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    fgskhry

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    fgskhry

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    bnalりゅさい。pixiv上げてたのそのままコピペったので時間が出来たら手直ししたい。
    覚醒で自分の過去を覗くsisiが見れたので。

    ゆめみるひと その日彼らは新しく見つかった有碍書に潜書していた。
    その最奥と思われるところに辿り着いてもボスらしき敵はいなかった。周辺を探索しても土がむき出しの道と田舎の風景が続くだけで、潜伏している雰囲気はない。雨上がりの情景は空気がよく澄んでいた。
    「仕方がない、そろそろ戻りますか」
    筆頭の夏目の提案する。
    「犀星さんがいないよ」
    「どこ行ったんだ、アイツ」
    新美の言葉に田山があたりを見回してもやはりその姿は見つからなかった。皆で呼びかけても返事はない。
    三人がほとほと困っている時、道脇の大きな木の頭上に茂った葉から田山と夏目を狙いすましたように一つずつ雫が落ちた。
    「うわ、つめたっ!」
    「これは参りましたね」
    慌てて二人は木の下から退いた。
    「とにかくもう一度室生くんを探しましょう」
    「探すったってこの辺りはもう……」
    「花袋さん?」
    不意に言葉を切られて、新美は顔を見上げた。
    田山もそして夏目も、虚ろな目で空を見ている。
    「なんだってこんなところに美少女が」
    「美味しそうな甘味屋さんが……いやいや、そんな事をしている場合では」
    「二人とも、一体どうしたの」
    新美の目には彼らの言うようなものは何も見えない。力いっぱい引っ張っても二人はふらふらと彷徨いだそうとする。非力な体ではどうにもならないと悟った新美は、己の銃を空に向けて引き金を引いた。
    「……新美くん?」
    「あれ、俺一体どうして」
    鋭い銃声にようやく田山と夏目の足が止まる。新美は振り返った夏目の腹に抱きついて叫んだ。
    「この本、なんだかおかしいよ!」
     帰還した三人は司書の出迎えを受けるとともに、図書館に残っていた者を集めて事のあらましを報告した。暗い潜書部屋から場所を変え、早春の陽光の差す小会議室は不穏な気配とは無縁に見えた。彼らの話を聞いた一同は、好きなものの幻を見せ潜書したものを捕らえる有碍書と結論付けた。
    「つまり犀は、この本のどこかで猫に埋もれている……?」
    「庭づくりに精を出しているのかもしれないねえ」
    「お二人ともそんな呑気な」
    甲斐のない室生の親友と師に中野は抗議の声を上げた。
    「申し訳ありません。もう少し捜したかったのですが」
    夏目が目を伏せる。
    「いえ、先生達が無事戻って報告してくれて良かった。未知の本への潜書です、備えが万全でなかったのは否めません。とにかく、対策を立てて犀星を救出しなくては」
    この図書館の古株である芥川はテーブルに両肘をつき、手を口元で組んで眼光鋭く言った。その後ろに立っていた司書が頷く。
    異存なしという司書の協力の許、かくして室生犀星救出班が結成されたのだった。
     「先生がレインコートでお迎えですね」
    「思いっきり物理だねえ。錬金術師というのはそういうモノなのかい」
    一行は例の有碍書の奥を目指して潜書中だ。まだ浅い町中の風景を歩く。
    らんらんらん、と続けそうな口ぶりの萩原に、困ったものだと北原は肩をすくめて答えた。四人はフードを被ったレインコート姿だ。錬金術で何かしら施したとかいうわけでもなく、購買にて一枚ウン円で販売されている品である。ポンチョ型であるため透明なてるてる坊主のようだった。
    「効果はあるんだろうか」
    中野は猜疑心と司書を信じたい気持ちのせめぎ合いに苛まれながら、透明の撥水性の生地を抓んだ。他にもスプレーを服にぶっかけられクリームを顔やら手やらに塗り込むよう指示された。故にみんな少しテカテカしていた。
