空港ロビーで多言語のアナウンスが響いているのを、どこか遠くの出来事のようにロディは聞いていた。聞く、というよりも、耳にただ入れているだけと表現したほうが正しいかもしれない。音は拾っているが、意味のあるものとして脳が処理していないのだ。
五度目になるオセオン訪問から出久が日本へ帰ったのは約十分前。いつも搭乗時刻ギリギリまでこのロビーにいる出久のことだ。ロディの目の前にあるエスカレーターを駆け上がっていった出久は、きっと今頃保安検査場を駆け抜け、出国審査に息を切らして挑んでいるところだろう。ロディと別れてからボーディング・ブリッジを渡るまで毎回最短速度を更新しているなんて笑っていたが、パイロットを目指す航空専門学生のロディとしては到底許せるものではない。落ち着いて搭乗手続きを済ませてほしい。
今生の別れを覚悟した最初の別れから幾度か別れを繰り返し、そうしてそのたびに出久とは最後かもしれないと覚悟している。同時に、出久の体温を忘れないようロディはロディの背に腕を回す出久の行動を変わらず受け入れている。
今回もいつものように、そしてプロヒーローの活動にも慣れてきたらしい出久の体温を自身の皮膚にしみこませ、身体を離した。そうだ。そこまではいつも通りだったのだ、けれど。
オセオン空港を象徴する空港ロビーの大きな窓の外に広がる空はあまりにも青い。それを視界の端に捉えながら、ロディは出久がこの場を去ってから初めて動きを見せた。自身の唇を緩慢な動作で押さえる。ここに、出久の体温を残す予定なんてこれまでもこれからもなかったはずなのだけれど、つい十分前にロディの唇へぶつかるように押し付けられたのは間違いなく出久の酷くカサついた唇だった。
耳の淵まで真っ赤にした出久は、しかし決意の表情で「また来るから!」と言い残し、キャリーバックのタイヤを働かせず、そのまま脇に抱えてエスカレーターを駆け上がっていった。下手したら個性を発動させていたのではないかというほどの猛スピードでロディの目の前から去った出久の背中を呆然と見つめ、ロディは以降その背中が視界から消えた後もロビーにたたずんでいる。
ぽとりと足元で音がした。見れば、ピンク色の己の小さな分身が煙でも出しそうな勢いで真っ赤になって転がっている。墜落したんだろうな、と酷くあっさりと考えて、ロディはなんでコイツ落ちたんだと他人事のように思った。
――いや、デクにキスされたからだよ。
己のやけに冷静な部分に対しロディが脳内にて全力でツッコミを入れたと同時、ぶわりと全身の穴という穴から汗が噴き出した。
「……えっ? は? え? アイツなにしてくれてんだ……!?」
ようやく処理が追いついた現況に口元を押さえたままロディはぶつぶつと呟くが、それにこたえてくれる相手はもうこの場にいない。
こんなことして、次会えなかったらどうしてくれんだ、と毒づいて、そうしてロディは自身の心臓をとくりと小さく跳ねさせた。
そうだ、決意したような表情だった――デクのやつ、ちゃんとこのことを処理する気でキスしやがった。次に、つなげるために。
たどり着いた答えに、口元を押さえていた手をずらし、片手で両目を覆うようにしてからロディは顎を上げる。ああ、と呻くように出した声はかすれていて、到底人に聞かせられる音ではない。
触れる手のひらに伝わってくる自身の体温は随分と熱かった。わずかに手のひらが濡れる感触があって、自身の瞳が潤んでいることをロディはこのとき自覚した。
いつもお守りのように、思っていた。彼の体温を忘れないようにと願いながら、ロディは今、日々を前を向いて生きている。前を見るのは酷く難しい。それでも出久の体温と、過ごした時間があるから、前を向ける。お守りのようなそのぬくもりを、もう感じることはできないかもしれないと毎回抱きしめていた。きっと凝りもせずプライベートで四回もオセオンにやってきている出久も同じで。それがわからないほどロディは鈍くない。むしろ察しは良い方だと自負している。
だから、出久が一方的な「また来るよ」という口約束をロディにとりつけるだけでなく、この唇に、今までとは違う約束の形を押し付けてきた事実が、ロディは泣きたくなるほど嬉しかったのだ。
そうか、また来るのか。ちゃんと無責任に残していったこの熱を処理しに。
おかしくなってそのまま喉の奥からハハ、と笑う。目は未だ覆ったままだけど、自身の顔が真っ赤になっていることと、足元でピノがごろごろと転がっていることだけはわかって、まだもう少しこの場からロディは自分が動けないことを悟ったのだった。