■ 地獄の道連れは決まってる「てめえにしてはなかなか気が利いてんじゃねえか」
薄汚れ擦り切れそうなコートを着た男はそれを手にした時、獰猛さを喉奥に含ませたような、しかし上機嫌なのだろう笑みでそう言った。十三年前と変わらない顔で。
じゃらりと重たい音を立てる男の手首に目を落とし、隼人は内ポケットに沈む金属の重さを感じていた。
木星がゲッター線の太陽と化し、ガニメデが地球へと迫っていた。続いた激戦に残存する戦力も限られる人類の、文字通り必死の決戦が始まる時は間近だ。これが最後の戦いになるだろう。
せめてもの整備をとメカニック班が各機に取り付き慌ただしい格納庫は一瞬たりとも途切れない様々な音と声に満ちている。出撃するもの達もまたそれぞれに僅かな時間を過ごしていた。緊張、焦燥、そして絶望を塗り潰そうとするかのような昂揚の渦巻く中に真ゲッターロボへ搭乗する事となる彼等もいた。
隼人は今にも飛び出していきそうな竜馬を「渡す物がある」と呼び止め、使われていないパイロット控え室へ案内していた。不審な顔で睨み付けてくる竜馬を横目で見やり、彼が生きていると知った時に密かに用意させていた物を開発部から受け取ってきた大きなケースから取り出す。過去、自分達が身を包んでいたのと同じ型のパイロットスーツを。
一瞬、目を丸くした竜馬は次の瞬間にはそう言って笑ったのだった。怒りも憎しみも微塵も感じさせない表情で。
「俺のだけとか言わねえだろうな?」
「弁慶には渡してある。俺のもあるさ」
俺の分は要らないと言ったのに、三人分揃えないと気持ちが悪いと作られていたようでな。
そう自嘲するように言った隼人の顔には凄惨な傷痕が残り、目を細めた事で目尻に細かな皺が見て取れる。竜馬はわずか一瞬、自分がいなかった十三年を思った。彼に何があったのかは知らず、この十三年間にもそもそもの事の始まりにも、いまだわからない事は多い。だが、「隼人」には変わりがなかった。だからそれで良い。そう結論付けて皮肉な笑みを向ける。
「お前よりそいつらのがわかってんじゃねえか」
受け取った物を懐かしく眺めたあと長椅子に置いてそう返せば、立ったまま向き合いまじまじと見詰めてくる隼人の目があった。感情が抜け落ちたような顔の中で、黒い瞳だけが複雑な色で満ちている。暫しの沈黙の後、隼人の感情の読めない静かな声がその部屋に響いた。
「……お前は、俺を憎んでたんじゃないのか」
「憎んでたぜ?」
「良いのか」
「良いのさ」
誰もいない部屋で向かい立つ彼等からぽつぽつと落ちる言葉は短い。隼人の声に滲む探るような気配に、竜馬は乱暴に頭をかいた。隼人には昔から理屈くさい部分があり、「何故」という疑問に答えを欲しがるところがあった。だからこそ研究者としても有能であったのだろうが、今はそれが足枷にでもなっているように彼は感じた。
「あん時……お前には十三年前か? 理由があったんなら仕方ねえかって、本当はバラバラになってなかったなら良いかってちっとでも思っちまったらな。どうせ聞いたってよくわかんねえし」
號が言ってたみたいによ、昔のまんまだなって、やっぱお前は信じられる、信じていいんだって思ったら、後はまあいいかってよ。
小難しくグダグダ考えてんじゃねえよ、などとは言わなかった。隼人の死を覚悟した叫び、ミチルの幻影に怯えきった声が次々と竜馬の耳に蘇り消える。自分は許したが、許せと言えるはずは無い。罪悪感、責任感、疑念、悲しみ、怒り、それらは全て隼人自身のもので、それをどうするかも彼が自分で決める事だ。