    「気休めぐらいにはなるさ」
    慰めのように芥川はぼやく。
    「先生達は水が引き金だって言っていたね。とにかく水には気を付けて進もう」
    「うわあ」
    言っているそばから萩原がバケツに蹴躓いた。転ぶところを間一髪で中野が支える。バケツの中身は盛大に零れて道を濡らした。
    足元は四人ともレインブーツを装備している。洋装の中野と普段からブーツを履いている北原はともかく、芥川と萩原は永井が見たら説教もののちぐはぐな格好であった。
    「白秋先生~」
    「うんうん、正気だね」
    涙目の萩原が北原にしがみつく。
    「正気、なんですよね」
    「通常運転だよ」
    中野と芥川は既に軽く疲労を覚えていた。
     一行は侵蝕者を退けながら問題なく最奥に辿り着いた。
    話に聞いていた通りの牧歌的な田舎道だ。望めるのは農家らしき人家が数軒と田畑、ところどころにある咲頃の白い木の花ぐらいだった。ここから先に進もうとしても、いつの間にか大木は立っている元の場所に戻ってしまう。足元には道幅いっぱいに広がった水たまりがあった。
    「ここまで特に怪しいところは無かったね」
    北原が三人の顔をそれぞれ見ながら言った。
    「来た道を帰して脇道を辿ろうか」
    芥川の提案に踵を返そうとしたとき、萩原が転んだ。
    目の前は例の水たまりだった。声も上げられず倒れるその時、萩原は目を閉じて衝撃と泥まみれになることに備えた。だが水を打つ感覚はあったが、一向に地面にぶつかる気配がない。息苦しくもならず、底が霧散して沈むように落ちていく一方だった。
    「朔太郎」
    落ち着いた男の声に名を呼ばれて思い切って目を開けると、日本家屋の居間にいた。柱も襖も調度も、縁側から見える庭にも見覚えがある。いつの間にか自分は正座をして、その人に対峙していた。妙な居心地の悪さに動いた指先は畳の目の凹凸を確かに伝えた。
    「わかった。お前を医者にするのは諦める」
    それは重々しく口を開いた。
    「これからは存分に音楽の道に邁進しなさい」
    「でも自分には詩が」
    「お前が本当にやりたかったのは音楽だろう。稼ぎにならない詩などやめてしまいなさい」
    相手の口調はあくまで穏やかだった。
    「詩を書くのをやめる?」
    巨大な違和感に襲われた。それでも抗う糸口を掴めずにいると、平凡な和室にどこからともなく玲瓏とした声が聞こえ始めた。
    『感涙ナガレ、身ハ仏、独楽ハ廻レリ、指尖二
     カガヤク指ハ天ヲ指シ、極マル独楽ハ目二見エズ』
    慕わしいその声に導かれるように萩原は目を開けた。
    横になっている自分と膝枕して覗き込んでいる北原、そして芥川と中野を認める。
    「朔太郎くん」
    師の呼びかけに答えようと息を吸うと、咳き込んでしまった。
    「君はうわ言で詩をやめるとか言っていたんだよ。一体何を見ていたんだい」
    北原に丸まった背を撫でられ、ようやく身を起した萩原は見たものを伝えた。
    「医者にならなくていい、音楽をやっていろって言われて。ぼんやりとして顔は分からなかったけれど……多分あれは、お父さんでした」
    「父君? 君の?」
    眉をひそめた北原に萩原は頷いた。
    「そういう搦め手で侵蝕者は僕らの戦力を削ぎに来た、という事だろうか」
    中野の顔も険しい。芥川は、おそらく他の三人も、そう深刻に考えていなかった。後々になれば揶揄いのネタになるような些細なイレギュラーだと思っていた。
    「僕たちが思っていたより、事態はよほど悪いのかもしれないね」
    「とにかく、ここが最奥であることは確かです。それに朔太郎さんが見たものは夏目先生たちの話とレベルが違う」
    「どう考えても怪しいのはコレだねえ」
    北原が水たまりを顎で示した。
    各々の武器を構えて雨上がりの空を映すそれを囲んだ。
    二人の詩人の、計3つの銃口を向ける。朔太郎くん、行くよと北原の合図で同時に引き金をひいた。
