず頷いたら「朝日奈さんならどっちも似合うだろうな。覚えておくよ」だなんて言うから。
揶揄われてるだけだとわかってるけど、もし万が一って勝手に妄想が膨らんで、仁科さんと目が合わせられなくなってしまった。
近くにある源頼朝のお墓にもお参りした。ちょうど大河ドラマでもやってるし授業でも習ったけど、こうやって現地を訪れるとまた印象が変わる。
仁科さんが思ったより喜んでくれた、というか予想以上にはしゃいでいてびっくりした。
駅へ戻る途中、たまたま見かけた人力車に乗ろうということになった。
二人でも狭くはないんだけど、肩や腕が微妙に触れ合う距離感とひざ掛けの下で偶然重なった手にドキドキし過ぎて、景色を楽しむ余裕がなかったのは内緒だ。
乗り降りする時に手を取って支えてくれる動きが自然過ぎて、仁科さんにとっては手を繋ぐことに特別な意味なんてないんだろうなと思っていたのに。
指先が離れそうになった瞬間、するりと向きを変えた大きな手にきゅっと握りこまれてしまった。
「ね、この方がデートっぽくない?」
そんな顔で言われてしまったら頷くしかないよ。
もしかして人力車に乗ってる間のあれも偶然じゃなかったのかも。
自意識過剰でもいいや、仁科さんと手を繋いでるってだけでこんなに嬉しいんだもん。まだドキドキはするけどせっかくのデートだもの、楽しまなきゃ損だ。
「人力車すごく楽しかったですね。思ったより揺れないし、早くてびっくりしたあ」
「本当だよね、街の雰囲気にも合ってて風情もあるし。まあでも俺としては、何より君と一緒に乗れたのが一番嬉しかったかな」
次の目的地の鎌倉大仏に向かうため江ノ電に乗った。
いつ見ても可愛らしい電車だよね。
あのあと、切符を買うとき以外はほぼ手を繋ぎっぱなしで、嬉しくてずっとふわふわした心地がしてる。
本当に仁科さんとデートしてるんだって浮かれてた。
夏休みだからか、大仏の中を見学するのに長い列ができていた。
わたしは子供の頃にも来たことがあるけど、仁科さんは初めてだっていうから絶対一緒に入りたかったの。大仏を見に来て中に入らない人なんていないもんね。
並んで待っている間も仁科さんと他愛もない話をして、ふわふわした気分のままあっという間に時間は過ぎていった。
やっと順番が来て、出てきたひとと入れ替わりに入ったら、むせ返るような熱気に一瞬クラっとした。
外だってずいぶん気温が上がってきたんだから、中も暑いのは当たり前だった。
仁科さんは興味深そうにあちこち見上げてスマホで写真を撮っている。残念ながら繋いでた手は離れてしまったけど、ここも楽しんでもらえたみたいで良かった。
それなりに暑いとはいえ日陰だった大仏の中から出ると、真夏の太陽が目に沁みる。
あまりに眩しくて思わず目をつむったら、誰かに手をひっぱられた。「こっちだよ」という優しい声は仁科さんのもので、触れている手の感触もさっきと同じ。
導かれるままに少し歩いてから目を開けたら「大丈夫?」って心配そうな仁科さんの顔が目に飛び込んできた。
ちょっと眩しかっただけだから平気平気。
さて次は待ちに待った今日のメイン、行きたくてたまらなかったお店『たい焼きなみへい』へ。「夏なのにたい焼き?」って仁科さんには目を丸くされたけど、それだけのお店じゃないんだよ。たい焼きもかき氷も一年中提供されてるらしくて、夏の暑い日のお目当てといったらもちろんかき氷に決まってる。
こんな眩しいくらいの太陽の下を歩いて行ったら、より美味しいに違いない。まだお昼には早いから混み合う時間までには着きそうだ。
大仏からは歩いて一〇分少々くらいで着くはずだった。
それが、とても遠く感じる。
おかしいな、道間違えたのかな。スマホで地図アプリを確かめようとポシェットを探っていたら、仁科さんが急に立ち止まった。
「朝日奈さん、ここ座って、これ飲んで。さ」
急にどうしたんだろう、もうすぐかき氷が待っているのに水分摂ったらもったいないよ。
「ああやっぱり。あまり飲んでないみたいだったから気になってたんだ。ダメだよ。のどが渇いたと感じなくても、汗で水分減ってるんだから」
まだ平気だから、と言い募るわたしの主張は受け入れられた、と思った。
しょうがないな、とため息をついた仁科さんにふわりと抱き上げられるまでは。
「えっ、ちょっ……にしな、さ⁈」
「もうすぐそこだから、このまま行くよ。いいね」
良くないです、ぜんっぜん良くないですよ!