真っ直ぐ睨みつける竜馬の視線の先、ふと隼人の顔に表情が浮いた。くつくつと笑いながら漏れた声は心底愉快そうで、伝染するように竜馬の顔にも笑みが浮かんだ。
「……馬鹿だろう、お前」
「うっせえ。俺はお前ほど色々背負っちゃいねえし、うだうだしてんのが性に合わねえだけよ」
そう返すうちに湧いた確かめたい、という思いが竜馬の体を動かした。歩み寄り手を伸ばせば、重く響く金属音に隼人の身体が小さく反応する。自分より背が高いのはいつだって癪に障ったと思い出しながら、竜馬はその喉元を乱暴に掴み、挑発するような猛々しい笑みを履いた。
「それともなんだ?」
――殺して欲しかったか、俺に。
掌の下で脈打つ血管と呼吸する動きをしっかりと感じ取れば、自然と胸が熱くなる。
生きている。お前がどう思おうとお前の身体はしっかりと。ならば。なあ。
腑抜けた事を言うなら頸動脈を押さえてやるつもりでいた竜馬の殺意にも似たそれに応えるように、手首を掴んだ隼人の手に力が込もった。生きるための抵抗。容赦の無いそれを喉元から引き剥がし、隼人はふと口元を緩めた。
「……今は、そうでも無いさ」
竜馬が覗き込んだ目に迷いは無く、鋭い光が灯っている。これが見たかったと歓喜に歪む口元を自覚していれば、竜馬の手首を片手で取ったままの隼人が胸ポケットから何かを取り出した。
「単細胞が過ぎるお前に、そんなものは最初から似合わなかったんだ」
俺も馬鹿なもんだぜ。呆れ自嘲するようにそう隼人が呟いた頃にはガシャンと音を立てて手枷が落ちていた。無言で差し出された手に促され、もう片方も預ける。目を落とした先、隼人の手の中で妙に真新しい鍵が部屋の明かりを受けて光っていた。
「相変わらず腹の立つ言い草しやがるが……そうじゃなきゃ、張合いがねえってもんだぜ」
彼等の足元に、重たい音を立ててもう一つの枷も落ちた。竜馬は久方ぶりに軽くなった手首を軽く振り、鼻で笑って目前の顔をもう一度見た。
「ま、てめえの贖罪だかなんだかに付き合って死なせてやるほど、俺はお人好しでもねえんだ」
足元の鎖を邪魔だと部屋の隅に蹴り飛ばし、もう一歩踏み込む。急な動きに瞬きしている隼人の胸倉を掴み、呼吸が肌に触れそうな距離まで引き寄せた。
「いっぺん俺に命預けたんだ、死ぬまで付き合えや」
地獄まで引き摺ってやるからよ。
物騒でしかない竜馬の言葉と獰猛な笑みに、隼人は臆する事もなく愉快そうに目を眇め、高揚を滲ませるような声で言った。
「元々、俺たちはそうだったじゃねえか」
違いねぇやとそのまま互いに笑いあう。そうしていればひょっこりと入り口から弁慶が顔を出した。
「おお、いたいた。って、なんだァ、喧嘩かぁ? お前らがなんぞ物騒にイチャついてんのも久々だな、勘弁してくれや」
「イチャついてねえ!!」
聞こえてきた声に途端隼人の身体を突き飛ばして竜馬が弁慶に噛み付く。軽くたたらを踏んだ隼人は乱れた胸元を癖のように直しながら冷静に返した。
「そんなつもりは無いが確かにこんな距離で重圧掛けられたのは久方ぶりだな」
メンチを切るとかガンをつけるとかはやられ慣れているが、こいつのこれはな。
芝居がかった仕草で肩を竦め弁慶を見やる顔は呆れたようでありながら穏やかだった。眉を上げてそれを見た弁慶が幾分居心地悪そうに頭を搔き「おめえらはそれだからよぅ……」と呟く。
「まあミチルさんも安心してんじゃねえか『いつものだ』ってな」
いいから早く着替えちまえ、俺は渓達見て来るからよ。
そう言い残してまた慌ただしく出て行った弁慶を見送り、二人は顔を見合せた。
「いつもの、か」
「だとよ」
どちらからともなく、小さく笑い声があがり、やがて肩を叩き合う姿がそこにあった。