    銃撃を受けた水たまりは透明だったはずの水が徐々に黒くに染まり、みるみる表面が風船のように膨らんで暴れだした。応戦するも伸ばされた触手は水の性質を保っているらしく、切っても撃っても手応えがない。
    有効な対抗手段を得ず、一行は巨大な黒い水の球体に呑み込まれた。
     芥川が気が付くと、墨を流したような広いのか狭いのかも分からない空間だった。小さな池ほどの大きさの、ゆらゆらと揺れる水面が内側から光っているのが唯一の光源だ。よくよく見ると水鏡にはどこかの家の庭先が映っていた。塀に囲まれたこじんまりとした風景は色彩を欠いてぼやけて見えた。
    「朔太郎さん、息出来ますよ」
    口を押さえ頬を膨らませてぎゅっと目を瞑っている萩原に中野が教えている。四人とも無事のようだ。
    「犀星くん」
    水鏡を凝視していた北原が呼んだ。見ると、縁側から室生が出てきていた。内側に向かって話し掛けている。庭を見に誘っているようだった。やがてその誰かの手を引いて庭に歩み出る。彼が連れだしたのは黒い影だった。
    『母親』と大書されたヒトガタに話し掛ける姿は異様だった。よくよく見るとそれは小さな文字で構成されていた。ぬくもり、慈しみ、やすらぎ、気丈、耳障りのいい言葉の羅列にぞっとする。
    「犀!」
    たまらず萩原が膝を付いて叫ぶが、水面が揺れるだけで映る人の反応は無い。
    楽しげに彼は『母』と庭を歩いていた。しきりに何か喋っている。手入れの苦労でも語っているのかもしれない。
    「犀星」
    芥川が小さく呟いた声は呼びかけ続ける萩原の声に消された。白い花をつける木の前で、室生は手を放し影に背を向けた。
    その時、銃声が轟いた。北原が構えた銃から細い煙が上っていた。
    「先生!」
    悲鳴じみた声を上げたのは萩原だった。
    「さすがに乱暴ですよ!」
    「朔太郎くんの声も聞こえていないようだったし、他にやりようがないだろう」
    咎める中野にしれっと北原は答える。
    「僕の友人があんなモノに愚弄されるのは腹に据えかねる」
    怒気も露わな低い声だった。
    「だからと言って……!」
    「中野くん」
    食って掛かろうとする中野を芥川は止めた。
    水面は大きく乱れることなくその庭の様子を映し続けている。
    室生の背で影がぐにゃりと崩れた。室生に気付いた様子はない。その塊からインクが空気に流れるようにあたりを包み、幻の庭が崩れていった。それと同時に水面も黒く染まっていく。
    「弾丸が届いたということは、あちらと繋がっているという事だ」
    「それなら、犀を迎えに行かないと」
    萩原の声を最後に、薄い明りも消え去った。


     河原に立って滔々と流れる水音を聞いていた。町中に残る雪と目の前の大きな川が、夕陽を弾いて煌いている。
    早く家に帰らないと、母さんが待ってる。
    よく知っている町の筈なのに、帰り道が覚束なかった。何故、と考える前に迷子が泣いているような声が聞こえた。周囲を見渡すが茜さす風景にそれらしき者はいない。もう一度聞こえた声を、今度こそ逃さぬように探す。
    ないていたのは河川敷に並ぶ桜の樹上にいる猫だった。
    「お前、降りられなくなったのか」
    どう登ったのか小さな黒猫が一匹、細い枝の先で啼いている。
    制服を破かないよう気を付けないと、と靴を脱いで木に足を掛けた。
    順調によじ登り、幹につかまりながら猫に手を伸ばした拍子に学生帽が落ちてしまった。まあ後で拾えばいい。
    「ほら、おいで」
    猫は啼くのをやめて丸い瞳で指先とその持ち主を見つめた。吟味に納得いったのか、枝と腕を伝って渡ってくる。なんとか胸に収めることが出来た。
    「よし、いい子だ」
    学生服のボタンを外してその中に猫を抱え、慎重に降りていく。
    地面に降りると黒猫は胸元から飛び出して後も見ず駆け去ってしまった。
    恩知らずだなあ、いいんだけれど、と靴を履きながら帽子の存在を思い出す。落ちたあたりを振り返ると肩にかかる長髪の緑色のコートを着た青年が立っていた。
    優しげな顔立ちに眼鏡をかけた彼は学生帽を手にしている。見るからに親切そうな人だ。拾ってくれたのだろう。
