無題まだ、肌寒い、水気の多い未明の空気の中に、ジェロニモは微かな声を聴いて寝床を抜け出した。
この街を囲む穏やかな海の精霊たちは、他所の土地から訪れた己には寡黙だったが、踏み出した足首が季節外れの高潮に沈むと、彼らに導かれているのだと確信する。
アクア・アルタが起きるのは秋から冬の半ばまでと聞いていた。
それでも、ジェロニモの大きな足は完全に水の中に隠れ、暗がりの中でジェロニモの機械化された視界をもってしても、歩道を「見て」歩くのは至難の技だった。
歩かされている。
どこに向かっているのか、外部記憶装置の地図と照合しようか。他のメンバーがいたならそう言ったかもしれない。
けれど、ジェロニモはこの土地の、この海の精霊が珍しく己を呼んだことを密やかに歓び、また、敬意を持って、ただ呼ばれるままに歩いた。
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