■ 涙はいつか 何事も無ければ随分静かな奴だった。いっそ拍子抜けするほど普通で。戦ってる時の冷酷さが嘘みたいに。皆が談笑するのをいつものスカした微笑みで穏やかに見守っているような。
親か兄みたいなそれにたまに腹が立つ事もあった。
俺たちより一歩早く大人になるしか、大人ぶるしかなかったのかもしれない、と思ったのはしばらく一緒に過ごしてからだった。
容姿にも身体能力にも恵まれたIQ300の天才児。
もちろんそれがわかり、そう伸ばされる程に裕福な家庭だったらしいとは何も聞かずとも知れる。金が無かったらどうなるか、俺はよく知ってるし。
すんなりと早乙女博士の助手のような位置に収まり白衣を着て混ざれるくらいに、学を収め知識も持ちえた。
神様って奴がいるなら不公平にも程がある。それをまざまざ思わせるような奴で、それでいながら何故だか不思議と羨ましくはならなかった。
「お前、本当になんでもできるよなぁ」
「……できることは確かにあるが、世の中どうにもならないことの方が余程多いさ」
半ば呆れながら聞いた俺の言葉に返ってきたのはやるせなさを隠し切れていない苦笑だった。あれだけ色々できて持っていて、それでもそんな顔でそう言うならそういうもんかと思った。
できる事と実際やれる事とやりたい事とやらなきゃいけない事が同じとは限らんもんさ、なんて言われてもその時は全然ピンとは来なかった。
……そういえばこいつは何か欲しがる事も無かったし、見返りを求めた事もなかった。大体の物は手に入るからか、と最初は思い、後からそうかもしれないけどそうじゃないんだろうと思った。
あいつからはむしろ持たされた者の苦労とかなんかそんな物ばかり感じた。
自分にできるからやる、と言うが、本当はやりたくない事までやれるのも問題で。しかもしんどくない訳ないのに平気な面してられるのなんかいっそ厄介で。
世の中上手くいかねえもんだ。
「やりたくねえならやらなくてもよかねえか」
「皆やりたくないが誰かがやらなきゃならん事だからやってんだろ」
「貧乏くじ自分で引きたがるとか、自分虐めでも好きなのかよ」
「うるせえよ」
そんな事を話したな、と思い出す。
バラバラになった元人間の機械の残骸の前で。
あいつ自身が泣きながらとどめを刺した亡骸にすらならないガラクタの山の前で。
俯き歯を食いしばって静かに泣いている背中を見ながら。
神様とか運命とかいうのは残酷だ。こいつに与えるだけ与えておいて、本当に欲しいものはくれてやらないんだ。性格が滅茶苦茶悪ぃに違いない。
……その片棒を担いだのは俺か。
従兄弟で、仲間で、友人だったと絞り出すようなモニター越しの声は震えていた。最初にこいつらを引き離し無理矢理に連れ去って、今、こうして惨い青春の終わりを迎えさせたのは俺だった。
いっそ俺のせいだと罵ってくれりゃマシだったのかもしれない。お前は自分のせいかもしれないとしか言わなかった。それは本当にお前だけのせいなんだろうか。あの瞬間、確かに俺もお前と同じ操縦桿を握っていたんだ。胸が重くて痛い。
また大人になるしかなくなったあいつの背中は、なんだか寂しくて。
置いてくんじゃねえよと思う自分の不安のまま、引き止めるように、追い付くように、隣に並んで冷たい手を握るくらいしかできなかった。
一瞬びくりと跳ねた手のひらは震えるばっかりで、握り返すのを恐れてるみたいで、全部気付かないフリして強く握った。
お前をこんな地獄に引きずり込んだのは、俺なんだ。
謝る気は無い、から。
せめて隣にいさせろよ。
――あいつがああして泣くのを見たのは、あれが最後だった。
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感情も豊かにころころとよく表情が変わる奴だった。素朴で愚直と言ってもいいだろうその様は、平時こそ明るいと言えたが戦ってる最中などには何もかも燃やし尽くす太陽にも似て苛烈だった。
