■ はじまりの日「……あんたらは心底最低だ……常識ってもんを知らねえのか……」
竜馬も初めてとなった海底での地底魔王ゴールとの顔合わせの後、研究所に戻って開いたジャガー号のコクピットからぐったりとした様子で身を起こした青年は悔し紛れのようにそんな文句を吐いた。
早乙女博士に見込まれたが為に思いもよらなかった存在からの強襲を受けて仲間を目前で惨殺され、竜馬に半ば拉致される形で投げ込まれたコクピットで既に逃れられない事を「敵」の言葉で知る事となった彼――神隼人の境遇を思えば、取り付けられた電子頭脳を投げ捨てないだけ余程理性がある。
うんざりとした顔で上着を脱いでぞんざいに吐瀉を拭う姿を見ながら竜馬はひょいとジャガー号まで飛び移り「手を貸してやるよ」と隼人に掌を差し出した。ちらと横目で見たきり勢いよく叩き落とされたその手を「おぉ、痛てぇ」とぼやきながらさする。
「なんだ、まだ元気あんじゃねえか」
そう言ってほくそ笑めば、憔悴は見えるものの随分落ち着いた切れ長の目に睨みつけられ、竜馬はそれすらも楽しく感じていた。これくらいでなくっちゃいけねえや、と思いながら、強がりはした物のやはりふらついている隼人の腕を取る。弱々しい抵抗をものともせずに肩を貸してやれば諦めるような溜息が竜馬の耳元をついた。
こんなところで足を滑らせでもして怪我されたら困るのだ。それはようやく二人目のパイロットを見つけた早乙女博士が思う事であろうが、竜馬もそうであった。なにせこの先一緒に地獄を見てもらう連れ合いだ。運命を共にする片割れだ。わずかではあれ拳も交えた今、竜馬は不思議とそれを確信して疑いもしなかった。
「取り敢えず風呂だ風呂。洗濯もしてくれるだろうぜ」
そう隼人に声をかけながら自分よりも身長の高い身体を半ば背負うようにして竜馬は地上に辿り着いた。狭く圧迫感のあるコクピットでただあの機体を走らせただけでも垣間見える死線を今日は初めて三機で戦って潜り抜けたのだ。恐れや脅えを塗り潰し頭を煮えたぎらせるような緊張と興奮が嵐のように過ぎ去った今は、痺れるようなその名残りと勝利というより生存の歓喜はあれどまるで生ぬるい水を頭から被りでもしたような状態でもあった。ましてあんな事になっていた隼人はさぞかし不快だろう、と竜馬は思う。
「博士、いいですよね? このまんま話ったって俺らも落ち着きゃせんでしょう?」
老境に差し掛かろうかという身体にも負担はかかっていたはずが既に整備士と共に機体のチェックをしている早乙女博士に確認を取れば「連絡したミチルがやってくれるだろう、家の方へ行きなさい」と通路の先を指す。竜馬は博士に「じゃあ、行ってきます」と残して、軽く肩に回させた隼人の腕を抱え直した。
またもぞもぞと起きる抵抗に「よし、行くぜ」と間近にある顔を覗き込めば、追い詰められ歪んだ凄まじい表情さえ乗っていなければ随分整って見える大人びた面長の顔に、困惑の混じる嫌そうな顰め面が浮いている。
「おい、ちょっと待て」
「なんだよ、隼人。てめえもいつまでもそんな格好でいたくねえだろ」
「リョウっていったか? 腕を離せってんだよ、一人で歩ける」
「力入ってねえじゃねえか、無理すんなよ」
隼人の言葉は歯牙にもかけず歩き出した竜馬の言葉は、しかし害意や悪意がある訳では無い。むしろ純粋に心配するような響きがあり、隼人は眉をひそめて口を噤んだ。馴れ馴れしい上に厚かましいとは思えど、邪険にするにはあまりにも善意か好意のようなものが感じられて躊躇いが起きる。今は気力も体力も無いからだ、と隼人は言い訳のように思った。
