…という夢を見たのさ。「じゃあ二人共、気を付けて帰ってな」
「あぁ。円城寺さんをよろしく」
「そこのダッセーらーめん屋じゃねぇんだから、言われなくても大丈夫だっつーの!」
オマエなぁ、と続くタケルと漣の声が遠くで聞こえる。
「あー…迷惑かけて、すまん」
タクシーの中から声をかけると、とっとと帰りやがれ、気にしなくて大丈夫だ。気を付けて、と返事がくる。
情けない所を見せてしまったとうまく働かない頭でぼんやりと反省すると、自宅の住所を告げる声と共にドアが閉まった。
「師匠も…すんません…」
「いいよいいよ」
珍しい事もあるな、と笑いながらプロデューサーが隣でシートベルトを締めた。
確認した運転手がアクセルを踏み、窓の外の夜景が視界に現れては端へと流れていく。
「自分が言い出した飲み会なのに、面目ないッス」
「大丈夫だって。俺も祝ってくれて嬉しかったよ」
ありがとう、と笑うプロデューサーに申し訳なさがありながらも、その笑顔がまた嬉しくなって頬が緩んだ。
「結婚しようと思ってる」
プロデューサーからそう告げられたのは数週間ほど前だった。この仕事に就いてから出来た恋人で、タケルも漣も知っている事だ。
その件については自分からあまり言わないプロデューサーだったので、告げられた言葉はそれほど重要な事だと解る。
「…っ!おめでとうございます、師匠!」
恩人であるプロデューサーの慶事だ、こんなに嬉しいことはない。その場に居たタケルと漣も自分なりの言葉をかけている。その横で挙式はいつにするんスか?等と質問責めをすると、グイグイ来るなぁ、知ってたけど!と恥ずかしそうに答えてくれた。
前祝いの飲み会の予定を組んだのも自分だった。タケルが成人してから皆で飲みに行く事も久しぶりで、今日は思ったよりも酔いが回ってしまったのだ。
車の心地の良い振動にウトウトとしてしまい、隣のプロデューサーの肩に頭がぶつかっては姿勢を戻す。何度か繰り返すとプロデューサーは家に着いたら起こすよ、と小さく笑う。
「師匠…」
「なーに?謝るのはもう無しだよ」
からかい半分の間延びした返事をしてくれる。
「…おめでとうございます」
「ありがとう、今日だけで五十回は聞いてる気がするけど」
「言っても、言い足りないんスよ…」
「…そっか」
ありがとう、ともう一度お礼を言う顔を横目で見る。プロデューサーは真っ直ぐに前を向いていた。
家に到着しタクシーからは降りられたが足元は覚束ない。それを見たプロデューサーはさっと腕を取り自分の肩に回すように動かした。
「ししょ、本当に」
「はいはい、もう無しって言ったよ」
謝罪を遮られてしまっては何も言えない。寄りかかりつつもなるべく自分で歩かねばと歩みを進める。なんとか扉の前まで辿り着き鍵を開けようと取り出すと、それも手に取られて開けられてしまった。玄関で支えられ靴を脱ぐと念の為とプロデューサーも部屋に上がると、見慣れた部屋に安心してしまい体の力が抜ける。
「道流、もう大丈夫そう?」
優しく声をかけられる。意識はまだぼんやりとはしているがあとは布団を敷いて眠るだけだ。大丈夫だと伝えなければ。
「大丈夫………じゃ、ないッス」
「ん?」
最後の言葉は小さくなり聞こえなかったようだ。グッと堪え再び口を開き顔を見る。
「師匠、おめでとうございます」
今度は声が少し震えてしまった。
プロデューサーは小さくうんと返す。
「もう、自分の家に晩飯食べに来て欲しいなんて、言えなくなるッスね」
視界がじんわりと滲んでいく。
プロデューサーはまた小さく返事をする。
「…寂しいッス」
返事はない。
「嫌だ…嫌です師匠」
返事は、ない。
「……好きです」
ボロボロと溢れた涙は止まらなかった。
プロデューサーはまたうん、と小さく返事をした。
その目は真っ直ぐに優しくこちらを見ていた。
「…やっぱり知ってたんスね、自分の気持ち」
止まらない涙に思わず俯いてしまう。
薄々勘づいてはいたのだ。プロデューサーはずっとずっと優しい、残酷なくらい優しかった。
だからこそ期待を持たせる様な素振りをされた事も言葉をかけられた事もなかった。アイドルとプロデューサーで居てくれたのだ。
解っていた。解っていたはずなのに。抑えきれない感情が溢れかえってしまった。
「…知ってても、言葉にされないなら答えられないよ」
ゆっくりと目線を合わせるとプロデューサーはまだ真っ直ぐにこちらを見ている。ずっと昔から知っている表情だ。
「だから…ごめんな、道流」
はっきりと、告げられる。
「…はい」
最後くらいは笑って別れたい。
「はい、師匠」
けれどもう駄目だった。堪えきれない嗚咽だけが部屋に響き、思わず目の前のプロデューサーの体に身を寄せてしまった。
プロデューサーは背を擦ろうとしたのだろう。けれど回された腕は触れることなく途中で止まり、ゆっくりと降ろされた。最後まで自分に対して誠実であろうとしてくれた。そういうところが大好きだったのだ。
その事実が嬉しくて、それ以上に悲しかった。
だから。
明日からはプロデューサーとアイドルにちゃんと戻るから。
今泣き止むこの瞬間までは自分だけのものに………
「って言う夢を見てしまって」
「…それこの間一緒に見た恋愛映画の影響じゃない?」
「もう少し毅然とした態度で体を離すくらいの事はして良いんスよ。師匠は優しすぎます」
「その件については大変申し訳ありません。良く言って聞かせますんで…」
昨晩泊りに来てくれたプロデューサーと朝食を取りながらそんな会話をする。
自分の夢の中に対しての無茶な感想にも笑ってこたえてくれる目の前の男に笑い返しながら、いつも美味しいと言ってくれる味噌汁を口に含んだ。