きえ赤、赤、赤。自らの髪にも負けないほどの赤で犇めいていた。ユールモア軍がオスタル厳命城を取り囲んでいる。
水晶公に喚ばれ原初世界から英雄がやってきて、この世界を光の果てからすくいとるらしい。俺も何度か姿を見たことがある。たしかアシエンを倒したとか、イシュガルドの戦争を終わらせたとか、とにかく冗談みたいなことをやってのける奴だ。そんな英雄を味方につけたクリスタリウムは、本格的にユールモアへ対抗することに決まった。光の巫女ミンフィリアまで救出してみせるのだから、いよいよ英雄とやらも人間離れしてきた。
英雄は光の巫女を連れて妖精郷へ逃れた。しかしクリスタリウム軍は、控えめに言っても満身創痍だった。世界最大勢力とも言えるユールモア軍を相手にすれば無理はない。そんな様を見下ろしては「天罰だ」と、神を名乗る男は言った。神なんて、反吐が出る。
『Zhu-yan!一旦引きなさい!これ以上戦ったら身体が持たないわ!』
「駄目だ…ここで引いたらクリスタリウムはどうなる!一人も逃さねぇ!」
自警団に紛いなりにも参加していた俺は、当然ラクサン城での戦いに参加していた。それなりに退けたほうだと思う。でも何だか知らねぇあのバカ強いジジイに、クリスタリウム軍はかなりやられちまった。あいつも英雄を追って姿を消したが、残党もなかなか腕が立つやつばかりだった。
「英雄が世界を救うんだろ…俺だって原初世界の人間だ、自分の2つの故郷が救えるんなら、命の一つくらいくれてやる」
『Zhu-yan!』
原初世界も第一世界も俺にとっては大事な故郷で、どっちも失いたくないものだった。もう二度と、俺から奪うなんてことは許さない。神だか罪だかしらねぇが、そんな奴、全部ブッ壊して
や
…
「母さん、戦えって、言ってくれよ…俺が、俺が守れるものが、まだあるなら…」
『Zhu-yan…あなたは十分戦ったのよ、少し休むべきだわ』
「…」
雨が降っていた。冷たい。身体は鉛みたいに重くて、もう起き上がれる気はしなかった。指の一つも動かない。でももう俺を狙うユールモア軍はいなかった。向こうもそれなりに痛手を負って撤退したらしい。あるいは英雄を追いかけたか。あぁ、俺もそれを追って、やりたい、のに
「───」
「なんだ」
途切れかけの意識にふと飛び込んでくる声があった。罪喰いの声だ。でもそうじゃなかった。それだけじゃない。何か、うめき声みたいな──
『ちょっと、Zhu-yan?!』
動かないと思っていた身体が、不思議と起き上がって走っていた。血だらけで今にも震えそうな脚が走って、ラクサン城下のラディスカ物見塔らへんまで下ってきた。塔の影から、白く大きな翼の生えた騎士の姿が見えた。
「ッらァ!!!!」
正面に滑り込み、背負っていた鎌でその腹を弾き飛ばす。よろめいた罪喰いはすぐさま剣を振りかざしてくる。柄でそれを防ぎつつ、後ろでへたりこんでいる誰かを盗み見る。ひと目で誰か分かった。分かってしまった。
「お前は…」
「あ?!何で、テメーがここにいんだよ!」
Miyoとかいうあの腹立たしい女だった。しかもあろうことか何も着てない。俺のことをはじき飛ばしてまで原初世界に飛んできた奴が、なにこっちに飛んできてんだ!