    「ありがとうございます」
    「やっぱり優しいですね。犀さん」
    彼は間違いなく自分を見ている。呼ばれたのは知らない名前だ。
    「俺はそんな名前じゃない、俺の名前は」
    「ここは本物のあの町より少しだけ、悲しくて厳しくて優しい。犀さん、貴方の詩の町だ」
    遮ってそう言う哀しげな眼をする青年を、ずっと前から知っているような感覚がどこかにあった。頭がキリキリ痛んだ。
     気が付くと畳に横になっていた。貸本屋から借りた本が山ほど積まれた自分の部屋だ。カラスの鳴き声が聞こえてくる。外は薄暗く残照ばかりが残る時間だった。
    身を起こすと誰かが文机の前に立っている。白い上衣が僅かばかりの光に艶を帯びていた。
    「相変わらず酷い字だ」
    人の原稿を手にとって好き勝手なことを言う、不思議な薄紫色の髪の男がこちらを見て微笑んだ。
    「だけど犀星くん、この詩はなかなかいいね」
    「俺じゃない。母さんが今は詩よりも学業だって言っていた」
    だから、詩なんて書いたはずがない。
    「また出来たら持っておいで」
    自分の返答など問題にしていないように彼は言った。
    「……もう書かない」
     今度は明るい春の川べりだった。河原の土手を野の花がところどころで彩っている。
    着ているのももう学生のものではなく、襷掛けに袴の書生姿だった。目の前にいる人も似たような恰好をしていた。ただ襷はしておらず半纏をずぼらに羽織っている。愁いを帯びた切れ長の目の綺麗な顔立ちをしているが、身繕いに興味が薄いようで肩の上に切り揃えた髪はぼさついていた。
    「帰ろう、犀。みんな待ってるよ」
    そう言って彼は右手を自分に向けて差し出した。何の反応も返すことが出来ずに警戒していると、諦めてその手を下げた。
    彼は目を伏せ、暗誦をはじめた。
    「『ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
      そして悲しく うたふもの』
    ……この国の人間なら一度は耳にする詩だよ。君が作ったんだ」
    「そんな詩は作らない。俺は故郷を離れたりしない」
    怯んでいる自分に彼は一歩近づいた。
    「『君だけが知ってくれる ほんとの私の愛と藝術を
      求めて得られないシンセリティを知つてくれる』
    君が自分にくれた詩だ」
    「そんなの知らない」
    求めて得られぬものなんて知らない、当たり前に享受している人間になりたかった。
    「君が欲しくて仕方のないものを君は持っていないんだって、突きつけるようなことを自分達はしてるんだ」
    顔をあげた彼は狙い定めるようにひたとこちらを見据えた。
    「それでも君は現実を忘れたりしない、掴めるものを掴んで大切にしてきた靭い人間だよ」
    悲痛な顔で、そんな理想の英雄像を押し付けるのは止めて欲しいのに。
    「なんでだよ、朔」
    逃げ場を失ってうずくまっている室生にもう一度、萩原は手を伸ばした。
    「おかえり、犀」
    室生は目に涙を浮かべながら微笑んだ彼の、肉付きの薄い白い手を取った。
    柔らかな青空から、新芽の萌える土手から、うららかな風景が徐々に崩壊していく。
    足元まで迫っても、この手をつないでいれば寄る辺ないなんていう事はないのだと思った。


     芥川の目に入ったのは、青の濃い澄んだ空と柔らかい緑をまとった木の枝だった。
    まだ少し湿った田舎道に転がっているのは自分も含めて四人だ。この本の一番奥の、元の場所だった。ただ、あの水たまりはもうない。
    「犀は?!」
    萩原は気が付いた開口一番に叫んだ。
    「確かに、ちゃんと見つけたのに」
    「落ち着いて、朔太郎くん」
    自分の右手を呆然と見つめる彼を北原が宥めている。
    「犀さん、一体何処にいるんだ」
    中野が独り言ちる。彼が今いるであろう場所を考えなくては。芥川は立ち上がって、もう一度辺りを注意深く眺めた。
    春の景色から先ほど見たものとの共通項を見つけて、一番立派なそれを探す。
