クリ想:急R:クリ→想。付き合っていない二人がカフェで休憩する話。 そのカフェのカウンターテーブルにメニュー表はなく、店員は水のグラスと共に一枚の紙を差し出した。
「これは……?」
レッスンを終えてから撮影を始めるまでの時間潰しに入ったカフェだった。たまたま目に留まったその店はからりと明るい白の内装で、天窓からの光がさんさんと降り注いでいる。
差し出された紙はレシートと同じ光沢のある質感で、クリスはゴマサバのことを連想しだす。そんなクリスの隣で想楽はスマートフォンの画面を叩き、クリスに体を寄せる。
「!」
「QRコードだねー」
カメラを立ち上げた想楽のスマートフォンが紙に記されたQRコードを読み取ると、スマートフォンの画面はこのカフェのメニューページに遷移する。
「ここで注文するんだよ。何がいいー?」
「なるほど、非常に面白い取り組みですね」
クリスの戸惑いをよそに想楽は指を下に動かしてメニューの全貌を眺めていた。今日はいつもより暑いからホットドリンクを見る時は指が早く、アイスドリンクを見る時は指が鈍る。想楽の手の中に収まるスマートフォンを見るためには、クリスは想楽の方へ顔を傾ける必要があった。
「あ」
天窓からの光を遮っていたクリスの頭が動いたせいで、スマートフォンの画面には陽光が射す。画面そのものが発している光よりも眩しい太陽のせいで画面の文字はひとつも読めなくなって、想楽が頭を動かして画面に当たる日光を遮るとスマートフォンは再び明るさを取り戻した。
「クリスさんも冷たいものにするー?」
「そうですね、アイスコーヒーにしようかと思っています」
ひとつのスマートフォンを二人で覗き込む恰好だから自然と頭は近づいた。
ボイストレーニングを終えた頭部に汗の気配は薄い。白い髪の一本一本が顔のすぐ横に迫っていることに気付くとクリスの胸の内では白波が立ち、そんなクリスの隣で想楽はスマートフォンに触れる。
「食べ物も多いんだねー」
ほどなくして想楽はメニューを決め、画面上で注文を済ませる。磨かれた爪が画面の光を得て一瞬だけ瞬くさまに目を奪われたクリスが身を屈めた直後に想楽が顔を上げ、思った以上に近いクリスの顔に「うわ」と声を漏らした。
「近すぎない?」
「、すみません」
呟いて顔を退くまでの短い時間、クリスの頭には想楽の顔が焼き付いていた。
瑞々しい稜線を持つ頬、珊瑚を塗りこめたような唇。赤い瞳は灯標のように、常にクリスの胸を射る――。
「今日のレッスンはちょっと苦戦したね」
唇が動いてクリスに問いかける。今日のボイストレーニングの話だと気付いてクリスがうなずくと、想楽は吐息ほどの声で笑った。
「想楽や雨彦のように歌い上げたいのですが……難しいものですね」
元からボイストレーニングでは苦労することが多いクリスだが、今日は特にレッスンの進みが遅かった。トレーナーと同じ箇所の音を何度も合わせて、それでもうまくいかず、来週また頑張りましょうと曖昧な微笑みを受けたことをクリスは覚えている。
「その点、想楽の歌声はセイレーンのようで素晴らしかったです」
クリスが言うと想楽は居を疲れた表情になってから、睫毛を伏せる。
「クリスさんって、そういうこと言う時に恥ずかしがったりしないよねー」
想楽が言いたいことがクリスには分からなかった。
尋ねようとした矢先、二人の元に飲み物が届く。ストローに口を寄せる沈黙を続ける間、クリスは想楽の言葉を反芻する。
クリスに言葉を恥じた記憶は少ない。どんな言葉ならそんな気持ちになるだろうと想像して、クリスはすぐに想楽に伝えていない言葉に行き当たる。
(……)
好ましさと、連なる欲を伝える言葉。
それを伝える日が来る時は、恥以外の気持ちがあれば良い。
思うクリスの傍らで、想楽はストローでグラスをかき混ぜていた。