「いきなりアレにあの時間乗せられてカッ飛ばされたんだ。血反吐はいて気絶しなかっただけ上出来だぜ」
ふふ、と愉快そうに喉奥で笑いながら言う竜馬は隼人にはいっそ気味が悪かった。散々に晒した自分の醜態を嘲るでもなく、ただただ自分の存在をあのマシンに乗れるだろうというそれだけで受け入れている。何がそんなに楽しいのかも理解できなかった。
――こいつは自分を地獄から迎えに来た化け物なんじゃないか。取られた腕から伝わる体温を感じながらふと思い、隼人は急に汗の引いた身体の冷たさを感じた。
「……そんなもんに見ず知らずの人間突っ込むお前らは頭がどうかしてるぜ」
一瞬浮かんだ自分の思考を一蹴しながら、不審や不満はそのまま口に出せば「違いねぇや」と竜馬はあっさり認めて笑った。
「俺たちゃ至って正気だがよ、あんなもんと戦わなきゃならねえんだ、お前さんにゃ悪い話だが狂った事もするぜ」
そう言ってぎゅっと唇を引き結んだ竜馬の顔は真剣だった。しっかりと前を見据えている瞳には強すぎる程の理性の光がある。
『勝手なことばかり抜かしやがって』『人類をなめるな!』
確かこいつはそう言っていたと隼人は思い出す。
あの時、隼人もまた竜馬の言葉にその通りだと思い、同時にそれを躊躇いもなく口にし、行動に移す竜馬に自分の冷酷さとは異なる直情的な苛烈さを見たと思った。
例えそこに怒りがあろうと、熱狂が背を押そうと、圧倒的な力を前にして正しいと自分が思う事を口にし、抗う事は万人が成せる訳ではない。それは不正に、世の不条理に立ち上がった日から隼人にはよくわかっていた事だった。
「……あれと戦うにゃあんな化け物マシンが必要なのか」
そんな物思いの後に出した隼人の声は幾分掠れていた。眉を上げて横目で伺う竜馬の視線を感じながら、隼人は息を吐いた。
「……いや、そうなんだな」
しばらくの沈黙の後、確信と共に呟けば、竜馬がにんまりとした笑みを浮かべる。
「頭が良い奴は物分りが良くて助かるぜ」
「……はぁ」
バンバンと遠慮を知らない硬い手のひらに痛いほど肩を叩かれながら隼人はため息をついた。コロコロと変わる表情が忙しない奴だと思った。
広い早乙女研究所を歩き通って着いた先、隣接し直接行き来ができるようになっている早乙女家ではミチルが待っていた。
「まあ、またお父様が無茶をしたのね!」
二人の姿を見るなり目を丸くした彼女は怒りと呆れが混じる声でそう言い「早乙女ミチルです。隼人くんでいいのかしら。お父様から聞いています」と頭を下げた。初めてまっとうな挨拶を受けた隼人は虚をつかれたように目を瞬かせて名乗りながら頭を軽く下げ、そんな様子に竜馬は小さく肩を震わせた。
「早乙女のジジィにゃ似てねえ娘さんだよな?」
笑い混じりに耳打ちする声がして、咎めるようなミチルの視線を隼人は感じた。何を言っても無駄そうな竜馬に距離が近いと文句をつける気は既に失せていた。
研究所にはシャワーしかないからこっちでお風呂を沸かしておけと言われたのはこのせいだったのね。ごめんなさい、あの通り言い出したら聞かない人なの。制服は洗濯して繕っておくわ。お風呂は沸かしておいたから、狭いけど順番に仲良く使ってちょうだい。着替えとタオルはお風呂場に置いてあるわ。貴方は随分背が高いのね。サイズが合わなかったらごめんなさいね。
風呂場に二人を案内しながらミチルはそんな風に話し掛けた。口を挟む暇も無い。隼人が気付いた時には背中で脱衣場の扉が閉まっていた。
「……どうしてお前らはこうも一方的なんだ……」
まだ礼儀は知ってるようだったが。今日はあれからこっち、まるで突風にキリキリ舞う枯葉の気分だぜ。
