ラムネと指輪とお前「結婚指輪ほしくないですか?」
「ほしくない」
えーと不満の声を上げて、沖田は土方の膝の上でゴロリと転がった。七月も三週目に突入して、気温はどんどん上がっている。冷房をつけるかつけないかという瀬戸際だ。人と人とがくっついていれば勿論暑い。
「つーかお前、今見廻りじゃね?」
首に伝う汗については何も言わない土方だったが、膝上の男のサボりについて言及する。
「新婚だから別にいいよって近藤さんが」
近藤の言いそうなことである。土方は顔を顰めた。
「言ってくれるんじゃねーかなと」
「言ってねーのかよ‼︎」
思わずツッコミを入れると、沖田はうつ伏せになって土方の腰に手を回した。隊服の上着は脱ぎ捨てられている。いつもより装甲が薄くて良い。猫のようにぐりぐりと頭を擦り付ける。
「おいコラ。書き損じたらどうしてくれんだ。結構大事な書類なんだけど」
「作戦通りですね。クビになれ土方。そして副長の座渡しやがれ」
「渡すか‼︎」
「にしてもあちーなァ。クーラー付けましょう」
「規定に達してないから、まだ付けれねーんだよ」
「ブラック企業でィ」
現在進行形で仕事をサボっているブラック部下は、文句ばかり垂れる。本気で追い出そうかなどと考えていると、開けていた戸から足音が近づいてきた。
「副長お疲れ様です。うわ、隊長もいたんですか」
「上司に向かって、うわとはなんだテメェ。ぶっ飛ばすぞ山崎」
とは言うものの、沖田に動く気は全く無さそうだ。山崎は昼間からイチャつく上司たちにため息をついた。
「こいつため息つきやがったぞ」
「生意気な野郎でさァ」
不穏な気配になってきたので、とっとと用事を済ませて帰ることにする。
「局長からの差し入れの、ラムネ持ってきました」
「ラムネだってよ」
「じゃあ許してやりましょうかね」
ただ差し入れを届けに来ただけなのに、責められたり許されたり。これ以上いても碌なことがなさそうなので、山崎は早々に撤退した。
また二人きりに戻って部屋で、ラムネを飲むため、沖田はのそのそと体を起こした。ビー玉を押し込むと、シュワシュワと爽快な音が、蝉の鳴き声を掻き消していく。泡が落ち着いた頃、一気に喉へと流し込んだ。冷たさと炭酸の刺激が心地よい。
「暑い時に飲むとやっぱうめーな」
「近藤さん、なんで急に差し入れなんてくれたんでしょうね」
「こういう時は、どうせキャバ嬢が関わってんだろーよ」
土方の推測通りであった。スナックすまいるに誤発注のため溢れかえっていたラムネを、近藤が買い取ってきたのである。正しく言うなら、押し付けられ、買取をさせられた。
「はー美味かった」
すっかり飲み干して、机の上には瓶だけが残った。沖田はビー玉を取り出そうと、瓶を弄くり回している。その姿に、土方の胸には思わず懐かしさが込み上げてきた。武州にいた頃も、よく近藤がラムネを買ってきたもので、飲む度、沖田はビー玉を取り出して集めていたものである。
「よし、取れた」
小さかった少年は、いつもビー玉を取るのに苦労していたが、大きくなった彼の手にはもう既にビー玉がある。成長と変わらぬところを同時に目にし、土方は無意識に口元を緩めた。
「はい土方さん」
感傷に耽っていると、自分の名を呼ぶ声とともに、突如左手に違和感が現れた。慌てて見てみると、左手の薬指に若干ベトついたプラスチックの輪が嵌められている。
「なにこれ」
「結婚指輪でさァ」
「ゴミじゃねーか‼︎」
土方の左手薬指にあるのは、ラムネの口に付いていた輪、言ってしまえばゴミである。呆れながら、取ろうと輪を引っ張る。抜けない。
「なんでだァ⁉︎」
「勢いで嵌め込みました。結構ギチギチでしたけど、上手く入ってよかったです」
「よくねーわ‼︎」
その後しばらく左手薬指と格闘していたが、どうにも取れない。第二関節より上に進んでくれないのである。何故入ったか不思議なほどだった。土方は手をブンブンと振ったり、輪を回してみたりと、試行錯誤している。元凶の沖田は我関せずと、また膝の上に戻って欠伸を零した。
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「失礼します。報告書の方を……ってあれ? 副長、その指についてるの、何すか?」
部屋に差し込む光がオレンジ色に染まり始めた頃、一人の隊士が部屋を訪れた。
指摘された掌を見せつけて、土方はぶっきらぼうに答える。
「結婚指輪に決まってんだろ」
怒っているような、諦めたような、不貞腐れたような愛しの旦那様のヤケクソな姿と、鬱血し始めている左手薬指を特等席で見ながら、沖田は笑った。