    「多分、こっちじゃないかな」
    「芥川さん?」
    芥川は道を外れた草むらに駆け入った。
     いつの日だったか、コーヒーを飲みに食堂へ行くと菊池と室生がいた。珍しい組み合わせだ。
    「室生はなんで龍と友達やってるんだ」
    思わぬ自分の話題に足を止める。
    「何を今さら。逆ならわかるけど」
    「お前さんには苦手なタイプじゃないのかと思ってな。それに龍の好む人間はなんとなくわかる」
    流石、と室生はなんとも言えない顔で笑った。
    「うーん、まあ、いい奴だしなあ。抜けてるところがあるから見た目より親しみやすいし」
    半分茶化すような言葉をするすると述べた。それから少し躊躇って菊池をちらりと見、それを打ち消して続ける。
    「それと芥川は嫌がるかもしれないけど、あいつが物を書いているときの姿が好きだから。敵わない悔しさよりも、立ち入らせてくれる特権を手放したくないんだ」
    大切な宝物を真綿でくるむような円やかな声音だった。
    菊地が感心したような曖昧な相槌を打ち、「ありがとな」と言い置いてこちらに来る。
    「なんだ、龍。聞いていたのか」
    出入り口の陰に隠れているのを見つかってしまった。今、自分がどんな顔をしているのか考えたくもない。
    「まあ、だとさ、芥川先生」
    「知ってるよ、犀星が考えていることぐらい」
    菊池の声には揶揄いの色は無かったが、つい憎まれ口をきいてしまう。
    「ヘーヘー、新作の完成楽しみにしているからな」
    後ろ姿で手をひらひらさせて菊池はその場を離れてくれた。
     あの時言っていたことが本当で、『今』もそう思ってくれているなら、君はちゃんと戻ってくるはずだ。
     道なき道を進むのは一苦労だった。途中で泥濘に足を取られて長靴が脱げかけても、力業で引っこ抜いた。いつもの下駄だったら泥塗れになっていただろう。司書の思いつきもたまには役に立つものだ。
    息を切らせて草をかき分けながら、此処と推し量った場所にやっと辿り着いた。茂みを抜けて小高い丘を登ると、大きなすももの木が白い花を降るように咲かせている。
    その根元の草陰で、そっと静かに書生姿が仰向けに横たわっていた。見た目にはただ眠っているようだった。ズキズキする鼓動を感じながら、足を止めずそのまま駆け寄って彼のすぐ横に膝をついた。名前を呼んでも身じろぐ様子もなく、目蓋はぴったりと閉じられている。恐る恐る手を伸ばした。
    年若い輪郭の頬はあたたかった。外気に晒されて少し冷えているが、確かに生きている温度を伝えてくる。
    強ばっていた体から力が抜けていく。吹き渡る穏やかな風が汗ばんだ体に心地良い。
    追いかけてきた三人が自分を呼んでいるのに気が付いた。丘の上からそちらを見ると萩原が泥にハマっている。膝立ちで、見つけたよと手を振った。


     件の書物は厳重に封印した上、司書にしか入れない部屋に保管されることになった。現在長期間留守にしている館長が帰ってから相談して、その後の処分を決めるそうだ。
    室生の補修は一日半ほどで終わるだろうというのが司書の見立てだった。
    「どうだい、犀星の様子は」
    芥川が入室して早々に訊くと、萩原は首を横に振った。
    「司書さんの時計はとっくにゼロを指しているのにね」
    今日の朝には目を覚ますはずだった。補修室はいたのは窓際のベッドで眠っている室生と、その横の椅子に座っている萩原の二人だけだ。今日の潜書をしている会派はまだ戻っていない。
    「犀が、ときどき涙を流すんだ。その分覚醒に近づいてるんだろうって司書さんは言っていたけど」
    そう言って彼は淡い藤色のハンカチを握った。それで拭っていたのだろう。
    「しちゃいけないって分かっているけど、揺り起こしたくなるよ」
    唇を噛んで俯いている。精神にどんな影響を与えるか分からないと止められている事だった。
    「朔太郎くん、君もずいぶん酷い顔をしている。顔を洗ってきたらどうかな、その間は僕が看ているから」
    芥川と室生の顔をじっと見比べて、それから萩原は頷いた。
    「うん、わかった。少しの間だけ、お願いするよ」