ずるずるとその場に座り込んでしまいたい気持ちでそう隼人がぼやけば、ようやく腕を離した竜馬が眉を上げ、事も無げに言った。
「あんまりグダグダ言ってるとひん剥いて風呂釜に突っ込むぜ?」
「勘弁しろよ……どうしてお前らは人の話を聞きゃしねえんだよ。説明もしねえしよ……」
そうは言っても早く何もかも洗い流してさっぱりはしたかった隼人はベルトに手をかけ、不躾な視線に眉を顰めた。
「なんだよ」
「頭打ったりなんだりしてたけど大丈夫そうだな」
そうとだけ言って竜馬は「さっさと入れよ、全部まとめて洗濯頼んでやっからよ」と手を軽く振った。
本当になんなんだ、こいつは。
胸の内で呟きながら隼人は思う。彼自身納得がいかないのは、悪意は無いが厚かましい善意めいたものを見せ、ふてぶてしく振る舞うそんな竜馬の事を疎み忌み嫌う気にはなれないことだった。こちらを都合よく扱いたいばかりの形ばかりの善意や取り繕うだけの世辞などうんざりしていたというのに。直感ではあるがおそらく、やはり、目前の男のこれは、そういったものでは無いのだ。……理解ができない。
不満そうに息をひとつついて、隼人は竜馬から目を逸らした。
狭い、と言われた風呂は最新式のユニットバスで、蛇口を捻るだけでお湯が出た。「使い方わかるか?」といきなり風呂場を覗き込んできた竜馬に隼人は驚いて持っていたシャワーをうっかり引っ掛け、ひと騒動も起きた。
「女じゃあるめぇし、なんでそんな吃驚すんだよ。チンコついて「リョウくん!! 騒がしいから来てみたら何やってるのよ、もう! うちは銭湯じゃないのよ? デリカシーって物が無いのかしら!?」「いてっ、ごめん! ごめんよミチルさん、謝るから耳離してくれよ!」
謝るなら隼人くんにでしょ! ちぇっ、よしんば嫌だったならすまんな、隼人! などと言う声と共にピシャリと脱衣場の扉が閉まってからは静かで快適だった。
最初に謝られたのがそれか……いや、多分あいつは俺をあそこに無理矢理突っ込んで道連れにしようとしている事を謝る気は無いんだろう。
綺麗に身体を洗い流し、さっぱりとした気持ちで熱い湯に浸かりながら隼人には何故かそう思えた。無茶苦茶がすぎる。ふと笑えてきて、なにがおかしいのかも隼人自身によくわからなかった。不思議と、嫌な気分では無かった。
用意された服に袖を通せば隼人の手足の丈には足りなかった。それは既製品にはありがちであまり気にならなかったが、他人の家の匂いは鼻についた。
風呂場を出れば音を聞き付けたのか竜馬が入れ替わりに風呂場へ入り、隼人はミチルに立派なリビングに通された。冷たい茶を隼人へ差し出し、家事があるからと席を立つミチルは去り際に、テレビは好きに見ていい、と大きなブラウン管を指さした。洗濯の続きに戻るのだろうミチルに軽く頭を下げ、隼人はテレビの前でチャンネルを回した。
幾つか切り替えていけば、数時間前に自分達が体験した事が速報として流れている。離れもせずに食い入るように見つめる隼人の長い前髪から水滴がポツリと落ちた。
犠牲者の人数は、いまだ不明。淡々と事実のみを簡潔に表示する文字列。
あの教室で、惨たらしく殺されていた仲間たちの光景が隼人の脳裏によみがえっていた。指先が冷えるような、頭が熱くなるような感覚に息を詰め、歯を食いしばる。
確かに自分達がしていた事は褒められた物ではなく、裁かれるべき物だった。その犠牲者の中には自分が顔を歪めて処刑の判断をくだした学生もいただろう。けれど。こんな。あんな。不条理に、一方的に、ただ人間であるというだけで殺されるなど――。
「それにしてもあんな事してた奴に常識説かれるなんざ面白くって仕方ねえや」