人通りの多い道でっていうのも恥ずかしいけど、いま言われたとおり汗がすごいのに。恥ずかしくて顔から火が出そう。
「俺も汗だくだからお互い様だよ。でも顔も赤いし軽い熱中症かもしれない…マズイな」
ねっちゅうしょう……?
熱中症ってこんなにふわふわした感じなのかな。
特に息が苦しいとかもないのに、変なの。
降ろして欲しいのに身体が言うことをきかない。
仁科さんのシャツを掴んだ手にぱたぱたと汗が落ちてきもちわるい。頭がガンガンする。それに、さっきまで眩しくて目を開けていられないくらいだったのに、目の前が真っ暗なのはどうして──。
「あ〜、生き返ったー……っ!」
「はあ……俺は寿命が縮んだよ、もう」
念願のあんず氷を堪能することができて心底幸せなわたしに対して、仁科さんが珍しく疲れ果てた顔をしている。
まあ全部わたしの所為なんだけど。
真夏らしい良い天気と言えば聞こえはいいけれど、要するにカンカン照りの炎天下。それをあまり日陰もないところで行列に並んだり、輻射熱の酷いアスファルトの上を水分も取らずに歩いたりしたら、熱中症コースまっしぐらなのは当たり前なのに。路上ライブで鍛えているからこのくらい平気だと思っていたけど甘かった。
幸いにも軽い脱水症状を起こしていただけで、水分補給をしてお店の小上りで少し休ませてもらったらすぐに回復できた。
道のりが何だか遠いなと思ったのは、片方のふくらはぎが攣っていたかららしいけど、よく覚えていない。
わたしの歩き方がおかしいのと反応の鈍さに気づいた仁科さんの素早い対応のおかげで、大事には至らなかった。
今日はわたしがエスコートするなんて息巻いていたのに、それどころか迷惑をかけてしまった。
改めて、心配かけてごめんなさい、と頭を下げるとぽんぽんと頭を撫でられた。仁科さんの大きな手で触れられるだけで安心する。
「それにしてもさ。日傘は忘れても冷却シートはちゃんと持って来てるの、なんて言うか」
「えへへ」
かき氷食べて頭がキーンとするのやだなって話をしていたら「アイスクリーム頭痛なら外から額とかこめかみを冷やせばいい」って笹塚さんが言うから。だったら発熱したときに貼る冷却シートはどうかと聞いたら「試したことないから実験したら結果報告して」だって。まさかそれを首筋に貼って体温下げるのに使うことになるなんて思わなかったけど、おかげで早く回復できたので持ってきて正解だった。
ちなみに日傘は持っていないので選択肢にも入っていなかった。
「じゃあそろそろ帰ろうか」
「えっ……」
焼きたてのたい焼きで小腹も満たし、完全に体調も戻って、さあ楽しいデートの再開だと思っていたのに。
まだお昼過ぎなのに帰るなんて、もうわたしと一緒にいるの嫌になっちゃったのかな。
でも、考えるまでもなく自業自得だ。
「そんな顔しないで。君のことが心配なんだよ」
わたしだってそんな風に眉を下げた仁科さんの顔が見たかったわけじゃない。予定ではもっとちゃんと楽しいデートになるはずで。少しでも仁科さんとの距離を縮められたらいいなと思っていたのに。
そうだ、仁科さんが行きたかったところ、まだ行ってない。
「あの、川端なんとかさんのお家? 見に行きたいって言ってませんでしたっけ」
このままだと仁科さんとのデートが終わっちゃう。まだ帰りたくないです、と顔に大きく書いて訴えてみる。
確か鎌倉に住んでいた有名な作家の家が残っていて、近いから寄れるねって言ってたはずなのに。
わたしの所為で寄り道もできなくなるのは悲しい。
「そうなんだけどね、折角だけど今日はやめとくよ。朝日奈さんさえ嫌じゃなければ、もう少し涼しくなってから一緒に行ってくれると嬉しいな」
それって、またデートしてくれるってことですか⁉
思わず口を突いて出た言葉に、仁科さんは一瞬目を見開いてからくしゃりと笑った。
「もちろん。今日だって帰るとは言ったけど、君とのデートを終わりにするつもりなんてないよ。できれば菩提樹寮に戻っても一緒に過ごしたいんだけど。ダメかな」
これは夢かな。
まだ熱中症が残っているのかな。
そんなことを考えてしまうくらい信じられない言葉が聞こえる。わたしが何も答えられずにいる間に、向かいにいたはずの仁科さんがすぐ隣に来ていた。
「ここから先は俺にエスコートさせて?」
そっと手を握られ、バチンと完璧なウインクを真正面から浴びてしまったわたしに、首を縦に振る以外の選択肢はなかった。