「わ、わからない、突然頭痛がしたと思ったら星の海に投げ出されて…」
「…っクソ、クソクソクソッ!話は後だ!母さん!転移だ転移!クリスタリウムに飛べ!」
『走り出したと思ったら乱暴ね全く…』
母さんは俺の背後に立つと女ごとローブで包み隠す。少しホコリ臭い懐かしい匂いがしたら、次に視界が晴れるときにはクリスタリウムはペンダント居住館の一室だ。
「で?!何でテメーがここにいんだ!」
「だから分からないと…」
『ちょっとZhu-yan、落ちついてちょうだい』
足元で相変わらずへたっている女に言い訳を聞いてやろうとすると、すぐさま母さんが間に入る。真新しい大きなタオルを女にかける。
『この子かなりエーテルが揺らいでるわ。それにあなたもボロボロよ、ひとまず休憩しなくちゃ』
「…分かったよ」
母さんは女を抱きかかえると優しくソファに寝かせる。女の首や背中には汗の筋がいくつも見えた。
世界を渡る時、星の海と呼ばれる(少なくとも俺やこの女はそう呼んでる)場所を通る。そこではあらゆるものが混ざり合い、全ての存在は不確定になる。人間はエーテルになり、肉体という器を失っておぼつかない状態になる。こいつのエーテルが乱れているのも、その世界渡りの影響だろう。
『Miyoちゃんよね、大丈夫かしら?意識ははっきりしている?』
「あ、あぁ…なんとか」
『ふーむ…これはあれね、暁の子たちと同じで、肉体はあっちに置いてけぼりって感じだわ』
「そもそも、何でこっちに飛んできた?水晶公が呼んだわけでもあるまいし」
俺を見ても嫌な顔一つしない女は、目頭を抑えながら考え込む。俺も不慣れな治療魔法で全身の傷を塞いだ。
「分からないんだ…でも誰かの願いを聞いた気がした。何かこう…強く、救いたい?みたいな…それで、気がついたらあそこに…」
『…Zhu-yan、もしかしてあなたが呼んだんじゃない?』
「は?!俺が?何で」
『あなたとこの子は同じ魂のイロの持ち主よ、エーテルもよく似ているわ、それにあなたはもともと原初世界の人間だし、満身創痍のあなたが"エーテルを治そうとして"呼び寄せてしまったと考えてもおかしくないでしょう?』
俺をこんな状況に追いやった奴を生きるために呼び出したなんて、心底魂のイロってやつが嫌になる。でも確かに母さんの言い分は一理ある。
「…あ、あの、悪いが私にも分かるように説明してもらえないか…?」
『そうね、Miyoちゃんには第一世界のことからちゃんと説明しなくちゃ』
***
「なるほど…大体は理解できた。暁や英雄が意識不明と噂には聞いていたが、まさか鏡像世界とは」
女は驚くほどすんなり話を受け入れた。まぁこいつももとは別の世界から飛んできたわけだし、その手の話には理解がある。
『俺はテメーのせいでここへ飛んできたんだ、テメーがいなくなれば俺も原初世界で元通り暮らせるんだよ』
「そうだったのか、話してくれてありがとう」
こいつと話そうとすると調子が狂う。悪びれも敵視もせずに、俺と仲良くなれるとでも思ってんのか。
「あなたの状況はよく分かったが、生憎私は大元の世界へ帰ることはできない。かといって、ここへ残るわけにもいかない。私には、やらねばならない事がある」
「あの男か」
「あぁ、私はあの人の側にいなければならない。いや…いたいと思う、だから原初世界へ帰らなくちゃならないんだ」
よくもまぁぬけぬけとそんなことが言えるな。俺から全てを奪っておいて、それで飽き足らず堂々と腰を据えるときた。心底ムカつく。殺してやりたい。
「だがこちらの世界の状況も分かった。それを聞いて、尾を巻いて逃げ出すようなタチではないつもりだ。第八霊災を防ぐためにも、私にできることがあれば力を貸そう」
「は?」
「暁の帰還方法がわかってないのだから、どうせ私もすぐには帰れないんだろう?ならこちらでできることをするまでだ。あなたに借りもあるし、役立たずになるつもりはない」
『いいじゃない、お互いのことを知る良い機会だわ』
「母さん!」
『知らないでいたほうがいいこともあるわ。でも、少なくともあなた達のことはそうは思わない…そうでしょう?』
「…」
否定できない。
俺はずっとこいつのことをまともに知らずに、ただ自分から居場所を奪った悪者として扱ってきた。俺だってとやかく被害者ヅラしたいわけじゃない。ただこいつを見ればどうしても憎しで鎌を振りかぶってしまう。
でも俺はさっき、咄嗟にも、こいつを罪喰いから庇った。そのまま見殺しにすることもできた。自分のことを考えれば、むしろその方が楽だった。でもそうしなかった。理由はよくわからない。でも何か、見殺しにはしてはいけない気がした。母さんに隠し事はできないな。
「…この世界と原初世界を救うまでだ、それまではお前を殺さないでいてやる」
「ありがとう、えっと、Zhu-yan…だよな、よろしく」
手を差し出すな。いつかはまた殺し合わなくちゃいけないのに。仲良くなろうとするな。俺を分かろうとするな。
「…殺さないだけだからな」
「ああ、あなたにやり返さなくて済むだけで十分だ」
笑いかけるなよ。
***
『それじゃあちょっとMiyoちゃん用の服を見繕ってきましょうね、ついでにクリスタリウムを案内してあげないと。起きられるかしら?』
亡霊はゆっくりと私を起き上がらせるとキャビネットから古いローブを取り出して私に着せた。少し大きいところを見ると、多分Zhu-yanが着ているものだろう。
白い面がこちらを覗き込む。表情はないのに、不思議と心配そうにしているのが分かった。頭痛はもう治まったし、変な動悸もない。
「ありがとう、えっと…」
『マザーでいいわ』
「ありがとうマザー」
自分の母のことはもう随分前で覚えていないが、マザーは文字通り母親みの溢れる亡霊だ。Zhu-yanに母さんと呼ばれているし、もしかして本当の母親なのだろうか?
