漫画竜隼①二人寄り添って眠った日、隼人の涙を見たあの夜。
目覚めた朝、やっぱり気持ちよくてあったかい、眠気眼の半分夢のまま腕の中に収まったままの額に優しくひとつ口付けて「……お前さん、案外とあれだよな」なんて、恥ずかしそうにもぞりと胸に額を擦り付けるみたいな仕草と一緒に聞こえた声に瞬きした。
なんとなく気恥ずかしかったのは起き上がって顔を見合せた時くらいで、頭をかいて照れ笑いした後は普通に過ごして。
それから、なんとなく、休みの前とか、なんにもない日でも、週に一度とか二度くらいは寄り添って眠るようになった。
二人きりで距離もなくなると触れたくなって、触れるといやらしい事をしたくなる時もままあって、何度かそうやって慰めあう、というより大体俺を宥めてもらっていた気がする。
何かが勢い込んで空回りしたような俺の欲をも嫌な顔せず受け止めてくれるのは少し申し訳なく、自分につられてかもしれなくても隼人がその身体と欲を俺に預けてくれるのは嬉しかった。だから余計大事にしたくて、無いわけじゃない「抱きたい」気持ちは最初に聞かれた日に返してから黙ってた。
隼人を女扱いしたい訳じゃねえし、いつもごちゃごちゃになっちまうけどいやらしい事がしたいからこんな事してる訳でも無くて、そりゃ欲はあるけど突っ込んだり突っ込まれたりしなくてもいいんじゃないかなんて気持ちはあって、でもしたくないと言い切れる程、色々俺も無いわけじゃなくて。
そんな風にして何度か一緒に寝た後だった。
まだ朝は寒いし隼人の体温や感触をゆっくり確かめながら起きたかったのに、構われすぎた猫みたいにつれない素振りで隼人がするりと腕から逃げ出して目が覚めた。
大欠伸して伸びをしている俺にちらりと目をやって一度部屋に戻った隼人が、なんだか変な顔をしながら持ってきた数冊の雑誌を珍しくちょっと乱暴にベッドに置いた。
「……読んでみろ」
声をかける暇もなく、そうとだけ言って戻っていく頬はほんのり赤かった。
なんだってんだ?
手に取って、裏返されていたその表紙を何気なく見て。
「!?」
吃驚して思わず誰もいないか左右を見たあと、困って布団に突っ込んだ。
た、確かに、俺が「抱きたい」って思ってるのはそうで、そうだけど。いや、あの。
具体的にどうこうと、正直頭にあんまり無かったというか、考えないようにしてたというかなんというかで。
隼人はなんでもない顔しながら、あの時の事を覚えてて、こんなものまで買ってきて真剣に考えてくれたのか、と思うと恥ずかしいやら情けないやら興奮するやらで。
……ベッドに残っていた隼人の匂いにも気付いたら、到底しばらく動けそうになかった。
+++++
――隼人はいつも平等で公平だった。
物を分けたりする時に頼むと、几帳面な程にきっちり等分されて(しかも早いんだから怖い)皆に行き渡る。
「誰のが多いだの少ないだのデカいだの小さいだの贔屓しただのなんのうるさくてよ」
それで俺じゃなくて、贔屓された人間がズルいってんで叩こうとすんだから、こっちが堪んなくてよ。
慣れてるよな、と訊ねた時に返ってきたのはそんな話だった。確かに組織のリーダーなら、そんな機会もあるだろう。でも。
「ああ、そりゃあ……」
お前に嫌われたくなくて、でも目を掛けて欲しくて、そんな事したんだろ、なんて、それは言わなくてもわかってるんだろうし。ちょっと考えて「好かれるのも大変だな」とだけ返せば、珍しく少し目を丸くした後に隼人は苦く笑った。
「……烏滸がましくも命に優先順位付けることすらある人間が誰か個人的に贔屓したりする訳にもいかねえだろ」
ぽつりと隼人が呟いた声は、なんだか耳に残った。
