【クリ想】降りてくる 知人の海女からと言って古論クリスが保冷バッグの中の牡蠣を見せると、北村想楽は呆れ混じりの笑みを浮かべた。
「クリスさん、海女の知り合いまでいるんだねー」
「はい! 彼女は私と同い年で、十年以上も海女漁をしています」
言いながらクリスは殻付きの牡蠣を見下ろす。生でも食べられる牡蠣に備えて、今日のクリスはレモンやタバスコも持ち込んでいた。保冷バッグいっぱいの牡蠣はどれも大振りで、見ているだけで海の恵みへの喜びが湧く。
「十年かー」
「牡蠣を頂くようになってからは三年ほどですが、年々大きい牡蠣を頂けるようになっています。牡蠣の降りてくる場所が分かるようになってきたのだそうです」
「降りるってどういうことー?」
想楽の視線が牡蠣からクリスへ向けられる。赤い瞳と大きく覗く白目。睫毛の影を帯びながら煌めく瞳は、クリスの胸に小さな明かりを灯す。
「海女漁をする方は、牡蠣のいる場所を『牡蠣の降りる場所』と呼ぶのだそうです」
「ふーん。詩的な表現なんだねー」
「そうですね。牡蠣やアワビなどの生き物は、全て海からもたらされる恵みです。それを忘れてはいけないと伝える言葉のようで、とても素晴らしいと思います!」
海女による素潜り漁は、シーズンの始まりと終わりでは潜る距離が三倍近くも違うと聞いたことがある。
自らの身体を慣らしながら深い場所を探る海女の在り方は、海と自身を一体化させるような美しさに満ちている――などと語り続けるクリスの前で、想楽は口元を緩ませる。
「クリスさん、海のことだからって話しすぎじゃないー?」
「! すみません、ご迷惑だったでしょうか……」
「そういうわけじゃないよー。ただ、時と場所は選んでねー」
やわらかくたしなめられて、申し訳ないとは思うのになぜか胸は熱い。
「それにしても、『降りる』なんて――」
自然と想楽の顔は窓の外に向いた。
春が近づいて日差しはうららかだ。外に出れば冷えた空気が肌に痛いが、室内にいればそれも分からない。
想楽の髪は太陽を浴びて表面に輝きを纏い、黒く染まった毛先は滴るような艶を得ている。陽光に馴染んだ声は心地よく、クリスは聞き惚れてしまいそうだ。
二人、並んで言葉を交わす時間は好ましい。
時間だけでなく、想楽自身も――。
「牡蠣が空から降ってくるとでも思ってたのかなー?」
「――もしそのようなことがあれば、素晴らしい光景ですね!」
返しながら、クリスは牡蠣を降らせる空を思う。
栄養価に優れた牡蠣は多くの恩恵をもたらすもの。
青空いっぱいに牡蠣が降り注いで、深く潜れば人の手に渡る。
(――)
想楽と共に過ごすたび、胸に湧く感情。
降り注ぎ、胸に心に沈んだこの想いは、己の内心に深く潜ればきっと手が届く。
「タバスコは辛いので、レモンにしましょう。想楽はすっぱいものは平気ですか?」
「子どもじゃないんだし、辛いものもすっぱいものも平気だよー」
想楽の返事を聞きながら、クリスは貝の合わせ目にナイフを差し込む。
現れた貝肉は瑞々しく、クリスの手の中で繊細に震えていた。