    そうして神妙にハンカチを預けて出口に向かった。
    「芥川、いばら姫の話知ってる?」
    交代して腰かけた芥川は、補修室のドアに手をかけた萩原を疑問符が浮かんだ顔で仰いだ。
    「君がキスしたら目が覚めるかも」
    なんの冗談かとまじまじと見やった詩人は退っ引きならない思い詰めた顔をしていた。
     後ろの窓から夕方を間近に控えた陽光が入って来る。
    芥川は白いカバーの掛け布団におとなしく収まっている室生を改めて観察した。
    普段の活動的な彼は鳴りを潜め、幼げな造形が引き立っていた。形の良い額にかかる柔らかな茶色の癖のある短い髪も萎れて見える。それでも一昨日触れた白い頬には、あの時より幾分血の気があった。過去生では年上であったし自分の倍の長さの人生の記憶を持っているのが、こうしていると不思議なくらいだ。
    触れた頬で自分の指先の冷たさを認識する。いつも生気に溢れた瞳は隠され、赤く腫れた目尻が痛々しい。その薄い皮膚の先にある色が見たいと思い、健康的な唇に誘われるように近付いた。
    少し顎を傾けようとした刹那、あれだけ頑なに閉じていた瞼がパッと開いた。
    かちあったあんず色の瞳としばし見つめ合う。
    冷静に冷静に。何気なく離れて、芥川は尋ねた。
    「やあ犀星、気分は悪くないかい」
    にっこり微笑んで見せる。
    「ああ、うん。大丈夫だ」
    室生は芥川の挙動を気にした様子もなく目を瞬いた。まだちょっと寝惚けているようだ。セーフ、と芥川は判定した。
    「無理はいけないよ」
    「いつもの補修の後ぐらいのもんだって」
    そう言って室生が布団を除けて体を起こしたとき、ドアが開いた。
    「犀!!」
    戻ってきた萩原とともに、「おや」とあっけらかんとした顔の北原も入ってくる。萩原が勢いよく飛びついて、寝起きの急襲を受けた室生はうわっと声をあげてベッドに逆戻りした。
    「なんだよ朔、大袈裟だな」
    「うう、だって」
    室生の首にかじり付きながら、彼ははっとした顔になった。やったのかと疑惑の眼差しで凝視してくる萩原に向かって、芥川はぶんぶん首を横に振った。そそのかしておいて非道である。
    気を取り直して萩原ともども身を起こした室生に尋ねる。
    「君は一昨日の潜書で侵蝕を受けて眠っていたんだ。覚えている?」
    しばし考えてから、彼は首肯する。
    「ああ」
    涙が一筋落ちた。
    「覚えてる」
    「許して、犀。一人にしないで」
    萩原はしがみつく手に力を込めた。
    「謝るなよ、朔は俺を助けてくれたんだ」
    言いながらポタポタ落ちていく。ハンカチを差し出すとありがと、と小さい声で受け取った。
    「本当に平気なんだ。けど目が壊れたみたいに勝手に出てくるんだよ」
    そう言って室生は親友の背中をポンポン叩いた。
    しばらくそうしていたのち、北原が手のかかる方の弟子の襟首を抓んで、頭ばかり引き剝がして室生を見つめた。
    「中野くんがね、昨日も今日も潜書に志願しているよ」
    萩原もすかさず北原の言葉に同調する。
    「うん、彼すごく怒ってるんだと思う。しげじくんは優しいね。犀の言ってた通りだ」
    「俺、迎えに行ってきます」
    意を決める室生に、そうしたまえと北原は師匠らしく頷いた。
    「自分はちょっと寝てくるよ……」
    そう言った萩原は既にうつらうつらしている。北原が溜息を吐いて部屋までついていくよ、と彼を引き取った。
    「この貸しは高くつくよ」
    「うっ、ご迷惑おかけしました」
    「まあ、君が無事でなによりだ」
    萩原に肩を貸して立たせた北原は傲岸な口調と裏腹に柔らかな表情だった。
    「白さん、ハンカチ洗って返しますね」
     着替えた室生は潜書部屋へ下る階段の前で中野を含む会派の者達の帰りを待っていた。待合用の長椅子が階段の横にあるので、一緒に行くと申し出た芥川と並んで座った。
    そこで一昨日のくわしい顛末を聞いた。夏目先生達に後で詫びに行かなくては、と後の予定を追加する。