普段はそんな風に誰も彼も自分にさえも平等で公平で、どれだけ誰から何を与えられようが返すものは全部同じになるように皆同じ天秤にかけて決めているような奴で、自分から欲しがりもしなかった。
本当は誰より優しくて傷付きやすいのに、それだからそうして嫌な奴の振りをして全部背負って、妙に律儀で真面目だから隼人は隼人の筋だって通したがったし、誰にも弱味なんか見せなくて。
そんな所すら俺は好きで、なんだか見ていてもどかしくて、甘やかしてやりたくなる時すらあって。
「要らない」と拒絶されることは考えても「返して欲しい」なんて考えてなかった。あいつはそういうやつで、自分の思いは自分が勝手にしてる事なんだから、返ってこなくてもよかった。
何も言わなくても、理解して受け止めるそれだけで隼人も想ってくれてるのはわかってたから、それで良かった。
「……良かったんだけどなぁ……」
仕事して晩飯も食って、部屋に戻って念の為鍵もかけて覗いた布団の中の雑誌は変わったりしてなかったし見間違いでもなかった。
恐る恐るパラパラと捲ってみた雑誌には男の裸やら男同士の絡みやらが扇情的な言葉と一緒に誌面に踊っていて、気持ち悪いとまではいかないけれど若干腰が引けるような気持ちはあった。
さっぱりいやらしい気分にはならないまま、自分はこういう事がしたいとあいつに言ったんだなとか、俺達は傍からはこう見えるんだろうかとか、色々考えて。
ふと、隼人はこれを読みながら何を考えたんだろうと思ったら、抱かれて喘ぐ男の姿が隼人に重なって一気に顔が熱くなった。慌てて乱暴に雑誌を閉じて、思わず顔を覆う。
あんまり欲に正直すぎる自分の身体が恨めしかった。
+++++
コンコン、と静かにドアをノックする音に我に返る。ドア一枚向こうにいるのが誰かはわかっているから、パチンと頬を叩いて気合を入れて、自分を深呼吸して落ち着かせてからドアを開いた。
「……頬が赤くねえか?」
「大丈夫だよ、なんでもねえよ」
まさかついさっきまでお前のいやらしい姿が頭に張り付いて興奮してましたなんて言えるわけもない。取り繕おうとして思わずぶっきらぼうな言い方になったが、隼人も隼人で微妙に上の空だ。部屋の鍵を掛ける音がなんだかやけに耳に残った。
この状態で隼人をベッドに座らせるのは気が引けて、机の椅子を譲って自分はベッドに胡座をかく。出しっぱなしで視界の端に入るあの雑誌をまともには見れなかった。
「……リョウ、読んだな?」
「……おう」
酷く真剣な、敵でも来てる時みたいな緊張感。椅子に横から腰かけた隼人は何かを考える時みたいに前かがみで膝の上に肘を立て、組み合わせた指が口元を隠していた。はあ、とため息ひとつ吐くと、向けられていた鋭い目が伏せられた。
睫毛が長い。いや、そんな事は知ってるが、なんだか妙に気になった。
もう一度、目が合わせられて、隼人が口を開いた。
「あのな、俺は男だ」
「知ってるぜ、そんなこと」
「……ああいう事だぞ、お前が言ったのは」
ちらと目配せされた先にはあの雑誌がある。客観的に見て考えるには役立った、と思う。
「尻の穴だぞ、汚ぇんだぞ」
念押しして聞いてくるような声に、てっきり自分が突っ込まれるのを考えるのは嫌なんじゃねえか、「気持ち悪いこと考えんな」とか言われるんじゃと思っていたからなんだか拍子抜けした。
「いや、そこは俺にはあんま問題じゃねえっていうか。
だってあの時滅茶苦茶可愛かったし興奮したし、なんなら下まで舐――」
「それ以上言うな」
拍子抜けついでで言わなくて良いことまでポロッと口から出ちまった。隼人が額を押えながら呆れ返ったような声で止める。思い切り大きなため息が聞こえた。俯き気味の顔、前髪の隙間からちらと目が向けられて、細い眉が少し寄った。
「そういやお前、俺が漏らそうが吐こうがなにしようがお構いなしに触ってきやがったもんな、最初から」