マザーの大きな手を取って連れられるままに外に出る。大きく吹き抜けになっている居住館は赤レンガ造りで、高い天井はガラスのドームになっている。
「マザー、あなたは…Zhu-yanの母親なのか?」
『えぇそうよ、Zhu-yanの持っている鎌に憑く形でこの世に残っているオバケってわけね』
居住館を出ると左手の高台に酒場があって、夜空を祝う人々で若干の賑わいを見せていた。そのまままっすぐ降りていくと、ムジカユニバーサリスと呼ばれるマーケットが大きく展開している。
『でもオバケがウロウロしていたらZhu-yanが怪しまれるでしょう?だから妖異に似た姿を取って、シャーレアンで研究されていた妖異召喚ってことにしてるわけ。もっとも、この世界じゃその説は通用しないけれど…水晶公と同郷といえばとやかく詮索されないのが救いだったわね』
そのまま西にずっと抜けていくと防具屋があった。マザーを見ても誰も驚く様子はなかった。水晶公は原初世界の人間であることを隠しているようだし、詮索するのも無粋ということで通っているようだ。
『こんばんはドッダード、調子はどうかしら』
「あぁマザーか、夜が来るようになって防寒具の発注が増えたもんでね。おかげで儲かりもんだよ」
『良かったわね。それで忙しいところ悪いのだけど、この子用に装備を見繕ってほしいのよ』
ドッダードと呼ばれた男は私を全身くまなく見ると、ふむふむと吟味するようにあれこれ店中の服をひっつかんで持ってきた。
「譲ちゃん武器は何だい?」
「本来は槍だが、生憎持ってこられなかったからな…」
どうしたものかと思ったが、ふと火竜の加護のことを思い出す。あれは護りにばかり使っていた力だが、ついこの間に放出する方法を会得したのだった。
手を空にかざす。指先から炎が渦を巻き、あっという間に杖の形を成す。肉体を持たない身体だが、上手くいった。
「こりゃたまげた、たいした術者じゃないか!」
『まぁ、Miyoちゃんは魔法も使えたのね』
「魔法というかなんというか…」
「ならカットリスに頼んでエーテルの巡りがいいモンを仕立ててやろう、あちら様なら手も多いからすぐに届けられると思うぞ」
『ありがとうドッダード、カットリスには私からも一言挟んでおくわ』
「ご贔屓にな!」
それから最低限必要なものをマーケットボードで揃えて、休息がてら彷徨う階段亭に足を運んだ。サークル状に点在するテーブル席では皆夕飯を済ませている。身体がない今物理的に腹が減ることはないが、今後魔法を使って戦うとなれば、食事は必要になるだろう。
『…ねぇ、Miyoちゃんのことを聞いてもいいかしら』
「あぁ、勿論だ。何でも聞いてくれ」
隅の席に座って蜂蜜酒を頼むと、向かいに座ったマザーが訪ねた。私は彼らのことを全く知らないが、それは彼らからしても同じだろう。
『Miyoちゃんは、あのお兄さんを探して原初世界へやって来たのよね?』
「そうだな…はっきりと探してきた、とは言えない。ただ父を護りたいと、そう願った。そうしたらこちらへ飛んできてしまったんだ。多分、父は私に護られるほど弱くなかったから」
『でもあのお兄さんも強いわよね?』
「あぁ。あの人は武においてはとても強い。それこそ私の助けなんていらないだろう。でも、心はとても弱くて、繊細なんだ。私はあの人の過去をあまり知らない。でもなんとなく、何か抱えなければならないものがあるように思うんだ」
この世界で生きていくには、心身ともに強くなければならない。あの人は心が弱いと言っても、弱いところを見せようとは勿論しない。でも心が強いと証明することもできない。心に踏み込んでくる人がいないから、心の強弱を見せずに済んでいる。いや、逆だ。心の強弱を見せずに済むように、誰も心に踏み込まないようにしている。だから狡猾で、ずる賢く、また生きるのが上手く見える。
「私はそういうものも含めて、護りたいと思ったんだろう。きっと神様がそう計らったんだ。私を待っている人がいると、あの人を見つけてくれたんだ。だから私はあの人の隣で、誰よりも近くで、共に歩いて行きたいんだ」
『…素敵ね、それって愛だわ』
「愛?」
マザーはうんうんと頷いた。
