「シーバル…」
ヤシの木が等間隔に並んだ遊歩道。
植込みの根元に身を縮めて横たわった青年は唸った。
逆光で顔は見えない。丸い頭に突き出た耳、大きな瞳の白目だけきらりと浮かぶ。
首をかしげてしゃがみこんでこちらを見ているシルエットは少年の様だ。
「何見てんだ。あっち行けよ」
韓国語で言った後で英語、タガログ語で言い直す。
少年は立ち上がったがその膝小僧から下が移動する様子はない。
タイミング悪い事に急スピードのエンジンのブレーキの音に続き「おい、小僧」と言う聞き覚えのある声。
青年は目をつぶって息を吐いた。
少年を呼び止めた車には4人の男が乗っていた。それぞれ顔のあちこちが腫れていたり血が付いていたりする。
「お前、男を見なかったか?血まみれのアジア人だ」
助手席の男がなまりの強い英語で尋ねる。
後部座席の若いのと中年の男が韓国語で口々に泣き声をあげる。
「ヒョン!もう行きましょうぜ直に警察も来る」
「コピノのガキ1人逃がした所でどうせ何もできやしない」
「適当な死体渡して『こいつです』って言えばバレやしねえよ」
少年は助手席の男の目を見てそれから港の方角を指さした。
目をそらすな。ビビってるのがばれるぞ。と言うのは最近ボクシングを教えてくれるヒョンの言葉だ。
車の男たちは「海外へ逃げられたら厄介だ」と血相を変えて走り出した。
助手席の男は何かのスラングを言いながら少年にまだ栓の開いてないコーラの瓶を渡した。礼のつもりなのだろう。
車が去り再び静寂が訪れた。
少年はもう一度しゃがみ込み植込みを覗き込む。
「…ケンチャナ?」
青年もまた血で汚れた顔のその目を丸く見開く。
「お前、韓国語が解るのか?ああ…そうかお前も。あの家の子か」
1人納得したように笑みを漏らした青年は今度は大きく咳込む。
「なあ、お前そのコーラ俺にくれないか?喉が渇いて死にそうだ」
少年はまだ微かにひんやりとする薄緑色の瓶をぎゅっと握って首を横に振る。
彼にとって甘いコーラはめったに飲めるものではないのだ。
「チッ分かったよ。ケチだなあ」
血まみれで危なげな男達に追われている青年はへらへらと続けて質問する。
「お前、名前は」
「……マルコ」
一瞬ためらうものの少年は名乗る。
「サンキュー、マルコ。とっとと帰れ。あいつらにまた会ったら厄介だ」
言われなくてもそのつもりだ。少年は立ち上がると歩き出した。
「マルコ!!」
数歩行った所で呼び止められる。
振り向けば植込みから青年の顔だけが見える。
うつぶせになって両手で頬杖をついてまるで自宅でくつろいでいるかのようだ。
「何か困った事が起きたら俺を呼んでくれ。お前は命の恩人…友達だ。この借りはいつか返すよ」
少年は黒目がちな瞳で青年の顔(血だらけで素顔は良く分からない)を数秒見つめるがそのまま踵を返し歩き出す。
顔も名前も分からないのにどうやって呼べと言うのか。
もうじき日が暮れる。