「……嫌だったか」
「汚ぇとか思わねえのかよ、こいつとは思ったぜ」
「…………必死で頑張ってんなぁみたいな?」
言葉を選んで言ってみれば、隼人が苦笑する雰囲気で眉を寄せた。
「いっそ可愛いくらいのもの滲ませんじゃねえよ」
選んだのに言い当てられて少し困る。目が泳いだ俺に「お前はまったく呆れた奴だぜ」と隼人がくすくす笑い、部屋の空気も少し緩んで、俺も笑った。
それで、きちんと言わなきゃなと思った。
「あんな、隼人」
「なんだ」
「確かに俺は正直お前抱きたいよ」
今更嘘ついたってしょうがない。目を合わせ、正直に雑誌を見ながら考えたことを口にする。
「けどな、お前が嫌ならしたくねえよ。我慢してまでやることじゃねえだろ、こういうの。
なんか突っ込まれる方痛そうだし、準備大変そうだし、本当に気持ちよくなれるかわかんねえし。大体、座薬だけでも正直げっとするのによ、普通にデカいちんこ突っ込まれるとか怖いじゃねえか、だって」
そう、隼人はどうか知らないが、自分が抱かれる側で相手が隼人でその覚悟をして信じていても、正直怖いだろうなと思った。乱暴される女性の恐怖はこんな比じゃないんだと改めて思ったし、自分の中に悪意は無くても「自分は男で、抱く側だ」と無意識に思ってたことにも気付いた。
隼人に「抱かれる」側を押し付けようとしてたんじゃないかと思ったら、罪悪感が酷かった。
俺は隼人を傷付けたい訳じゃない。嫌なら嫌だと言ってくれた方がよっぽど良い。
「……はぁ」
「なんだよ」
一通り俺の話を聞いた隼人がまた、今度は控え目にため息をついた。
「いや、わかっちゃいたが、股間に脳みそ支配されて色ボケした訳じゃ無かったんだなってよ」
「はぁ?」
「お前さんは真剣なんだなってよ」
「冗談でなんか言わねえよ」
揶揄う様な声に眉をひそめれば、隼人がなんだか優しい雰囲気で口元に笑みを浮かべるから少しドキリとした。なんだか照れてしまいそうになって、口をへの字に結んで首をかく。
「あのな、リョウ」
俺はな、お前の事を抱きたいとは思わねぇけど、お前が本当に俺の事抱きたいってんなら抱かれてもいいぜ。
「え」
隼人がひとつ息をして、真剣な声で静かに出された言葉に目を瞬かせる。
「ただな」
「お、おう」
「いきなり突っ込んで入るもんじゃねえし、お前さんもコンドームの使い方だのよく知らねぇだろ」
「……うん」
「お互い準備は必要だ。きっとめんどくせぇぞ」
それでもか? と真っ直ぐ目を見て問われる。面倒。そうかもしれない。けど。
「……あんな、隼人」
ベッドの端に腰かけ直し、そっと手を伸ばして隼人の手を引く。抱きしめたいと身振りをすれば、少し首を傾げながらも隼人はすんなり脚の間に腰を下ろして背中を預けてくれた。
いつもどちらかが手を伸ばして触れるくらいの距離感にあるお前が、俺とのこういう時は触れることを許してくれる。ゆっくり抱きしめて、黒い髪の毛の隙間から見える白いうなじに軽く唇を触れる。
「……俺は頭が良くねえから、きっとこれ以上を伝えたかったらそれしか出てこねえんだ。
でも、そんなん俺の我儘だろ。俺がそれでなんか言うのは筋違いじゃねえかと思うし、お前が無理に付き合ってくれてんじゃないかって方が嫌だ」
考え考え、口にしたのはこれで良かったのかどうかもわからない。大体自分の気持ちだってなんなんだかよくわからないのにわかるはずもなくて。
「……リョウ」
少し身体が離れて、俺の顔に手が伸びてくる。そっと触れるだけの口付け。
「……お前がくれるってんなら、欲しいよ」
表情を隠すみたいに首筋に顔を埋めて、耳のそば小さく聞こえた声に、俺は自然緩む口元を感じながら腕の中の身体を抱き締め直した。