不意に耳に入って来た声に隼人は小さく肩をはね上げ、おそるおそると目を向けた。どさりと音を立ててソファに座り込んだ竜馬が濡れた髪の毛を乱暴にタオルで吹いている。隼人の様子に気付いてはいないらしい。
「うるせえ、俺がやってたのは単なる無法じゃねえんだ。俺なりの道義があってやってた事だ、世の常識くらいは知ってる」
知らないとやってられるか、あんな事。
隼人は胸に渦巻く物を押さえ込みながら声だけは平静に作り通した。そうだ、だからこそ立ち上がったのに。それ以上の、あれほどの理不尽を目の前にして、自分は。
「ふぅん? 俺は革命だのなんだのはさっぱりピンと来ねえが、お前も真剣だったんだな。なら、ごっこなんて言ったのは謝るぜ」
そう言いながらばさりとタオルをソファの端に放った竜馬が、ようやくテレビに顔を向けて隼人の見ていたものに気付いた。繰り返し流れる速報のテロップはあの凄惨な現場とはかけ離れ、しかし現実だと示している。隼人は震える息を意識してゆっくりと吐き、起きる感情の全てを押し込めた。ソファに戻る最中、竜馬がなんとも判断のつかない、浮かない顔でポツリと呟いた。
「……仇は取ってやったろ」
だからそんな湿気た面すんなよ、と、言われてもいないのに聞こえたような気がして、隼人は瞬きした。
どうにも調子が狂う野郎だ、と何度目ともわからず思い、それがこいつなのだろうとも思った。受け入れてやってもいいとは思うが、散々振り回された事が癪でまた憎まれ口が隼人の口をついて出た。
「……恐竜の方が礼儀がなってるたぁ、どういう事だよ」
「あいつらのせいで改めましてご挨拶、なんて雰囲気にゃなれなかったんだぜ? 不可抗力とかなんとかそういう奴だと思って貰いたいもんだぜ、隼人さんよ」
しかし大概しつけえなぁ、お前も。
ひょいと片眉を上げて笑みを浮かべ、呆れた声でそう返し、わざとらしく肩を竦める竜馬はどう見ても悪い事だとは思っていない。隼人もまた、呆れてため息をついた。
「思い返せば言いたいことは山ほど出てくるぜ。ったく」
それでも、どうやら、自分はこいつと地獄を見るしか、いや、見るべきなのだろう。人類を滅ぼすなどという理不尽に抗うためには。
悪態をつきながら隼人はそう考え、ここまで共に青春を過ごしてきた仲間たちを思った。
竜二、すまない。俺にはやるべき事ができてしまった。
彼等と世界全てを引き換えにする事はできない。僅かに目を伏せ、思考を切り替える。
「それで、リョウさんよ。今日から俺とお前は一蓮托生って事なんだな?」
「まあ、そういうこった。御同輩もわんさといたお前さんにゃ寂しいかもしれんが、なに、そのうちもう一人増えるぜ」
世間話でもするように余裕を作って笑みを浮かべ明るく聞いてやれば、竜馬はさらりともう一人地獄の道連れにすると宣った。本当にこいつは酷いやつだと隼人は小さく笑う。こいつも酷けりゃ自分も最低だとそんな事が頭をよぎって、結局似たもの同士かと不意に腑に落ちた。
「運命だと思って覚悟しろ、か……わかったよ、腹括ってやるよ。確かに俺が今やるべき事らしいからな」
しっかりと目を見てそう言ってやれば、竜馬は軽く目を見張り、次の瞬間には、ぱっと照れるように笑った。
「へへっ」
「なんだよ」
「考えてみたら、仲間やダチなんかはじめてかもしんねえや」
竜馬のその声はあまりに素直で嬉しそうで。
「なあ、死ぬまでよろしく頼むぜ、隼人」
「……てめえにゃ調子を狂わされっぱなしだな……」と隼人もまた目を丸くした後に小さくそう呟き、静かに、深く、息を吸い込んだ。
「こうなったら最後まで付き合ってやるよ、リョウ」