憧憬 強い風が吹いた。
ひときわつめたいその手に引かれた朝日奈の指が強張り、あいまから音がばらばらとこぼれ落ちてゆく。
やわらかく響いていたクラリネットの音が枝にとまる鳥の翼のようにゆったりと広がってから収束し、それにつき従うオーボエがさえずりを止めた。
浮葉と源一郎の視線がこちらを向く。視線を向けるときでさえ、源一郎は浮葉の後に従うことを是としているようだった。
「すこし、休憩にいたしましょう」
「すみません……」
「どうかお気になさらず。私も指が冷えてまいりました。良い頃合いでしょう」
すべてを赦すような静かな微笑みとともに浮葉は、たおやかに指を朝日奈へ伸ばす。
「どうも、あなたは紅葉に好かれるようですね」
秋の使者だからでしょうかと笑みまじりに呟き、その白い指に茜色の葉を取る。髪に触覚はないというけれど、彼が触れたところだけが妙に落ち着かないように感じた。
数秒、愛でるように視線を注いだあと、浮葉は静かに指を離す。そこに不要なものを捨てるような素っ気なさはなく、名残を惜しむ余韻のあるやさしいしぐさだった。ゆるやかに宙を舞いながら離れていく葉を眺める瞳も、どこかやさしい。
自由を謳歌する木の葉を見送ったあと浮葉は、かたわらに控える男へわずかに視線をやる。
「源一郎。お茶のしたくを」
「はい」
「あの、私も手伝います」
「いや……」
「私も選びたいので……!」
ためらい口ごもる源一郎の言葉を、浮葉が継ごうとするのを見て、朝日奈は慌てて声を上げる。
お店でうやうやしく接客されるだけでも気遅れするのに、浮葉の客人待遇とはいえ同い年の高校生に丁重に世話を焼かれるというのはどうにも落ち着かない。
そんな思いを汲み取ったのかどうか、浮葉がかすかに笑みをこぼす。
「ふふ、そうですね。自分で迷い、選ぶのもまた楽しみのひとつ……。無粋を申し上げるところでした。源一郎、彼女を案内してさしあげなさい」
「はい、浮葉様」
行ってまいりますと長身を折って礼をしてなお己より高い位置に頭がある。見上げる朝日奈の視線を催促と思ったのだろうか。源一郎が行こう、とちいさくつぶやき、踵を返す。
広い歩幅を追って小走りになる朝日奈の背に、ひそやかな微笑みが揺れた。
了