『あなたはお父さんに抱く感情と似て非なるものを、お兄さんに抱いてる。お兄さんがお父さんと同じイロだから護りたいんじゃなくて、もうお兄さんを特別な人として見ている。そうでしょう?』
「あぁ…そうだな、そこは前にあの人に言われた。私もはじめは異なる姿の父だからと思っていたが…今はもう、そんなふうには思わなくなった。私はあの人を、Chiroburaを護りたい」
『きっと、お兄さんもそう思ってるわ。初めてあなたとZhu-yanが会ったときに…ほら、お兄さんがやってきて、Zhu-yanが逃げたことがあったでしょう?あのときのお兄さん、いかにも焦り顔だったもの』
「そうだったか」
「俺抜きで盛り上がるなよ」
ふと背後から声がして振り返る。服を新しく着替えたZhu-yanが不服そうに立っていて、私の左隣の席に座る。店員がちょうど蜂蜜酒を持ってきて、「悪い、同じのもう一つくれ」と言いつけた。
「傷は平気なのか」
『できれば寝ていてほしいわ、Zhu-yanは治療魔法が得意じゃないから…』
「こんなの平気だ、傷さえ塞いどけばなんとでもなる」
「…どこに傷を受けたんだ?」
「なんだよ」
私はZhu-yanの全身をくまなく見る。どこか痛がっているようには見えないが、先程まで満身創痍だったのを思い出す。私を庇ったときなんかは、立っているのもやっとに見えたのに、今歩いているのが不思議だ。
「治療魔法なら少しだけ心得がある、何もしないよりマシだろう」
「俺に恩を売るな、全部仇で返すぞ」
「別に恩を売りたいわけじゃない、あなたが不調だとマザーは悲しむ、そうだろう」
「…母さん、なんか変なこと吹き込んでないだろうな」
『ふふ、まさか』
Zhu-yanは不器用な男だ。私によく似ているから分かる。自分の周りの人のことはよく見えているくせに、自分のことはあまり見ていない。自分のことで人に迷惑をかけたり、嫌な思いをさせたり、苦労をさせたりしたくない。優しい人だ。
「すぐに終わる、じっとしていてくれ」
私がZhu-yanに向き直って、胸のあたりに手をかざす。Zhu-yanは変に抵抗したりしなかった。ただ私の手のひらから流れ出る淡い光をじっと見つめて、それでいてもっと遠くの何かを見ているようだった。時々痛むのか顔をしかめることはあったが、それきり何も言わずにじっとしていた。
『ありがとうMiyoちゃん、私も他者に干渉するような魔法が使えないから助かるわ』
「マザーはマナが扱えないということか?」
『そうねぇ、この世との縁が切られてしまっているということなのかしらね』
「Zhu-yanはどうして治療魔法が苦手なんだ?」
「別に…単純に習ってないからだよ。俺は戦闘も治療も全部独学だから」
「そうか…確かにあなたは鎌一つで戦っているな。独学でそれは…圧倒されるものがある」
ジョブクリスタルも教えも持たずに対等にやりあう事ができるのは、Zhu-yanに才能があるからだろう。努力もしたのだろう。私がかつて火竜と共に切磋琢磨したように、Zhu-yanはマザーと共に多くの壁と向き合ってきたに違いない。
『Miyoちゃんは、戦闘はお父さんから習ったのかしら?』
「あぁ、ギルドの人たちからも…皆良き目標だったから」
『女の子なのにとっても力強い動きをするもの、ちょっとやそっとでできることじゃないわ』
「初めて武器を握ったのは…そうだな…7,8歳とか…」
『まぁ、ふふ』
それから私の話を少しした。あの世界は、この世界ほど敵が多いわけではないが、それでも皆生きるために戦っている。似ているのだ。だから説明も楽だった。この世界に私が順応できたのも、似ていたからだ。
「竜と会話ね…超える力みたいなもんか」
「こちらで超える力の存在を知ったときに、それかもしれないと思ったが…生憎私が分かるのは火竜の言葉だけだ。超える力は優劣はあれど、ここまで効果が狭いことはないだろう?」
『そうね、しかも超える力はアシエンあってのものだし…あなたが元から持っていた力を説明するには、そぐわないわね』
あちらでも、異種族の言葉を理解できることは希とされた。アイルーのように喜怒哀楽がわかりやすい種族ならまだしも、モンスターに分類される火竜の言葉を理解する私は、幼い頃には怪訝な目を向けられることも少なくなかった。