あまりにも真っ直ぐすぎるそれは自分には疎ましく感じる時すらあった。
何故そんな風にいられるのか、と言えばそれは生来のものでは確かにあったのだろう。
「空手をやっていた」という話から、なんでもない事のようにあいつは言った。
「と言うより、俺にはそれしか無かったからなぁ」
聞けば幼い頃から父親と修行に明け暮れていたという。言葉の端々からは経済状況も良くはなかったのだろうともしれた。道場でもあった家での厳しい修行の話は自分には実感が湧くはずもなく、目を瞬かせながら黙って聞いていることしかできなかった。
腫れた手を塩水に浸しての砂箱突きやら野犬と戦わされたやら、スパルタにも程があったとしれる教育方針には眉をひそめてしまいそうにもなり、しかしそれでも父親になんのしがらみや後暗い感情も見せず「親父は不器用なだけで俺の事を思ってはいたんだぜ、良い思い出もぼちぼちあるしよ」と、そんな風に笑いながら朗らかに話せる事が理解しがたかった。その父親をも失い、天涯孤独の身となって、それでもそういられる事が眩しかった。
「……なんも言わねえんだな、お前」
「なにが」
「大概こういう話すっと、みんな『可哀想』だの『大変だったね』だのなんだの言うからよ」
「……俺にはそういう経験は無いからお前の気持ちはわからないし、上から目線になってるだろう何かを言われたくもないだろう」
「真面目だなぁ、お前」
「……俺ならお前のようにいられなかっただろう。未来を信じることすら忘れていたかもしれない。
尊敬するよ」
どう返せばいいのか悩んだ末に出たのはそんな短い言葉で、自分の不甲斐なさを感じていれば、あいつはただでさえ大きな目を一瞬丸くして、照れくさそうにはにかみながら頭をかいた。そして頭の後ろで手を組んで明るく笑った。
「未来くらい信じてなきゃ、楽しく暮らしてらんねぇだろ」
――結局、お前の根底はそういうところにあったのだろう。
いっそ無責任なほどに根拠の無い未来への希望。しかしそれは明日も見えない日々の中で何より輝いていた。
お前は同じ場所で明日より遠くの場所を見て、俺は昨日までの日々と共に今を見ていた。
……それが、明確になっただけと言えばきっとそうなのだ。そして、それが運命に抗うのか受け入れるのかの選択となり、互いにひとりで戦う事になったという、きっとただそれだけだ。
……あのコクピットでお前は何を見たのだろうか。あのお前がそう言うほどに、これは危険なのだろうとは思う。それでも。
誰もいない格納庫で、ひとり真ゲッターの封印作業を進めながら思い出すことは取り留めもない。
早乙女博士が去り、自分達でそれに向き合い決める時だったのだ。
手が止まる。ここで過ごした五年あまりの時間は、自分には大きすぎた。不意に喉元まで迫り目の奥を痛める熱いものを飲みくだし、震えそうになる息と滲みそうになる視界を深呼吸と瞬きでやり過ごそうとする。
なにもかも既に去った。
それでも、戦う事を決めた。
去っていったもの達のために。
この先、隣には自分の感情を表してくれていたようなお前はいない。もう共にあの戦場を駆けることも無い……無ければ、良いと思う。
ああ、ダメだな。結局俺は強がってばかりの弱い生き物なんだろう。お前のようにいつかを信じて別れの最後まで笑っていられただろうか。
これを最後にして、涙は、お前に預けよう。
俯いた歪んだ視界の中、コンソールにぽつりと水滴が流れて、
指先まで痛むような喪失感に、自分はひとりだと、初めて知った。
抗う事と受け入れる事で異なっていても、同じ運命の上にいるなら。全て終わって、またいつか、お前と笑い合える日が来るのを信じていたい。