    話にあった、彼らを誘惑した即物的な罠に「甘味と美少女かあ」と苦笑した。
    「俺も羊羹が良かったな。俺があの変な世界に取り込まれる前に見たのはすももの木だった」
    「犀星」
    改まって名を呼ばれて何事かと隣を見ると、真顔の彼がいた。
    「君はあそこで眠っていたかった?」
    廊下は静かだった。窓の向こうでは傾き始めた明かりの中、庭園の木々が強い風に揺れている。
    芥川の問いを毅然と打ち消すことが出来なかった。
    「例えそう思っても、誰にも否定する権利はないよ」
    口を噤んだままの室生をそのままに彼は続けた。
    「ただ放っておくわけには行かなかった。僕もみんなも君にここにいて欲しいから」
    顔をあげると目があった。哀し気に眉を曇らせている芥川がいた。
    「ごめん」
    「なんでお前も朔も謝るんだ。あんなの、ただの幻だ」
    頬を熱いものが伝う。やっぱり目が壊れたんじゃないかと室生は他人事のように思った。
    「ごめんね」
    また同じことを言って、そっと外套で包むように抱き寄せられた。
    煙草と彼本人の匂いがした。風呂に入れと言おうと思ったが、お互い様かとやめた。そのままおとなしく肩に頭を預けると何故だかひどく落ち着く。
    「僕は今の君が好きだよ。変わらないところも、彼だから書けた作品で形作られているところも」
    優しい闇の中で淡々とした声を聞いた。この待ち時間の間だけ甘やかされるぐらいなら、と自分に言い訳して目を閉じた。
     夢を見ていたのだ、数えきれないほどの夢を。
    最後に見たのは机に向かう彼の背中だった。文机の前に端座し産みの苦しみに喘ぎながら、金の糸を縒るように文章を紡ぐ。憧れた文学がその姿の中にあるような気がした。
    不意に万年筆を置いた彼の、振り向く顔が見えると思った瞬間、目が覚めた。
    そして瞼を開いて見たのは、唐突な近距離のその顔だったわけだが。
    「なあ、聞いてもいいか。なんで目が覚めた時あんな近くにいたんだ」
    室生の声に湿度が無いのを察して芥川は身を離した。どこかふてくされているように見える。
    「それ、聞かないで欲しかったな」
    言葉を濁そうとする彼を室生はせっついて、渋々ながら白状させた。
    「君、補修終了してからも目が覚める様子が無かったんだよ。それで朔太郎くんが君にキスしたら目が覚めるんじゃないかって」
    「朔は西洋の童話の影響受け過ぎだ」
    一体どういう悪ノリなのか。
    「彼の言葉の力に気圧された。完全に魔が差した」
    いまだにブツブツ言い訳しているのが可笑しい。呆れた顔から、室生はつい吹き出した。
     そうこうしているうちに階段の下が騒がしくなる。潜書していた者が帰還したようだった。
    「犀星さんだ!」
    「室生さん、目が覚めたんですね!」
    階段を登ってきた新美と堀が室生たちを認めて嬉しそうに駆け寄る。
    「たっちゃん、心配かけた。ここ一週間分ぐらい寝た気がするよ」
    「昨日ぼくと賢ちゃんと敦さんで猫にエサをあげたんだ。みんな元気だよ」
    ありがとな、と新美の頭を撫ぜた。
    「シゲ」
    室生は遅れてきた強張った顔の中野に声を掛けた。
    「ずっと潜書に入ってるって聞いたぞ。あんまり無茶するな」
    「僕はただ、もしも自分なら信念を裏切らない自分を夢見て、きっと囚われてしまうだろうと。そんな事は許せないと思って」
    俯いたまま吐き捨てる中野に、室生は少し目を瞠ってから微笑んだ。
    「俺の事でそんなに怒ってくれる奴がいて、俺は嬉しいよ」
    いつもの、中野の話を分かっているのか違うのか、分からない室生だった。
    「犀さん」
    「そんな顔するなよ」
    室生は今は師の顔になって中野の頭をわしわしとかき回している。
    堀が安堵した顔をしているし、新美はニコニコ見守っていた。すべて世は事も無し、といった風情だ。
     夏になったら、実るその赤い果実をあげようと芥川は思った。
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