「意思を汲み取るということは、心を通わせた同士なら珍しい話でもないし…Miyoちゃんとその火竜は、偽りない本当の絆で繋がっていたのかもしれないわね」
「絆…」
「そんなものがあるなら見てみたいもんだな」
ウエイターが運んできた蜂蜜酒をぐっとあおりながらZhu-yanは話半分に流し込む。
絆や信頼というものは作ろうとして作れるものではない。人の裏切りや憎しみを知るものには、その有無すら危ういものに見えるだろう。Zhu-yanのことは詳しくは知らないが、きっとあの人と同じように苦い過去があるのだと思う。
「…Zhu-yan、あなたのことも教えてくれないか」
「あ?」
「知りたいんだ、あなたがどんなふうに生きてきたのか」
「…別に、なんも面白かねぇよ」
もう一度蜂蜜酒をあおり、左手をぐっと上げる。気がついたウエイターが寄ってくると「同じの二つ、あと何か適当にツマミくれ」と雑に言いつけた。話してくれるつもりらしい。
「クソみてぇな父親をぶっ殺して、それからずっとフラフラしてただけだ」
「ぶ………自分の父親を殺したのか?」
「俺が生まれてすぐ母さんは病気で死んだけど、母さんが死んだのはお前のせいだって、俺を殴るようになって。母さんの鎌を見つけて、母さんを見つけたとき、もうすぐ殺してやろうって思って」
『何でも思いつきで動いちゃうのよ、不安になるわ』
私が父を思うように、彼もまた母親思いなのだ。大切な人に幸せでいてほしい。その思いばかりで、何でもできてしまう気がする。自分の体がボロボロになっても、気が付かないふりで、あるいは本当に気が付かないで、どこまでも真っ直ぐ行ってしまう。まるで流星だ。
「ムカついたらぶん殴る、それだけの事だろ」
「素直だな」
「自分に嘘ついてどうすんだよ、しょうもねぇ…お前だって馬鹿真面目なくせに」
「そうか?」
「馬鹿じゃなかったら俺に握手求めたりしねぇっての」
「ふ、そうかもしれない」
艶を帯びた蜂蜜酒と生ハムに巻かれたチーズの盛り合わせが運ばれてくる。ひょいとそれを一つ口に放り込んだZhu-yanは、皿を少し私の方に押しやった。私も一つ、それを口に入れた。
***
「Miyo、Miyo!!」
呼びかけてもやはり目は開かない。さっきからコレの繰り返しだ。
手合わせ中に急に倒れたから、急所でも当てたかと思って駆け寄ったら、まるで眠ってるみたいに穏やかな顔をしていたから、流石に肝が冷えた。とにかく宿屋のいつも取ってる部屋に運び込んで、ベッドに寝かせて、それからずっとこうしてる。
目を覚まさないんだから放っておけばいいとも思う。でも、急に訳もなく倒れたんだから、流石に心配になるだろ。いつも元気そうにしてるやつだから余計に。
コォォ
突然背後から、狭い隙間を水が流れるような音がする。驚いて振り返ると、紫色の暗い穴がぽかんとそこに浮かんでいた。ぐるぐると渦巻いて、一瞬縮小したかと思うと、次の瞬間には男が一人そこから飛び出てきた。
「?!」
「よう、元気そうだな」
Zhu-yanとかいうあのいけ好かない男だった。Miyoの事を追いかけ回しているのを何度も見たし、何度も聞いた。こんな時にノコノコと顔を出してきたってことは、Miyoを狙うチャンスとでも思ったんだろうか。
「…Miyoなら寝てるぞ、相手なら俺がする」
「違う、今日はそういう目的で来たんじゃねぇよ」
フッと虚が消えると、そいつは帽子を被り直して指をポキポキと鳴らす。それを合図と言わんばかりに、今度は大きな妖異が姿を表した。
『ごめんなさいねぇお兄さん、突然お邪魔して驚かせちゃって』
「っ?!」
『いち早く教えてあげなくちゃと思って』
その妖異は白い面をあちこちと向けながら俺に穏やかな声で話しかけた。妖異が喋るなんて聞いたことがないし、妖異をまともに従えてるなんてのも聞いたことがない。
「Miyoなら今別の世界にいる、俺がいつもいる場所だ。魂だけ飛ばされて、肉体はここに残ってる」
「…信じると思うのか?」
「俺としては別に信じようが信じまいがどっちでもいい。ただこっちの世界で第八霊災回避に手を貸すって言うから、一時的に殺さずにいるだけだ」
