■ 同じ風が吹くじいじいと、幾つも重なる蝉の声が夏の青空の下に響く。
昇りきってはいなくとも夏の日差しは眩しく、研究所を眺める高台に立つ小さな墓標が草むらに影を落としていた。
その下には僅かばかりの機体の残骸が眠る。
五年前。武蔵はゲッター1と共に消えた。消えた、というには生温い、壮絶なゲッター炉心の爆発と共に。文字通り骨のひとかけも残さず。
彼が記憶の他に残したものは研究所に残された遺品ほどで、遺族へそれらを返せばそんなものしか残らなかった。
けれど、竜馬と隼人にはそれが一番武蔵の魂を知っているような気がした。
「よう、武蔵」
済まなかったな、しばらく顔出さなくてよ。
風呂敷包みと水の入った一升瓶を携え、竜馬がそこを訪れたのは盆も終わる頃だった。
恐竜帝国の再侵攻を退け、再び訪れた平和。傷跡も癒しきれぬ前に起きた再びの戦争に、再興すべきものは多い。
それでも、あの日の蹴りは着いたのだった。
「俺らできっちり決められなかったのは残念だけどよ、ちゃんと終わったぜ」
そっと墓標を撫でてそう語りかけ、「うし、じゃあやるか」とひと声上げて竜馬は墓の掃除を始めた。軽く草を毟り、墓標を拭いて、水をかける。時折誰かが来て手入れしていたような形跡は隼人や研究所の誰かなのだろう。
一通り掃除を終えて花を備え、手を合わせていると覚えのある気配が近づくのがわかった。
立ち上がり見下ろした細道に、黒いスーツの上着を腕に掛け、ビニール袋を下げた隼人の姿があった。
「忙しそうだから来れねえのかと思ったぜ」
「……お前は早いな」
竜馬の声にぱちぱちと瞬きして、何を言うか困ったように隼人はそう返した。
ここで彼らが会うのも、五年ぶりだった。
……色々無茶をやったし、基地の再建も含めて各所の調整も多くてな。ようやく一段落つきそうだ。
墓標にペットボトルから水をかけながら、隼人は誰にともなくそう話した。
武蔵の、先の戦いの犠牲を、無為にしなくて済んだと。
ひとり、政治という戦場に残り戦い続けていたのはその為だったとは聞かずとも竜馬も知っていた。
自分は色々と我慢がならずに飛び出してしまったが、隼人はそれもわかっていて、ずっとあの場所を守りながら、自分達を守りながら待っていてくれたのだろうと、そんな確信めいたものも竜馬にはあった。
研究所を後にしたあの日、竜馬は隼人には会わずに出立した。
顔を見れば決心が鈍って、行くにしろ行かないにしろ心残りを作ってしまうような気がした。
たった一年ほど。毎日のように死が隣にあった戦場で。それでも、あの場所とそこにいた人々は、自分たちは、家族できょうだいだった。
膝を折り、二人で静かに手を合わせる。
今日だけは研究所が鳴らす正午を告げるサイレンが蝉の声を割って響き渡った。ざあと強い風が吹いて、彼等の髪の毛を揺らし草原を撫でていく。
立ち上がり、早乙女研究所を、そしてその向こうの遠く並ぶ山々を見つめ、墓標に目を戻して竜馬がぽつりと口を開いた。
「……なんかよ、嫌だったんだよな」
ちらと隣の顔を見た隼人は、竜馬が飛び出した時の話かと黙って聞くことにした。
お偉いさん方がなんやかんや上から目線で言ってきたり窮屈な暮らしするのもだけど、武蔵を知らない奴らにやたらめったら「良い奴」で「善人」の「英雄」にされちまうのとかさ。
ああ、と隼人は声に出さずとも胸の内で思う。
残された者がその犠牲を美化することは、ままある。
「世界を守るための尊い犠牲」「英雄」「勇者」
確かに、自分の意思で武蔵は死地に向かった。誰に言われたでもなく、自ら命をかけて誰かを、世界を守ろうとした。
それは、確かに勇気ある行動だ。
無駄死ににはならなかった、自分達がさせなかった。
けれど、本当は、武蔵こそ誰よりも生きたかっただろう事も自分達は知っていた。
誰も死ぬために戦う訳では無い。世界のために命をかけるなどというのは、フィクションのヒーローのように当然の話ではない。
微笑み語りかけるようにぽつぽつと静かに話す竜馬の声を聞きながら、隼人は空を見上げた。
……なあ、武蔵。お前割りと自分勝手でガキみてえだったよな。
最初なんかカッコイイから惚れたゲッターに乗りたいばっかで、嘘つくしズルするし話にもなんなくてよ。
ミチルさんにいいカッコしたくて食いすぎて動けなくなったりもしたよな。
「……元気ちゃんと敵を釣り上げたり、海で水着を流されていたり、まあ色々と話には事欠かなかったな」
「ははっ、そうそう、そんな事もあったなぁ」
しまい込んでいた記憶の蓋を緩めれば、途端転がり落ちてくるように思い出されることは多い。隼人がそれを口にすれば竜馬がからりと笑った。
「見栄っ張りで調子が良くて、良いとこも悪いとこもあってよ、普通の奴だったよな。ま、俺らだって、あいつのこと全部知ってた訳じゃねえけど」
「……そうだな」
「一緒に飯食って遊んで戦って……」
「『英雄』なんてご大層に祭り上げられても、ただの人間の俺らにゃ似合わねえよ」
そっと優しく墓標に触れる手と、見たものすべてそのまま受け止めるような力強い瞳。
昔からこいつは背中で語る父性の塊のようなやつだった、と隼人は思う。大地に根を張る大樹が飾り立てることもせず、ただそこにあるように。
「戦士か闘士辺りで妥協してもらいたかったものだ」
「なんだ、やっぱりお前も思うとこあったんかよ」
「俺がどう思おうと、政治だの世情だの色々あるのさ」
「かーっ! 嫌だね、俺なら暴れちまいそうだぜ」
「だろうな」
頭の後ろで手を組んで吐き出すような声に、ふっと小さく笑い返しながら、それが、流竜馬という男であると隼人は知っていた。
「段々薄れちまうのは確かだけどよ、お前が俺の隣で飯食ってた事はきっと忘れねえよ」
「そうだな。思い出したくなったら研究日誌の脇に軽く付けていた日記もある」
「お前それ俺の笑い話も残してそうじゃねえか」
「……どれも、大切な思い出さ」
たった、一年間の。死と隣り合わせだった過酷な戦場と、ささやかで大切だった何気ない日々。
何も特別なことなどはなかった、皆それぞれが必死に生きようとした、ただそれだけの。
二度と起きてほしくはない、けれど確かに自分たちが生きていた時間。
そっと、隼人もまた墓標を撫で、軽く目を閉じた。
じゃあな、武蔵。また来るぜ。
次はいつ誰が訪れるかもわからないそこに、彼等は軽く手を振って並んで細道を去っていく。
黄色い花と、未来への約束が残ったそこに、風は優しく通り抜けていった。