最近英雄や暁の賢人達が次々倒れてるって話があったが、もしやそれと関係あるのか。第八霊災、聞き馴染みがない。
「順を追って説明しろ」
「時間が惜しい。俺はこんなところで時間を無駄にするつもりはない。とにかくMiyoは無事だ。生きてる。でもそれも時間の問題だ」
「なら俺も連れて行け」
「こっちには誰でも来れるわけじゃない。暁は喚ばれたから、あいつは俺と同じイロだから飛んでこれただけだ。お前はここでせいぜい指咥えてろ」
いちいちムカつく物言いしかできないのか。俺が刀に手をかける前に、そいつはまた虚を作ってその中に消えていった。
『ごめんなさいね、完結に説明するのも難しいの…でもMiyoちゃんは本当にちゃんと生きてるわ。お兄さんが眠っているMiyoちゃんをしっかり見ていてくれれば、私達が必ず無事に帰す。約束よ』
***
〈───〉
〈──、────〉
「…」
オスタル厳命城は、戦禍に沈んでいた。罪喰い進行による被害は大きく、決して両手を上げられる状態ではない。隅の方で英雄とライナが話している。なんと声をかけたらいいのか分からなくて、俺はゆっくり東の方へ下っていった。
「あぁZhu-yan」
だいぶ着慣れた黒いローブに身を包んだそいつは、遺体にかけられた麻布の上に花を供えていた。背負う杖の炎が風に穏やかに揺れる。
「そっちはどうだった?」
「どこもおんなじようなもんだ。無事な奴らが撤収の準備をしてる。直に診療所も人だらけになるだろうな」
「そうか」
目を伏せる。いちいち心を痛めてたら心臓が足りない。それでもこいつは死体に祈るのをやめない。俺も隣に膝を折った。
「無事だった者たちは一足先にクリスタリウムに運ばれた。ここにはもう誰もいない」
「…てめーが始めに飛んできたのもここだったな」
「あぁ…ついこの間のように感じる」
夜の闇は生憎雲に隠れ、その美しさを披露することはしばらくないらしい。そのうち雨が降りそうなくらいの暗さだ。
実際、多分そこまで経ってはいない。英雄が目まぐるしく各地の空をハラすもんだから、それを思い出すと胸焼けするだけだ。
「…本当に、世界を救うんだな、あの英雄たちは」
「あぁ、とんでもねぇバケモンだあれは。そういう運命ってやつの元に生まれてきたんだろうな」
「…私も、そうであったら良かったのに」
珍しく弱く呟いたから、おどろいてそっちを見やる。曇り空を見上げた目が、光に濡れている。
「私の大切な人を守るのは、やっぱり私ではない誰かなんだ。私の願いを叶えるのは、やっぱり私ではない誰かなんだ。私はいつも、力不足で、届かなくて、守り損ねる」
「…何だよ急に」
「…私、一度死んだんだ」
ふっとこちらを向く顔に、血の跡が滲んでいる。いつもよりも広くなっているように感じたが、気のせいと言われればそんな程度だ。
「私、父さんを、火竜を…相棒を一人にした。守りたかったのに、突っ走って、いつも空回りして…私は隣にあるものすら守れない。きっとまた、同じことの繰り返しだ。私が何もしないうちに、誰かに守られる」
「待て待て、だから何の話だって」
『Miyoちゃんは一度死んで、原初世界に生まれ変わったのよ』
母さんが、すぐ側に立っていた。いや、浮かんでいた。
『Miyoちゃんが守れなかったのは、お父さんじゃなくて、"お父さんを守りたかった自分"よ』
「…じゃあ、何だ、お前は、砕けた体で、まだ誰かを守ろうとしてるってことか?」
火を背負うせいで顔に影が落ちる。表情は鮮明には見えない。白い歯を食いしばっているのだけが見えた。
「私の大切な人くらい、いつでも私が守ってあげたいじゃないか…!」
「!」
母さんが優しくMiyoを抱きしめる。美しい夜を、常闇の暗さが包んでいる。
「世界が残酷でも、英雄がいなくても、私のこの無力な腕で、隣にいる人くらいは守りたい!もっと強くなって、ずっと側にいると誓えるほど、この身体に重みがほしい!今度こそ、私に…大切な人を守らせてほしい…!」
それで英雄なら良かったって、やっぱりこいつは馬鹿なんだなと思った。英雄が守ってくれるって言ってんだから、見てりゃいいのに、それじゃ駄目だって。自分も守れなくちゃいけない、いや、守りたいんだって。
「…馬鹿だよなお前、それで死んでちゃ意味ねぇのに」
「…」
「俺にそっくりだ」
母さんがくすっと笑った。
「一生懸命で周りがなんにも見えてねぇんだ、そんで一度決めたらテコでも動かねぇ」
『本当、まるで私の子みたい』
こいつの知らない母親ってものを母さんが担えていたらいいなと、ふと思った。母親ってのは子供のことを何でも知ってる。何でもお見通し。俺によく似たこいつのことも、母さんはよく見抜く。だからこいつのことをよくわかってあげられる存在が、母さんならいいなって、何となくそう思う。
「…マザー、ありがとう、もう平気だ」
『あらあら、赤く腫れちゃって、美人さんが台無しよ』
大きくて無骨な手が優しく光を拭った。
「Zhu-yan、ありがとう、私に機会をくれて」
「機会?」
「私は、まだまだ未熟だ。これからもっと成長していく必要があるし、改善すべきところも多い。でも少なくとも、今私は大切な人を守れている。私に守られるほど弱くはないだろうが…」
「…?そうか、良かったな」
「良かったと、思ってくれるんだな」
世界から光を払ったら、見えなくなると思っていた。でも、周りが暗いほうが、小さな明かりに気が付きやすい。そしていつかやってくる朝が、きっと今よりも眩しくなる。
「なら、私も良かった」
***
「…本当にこれで戻れるのか?」
水晶公の元から戻ってきたZhu-yanが持っていたのは美しい光を帯びたクリスタルだった。どうやらこれは特別なまじないによって、エーテルを記憶して持ち運ぶことができるらしい。
水晶公、もとい英雄の功績には驚かされてばかりだ。世界から光を払い、幻想を打ち砕き、それでいて事実から目を逸らさず、しっかり前を見据えている。しかしその分、沢山のものを抱えているだろう。苦しみや悲しみ、痛みや憂い、押しつぶされてしまいそうなことでも、彼らは懸命に生きることをやめはしない。
今でも、その姿を羨ましいとは思う。けれど、私には到底届かない世界だろう。世界中の全てを守ろうなんて、腕が何本あっても足りない。
「俺がこんなことしてやる義理ねぇんだけど」
「あぁ…最後の最後に手を煩わせることになってすまない」
「俺が失敗すればお前死ぬんじゃねーか?」
「そうだろうな」
だからやっぱり今のままがいい。少し守るのに苦戦する、すぐ手元からすり抜けて行ってしまう方が、護りがいがあって、そして私もきっとそれらと真剣に向き合える。
「何でそんなにフツーなんだよ、テメェが死ぬかもしれねぇって話してんだぞ」
「でもあなたはそんなことしない、マザーが悲しむから、そうだろう?」
『ふふ』
Zhu-yanはムッとして私を睨む。態度が気に入らないらしい。いつもそうだ。私が何を言っても彼は満足そうにしたことはない。私の存在自体が彼の弊害なのだから、当然と言えば当然。
「別に、あの赤いやつに恨まれるのが面倒なだけだ」
「あの人のことだ、きっと地獄の果てまで追ってくるだろうな」
「怠すぎる、死んでもゴメンだ」
それでも彼は私の為に水晶公に頼み込み、このソウル・サイフォンを持ってきてくれた。そして私を原初世界へ送り返そうとしてくれた。これっぽっちも自分のためにならないのに。
「そんじゃとっととやるぞ」
「あぁ、頼んだ」
『Miyoちゃん、またあとでね』
ソウル・サイフォンを手に、目を瞑る。エーテルが溶けて石に染みていく感覚を思い浮かべる。全身が水に浸かったような、生ぬるいものに包まれる。
「(マザーに抱きしめられる方がいいな…)」
*
「…」
『どうしたのZhu-yan』
「俺が失敗すれば、こいつ死ぬよな」
『そうね、あなたがちゃんとMiyoちゃんを自分のモノだって思えなければ、Miyoちゃんは星海に放り出されて戻ってこれなくなっちゃうわ』
「…何で、俺のことそんな信用できるんだろうなこいつ、俺何度も殺してやりたいって言ったのに、信じてねぇんだろうな、ムカつく」
『…Zhu-yan、もし本当にMiyoちゃんを殺したいなら、そうすればいいわ。それであなたがエオルゼアに戻って、楽しく暮らせるなら、私は止めはしない。でも、もしも少しでも惑う心や、躊躇う心があるのなら、やめておくべきだわ。何事も、本当にすべきと思った時にだけすべきよ、それで後悔するならば尚更ね』
「…分かってるよ」
『違う、分かってるつもりなだけよZhu-yan。私も、あなたがMiyoちゃんを殺すとは思わないわ。殺せるとも思わない』
「それは、俺がこいつと同じ魂の色で、こいつの過去を知って、他人じゃなくなったからか?俺が同情で鎌を振るえなくなる軟弱モンだからか?!」
『いいえ。Miyoちゃんがどこの誰であれ、最初に殺せなかった時点でもう殺せないのよ。お兄さんを理由にしていたけど、いつものあなたならお兄さんごと殺していた筈よ。Miyoちゃんだけを殺すのも、お兄さんごと殺すのも、あなたは躊躇った。それがどうしてなのか、わからないとは言わせないわ』
「っ……」
『ちゃんと向き合いなさい。そして自分が本当に望むことを為しなさい。他の何者でもない、自分の為にね』
「……分かってるよ…」
***
黒衣森を通る風は凪いでいた。
「Miyo」
とまり木の一室で、くたびれた顔の男はベッドに伏せっていた。きれいに整ったシーツの上には、嘘のように血の気のない女が横たわっている。
もうすぐニヶ月になる。もう二ヶ月も、男はこうして毎日目覚めることのない女のもとへ訪れていた。暁の面々と同じ状況に陥っていると知ってから、ある程度心のゆとりはできたつもりだったが、それでもどこかそわそわと落ち着かず、心地も休まらない。
女の事をそんなに心配していたのかと、自分が一番驚いた。
「ミューヌが心配してる、ずっと寝こけてるお前のことも、それを看てる俺のことも。お前が寝てるだけで気心知れないやつが大勢いるんだよ。英雄なんかじゃなくても、お前には大事なやつが沢山いるだろ。さっさと起きねぇと、あっという間にどっか行っちまうかもしれねぇぞ」
聞こえていないと知っていても、話しかけずにいられなかった。当たり前だったはずの静寂が、今では虚しく胸に響く。耳元をきっていく穏やかな風の音が聞こえる気がして、耳を塞ぎたくなった。
空気を割く音がする。
「よう、シケた面してんな」
「!」
虚から現れた赤い青年は、フンと鼻を鳴らしながらベッドの縁に腰を掛けた。その後に続いて姿を表した亡霊は、男を見てクスクスと笑う。
『酷い隈だわ、寝ていないの?』
「こんな状況で、おちおち寝てられるか」
『ふふ、なら急いで正解だったわね』
男は死霊から青年へ視線を移す。青年は手に持っていた何かを男に向けて放り投げた。
「うわ」
「ちゃんと約束は守ってやったんだ、文句は垂れんなよ」
白く輝くクリスタルは、淡い熱を湛えている。じっと見つめると、その揺らぎの中に懐かしい煌めきが見えた気がした。
一際強く光り輝く。手の中の熱がじわりと脈打つのを感じる。命の温度をしていることに気がついたときには、瞼から赤黄の双眸が覗いていた。
「………Chirobura?」
「Miyo!!」
ぎこちなく首を動かした女は、自分の横でくたびれた顔をしている男を見て少しだけ笑った。
「…ただいま」
「…っ、心配かけさせやがって」
「心配してくれていたのか、それは、すまないことをした」
女は男の助けを借りながら上体を起こし、何度かゆっくりとまばたきをした。それから青年と亡霊へ目を向ける。
「Zhu-yan、マザー、改めて本当にありがとう。沢山手間をかけさせてしまった」
「チッ、ホントだよ。テメーの命一つじゃすまねぇぞ」
『Miyoちゃんが無事に戻ってこられて良かったわ』
「俺からも、ありがとう」
男は深く頭を下げた。青年も亡霊も、少し驚いたように顔を見合わせる。
「お前がどんな気持ちでこいつを助けてくれたのかは分からない。でも、こいつは俺にとって大事な相棒だ。助けてくれただけで、何にも代えがたい感謝がある」
「俺は別に感謝されたくてこいつを助けたんじゃねぇ」
「分かってる。だからこそだ」
青年はチラと女を見やる。女も少し驚いたような顔で男の後ろ姿を見ていたが、青年の視線に気がつくとそちらへ目を向けて、そして少し照れくさそうに眉をひそめて笑った。
「…じゃ、俺は帰る」
『しばらくは体を慣らしてちょうだいね』
「ありがとう、またな二人とも」
青年はその時少しだけ、胸の痛みが消えていったような気がした。